東京一の負けず嫌い
初めて入った運動部は、いい意味でも悪い意味でも年功序列の世界だった。
つまるところ、最高学年こそ偉くて一年生は雑用係の下っ端という訳だ。たとえ久しぶりに入部してきたマネージャーであっても、おもてなし係として見下されて甘く見られていた。
年齢だの性別だの社会的なステータスでジャッジされるのは心底くだらないと感じていたから、正直居心地は良くなかった。けれどその分年下の新人マネは、どんなに生意気でも一切を許されたから。
───おい一年! 早く片付けしろよな!
入部したての頃は黒尾たちも、孤爪たちも、先輩たちから漏れなく等しくいびられていた。出る杭が打たれようとする様を見ては我慢できず、つい口を挟んでしまっていたけれど。
───あ、いやですねー先輩。マネージャーの仕事を奪う気ですか? 私も皆さんに良いところを見せたいなと思ってたのに。
───えーでも女の子に全部任せんのもアレじゃん?
───さすが、お優しいんですね。ただ鍵の返却も私の仕事ですから。練習を頑張った皆さんにはどうぞ遠慮なく早く休んで頂きたいですし、そのためのマネージャーですから。
───そお? まあマネージャーに頑張ったって言われんのも悪い気はしねえな。どうせ俺たちなんて、高校での思い出作りしかしてねえんだけどさ。
───……ふふ。
あなた達がそうやって見下している一年生は、全国制覇を本気で目指す超カッコイイ子たちなんですけどね! と、心の中で叫んでは笑顔を貼り付けていたものだった。
そうして私が媚びた分、同級生の仲間が自主練する時間が増えた。彼らが叱られる時間は減り、より質の高い練習に励むことが出来た。……なんて、今でも時折三人から言及されては感謝されることがあるから実に面映ゆい。
こんなに超絶カッコイイ子達の望みが妨害される世界があまりに理不尽すぎて、何とか足掻こうとしただけの自己満足でしかなかったけど。
結局、黒尾が主将になり猫又監督が復帰するまで、我らが音駒高校バレー部の環境が改善することはなかった。が、かつての強豪校が名実ともに復活する予感は、二年前からずっと熱く肌を焦がし続けていた。
「あ、作りすぎちゃった」
家庭科室でエプロンを外しながら独り言ちる。私もいよいよ最高学年な訳だけど、先輩方に媚びていた頃の名残りが未だにそっと顔を出すことがあった。その内の一つが部活中の差し入れなのだが、一度気分が乗ってしまったらとことん限界までやってしまうのが私のクセだ。
改めて山盛りの皿を見遣る。おにぎりもプロテインバーも想定以上にてんこ盛りになってしまった。まあ見た目よりは重くないし一人で往復すれば大丈夫か、と袖を捲りあげたところで扉の開く音がする。
「苗字さん、お手伝いすることはありますか?」
「芝山、ちょうど良かった! この差し入れ、一緒に運ばない?」
「わ! ぜひ! 美味しそうです!」
瞳をキラキラと輝かせながら駆け寄ってくる後輩に微笑む。一年生たちこそ未来の音駒を背負う宝なのだから、不条理に厳しく痛めつけるより伸び伸びとスパルタに鍛えあげよう、というのが黒尾たちの意見だった。自分たちが理不尽に扱われた分、後輩には柔軟に対応しようと心から考えて行動する仲間たちは、相変わらず超絶カッコよすぎて痺れるしかない。
「わざわざ来てくれてありがとね。何か困ったことあった?」
「あー……、先程苗字さんに任せて頂いたドリンク作り、僕が失敗しちゃいまして……すみません……」
「お、もしかして濃く作りすぎちゃったとか?」
「はい……しかもよりにもよってキャプテンに……」
「そっか。黒尾はミスを理不尽に怒ること無いからね。笑いに変えてくれたでしょ?」
「そうなんですよね。……だからこそ余計に申し訳なくなってしまって」
家庭科室を出て、体育館までの道のりを二人で歩く。護りの音駒においてリベロを志す芝山は、夜久も特に目をかけている素直な後輩だ。
マネージャーの仕事も率先して引き受けてくれる真面目さもあるし、面倒見が良くて気遣い屋な性格だと知っている。こういう優しい子は、気にするなと声をかけても逆に気にしてしまうだろうし。そもそも単純なミスなのだから対策は既に理解しているだろうし、私が上から目線で何か言うのも違うと思うし。いつも通り、ありのままに思うままに私自身の言葉を紡ぐしかないだろう。
「芝山はカッコイイね」
「……え?」
「ドリンク作りもちゃんとした仕事と捉えて、失敗を真摯に反省してくれてる。所詮マネージャーの仕事って見下すことなく」
「ですが当たり前のことでは……?」
「それを当たり前って言えるところがカッコイイよ」
「あ、ありがとうございます……?」
「ん。今度また一緒に作ろうね。差し入れも作りすぎちゃう時あるから、時々見張りに来てくれると助かる」
