夕神くんに纏わる出来事はいつだって唐突で、まるで超新星爆発のようだった。

七年前と同様に宇宙センターにて殺人事件が起こり、その法廷に他でもない夕神くんが検事として立ち、心音さんが被告人として疑われることになり。
さらに驚くべきことに、宇宙センターにてロボットによる反乱事件が起こった。犯人の要求は一つ、被告人である心音さんの身柄だ。
しかし、現場に駆け付けた成歩堂弁護士がその要望を跳ね除けるべく、夕神くんが死刑判決を受けたUR-1号事件の再審理を提案し。それを承諾した犯人は、法廷に立つ検事を自ら用意すると高らかに宣言した。

そうして続報を見守っていると突如、手元のスマートフォンが鳴る。予想通りの名前を見て画面をすぐにスライドさせた。

「お疲れ様です、御剣さん」
「名前くん。宇宙センターの件については把握しているだろうか」
「はい。非公式ですが、一時間後にUR-1号事件の再審理を行うことになった、と」
「うむ、ならば話が早い。立てこもりの首謀者は、検事役として君を指名してきた」
「……成程、そういうことですか」

今回の犯人には心当たりしかなかった。なにせ先日お茶をしたばかりだし、やけに丁寧に現在の宇宙センターについても説明を受けたし、改めて夕神くんの有罪判決について議論を重ねた相手だったから。
あのひとは全てを見越して準備していたのだろう。当事者になる私に何の相談もせずに。……やはり肉親は似るのだなあと、ひどく切ない気持ちになる。

「お引き受けします。今すぐ法廷に行くつもりですが、御剣さんは現場に向かわれますよね?」
「ああ、成歩堂に情報提供もしておきたいからな」
「情報量に差があるのは不公平ですからね、助かります」
「うむ。……検事局長として、君に全てを任せるのは心苦しくもある。だが同時に、今回の件に最も相応しいのは君だとも思っている」
「……はい、光栄です」
「……あの成歩堂が相手だ、かなり手強いだろうが」
「私たちは勝つためだけに法廷に立つ訳じゃない。たとえ何があろうとも、真実を求めるべく力を尽くす。……私が御剣さんから教わったことですよ」

電話口から微かに笑い声がした。珍しいと思いながら私も笑った。

「任せたぞ、名前くん」
「はい。御剣さんもお気を付けて」



爆発事件の起こった現場、地方裁判所の崩壊した第4法廷。事件以降、直接足を踏み入れるのは初めてだった。
裁判長も弁護人も傍聴人も誰もいない、瓦礫が散乱したその空間の中で改めて手元の証拠品を整理する。この七年間、毎日ずっと考え続けていた事件についての物証と状況証拠。擦り切れる程に頭に染み込んだ内容ばかりだった。

ふと、崩れた天井から美しく晴れ渡った空を見上げる。心音さんのネクタイやリボンのような鮮やかな色だった。
同時に、すっかり聞き慣れた鷹の鳴き声がしたので微笑んだ。ギンが真っ直ぐに飛んできて肩の上に乗ってくれる。テコでも動かない、とでも言うかのように頭をぐりぐりと私の髪に押し付けながら。

「ありがとうございます、ギン。今日も傍にいてくれるんですか?」

肯定するように、柔らかくて大きな鳴き声があがる。顎を撫ぜながら改めて感謝を伝えた。

成歩堂弁護士は裁判開始のギリギリに到着予定だとのことで、事前に挨拶や打ち合わせすることも叶わなそうだった。御剣さんから私の立場や意思については説明があっただろうから、コミュニケーション自体は裁判中に行えば問題は無いだろうけど。

突如、扉の開閉音がした。出処に目を向けて息を呑む。
純白が入り交じった漆黒の長髪、スーツ、コート。瞳に唯一無二の光を宿し、清廉な雰囲気と強靭な精神を併せ持った、……誰よりもきれいな男の子。

「夕神くん」

手錠をつけたまま無表情で、真っ直ぐにこちらへ歩み寄ってくる。刑務所の外で、ここまで触れられそうな距離で顔を合わせるのは初めてで、つい胸が詰まった。

「……名前、おめえさんも変わらねえなァ」
「同じ言葉を返しますよ。……出逢った時からずっと、夕神くんは全てが綺麗なままですね」
「……明日には三途の川を渡る死刑囚に、よくもまァそんな世迷いごとを言えるもんだ」
「渡らせません。かぐやさんのお陰で、真実への糸口が掴めそうなところまできたんです。……夕神くん、心配せずとも私は心音さんを無理に断罪するつもりは、」

無いですし、あなたの意志を最大限尊重しますから。と言葉を連ねようとしたところで息が止まる。物理的に唇が動かなくなって、視界が見慣れた漆黒に覆われたことに気付いた。夕神くんのふわふわした髪と、艶めいたスーツと、優しい香りのするコートに、私の身体が覆われていた。まるで抱き締められているようだと数瞬遅れてから気付く。

