前哨基地を鼓舞するカレー
先輩方の去り際は、思いの外呆気なかった。二つ上の先輩も一つ上の先輩も、IH予選で敗退して早々に引退してしまったから。
とはいえ代替わりの主将としてチームの立て直しをはかった黒尾も、全てをスマートにこなしていた訳じゃない。
黒尾たちの熱意を買ってサポートに入ってくれた直井コーチのもと、練習メニューや諸々の環境改善は叶ったものの、梟谷グループの合同合宿では散々辛酸を舐めさせられるばかりだったから。
敗北のペナルティとしてフライングを全力でこなす皆のために、ドリンクやタオルの配給スピードを上げたのも良い思い出だ。
あの敗北の全てが、どんな強烈なスパイクも一切通さない練度の高いレシーブを作り上げていくと私は知っていたし、信じていた。
私の所属するチームは、必ず全国制覇を成し遂げるのだと。誰に対しても自信を持って言えた。
「苗字のセルフペナルティ、やっぱ最高だよな」
「え? なに突然」
練習試合の行きの道中、ガハハと笑い出した黒尾に振り返る。隣にいた夜久も黒尾の傍で笑う海も、アヒルのように噛み殺した声を上げていた。
何故今、その話になったのか分からず首を傾げる。
確かに梟谷グループの合同合宿に参加した際、負けた際に受ける罰 はマネージャーも受けるべきではという持論から、セルフペナルティ───宴会の出し物でやるような一芸───を実施しているけど。いくら他校の面々が大勢いたとしても、今年もコート端でやる気満々だったけど。勿論迷惑にならない範囲で。
「何で笑ってるの? 地下アイドルになった黒尾の真似でも思い出した?」
「ブホッ! やめろ苗字、笑わせんな!」
「魔法少女になった夜久もね、我ながら良かったと思ってるんだけど」
「ブフッ! あれ、俺も好きだよ」
「ネタ探しは福永のお陰で捗ったからねー。去年はネタ帳が倍になったもん」
「いやお前ら芸人か」
「違うけど」
後方で親指を立てる福永に笑い返してから、さすがに余所見は良くないなと前を向いた。……ところで、視界の変化に気付く。
「……あれ?」
「どうした苗字……って、研磨がいねえ!?」
フラフラと頭を揺らしていた我らが脳が行方不明になってしまった。迷子とはいえ携帯は持っているから連絡は取れるし、孤爪のことだから心配はしてないけど。今日も少し寝足りないようだったし、今晩は早く寝かせなきゃな。
「あーあ。黒尾が騒ぎ始めるから、孤爪が拗ねて出ていっちゃったじゃん」
「俺のせいか!?」
「まあどちらにせよ、監督不行き届きっつーことで探しに行かなきゃな。主将 ?」
「ぐッ……!」
「黒尾、俺たちは先に行ってアップしておくから」
「わぁーったよ! お前らは先に行って万全に準備してろ!」
黒尾の荷物を分担して受け取りつつ、黒くて大きな背中を見送る。すると何やらネタを思い付いたのか、福永が小走りに駆け寄ってきた。
「苗字先輩。……サラリーマンが、行方不明の愛猫を探し出した末に超でっかくなった姿を発見したとしたら……。激動の末に憑依合体して、唯一無二の猫人類と化し世界を救う……壮大な物語」
試合中でも見られないくらいの真剣な顔だ。うん、正直唐突すぎて思考が停止しかけたけど、一年以上の付き合いで共にネタを考え抜いた仲なのだからシンパシーをビビッと受け取る。ここまで饒舌に語ってくれたのだから、全力で応えなければ先輩ではない。
愛猫 を探し出すサラリーマン という例えは絶妙だと思った。生き甲斐を無くした男が挫折し、愛する者との再会により奮起する……なんてストーリーの骨組みは後で考えるとして、なるほど。
「つまり……黒尾も孤爪も猫人 ってこと?」
「こくり」
「いやこくりじゃねーよ」
「まあ実際、私は何も上手いこと言ってないし雰囲気で喋ってるだけだし」
「けれど笑いは、その不完全さと唐突さによって生まれる超新星爆発……さすがは苗字先輩」
「ドヤり」
わざとらしく口で言いつつ胸を張った。夜久からツッコみを受ける面々が羨ましくて、私もこの二年でボケることを覚えたのである。さあ夜久、どうくる。
「それ、くっそ可愛いな」
「……夜久さん、唐突な不意打ちは良くないです」
「何でだよ」
「何でも! はいもう行くよー」
こちらの顔を覗き込もうとしてくる夜久から逃れるべく、海を盾にしながら早足で駆けていく。マネージャーと選手の距離感は見誤らないように気を付けているのに、時折急に爆弾を放り込みおって。この男前め、覚えていろ。
猫又監督が正式に復帰した後の音駒は、チームとしての練度が着実に格段に上がっていった。今回の練習試合を順調に勝ち抜く姿から見ても、その采配の見事さには改めて舌を巻いてしまう。
「苗字、ちょっとスコア見せて」
「はい、監督」
試合の終盤、ベンチにて声をかけられた。素早くも恭しく渡せば、ふむふむと頷きながら微笑んでいる。