「……、はい! 僕で良ければお手伝いします!」
「うん、でも自分の練習を第一にね。音駒のリベロ ってだけで既に超カッコイイんだから」
何やらぶるぶると震えた後、「はい!」と大きく返事をする横顔を見て笑う。うちの部員は全員がとんでもなくカッコイイと、自信を持って言えるようになったのが心底幸せだった。
「うっっっっっっま!?!?!?!?!?」
体育館の真ん中を切り裂くように叫んだのは、チーム随一の長身を誇るセンス抜群の初心者、灰羽だった。未だに部員に差し入れを配っていた私は、その背後からの叫び声にギョッとしてしまう。
「リエーフうるさい」
「だって孤爪さん! 俺プロテインバーがこんなに美味しいって思うの初めてなんですけど! これなら毎日食えません!?」
「それはまあ……同意見だけど」
「ですよね!? これ苗字さんが作ったんですか!?」
突如として私の真正面にやってきた灰羽は、それまで一緒に喋っていた夜久を押し退ける勢いだった。凄い顔してるよ、夜久。その足技が炸裂する前に答えねば。
「うん。お気に召してもらえた?」
「そりゃもう! 毎日食いたいです!」
「ありがと。余裕のある日は出来る限り作ってるし、なんなら今日持って帰ってもいいよ」
「マジすか!? アザッス!」
「ただし、タンパク質の一日あたりの摂取目安量は決まってるから一度に食べすぎないこと。あくまで栄養補助食品だからね」
全体練習が終わった後、自主練が始まる前に補給食を作って持ってくるのもマネージャーの仕事だ。今では皆こうして褒めてくれるけれど、昔は先輩からダメ出しを食らってばかりいたものだ。一人だけやたらと口が達者なグルメを自称する先輩がいたから、当時は対抗心をバリバリと燃やして負けじと研究を重ね、いくつものオリジナルのレシピを編み出した訳である。
「苗字、おにぎりも握り方が絶妙で美味えんだよな」
ガツガツと頬張りつつも黙々と咀嚼していた主将が、灰羽の肩にゆっくりと手を置いた。また何か揶揄おうとしているのだろうか。
「聞いて驚け、リエーフ。……なんとうちのマネージャーは、東京中の男子バレー部員の胃袋を掴んでるんだぜ」
「おお! さすが苗字さん、カッケー!」
「いや黒尾、あまりに大胆な嘘すぎるし灰羽も簡単に信じないでね」
「嘘ではない! 少なくとも梟谷グループの連中はゾッコンだし、その中には全国で五本指に入る大エースもいるんだからな!」
「大エース!? 凄いッスね!」
「あー……、そうかもね」
やたらと二人で盛り上がっているし、なんだか面倒くさくなってきた。まあ、夏の合同合宿について新入生に話してモチベーションを上げるのは良いと思うけど。
軽く息を吐いたところで、差し入れの皿を抱えていた両腕が急に軽くなる。見れば夜久が代わりに持ってくれていた。
「ごめん夜久、ありがと。もう自主練入るよね」
「いや、もう少し腹が落ち着いてからにする。苗字も食えよ、腹減ったんじゃね?」
「そうだね。なら一つだけ」
近くのベンチに導かれたから隣に座って、夜久の持つお皿からおにぎりを一つだけ取る。……うん。手前味噌だが、握り方がふんわりしていて出汁が効いていて美味しい。
食べてからすぐ動くのは身体に良くないからと、部員達は各々自由にお喋りを続けていた。黒尾と灰羽は犬岡も交えて更に盛り上がっているようだし、海と福永も微笑ましげに言葉を交わしている。孤爪は山本に絡まれて困った顔をしているようだが、あれがあの二人なりのコミュニケーションだと分かっていた。
夜久も私も黙々とご飯を咀嚼する。食べている間は行儀が悪いから沈黙を貫くけど、お互い部内の様子を眺めて観察しては笑っていた。同じ空間を共有しながら同じ喜びを感じられている実感を得られるのは、かけがえのない幸せな時間だなと思う。
「苗字、ありがとな」
「ん、何が?」
「今日も俺たちの傍にいてくれて。お陰でやる気出るわ」
「こちらこそ。今日もサイコーにカッコイイ姿を見せてくれてありがと」
いつもよりほんの少し幼く見える、夜久のくしゃっとした無邪気な笑い方が好きだった。
お互いパッと立ち上がり、片手で軽くハイタッチをする。各々の仕事に打ち込むために頭を切り替えていった。
次こそは、もっと良いパフォーマンスを。きっとこの場にいる全員が考えていることは同じだった。
つまるところ、最高学年こそ偉くて一年生は雑用係の下っ端という訳だ。たとえ久しぶりに入部してきたマネージャーであっても、おもてなし係として見下されて甘く見られていた。
年齢だの性別だの社会的なステータスでジャッジされるのは心底くだらないと感じていたから、正直居心地は良くなかった。けれどその分年下の新人マネは、どんなに生意気でも一切を許されたから。
───おい一年! 早く片付けしろよな!
