裁判が始まった。最初に証言をするのは、かぐやさんの証言書を携えた番刑事だ。

順調に矛盾を見つけては論破していく成歩堂さんが、指先で顎を撫ぜながら不思議そうにこちらを見遣る。さすがは伝説の弁護士だと感動していたので、その視線に対して敬意を込めて微笑み返した。

「苗字さんって、ムジュンを突かれたりピンチになった時もあまり動じないですよね……」
「確かに、成歩堂さんはリアクションが凄いですよね。歴代の優秀な検事さんも驚いた時は反応が凄かったと聞きますし、真似をするべきか悩みましたが……私は今のままでいかせて頂こうかなと」
「ま、まあ、無理してマネをすることはないんじゃないかなと……」
「そうですよね。検事や弁護士がいちいち大げさな反応をしていたら、被告人や傍聴人が不安になるでしょうし」

その時は、法廷の合間に何気ない持論を展開しただけのつもりだった。

「ぎゃああああああああああああああああ!?」
「え。成歩堂さん?」
「ノオオオオオオオオオオオオオオオオオ!?」
「こ、心音さんまで!?」
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
「な、何で夕神くんも叫んでいるんですか!?」
「……苗字検事、見事に鋭く正論を叩き付けましたな」
「裁判長、すみません……。私、考えなしに発した言葉で皆さんを傷付けてしまったのかもしれないです……」
「いいえ。きっと、心のどこかで感じていたからこその反応でしょう。……皆さんが落ち着いたら裁判の続きを始めますかな」
「イヤね。こんなことで止めないで! ジンは昔ッから名前に関することだと打たれ弱くなるんだし、他の奴らは放っておいて良いし」
「それは分からないですけど。……かぐやさん、でも」

ぐったりと弁護人席に伏せっていた成歩堂さんが、ロボットのようにぎこちない動きでギリギリと身体を起こした。

「はい……。ぼくが勝手にショックを受けただけなので、苗字さんは気にせず進めてください……」
「そ、そうですか? では、番刑事に証言を続けて頂きましょうか」

かぐやさんの証言書に議論すべき矛盾がある。その結論に至った際、唯一の目撃者であるポンコに尋問を行うことになった。ロボットの証言を聞くのはさすがに初めてだが、成歩堂さんはあまり動じていない様子で素晴らしい。

「名前だ! 今日もカワイイ!」
「え? あ、ありがとう、ポンコ。七年前のこと、証言をお願い出来ますか?」
「うん! 頑張ったら、いつかポンコとデートしてくれる?」
「デート? この間、一緒にお茶した時だってしたじゃないですか。構いませんよ」
「キャーッ! ジン、聞いた!? ジンだってマトモにデートしたことないでしょ!?」
「うるせェ!」
「かぐやさんが出てきていますね。何故か夕神くんも。……あの、成歩堂さん。やりづらいですよね、すみません」
「い、いえ。苗字さんも大変ですね……心中お察しします……」

グダグダと始まったポンコの証言だったものの、最終的な結論は検察側に有利なものだった。現状では心音さん以外、犯行は不可能だと断定せざるを得ないと。ロボットは見たままを証言するし嘘をつく必要がないからこそ、その事実を覆す材料もなかった。
成歩堂さんは頭を抱えている。……私としても異論がない状況のため、このまま有罪判決が下されるかという空気になった、その時。

「異議あり!」

法廷に落とされた迅雷に、私はただ笑う。心音さんがピンチになった時は声を上げると思っていた。そう信じていた。

「……名前、いつまでもやられっぱなしは性に合わねェ」
「人聞きが悪いですね。現在提出されている証拠と今の証言だけ・・を見れば、心音さんの有罪は覆せない。夕神くんが誰より分かっているからこそ、声を上げたんでしょう?」
「そうだなァ。おめえさんの刃はえらく鋭くて敵いやしねェ。大人しく三途の川まで見送ってくれるたァ……ハナから思っちゃいなかったが」
「まあ、そんなことをするくらいなら腹を切りますし」
「分かってらァ。おめえさんの芯は何があっても折れねェことくらい」
「でも、夕神くんはお好きでしょう?」
「はァ!?」

突如。いつになく驚いた様子で声を上げるので、私までビクリと肩を震わせる。ギンが宥めるように擦り寄ってくれた。

「え。夕神くん、こういう歯応えのある議論、お好き……ですよね?」
「……紛らわしいことを言うんじゃねェ」
「そ、それは失礼しました……? では気を取り直して、証言をしたいということで宜しいですかね」
「あァ、やってやるさァ。……しかし名前、喋る前から疲れさせるンじゃねェ」

