あれは確か、文次郎の纏う忍たま装束が菫色を帯び始めたばかりの頃だった。下級生としての時期を終え、プロ忍としての将来を見据え始めていた過渡期のこと。

私は相も変わらず同級の忍たま達に罠をしかけ、文次郎に怒鳴られたり各委員会の手伝いとして顔を出したりしていた。
くのたまだけでなく何故か忍たまの下級生達の面倒も見る場面が増え、青くさい同級生達が鍛錬と称して勝負し合うのを見て、呆れつつ仲裁することも何度もあった。

しかしあくまで文次郎とは、住処が明確に分けられた同年代の学友でしかなかった。……その線引きを崩すつもりは無かったというのに。

「くのたま四年生、苗字名前」
「説明的な呼びかけをどうも。忍たま四年生、潮江文次郎」

町での実習のために出掛ける間際、門の手前で引き止められた。聞き慣れた声に大人しく振り返れば、苦虫を噛み潰したような僅かばかり焦ったような、やけに複雑そうな顔が待ち受けていた。いつも直情的な男にしては珍しいとまじまじ眺める。

「文次郎、何か用? 私も暇じゃないのだけれど」
「分かってる! ……あー、なんだ。名前は今日町での実習なんだよな」
「そうね。私の忍務の邪魔をしたって何も得はないわよ」
「そんなことしねえよ!」
「ええ、知ってる。だから用事は何かって問いかけているのに、何も答えないのは文次郎でしょ」

ぐっと押し黙った様子に首を傾げる。いつも何かと突っかかってくるとはいえ無駄を嫌う男だから、口ごもる様には違和感を覚えた。

「……今晩、裏裏山の頂上に来い」
「随分と回りくどいお誘いなのね。用件は?」
「その時になったら言う」
「ふうん。まあ良いわ、ならまた後で」

硬い表情をした男にひらりと手を振って門をくぐる。もし罠でも仕掛けられていたらどのように対処しようか、と思索をめぐらせながらも、目の前の忍務に意識を向けた。変装をして身分を偽り情報収集を行う。くのたまとしてはありふれた、けれど全ての基本であり大切な課題だった。

そして、いつも通りに忍務を終えてシナ先生へ提出する報告書の内容を考えていた時のこと。
町の露店街を通り過ぎたところで、先程私を引き止めた同級生と遭遇した。忍たまに今日実習はないと聞いていたけれど、と突然の出来事に驚いていれば相手もまた何故か目を白黒させていた。

「文次郎、まさか本当に私の邪魔に来たの? 生憎もう終わったけれど」
「ちげえよ! ……おい名前、これから時間はあるか」
「無いこともないけど、今すぐ学園に戻って休みたいわ」
「お前がこの程度でくたばる訳ないだろ!」
「あら。随分と私の実力を買ってくれているのね」

ことりと首を傾げて微笑む。わざとらしい仕草を浴びても尚、文次郎は苦々しげにそっぽを向くばかりだった。

「名前」
「なあに?」
「……やる」

たった一言投げつけられた言の葉と共に、手のひらの上にやけに丁重に包装された何かが乗せられた。そこまで重さが無いため忍具の類ではなさそう、と簡単に予測を立てていれば、いつの間にか私服姿の背中が遠ざかっていくのに気付く。

昔は歩幅を合わせてくれていたのに、いつの間にか距離を置かれているような気がするのは何故だろう。……寂しくて泣く童のような思考に自嘲しつつ、少しでも真意を探るべく呼び止めた。

「文次郎!」
「……今晩の約束、忘れるなよ」

言うだけ言って素早く立ち去っていく姿に息を吐きつつ、包みを開けて中身を確認する。正体は単純明快、桃の花があしらわれた簪だった。
未だ成人を迎えていない男子が買うには高価な品であることは、一目見ただけで分かった。つるりと滑らかな質感は恐らく鼈甲べっこうであり、意匠が凝らされた鮮やかな緑と桃の花模様からは巧みな職人技を感じる。

つい思考が停止してしまい、まじまじと眺めてしまった。急に袋槍を投げつけられたような心地だ、と深く息を吐いてから学園への帰路に着く。

「……名前?」
「あら、……長次。奇遇ね」

入門票に記入してから門を潜ると、またもや同級生に遭遇した。声をかけられるまで気配にさえ気付かないとは何たる失態、と内心冷や汗をかく。
物静かな級友はこくりと頷いてから、やがて私の手元に目線を落とした。普段あまり動かない目尻が緩やかに細まっていく。