入部したての頃は黒尾たちも、孤爪たちも、先輩たちから漏れなく等しくいびられていた。出る杭が打たれようとする様を見ては我慢できず、つい口を挟んでしまっていたけれど。
───あ、いやですねー先輩。マネージャーの仕事を奪う気ですか? 私も皆さんに良いところを見せたいなと思ってたのに。
───えーでも女の子に全部任せんのもアレじゃん?
───さすが、お優しいんですね。ただ鍵の返却も私の仕事ですから。練習を頑張った皆さんにはどうぞ遠慮なく早く休んで頂きたいですし、そのためのマネージャーですから。
───そお? まあマネージャーに頑張ったって言われんのも悪い気はしねえな。どうせ俺たちなんて、高校での思い出作りしかしてねえんだけどさ。
───……ふふ。
あなた達がそうやって見下している一年生は、全国制覇を本気で目指す超カッコイイ子たちなんですけどね! と、心の中で叫んでは笑顔を貼り付けていたものだった。
そうして私が媚びた分、同級生の仲間が自主練する時間が増えた。彼らが叱られる時間は減り、より質の高い練習に励むことが出来た。……なんて、今でも時折三人から言及されては感謝されることがあるから実に面映ゆい。
こんなに超絶カッコイイ子達の望みが妨害される世界があまりに理不尽すぎて、何とか足掻こうとしただけの自己満足でしかなかったけど。
結局、黒尾が主将になり猫又監督が復帰するまで、我らが音駒高校バレー部の環境が改善することはなかった。が、かつての強豪校が名実ともに復活する予感は、二年前からずっと熱く肌を焦がし続けていた。
「あ、作りすぎちゃった」
家庭科室でエプロンを外しながら独り言ちる。私もいよいよ最高学年な訳だけど、先輩方に媚びていた頃の名残りが未だにそっと顔を出すことがあった。その内の一つが部活中の差し入れなのだが、一度気分が乗ってしまったらとことん限界までやってしまうのが私のクセだ。
改めて山盛りの皿を見遣る。おにぎりもプロテインバーも想定以上にてんこ盛りになってしまった。まあ見た目よりは重くないし一人で往復すれば大丈夫か、と袖を捲りあげたところで扉の開く音がする。
「苗字さん、お手伝いすることはありますか?」
「芝山、ちょうど良かった! この差し入れ、一緒に運ばない?」
「わ! ぜひ! 美味しそうです!」
瞳をキラキラと輝かせながら駆け寄ってくる後輩に微笑む。一年生たちこそ未来の音駒を背負う宝なのだから、不条理に厳しく痛めつけるより伸び伸びとスパルタに鍛えあげよう、というのが黒尾たちの意見だった。自分たちが理不尽に扱われた分、後輩には柔軟に対応しようと心から考えて行動する仲間たちは、相変わらず超絶カッコよすぎて痺れるしかない。
「わざわざ来てくれてありがとね。何か困ったことあった?」
「あー……、先程苗字さんに任せて頂いたドリンク作り、僕が失敗しちゃいまして……すみません……」
「お、もしかして濃く作りすぎちゃったとか?」
「はい……しかもよりにもよってキャプテンに……」
「そっか。黒尾はミスを理不尽に怒ること無いからね。笑いに変えてくれたでしょ?」
「そうなんですよね。……だからこそ余計に申し訳なくなってしまって」
家庭科室を出て、体育館までの道のりを二人で歩く。護りの音駒においてリベロを志す芝山は、夜久も特に目をかけている素直な後輩だ。
マネージャーの仕事も率先して引き受けてくれる真面目さもあるし、面倒見が良くて気遣い屋な性格だと知っている。こういう優しい子は、気にするなと声をかけても逆に気にしてしまうだろうし。そもそも単純なミスなのだから対策は既に理解しているだろうし、私が上から目線で何か言うのも違うと思うし。いつも通り、ありのままに思うままに私自身の言葉を紡ぐしかないだろう。
「芝山はカッコイイね」
「……え?」
「ドリンク作りもちゃんとした仕事と捉えて、失敗を真摯に反省してくれてる。所詮マネージャーの仕事って見下すことなく」
「ですが当たり前のことでは……?」
「それを当たり前って言えるところがカッコイイよ」
「あ、ありがとうございます……?」
「ん。今度また一緒に作ろうね。差し入れも作りすぎちゃう時あるから、時々見張りに来てくれると助かる」