「やはりそうか」
「……孤爪ですか?」
「うん。今日の研磨は、随分と遊び心があると思ってな」
微々たる変化ではあるが私も感じていた。なんだか今日はいつもより、コートの中でスパイカーが動いている気がする。省エネのため練習ではローカロリーなセットアップを好む印象があったから、少し不思議ではあったのだけど。
そういえばと思い出す。試合前、孤爪を慌てて引っ掴んできた黒尾が、やけに愉しげに笑っていたっけ。
「噂によると、孤爪はどうやら……迷子中にヒナガラスに遭遇したらしいですよ」
「ほう! なるほど、烏 に会ったか」
「楽しみですね、猫又監督」
「ああ、そうだねえ」
監督は普段から柔和な雰囲気を漂わせつつ、常に様々な思考を巡らせ自分も相手も分析し続けるクレバーな人だ。私よりずっと前からバレーを愛し続け、指導者として選手を温かく見守る姿しか見てこなかったけれど。……こんなにも無邪気に笑う横顔は初めて見たかもしれない。
審判の笛が鳴る。試合終了、音駒の勝利だ。
どんなに喜ばしい結果でも、敗北を味わった試合であっても、監督はいつだって冷静に平等にもっと彼らが上にいくための方法を探し続けているのだろう。立ち上がった背中に続き、試合相手に深々と頭を下げた。
監督が不意に、にこりと笑いかけてくる。
「苗字、今日の夕飯はカレーだっけ」
「はい。カツでも揚げますか?」
「それもいいが、予定通りでいいよ。選手たちが求めてる苗字の味にとやかく言ったら、こっちが文句言われそうだし」
「え。そんなことはないと思いますが……?」
「いつも通りの笑顔と味っていうのはね、多分苗字が思っている以上の力があるから」
「……はい、ありがとうございます」
「うん」
私には直接的な技術指導なんてとても出来ないし、少しでも皆の心と身体が健やかなものであるよう祈ってサポートするくらいが精々だ。チーム内の誰かの代わりなんて出来る筈もない。
まずは与えられた役割として、練習試合の後片付けを頑張らねばと決意を固める。
普段の部活でも合宿でも、頑張っている選手のために料理を作るのは好きだった。
どんな日もどんなメニューでもその喜びに優劣は無かったけど、カレーを作る日はなんとなく皆の気分がいつもより高揚しているような気がして、私も嬉しかった。
幼い頃から慣れ親しんだ家庭の味を食べるとホッとすると聞くし、少しでも安心させられるような味を提供できていれば良いのだけど。
片付けのために体育館を駆け回りながら想像する。かつては監督も、カレーを食べて安心した夜があるのかもしれない。
なら買い出しも調理も妥協できないなと笑う。いつも通りに髪をくくって、私は今日も静かに気合を入れた。
とはいえ代替わりの主将としてチームの立て直しをはかった黒尾も、全てをスマートにこなしていた訳じゃない。
黒尾たちの熱意を買ってサポートに入ってくれた直井コーチのもと、練習メニューや諸々の環境改善は叶ったものの、梟谷グループの合同合宿では散々辛酸を舐めさせられるばかりだったから。
敗北のペナルティとしてフライングを全力でこなす皆のために、ドリンクやタオルの配給スピードを上げたのも良い思い出だ。
あの敗北の全てが、どんな強烈なスパイクも一切通さない練度の高いレシーブを作り上げていくと私は知っていたし、信じていた。
私の所属するチームは、必ず全国制覇を成し遂げるのだと。誰に対しても自信を持って言えた。
「苗字のセルフペナルティ、やっぱ最高だよな」
「え? なに突然」
練習試合の行きの道中、ガハハと笑い出した黒尾に振り返る。隣にいた夜久も黒尾の傍で笑う海も、アヒルのように噛み殺した声を上げていた。
何故今、その話になったのか分からず首を傾げる。
確かに梟谷グループの合同合宿に参加した際、負けた際に受ける
「何で笑ってるの? 地下アイドルになった黒尾の真似でも思い出した?」
「ブホッ! やめろ苗字、笑わせんな!」
「魔法少女になった夜久もね、我ながら良かったと思ってるんだけど」
「ブフッ! あれ、俺も好きだよ」
「ネタ探しは福永のお陰で捗ったからねー。去年はネタ帳が倍になったもん」
「いやお前ら芸人か」
「違うけど」
後方で親指を立てる福永に笑い返してから、さすがに余所見は良くないなと前を向いた。……ところで、視界の変化に気付く。
「……あれ?」
「どうした苗字……って、研磨がいねえ!?」
フラフラと頭を揺らしていた我らが脳が行方不明になってしまった。迷子とはいえ携帯は持っているから連絡は取れるし、孤爪のことだから心配はしてないけど。今日も少し寝足りないようだったし、今晩は早く寝かせなきゃな。
「あーあ。黒尾が騒ぎ始めるから、孤爪が拗ねて出ていっちゃったじゃん」
「俺のせいか!?」