疑問符を浮かべる私を、成歩堂さんは冷や汗をかきながら見守ってくれていた。しかし夕神くんが口を開くことで、その汗はさらにダラダラと流れていくことになる。
かつて若手検事のホープだった彼の証言には、一切の隙も無かった。自分は人殺しだと、ポンコの晒した矛盾もことごとく潰していく。

私はその様をありのまま見守った。そして、再び法廷の空気は変わる。

「異議あり!」

心音さんが弁護人席へ飛び出した。
七年前の苦しみを抱えながらも、弁護士としての強い覚悟を持った女の子が、夕神くんのココロの声に耳を傾けるために。最終的に自分にとって不利な状況になろうとも、自分が有罪になる可能性が高まろうとも。心音さんは真っ直ぐに、どこまでも真実を追い求めていた。

その結果明らかになったのは、心音さんが当時何者かに刃物を突き立てたという事実。つまり彼女こそが真犯人という疑惑であり、疑念だった。
その後の議論も紛糾し、成歩堂さんが指摘した数多くの矛盾もことごとく消えてしまい。ついにそれ以外の結論はもう出ないかと、青いスーツをまとった背中が深く項垂れた時。

私は背筋を伸ばして、深く大きく息を吸った。私たちの七年間を、もう一度諦めるつもりなんて更々なかった。

「成歩堂さん。あなたが信じ抜く真実とは、こんなに脆いものなんですか」
「ぐッ……!」
「あなたが指摘する矛盾は、全ての前提を覆す程の力を持ちません。これ以上、些細な齟齬を暴いたところで打破出来ないでしょう。……成歩堂さん、改めて問います。ここで全てを諦めますか?」

名前を呼べばぎこちなく私を見遣って、葛藤するように頭を抱えて、やがて。───その瞳に眩い流星が宿った。

「ありがとう、苗字さん。ぼくはココネちゃんのことを、何があっても最後まで絶対に信じ抜く! この信念だけは揺らがない!」
「はい。……それでこそ、法曹界の伝説たる成歩堂さんです」

成歩堂さんは訴えた。心音さんが刺したのは、被害者たるお母様ではなく、真犯人である可能性を。
その信念が宿った言葉を受けた心音さんは、ついに思い出した。あの日の真実を。七年前の事件の記憶を。自分が犯人ではないという確信を。

そして、監視カメラの映像により証明された真犯人の正体がようやく浮き彫りになる。亡霊に扮した死体の第一発見者。HAT-1号への破壊工作をしかけたスパイ。

そんな成歩堂さんの筋の通った仮説が証明され、夕神くんと心音さんの無罪判決が下されそうになった瞬間。はじめから定められていたように、再び波乱が起きる。突然現れた王泥喜弁護士は、葵大地さん殺害事件の犯人として心音さんを告発した。
心音さんを信じるために、敢えて全ての疑いを晴らすべく。親友の意志も背負って告発したのだと、堂々とジャケットをなびかせて。

成歩堂なんでも事務所の面々は、全員とても真っ直ぐで眩しいなと目を細めてしまった。
当然のごとく用意していた先日の宇宙センターでの事件資料を手に、成歩堂さんと共に舌戦を重ねた結果。導かれた真実は───真犯人の亡霊は、番轟三刑事であるということ。

深く大きな闇が晴れ、真実が詳らかにされた時の法廷とはこうも明るいのか、と息を呑んだ。検事席に立つ時はいつも、目の前の罪と被告人に向き合うのに必死で、こんなにも全てが明るく見えることなんて無かったから。
成歩堂さんと頷き合い、被告人席で今にも涙を零しそうな心音さんに目を細めた後、傍聴人席に腰掛けるそのひとを見る。ふと目が合った。

「名前」

歓声や動揺のざわめきが広がる中、距離が遠くて聞こえない筈なのに、彼が私の名前を呼んだことはハッキリと分かった。

「夕神くん」

それ以上の言葉は必要無かった。裁判長が振り下ろした木槌の音が、私たちの七年間をゆっくりと浄化していく。控え室へ向かう道のりがこんなにも長くて、こんなにも胸が踊る日がくるなんて思ってもみなかった。