「……、はい! 僕で良ければお手伝いします!」
「うん、でも自分の練習を第一にね。音駒の
何やらぶるぶると震えた後、「はい!」と大きく返事をする横顔を見て笑う。うちの部員は全員がとんでもなくカッコイイと、自信を持って言えるようになったのが心底幸せだった。
「うっっっっっっま!?!?!?!?!?」
体育館の真ん中を切り裂くように叫んだのは、チーム随一の長身を誇るセンス抜群の初心者、灰羽だった。未だに部員に差し入れを配っていた私は、その背後からの叫び声にギョッとしてしまう。
「リエーフうるさい」
「だって孤爪さん! 俺プロテインバーがこんなに美味しいって思うの初めてなんですけど! これなら毎日食えません!?」
「それはまあ……同意見だけど」
「ですよね!? これ苗字さんが作ったんですか!?」
突如として私の真正面にやってきた灰羽は、それまで一緒に喋っていた夜久を押し退ける勢いだった。凄い顔してるよ、夜久。その足技が炸裂する前に答えねば。
「うん。お気に召してもらえた?」
「そりゃもう! 毎日食いたいです!」
「ありがと。余裕のある日は出来る限り作ってるし、なんなら今日持って帰ってもいいよ」
「マジすか!? アザッス!」
「ただし、タンパク質の一日あたりの摂取目安量は決まってるから一度に食べすぎないこと。あくまで栄養補助食品だからね」
全体練習が終わった後、自主練が始まる前に補給食を作って持ってくるのもマネージャーの仕事だ。今では皆こうして褒めてくれるけれど、昔は先輩からダメ出しを食らってばかりいたものだ。一人だけやたらと口が達者なグルメを自称する先輩がいたから、当時は対抗心をバリバリと燃やして負けじと研究を重ね、いくつものオリジナルのレシピを編み出した訳である。
「苗字、おにぎりも握り方が絶妙で美味えんだよな」
ガツガツと頬張りつつも黙々と咀嚼していた主将が、灰羽の肩にゆっくりと手を置いた。また何か揶揄おうとしているのだろうか。
「聞いて驚け、リエーフ。……なんとうちのマネージャーは、東京中の男子バレー部員の胃袋を掴んでるんだぜ」
「おお! さすが苗字さん、カッケー!」
「いや黒尾、あまりに大胆な嘘すぎるし灰羽も簡単に信じないでね」
「嘘ではない! 少なくとも梟谷グループの連中はゾッコンだし、その中には全国で五本指に入る大エースもいるんだからな!」
「大エース!? 凄いッスね!」
「あー……、そうかもね」
やたらと二人で盛り上がっているし、なんだか面倒くさくなってきた。まあ、夏の合同合宿について新入生に話してモチベーションを上げるのは良いと思うけど。
軽く息を吐いたところで、差し入れの皿を抱えていた両腕が急に軽くなる。見れば夜久が代わりに持ってくれていた。
「ごめん夜久、ありがと。もう自主練入るよね」
「いや、もう少し腹が落ち着いてからにする。苗字も食えよ、腹減ったんじゃね?」
「そうだね。なら一つだけ」
近くのベンチに導かれたから隣に座って、夜久の持つお皿からおにぎりを一つだけ取る。……うん。手前味噌だが、握り方がふんわりしていて出汁が効いていて美味しい。
食べてからすぐ動くのは身体に良くないからと、部員達は各々自由にお喋りを続けていた。黒尾と灰羽は犬岡も交えて更に盛り上がっているようだし、海と福永も微笑ましげに言葉を交わしている。孤爪は山本に絡まれて困った顔をしているようだが、あれがあの二人なりのコミュニケーションだと分かっていた。
夜久も私も黙々とご飯を咀嚼する。食べている間は行儀が悪いから沈黙を貫くけど、お互い部内の様子を眺めて観察しては笑っていた。同じ空間を共有しながら同じ喜びを感じられている実感を得られるのは、かけがえのない幸せな時間だなと思う。
「苗字、ありがとな」
「ん、何が?」
「今日も俺たちの傍にいてくれて。お陰でやる気出るわ」
「こちらこそ。今日もサイコーにカッコイイ姿を見せてくれてありがと」
いつもよりほんの少し幼く見える、夜久のくしゃっとした無邪気な笑い方が好きだった。
お互いパッと立ち上がり、片手で軽くハイタッチをする。各々の仕事に打ち込むために頭を切り替えていった。
次こそは、もっと良いパフォーマンスを。きっとこの場にいる全員が考えていることは同じだった。