ポニーテールとミルクティー
夏の体育館で流れる汗は、何となく特別な気がして心が躍る。
ダラダラと顔を伝うそれを乱暴に手で拭いつつ、伸ばしっぱなしの髪をざっくりと両手で上げてからゴムで束ねた。熱気に満ちた部活中では生温い風すら吹かないけど、首元が空気に触れると自然と気合いも入る。
休憩中の部員が水分補給をしている様を見回した。相変わらず個性豊かで面白い。特に、だらりと床に伸びた我らが脳を構い倒すレギュラー陣は今日も微笑ましかった。
しかし、いざ再び作業に取り掛かろうと足を踏み出した瞬間、物凄い形相でこちらを見遣る同級生と目が合った。いつもは爽やかに朗らかに笑っているくせに、今はドリンクを片手に何やら複雑そうな顔をくしゃりと歪めている。内心ギョッとしつつ平静を装って声をかけた。
「どうしたの、夜久。ドリンクに梅干しでも入ってた?」
「苗字がそんなヘマする訳ねえだろ」
「……それはどうも。でも心配だから答えて。本当に何かあった?」
「…………、別に」
「別にって顔じゃないんだけどな。まあ、私で力になれることがあればいつでも声かけて」
マネージャーとはいえあまり踏み込みすぎるのも良くないし、何より夜久はメンタル面の自己管理スキルが音駒随一だ。私に何か出来るとは元より思っていないが、と踵を返せば、ニヤリと厭らしく笑う主将が目の前にヌッと現れる。
「黒尾、妖怪みたいに現れるのやめてくれない?」
「だぁれが妖怪トサカマンじゃ!」
「そんな妖怪いなくない? しかも戦隊モノっぽくてカッコイイ名前じゃん」
「え。ほんと? カッコイイって思う?」
「黒尾チョロすぎない? 思うよー」
「苗字ちゃん本音ダダ漏れだね!? ありがとー」
茶番に付き合いつつ「で、本当の目的は何」と目で問う。「まあまあ見てなって」とジェスチャー付きで返ってきたので溜め息を吐いた。敵味方問わず、揶揄うオモチャを発見した時の黒尾は誰にも止められない。
「やっくん、グッときちゃったんだよねー?」
「え? 何に?」
「……ッ、おいバカ黒尾!」
「髪を上げた苗字を見て、良いなーでも他の輩に見られるのは癪だなーって思っちゃったんデショ?」
「……、……ッ!」
珍しく言い淀む夜久の顔を一瞬見た後、何でもない顔を作ってからバシッと黒尾の背を叩く。
「はいはい。そんなことより、ちゃんと休憩取って練習しなさい主将」
「マネージャーさんも少し顔が赤いようですが?」
「熱中症が怖いので水分取ってきます! 夜久も気にしないでいいから!」
言い捨ててから走り出す。背後でガッと蹴り倒す音が聞こえたから、きっと夜久が黒尾をシバいているのだろう。
……部内に色恋沙汰を持ち込みたくないのに、何を言い出すんだこのトサカ頭。バカ黒尾。ブロックの鬼。一人時間差野郎。ありとあらゆる罵詈雑言を吐き捨てながら、急激に迫り上がる熱を誤魔化すしかなかった。
その後のレシーブ練習でも夜久の集中力と練度は見事だったが、心做しか黒尾への視線が鋭くてつい笑ってしまう。それに、いつもより目が合う瞬間が多く感じて気が気じゃなかった。迷惑をかけたい訳じゃないからポーカーフェイスを作り続けていたけど。
体育館が閉まる時間が目前となり、マネージャーとして部員に声をかける。早く制服に着替えて来いと送り出したのに、一人だけ駆け寄ってくる笑顔を見た。今日も誰よりも綺麗にレシーブをしていた我らが守備のエース、夜久だ。振り返りながらニヤニヤとこちらを見るトサカ頭は無視だ、無視。さっさと行け。
「あのさ、苗字」
「どうしたの、夜久。何か用事?」
「……髪を上げてる時だけじゃねえから」
「え?」
「苗字はどんな髪型でも可愛いから」
痛いほど真っ直ぐに目を合わせながら、夜久は言った。休みの日でさえ美容院やメイクよりも睡眠や趣味を優先させる女に向かって、そんな思わせぶりなことを。夜久、前は小柄でショートの可愛い子がタイプって口にしてたくせに。
暴れ回る心臓を宥めるべくスッと息を吸ってから、私は笑った。
「……夜久も、いつもカッコイイよ」
「ん。ありがとな」
「……うん」
「……、じゃあ俺も着替えてくるわ! 今日も送るから待ってろよ!」
手を振りながら見送った後、あーあ、と体育館の屋根を仰ぐ。マネージャーが同級生の部員に恋するだなんて、陳腐でありきたりな話だ。
でも私だって、コートの上には立てなくても音駒の一員だから。一年生の頃から全国制覇を共に志してきたから。色恋に浮かれるなんていつでも出来るけど、皆と一緒に全国を目指せるのは今だけだから。
バシンと力を込めて両頬を叩く。全国区のマネージャーなら、恋心くらい原動力に出来なくてどうする。
しばらくは、練習中にポニーテールにする頻度は増えるかもしれないけど。夜久の髪を自然と思い出せる、ミルクティーを買う回数は増えるかもしれないけど。それで皆のサポートに熱が入るならば、何でも利用してやる。