「まあどちらにせよ、監督不行き届きっつーことで探しに行かなきゃな。
「ぐッ……!」
「黒尾、俺たちは先に行ってアップしておくから」
「わぁーったよ! お前らは先に行って万全に準備してろ!」
黒尾の荷物を分担して受け取りつつ、黒くて大きな背中を見送る。すると何やらネタを思い付いたのか、福永が小走りに駆け寄ってきた。
「苗字先輩。……サラリーマンが、行方不明の愛猫を探し出した末に超でっかくなった姿を発見したとしたら……。激動の末に憑依合体して、唯一無二の猫人類と化し世界を救う……壮大な物語」
試合中でも見られないくらいの真剣な顔だ。うん、正直唐突すぎて思考が停止しかけたけど、一年以上の付き合いで共にネタを考え抜いた仲なのだからシンパシーをビビッと受け取る。ここまで饒舌に語ってくれたのだから、全力で応えなければ先輩ではない。
「つまり……黒尾も孤爪も
「こくり」
「いやこくりじゃねーよ」
「まあ実際、私は何も上手いこと言ってないし雰囲気で喋ってるだけだし」
「けれど笑いは、その不完全さと唐突さによって生まれる超新星爆発……さすがは苗字先輩」
「ドヤり」
わざとらしく口で言いつつ胸を張った。夜久からツッコみを受ける面々が羨ましくて、私もこの二年でボケることを覚えたのである。さあ夜久、どうくる。
「それ、くっそ可愛いな」
「……夜久さん、唐突な不意打ちは良くないです」
「何でだよ」
「何でも! はいもう行くよー」
こちらの顔を覗き込もうとしてくる夜久から逃れるべく、海を盾にしながら早足で駆けていく。マネージャーと選手の距離感は見誤らないように気を付けているのに、時折急に爆弾を放り込みおって。この男前め、覚えていろ。
猫又監督が正式に復帰した後の音駒は、チームとしての練度が着実に格段に上がっていった。今回の練習試合を順調に勝ち抜く姿から見ても、その采配の見事さには改めて舌を巻いてしまう。
「苗字、ちょっとスコア見せて」
「はい、監督」
試合の終盤、ベンチにて声をかけられた。素早くも恭しく渡せば、ふむふむと頷きながら微笑んでいる。
「やはりそうか」
「……孤爪ですか?」
「うん。今日の研磨は、随分と遊び心があると思ってな」
微々たる変化ではあるが私も感じていた。なんだか今日はいつもより、コートの中でスパイカーが動いている気がする。省エネのため練習ではローカロリーなセットアップを好む印象があったから、少し不思議ではあったのだけど。
そういえばと思い出す。試合前、孤爪を慌てて引っ掴んできた黒尾が、やけに愉しげに笑っていたっけ。
「噂によると、孤爪はどうやら……迷子中にヒナガラスに遭遇したらしいですよ」
「ほう! なるほど、
「楽しみですね、猫又監督」
「ああ、そうだねえ」
監督は普段から柔和な雰囲気を漂わせつつ、常に様々な思考を巡らせ自分も相手も分析し続けるクレバーな人だ。私よりずっと前からバレーを愛し続け、指導者として選手を温かく見守る姿しか見てこなかったけれど。……こんなにも無邪気に笑う横顔は初めて見たかもしれない。
審判の笛が鳴る。試合終了、音駒の勝利だ。
どんなに喜ばしい結果でも、敗北を味わった試合であっても、監督はいつだって冷静に平等にもっと彼らが上にいくための方法を探し続けているのだろう。立ち上がった背中に続き、試合相手に深々と頭を下げた。
監督が不意に、にこりと笑いかけてくる。
「苗字、今日の夕飯はカレーだっけ」
「はい。カツでも揚げますか?」
「それもいいが、予定通りでいいよ。選手たちが求めてる苗字の味にとやかく言ったら、こっちが文句言われそうだし」
「え。そんなことはないと思いますが……?」
「いつも通りの笑顔と味っていうのはね、多分苗字が思っている以上の力があるから」
「……はい、ありがとうございます」
「うん」
私には直接的な技術指導なんてとても出来ないし、少しでも皆の心と身体が健やかなものであるよう祈ってサポートするくらいが精々だ。チーム内の誰かの代わりなんて出来る筈もない。
まずは与えられた役割として、練習試合の後片付けを頑張らねばと決意を固める。
普段の部活でも合宿でも、頑張っている選手のために料理を作るのは好きだった。
どんな日もどんなメニューでもその喜びに優劣は無かったけど、カレーを作る日はなんとなく皆の気分がいつもより高揚しているような気がして、私も嬉しかった。
幼い頃から慣れ親しんだ家庭の味を食べるとホッとすると聞くし、少しでも安心させられるような味を提供できていれば良いのだけど。
片付けのために体育館を駆け回りながら想像する。かつては監督も、カレーを食べて安心した夜があるのかもしれない。
なら買い出しも調理も妥協できないなと笑う。いつも通りに髪をくくって、私は今日も静かに気合を入れた。