被告人控え室の前に立つ。中から明るい喧騒が聞こえて自然と胸が熱くなった。改めて裁判資料を大切に抱えながら扉を開ける。

「名前さん!」

真っ先に向日葵の笑顔が華やいだ。室内には成歩堂さんに王泥喜さん、御剣さんにかぐやさん、……当然夕神くんも揃っている。当然のごとく手錠も外れていた。さすがは検事局長、諸々の準備を全て終えて即座に駆け付けてくれたのだろう。

「心音さん、お疲れ様です」
「名前さん、本当に……今回はありがとうございました!」
「そんな。自分を追い詰めてきた相手に御礼を言うなんて、心音さんもお人好しですね」
「だって、成歩堂さんも名前さんのお陰で真実に辿り着けたって言ってましたもん! ですよね!?」
「あはは、その通り。……改めてありがとう、苗字さん。何度もずっと、発破をかけたりヒントをくれたりして、助かりました」
「とんでもないです。成歩堂さんの過去の経験に基づいた度胸と閃き、間近で拝見して大変勉強になりました。お相手して頂けて光栄です」
「情けないところもたくさん見せてしまったけれどね……」
「完璧なひとも素晴らしいですけど、愛嬌があれば親しみも湧きますからね」
「素敵なフォローをありがとう。さあ、きみと話したい人が多いだろうから行っておいで」

娘さんがいらっしゃるのも納得の懐の深さで見送ってくれた成歩堂さんと、彼の事務所の面々にお辞儀をして、赤いスーツが眩しい検事局長の元へと向かう。夕神くんの隣で目を潤ませているかぐやさんにも笑顔を向けた。更に涙が溢れそうになっている様を浴びて、愛おしくて胸が熱くなる。

「御剣さん、ありがとうございました」
「うむ。……その手元の資料を見るに、意思は固まっていそうだな」
「勿論。それにしても、仮釈放も準備済みとは恐れ入ります」
「成歩堂と名前くんが揃って、夕神の無実が証明されない訳がないからな。……残りの審理にあたって必要な情報は私に任せてくれ。君は彼の傍についていてほしい」
「……はい、ありがとうございます」

優雅に手を掲げてくれた上司にお辞儀をして、本件の立役者に向き直る。

「かぐやさん、ありがとうございました。……お陰様で、夕神くんの無罪を証明できましたね」
「うん、……うん。名前、今回は迷惑かけてごめんなさい。それから、……ずっとずっと傍で支えてくれて、励ましてくれて、……本当にありがとう」
「……こちらこそ。かぐやさんのお陰で、私はこの七年間を頑張れましたから」

ギュっと抱き着いてくる柔らかな熱に、心からの笑みが浮かんだ。この七年間、仕事でもプライベートでも様々なことがあった。何度も心が挫けそうになって、その度にかぐやさんやギンに会いに行った。特に彼女からは、温かなお茶とお菓子と笑顔と、力強くも優しい会話を交わして、ずっと元気を貰っていたから。

「かぐやさん。また会いに行きますね」
「うん。……わたしはもう大丈夫、あとの時間はジンのために使ってやって」

刑務所に面会に行くのは悲しいことに慣れているから、と。互いに言葉にしなくとも分かっていた。ゆっくりと身を離してから、私たちの様子を見守っていたそのひとに向かっていく。
きらりと美しく繊細に、その瞳が煌めいた。私の胸に星が落ちて、心臓が宇宙に溶けていく。

「夕神くん、今回の裁判資料です。残りの審理はよろしくお願いします」
「……此処はもうおめえさんの戦場だろォが。俺に託して良いのか」
「私の役目はもう終わりましたから。あなたの無罪を証明できただけで充分です。……それに、私の刃はもう。夕神くんへの愛に満ちすぎて、今は誰も斬れそうにないんです」

資料が私の手から離れた。かと思えば、息が止まるかと錯覚するような力強さに全身が包まれる。今まで生きてきた中で一番強くて、やさしくて、温かくて、甘やかで、繊細で、美しくて、愛おしい熱。夕神くんの両掌が、私の背中を労るように慈しむように愛おしむようにゆるりと撫ぜた。胸の奥から込み上げてきた熱を必死に押しとどめながら、私もまた彼の大きな背中を大切に撫でた。

「名前」
「はい」
「あと少しだけでいい。……俺と一緒に戦ってくれるかい」
「……私、検事としてはお役に立てませんよ?」
「そンな肩書きだの、誰かさんの言葉だのは気にしなくていい。要はてめェ自身がどうしたいかだろ」
「……はい。私で良ければぜひ。一緒に、傍で戦わせてください」