「そんなことは、わざわざ説明されなくとも分からァ。俺がどれだけおめえさんを見てきたのか、まだ分かってねえのか」
「……どうなんでしょう。私もずっと、夕神くんのことしか見ていなかったんですけどね」
「思わせぶりなこと言いやがって。……結局ずっと、おめえさんは俺の前で泣かねェままだったなァ」
「私が泣いた日なんてありませんでしたから。夕神くんこそ、一人でこっそり泣くなんて酷いです」
「あァ?」

両手で彼の胸を押し返して、間近でその鋭利な佳麗さを帯びた顔を見上げる。七年前と違って瞳の下に深く刻まれているものはきっと涙の跡だと、言われずとも理解していた。睡眠だって充分に取れなかったのだろう。十字架のような苦悩の証に向けて、私はそっと背伸びをした。

その柔らかな目元に、ゆっくりと時間をかけてキスをする。永遠のような、夢のような時間だった。

無言のまま離れて距離を置く。目玉が零れてしまうのではと錯覚するくらい瞠目した彼を見て、ゆるりと笑った。

「夕神くん。今度また泣く時は、私の傍に来てくださいね」

彼の七年間を象徴した手錠に、指先を滑らせる。次に法廷の外で会う時はこれが外れている筈だから。

「名前」
「はい」
「……俺はまだ、何も言わねェ。それに、何もしねえ」
「え?」
「だが、もし万が一の時は。……覚えてやがれ」

何かを堪えるように肩を震わせてから、夕神くんは踵を返した。伸ばしかけた手を自分で抑える。……彼が何を言いたかったのか。それを考えるのは裁判を乗り切った後で構わないだろう。

夕神くんと入れ替わるように入ってきたのは、彼のお目付け役である番刑事だった。この数ヶ月で顔馴染みとなっていたからホッと息を吐く。

「苗字くん! すまない、ユガミくんがどうしてもと懇願してきたんだ。……驚かせてしまっただろうか」

気まずそうに両手の人差し指を突き合わせる姿を見て、首を振る。夕神くんの頑固さに付き合うのは相当な気力が必要だと、これでも私は分かっているつもりだった。

「いえ、大丈夫です。むしろ二人きりで話す機会を作ってくださって、ありがとうございました」
「そうか、ならば良いのだが! そういえば、このあとジブンが証言台に立つことは聞いているだろうか?」
「ええ、かぐやさんから先程メールが入っていました。内容は全て把握しているので、特に話し合いの必要もないかと」
「そうか、さすがだな! それでは、これにて失礼する!」
「はい、番刑事もお気をつけて」
「うむ。苗字くん、……健闘を祈っているぞ!」

ピシリと敬礼してくれた真っ白な背中が去っていく。夕神くんと並べば、モノクロのコントラストがハッキリとしていて対照的だった。一見表情は豊かだが、相変わらず心が読めないひとだと思う。他人を自分のペースに誘導するのがひどく上手で、あの二人は本質的に似通っているような気もした。

さて、と改めて捜査資料を読み返す。念のため今回の宇宙センターにおける殺人事件についても復習しておこうと思った。法廷においては何が重要な証拠となるのか分からないのだから。



いよいよ、心音さんを被告人とする非公式の法廷が始まった。証言台にポンタが立つ様は愛らしく、弁護人として真正面に立つ成歩堂弁護士は頼もしい。
何もかもイレギュラーな裁判だった。けれど私は、今までの検事生命の中で最も高揚していることを自覚していた。

「それでは苗字検事。冒頭弁論はいかが致しますかな?」
「え? ……どういうことですか?」
「実は近頃、裁判長自らが行うサービスも実施しておりましてな」
「うーん。……随分と変わった検事さんもいらっしゃるんですね。既存の常識に捕われない姿勢を否定はしませんが、何と言いますか、こう……かなり困った方ですね……」

冒頭弁論は、検事としての華と言っても過言ではないのに。
直後、「ぐおッ!」と聞き慣れた声で呻き声が上がったような気がして首を傾げる。だが今は審理に集中しなければと改めて顔を上げたところで、何故か冷や汗をかいた成歩堂弁護士が目に入る。

「成歩堂さん? いかがなさいましたか?」
「ああ、いや。その……噂通りクリティカルな弱点なんだな、と思ってね」
「……先程の声について推察されたのでしょうか。審理に必要な場面があればご教授頂けますと幸いですが」
「ええと、これは審理には関係ないかなあ……」
「成歩堂さんがそう仰るのでしたら」

早く審理に進みたいのも確かだから、と頷いてから息を吸う。

「ワガママで恐縮なのですが、皆さんに一点。冒頭弁論の前に私からお願いがございまして」
「何? 名前のお願いなら極力何でも絶対聞くわ!」

ロボットから前のめりな声が聞こえてきた。やはり夕神くんに関することには甘いなあと苦笑する。

「ありがとうございます、かぐやさん」
「私も特に異論は無いですぞ」
「ええ、ぼくも……」
「あんたに名前の言葉を否定する権利なんて無いのよ!」

成歩堂さんが口を挟んだ途端に息巻くかぐやさんの様子を受けて、私も背筋を伸ばした。

「かぐやさん。弁護士として検事の発言に異議を唱えるのは、正式な権利であり職務ですから。口を噤まれると私が困ってしまいます」
「……分かったわよ。ならこの裁判中は許すわ。でも終わったら覚えてなさいよ!」
「ありがとうございます。かぐやさんはお優しいですね」