「文次郎か」
「……長次、これについて何か知ってるの?」

中身も把握しているような言動に、つい問いかけてしまった。長次は考え込むように視線を横に滑らせる。

「……わたしが勝手に喋るべきではないだろう」
「そう、ね。……確かに配慮が足りなかったわ」
「いや。文次郎のことだ、何も言わずに渡してきたんだろう。ならば疑問に思うのも当然だ」

腕を組んだ長次が、真っ直ぐに私を見据える。重く引き結ばれた唇がようやく開こうとした瞬間、私の右肩に誰かの手のひらが乗った。

「なんだ、随分と面白そうな話をしているな。長次、名前」
「仙蔵!」
「……文次郎に叱られても知らないぞ」
「ああ、全てわたしが責任を取ろう。あの朴念仁に任せていたら一生進展しないからな。名前、少し耳を貸せ」

にやりと愉しげに笑う級友は、さらりと髪を靡かせながら私の耳元に口を寄せる。一年生の頃はこちらの顔色を窺ってばかりいた男がよくもここまで成長したものだと、仄かに笑った。

「どうやら文次郎の実家の近くには、腕の良い簪職人がいるそうだ。家族ぐるみの付き合いだと言っていた」
「……? そうなの」
「初めての贈り物だからと、特別に出世払いで請け負ってもらったらしい」
「……、なるほど?」
「ちなみに文次郎を町にけしかけたのも私達だ」
「あら、そう」

徐々に組み上がってきた推論も、即座に自分で否定したくなってしまう。いやまさか、文次郎に限ってそんな忍者の三禁に抵触するようなことをするだろうか、と。

「ここからは夜に直接本人から聞くといい」
「……そこまで知っているのね」
「なにせ、やたらと悩んでいた頑固者に知恵を授けてやったのはわたしと長次だからな」

ちらりと寡黙な級友に目をやれば、内容を察したのか軽く頷いた。

「……分かったわ。二人とも、お気遣いありがとう」
「ふむ。名前、せっかくだからめかし込んで会いに行ってやったらどうだ?」
「嫌よ。……今更貞淑な女を演じたって気味が悪いだけでしょう」
「お前が一番分かっているとは思うが、頑固なようで単純だからな。あれは」
「……仙蔵。あとは二人の問題だろう」

それもそうだ、と言わんばかりに仙蔵は笑みを深める。揶揄うような視線を振り払うように私はそっぽを向いた。

「私、これからシナ先生に報告書を提出しに行くから」
「そうか。健闘を祈るぞ、名前」
「……もそ。頑張れ、名前」

やけにお節介な二人に向けて苦笑してから踵を返す。背中越しに手を振りつつ、さてどうしたものかと頭を捻った。



あっという間に訪れた真夜中に、私はいつも通りくのたま装束で裏裏山に向かった。懐に忍ばせた簪はいつでも取り出せるようにして。
宣言通り待ち受けていた男は、どかりと横柄な態度で岩の上に座っていた。

「……来たか」
「悪い?」
「バカタレ。おまえは意味も無く相手を待たせるような女じゃねえだろ」
「……随分と信頼してくださっているようで」

文次郎と背中合わせになるように岩に座った。なんとなく顔を見せる気にならなかった。

「名前、ひとつ頼みがある」
「なに?」
「……それ、身に付けているところを見せてくれないか」
「……別に、良いけれど」

断る理由も無いため頭巾を下ろす。偶然目に入った空には望月があり、だからこそ今晩は文次郎も鍛錬に身が入らないのだろうと悟る。
懐からゆっくり取り出した簪を手早く髪に挿した。振り返らないまま声をかける。

「挿したわよ」
「……そうか」

文次郎が振り返った気配がした。私は前を向いたまま膝を抱える。

「……」
「……」
「……、名前」
「なに」
「……似合ってる、んじゃねえか」
「正面から見ていないくせに」
「なら……見せろよ」

口調と反してやたらと柔和さを帯びた声に、咄嗟に振り返ってしまう。かちんと衝突した視線の色もやはり想定よりずっと優しい温度を宿していて、つい動揺した。

「それで? ご感想は?」
「……悪くねえな」

なによ、と文句を連ねる声が震えているような気がした。胸の奥から迫り上がる痛みを帯びた感情の正体を、私はまだ知らないままでいたかったのに。

桃の花が似合うような愛らしさなんて欠片も無い女へ、ご丁寧に贈り物なんかしちゃって。ばかなひと。こんなの、もう一生手放してやらないんだから。