無能だの無力だの有害だの、過去に突き立てられた言葉の刃も、今だけは私の中で溶かしてみせよう。他でもない夕神くんが望んでくれたのだから。

「今度はもう、おめえさんを待たせたりしねェ。悲しませもしねェ。……俺のことを信じてくれるかい」
「勿論。……裁判前に交わした約束も忘れないでくださいね」

───今度また泣く時は、私の傍に来てくださいね。
夕神くんも同時に思い出したのか、へッと愉快そうな笑い声を響かせる。

「頼まれなくとも行ってやらァ。惚れた女の頼みとありゃ尚更だ」

夕神くんはゆっくりと時間をかけて、私の頭を撫ぜてから仄かに笑った。耳に届いた音の意味を噛み砕こうとすれば頭がショートしそうだった。

「……あの、夕神くん。今の言葉、どういう意味ですか?」
「丁寧に解説してやる気はねェよ。自分で考えろ、この鈍感」
「す、すみません……?」
「……さて、そろそろ時間か。ちと亡霊狩りに行ってくらァ」
「はい、お気を付けて。……いってらっしゃい、夕神くん」

かくして、師匠への忠義を貫いた義の検事と、依頼人を最後まで信じ抜いた伝説の弁護士は、法の暗黒時代の元凶であった亡霊を討ち取った。
名前も顔も自我すらも喪ってしまった哀れで空虚な人形は、法廷戦場の闇へと散っていく。

暗く陰ってしまった法曹界に再び光が射すように、少しでも一人の検事として尽力しようと。誰よりも大切なひとと視線を交わしながら、私は改めて決意した。



「……お疲れ様です、夕神くん」

亡霊の裁判が終わって少しして、無事に釈放された彼を迎えに行った。いつも通り身一つで、しかし以前とは違って硝子の隔たりは無い状態で。
真っ青に晴れ渡る青空の下。刑務所から離れ、私たちはあまり人気のない公園の芝生に腰を下ろしていた。
手錠をつけていない身軽そうなスーツ姿があまりにも眩しくて美しくて、愛おしくて、噛み締めるように目を細めた。

「あァ。忙しいのにわざわざすまねェな」
「いえ、夕神くんのためならいくらでも時間は作りますから」
「……それで、あの約束は果たしてくれンのかい」
「はい、勿論。私としてはいつでも構わな、」

夕神くんの指先がやさしく私の頬を包んだ。白と黒のコントラストに彩られた前髪が、綺羅星のごとく私の額に重なる。朝を告げる夜明けの光をかき集めたような美しい瞳に、他でもない自分が映っているのが不思議だった。

「……名前」

夕神くんは泣いていた。ようやく自分だけの宝物を発見したような、かつて無くしてしまった形見と再会したような、切なくも喜びに満ち溢れた笑顔を浮かべながら。彼の指先が縋るように私の髪に触れては、夜を掬うように梳いていく。初めて出逢った時からずっと、私はあなたの光に溺れていたことを、改めて痛感した。

「何ですか? 夕神くん」
「愛してる。……いつかおめえさんを置いて死ぬような、惨めな男が抱いて良い想いだなんて微塵も思っちゃいなかった。墓場まで持っていくつもりだった。それなのによォ、俺に諦める機会さえ一度もくれやしねェんだ。随分と酷ェ女だよ」
「……ごめん、なさい。私が夕神くんのこと、諦めたくなかったんです」
「謝るな。……俺は甲斐性も無けりゃ牢獄暮らしが長ェ面倒な野郎だと分かっちゃいるんだが。それでも、今でも名前が望んでくれるならよォ。……これからもずっと、俺の傍にいちゃくれねェか」

胸の奥で星が爆発する。ぼろり、ぼろりと、目の端から熱い銀河が零れ落ちていく。親指で私の涙を拭う夕神くんが、朝日を溶かしたように柔く笑った。

何度も何度も、深く大きく頷いた。やがて見つめ合って、互いの吐息が触れて、唇の熱を交わす。あなたと共に未来を紡いでいける道が開けたことに、胸が押し潰されるような心地だった。

私たちの涙が重なって生まれた光は、そうして蛍のごとく儚くも鮮烈な愛へと変わっていく。朝も昼も夕方も夜も、全ての時を。きっと私は、あなたへの愛を捧ぐために生まれてきたのだろう。

もう一度ふたりだけの世界で笑った。宇宙で一等美しい星を、私は、瞼の裏に永遠に焼き付けた。