「これで!?」とでも言いたげな弁護士さんに向けて苦笑する。彼女の厳しさは優しさの裏返しでもあるし、何より以前はもっと穏やかで朗らかだったかぐやさんを変えてしまった原因は、私にもあったから。

「検事として被告人の罪を追求する前に、一人の人間として、大人として。どうしても申し上げておきたいことがあるんです。……ギン、少しだけ夕神くんのところに行っていてくれますか?」

大人しく従ってくれたギンを見送る。敢えて夕神くんのことは見なかった。
裁判長、成歩堂さん、かぐやさんの順に黙礼した後、検事席を飛び出した。真っ直ぐに被告人席へと向かえば、事態を呑み込めていない様子の心音さんが私を驚いたように見上げてくる。

「かぐやさん、先に言っておきます。あなたにとって不快な話をするかもしれません。申し訳ないです」
「……いいわ、予想してたもの。それでこそ名前だと思うし。……ただ裁判が始まったら容赦しないわよ!」
「ありがとうございます。……さて、心音さん」
「は、はい……」

不安そうに視線を逸らされる。自分の罪を暴き立てようとする検察の人間から、何を言われるのかと不安なのだろう。

「私もずっと、あなたに謝りたかったんです」
「え……?」
「七年前の裁判で私たち大人は、心音さんの証言を無下に否定しました。犯罪の前に傷付いた子どもの心は、とても繊細で壊れやすく守るべきものだと……私は誰より分かっていた筈なのに」

証言台に立つ恐怖。大事な人が刑務所に入る恐怖。見知らぬ大人から心無い言葉を突き立てられる恐怖。相手の無罪を信じて会いに行っても、いつまでも濁った目を向けられる恐怖。家族がいなくなってしまう恐怖。家族が自ら命を絶った事実を目の当たりにする恐怖。私を守ってくれる大人が、誰ひとりいなくなってしまう恐怖。

犯罪者の罪を公平に裁くことで、本人の罪を法廷で瞬時に正しく断ち切れるように。周囲の関係者にあらぬ目線や言葉が向かないように。法廷の外で誰かが傷付くことのないように。自分と同じような子どもを生まないように、そのために検事の道を選んだ。
それなのに、大事なひとが背負った冤罪を見逃してしまった。
心音さんには私以上の強いトラウマを植え付けてしまった。

「いえ、そんな……。名前さんはあの時、法廷に立とうとしてくれていたんだって聞いていましたから……」
「検事席に立てずとも、心音さんの心を守るためのサポートは出来たかもしれません。傷付いた子どもの精神を労り癒すための力になれるのは、私たち大人であるべきでした。……しかしあの時の私は、情けなくも自分のことで精一杯で。あなたの心を守れなかった」
「名前さんがそこまで背負う必要ないですよ! 実際わたしは、また戻ってこれたんですから! ……あの日からずっと、今でも法廷は怖いけど。救いたい人を助けるために、弁護士になるために頑張って勉強して、身体も鍛えて、ここまで来ました」
「ええ、心音さんは強い方です。だからこそ、あなたの人生を私たち大人が決定づけたことに対して、大きな責任を感じていました。……心音さん。あなたは自分の選んだ道を後悔していませんか?」

向日葵のような笑顔を浮かべた心音さんが、立ち上がって私を真っ直ぐに見つめる。バチンと勢いよく両手の拳を突き合わせながら。

「後悔なんて一ミリもしてません! わたし、弁護士になって良かったなと思うんです! 新しい出会いも懐かしい再会もあって。法廷に立つ中で学べたこと、たくさんありました。七年前のことがキッカケだとしても、わたしの生きる道を選び取ったのは、わたし自身なんです!」

崩れ落ちた天井から陽が射した。明るい彼女をキラキラと照らし出していく。眩しくて切なくて、あまりにも愛おしい。

「安心しました。ありがとうございます、心音さん」
「いえ、こちらこそ! 改めて、この法廷に対する覚悟を示せて良かったです!」
「はい。これで遠慮なく、私もあなたを被告人として告発できます」
「………………、へ?」

冷や汗をダラダラとかいた愛らしい姿に向けて、にこりと微笑む。

「夕神くんを冤罪とするならば、最も犯人としての可能性が高いのは心音さん。かぐやさんのその仮説は、確かに現状最も議論されるべきなので」
「あ、あの……」
「心音さん、どうぞお手柔らかに。私も全力でやらせて頂きますので」

深々とお辞儀をしてから、くるりと踵を返して検事席に戻っていく。すぐさま肩に飛び乗ってきたギンの顎を撫ぜた後、この子が飛び立ってきた傍聴席に視線を向けた。

てっきり厳しい目を向けられていると思ったのに、夕神くんは何故かひどく満足そうに微笑んでいた。その煌めきから、きっと私は、もう何度目か分からない愛を知った。