ジンジンと熱を帯びた頬を溶かすような夏の暑さも、今はとにかく全てが愛おしかった。
ダラダラと顔を伝うそれを乱暴に手で拭いつつ、伸ばしっぱなしの髪をざっくりと両手で上げてからゴムで束ねた。熱気に満ちた部活中では生温い風すら吹かないけど、首元が空気に触れると自然と気合いも入る。
休憩中の部員が水分補給をしている様を見回した。相変わらず個性豊かで面白い。特に、だらりと床に伸びた我らが脳を構い倒すレギュラー陣は今日も微笑ましかった。
しかし、いざ再び作業に取り掛かろうと足を踏み出した瞬間、物凄い形相でこちらを見遣る同級生と目が合った。いつもは爽やかに朗らかに笑っているくせに、今はドリンクを片手に何やら複雑そうな顔をくしゃりと歪めている。内心ギョッとしつつ平静を装って声をかけた。
「どうしたの、夜久。ドリンクに梅干しでも入ってた?」
「苗字がそんなヘマする訳ねえだろ」
「……それはどうも。でも心配だから答えて。本当に何かあった?」
「…………、別に」
「別にって顔じゃないんだけどな。まあ、私で力になれることがあればいつでも声かけて」
マネージャーとはいえあまり踏み込みすぎるのも良くないし、何より夜久はメンタル面の自己管理スキルが音駒随一だ。私に何か出来るとは元より思っていないが、と踵を返せば、ニヤリと厭らしく笑う主将が目の前にヌッと現れる。
「黒尾、妖怪みたいに現れるのやめてくれない?」
「だぁれが妖怪トサカマンじゃ!」
「そんな妖怪いなくない? しかも戦隊モノっぽくてカッコイイ名前じゃん」
「え。ほんと? カッコイイって思う?」
「黒尾チョロすぎない? 思うよー」
「苗字ちゃん本音ダダ漏れだね!? ありがとー」
茶番に付き合いつつ「で、本当の目的は何」と目で問う。「まあまあ見てなって」とジェスチャー付きで返ってきたので溜め息を吐いた。敵味方問わず、揶揄うオモチャを発見した時の黒尾は誰にも止められない。
「やっくん、グッときちゃったんだよねー?」
「え? 何に?」
「……ッ、おいバカ黒尾!」
「髪を上げた苗字を見て、良いなーでも他の輩に見られるのは癪だなーって思っちゃったんデショ?」
「……、……ッ!」
珍しく言い淀む夜久の顔を一瞬見た後、何でもない顔を作ってからバシッと黒尾の背を叩く。
「はいはい。そんなことより、ちゃんと休憩取って練習しなさい主将」
「マネージャーさんも少し顔が赤いようですが?」
「熱中症が怖いので水分取ってきます! 夜久も気にしないでいいから!」
言い捨ててから走り出す。背後でガッと蹴り倒す音が聞こえたから、きっと夜久が黒尾をシバいているのだろう。
……部内に色恋沙汰を持ち込みたくないのに、何を言い出すんだこのトサカ頭。バカ黒尾。ブロックの鬼。一人時間差野郎。ありとあらゆる罵詈雑言を吐き捨てながら、急激に迫り上がる熱を誤魔化すしかなかった。
その後のレシーブ練習でも夜久の集中力と練度は見事だったが、心做しか黒尾への視線が鋭くてつい笑ってしまう。それに、いつもより目が合う瞬間が多く感じて気が気じゃなかった。迷惑をかけたい訳じゃないからポーカーフェイスを作り続けていたけど。
体育館が閉まる時間が目前となり、マネージャーとして部員に声をかける。早く制服に着替えて来いと送り出したのに、一人だけ駆け寄ってくる笑顔を見た。今日も誰よりも綺麗にレシーブをしていた我らが守備のエース、夜久だ。振り返りながらニヤニヤとこちらを見るトサカ頭は無視だ、無視。さっさと行け。
「あのさ、苗字」
「どうしたの、夜久。何か用事?」
「……髪を上げてる時だけじゃねえから」
「え?」
「苗字はどんな髪型でも可愛いから」
痛いほど真っ直ぐに目を合わせながら、夜久は言った。休みの日でさえ美容院やメイクよりも睡眠や趣味を優先させる女に向かって、そんな思わせぶりなことを。夜久、前は小柄でショートの可愛い子がタイプって口にしてたくせに。
暴れ回る心臓を宥めるべくスッと息を吸ってから、私は笑った。
「……夜久も、いつもカッコイイよ」
「ん。ありがとな」
「……うん」
「……、じゃあ俺も着替えてくるわ! 今日も送るから待ってろよ!」
手を振りながら見送った後、あーあ、と体育館の屋根を仰ぐ。マネージャーが同級生の部員に恋するだなんて、陳腐でありきたりな話だ。
でも私だって、コートの上には立てなくても音駒の一員だから。一年生の頃から全国制覇を共に志してきたから。色恋に浮かれるなんていつでも出来るけど、皆と一緒に全国を目指せるのは今だけだから。
バシンと力を込めて両頬を叩く。全国区のマネージャーなら、恋心くらい原動力に出来なくてどうする。
しばらくは、練習中にポニーテールにする頻度は増えるかもしれないけど。夜久の髪を自然と思い出せる、ミルクティーを買う回数は増えるかもしれないけど。それで皆のサポートに熱が入るならば、何でも利用してやる。
ジンジンと熱を帯びた頬を溶かすような夏の暑さも、今はとにかく全てが愛おしかった。