鳴かぬ蝉と鳴く蛍
高校入学当初の私は、裁縫が超絶苦手な不器用人間だった。料理だって特別上手かった訳では無い。
だって、そもそも練習する必要がなかったから。縫い物をしたって料理を作ったって、誰に喜んでもらえる訳でも褒めてもらえる訳でも無かったから。
……どうせ、私が何をやっても全てが無駄になってしまうから。
ならばもう、誰かに見てもらえるかもなんて期待しないように、何か努力することは極力避けようと思っていた。高校に入学しても将来のために勉強だけは頑張ろうとしていたけど、特別熱を入れようとはしなかったし。
───なあ、苗字さん。……バレーボール、興味ない?
だけど出会ってしまった。他でもない私を必要としてくれる人たちに、他でもない私が支えたいと切望できる人たちに。
どんなに苦手なことであっても、彼らのためなら頑張れると胸を張れる人たちと巡り会えた。だからせめて、皆にとって恥ずかしくないマネージャーになりたかった。
そんな当時の決意が、ボロボロのお守りを見てありありと甦ってくる。
「あ。悪い苗字、紐が切れた」
夜久の鞄から零れ落ちたのは、色褪せた不格好なお守りだった。微かな苦々しさと、それを圧倒的に包み込む優しい思い出に胸を衝かれる。
「……それは構わないんだけど」
「あとで直さなきゃな」
一年生の頃、IH予選に挑む先輩方のために作ったものの、「さすがにダセエ」と笑い飛ばされたくらいに下手くそな出来なのに。
別に先輩たちは根が悪い人たちという訳ではなく、単に高校生特有の悪ノリをしがちなだけだった。そういう雰囲気や態度には慣れていたから、穏便に済ませるべく無理やり笑って、大人しく捨てようとしたのに。
───先輩、いらないなら俺にくれませんか。
───えっ。これを?
───はい。俺たちは、それが欲しいんで。
夜久も黒尾も海も、そう言ってわざわざ持っていってくれたんだっけ。懐かしいな。
あの出来事があったからこそ、裁縫も料理も勉強も部活の仕事も、もっと頑張ろうと思った。全てにおいて確実な成果を出せるように死に物狂いでやろうと思った。
「……まだ持ってたんだ」
「当たり前だろ。黒尾も海もいつも鞄につけてるし」
「えっ。今までの全部……?」
「当然」
「………、………」
「苗字、どうした?」
慌てて天井を見上げる。いつも通りの部活終わりの、いつも通りの体育館 がそこにあった。だからこそ、自分なりにあれこれ一応頑張ってきたんだよなと一気に色々と思い出して、なんだか急に言葉が出なくなってしまう。
出会ってから今まで、夜久にはあらゆる自分を見せてきた。裁縫も料理もマネージャーの仕事も上手くできなくて凹んでいた時も、家の中がゴタゴタしてグズグズ悩んでいた時も、合宿所で眠れなくて真夜中に泣きそうだった時も。変に同情しすぎることも干渉しすぎることもなく、時には笑わせてくれて、時には黙って傍にいてくれた。
夜久はいつだって、当たり前のように隣にいた。甘えすぎて、迷惑に思われたり嫌われたりするのが怖かったのに、いつの間にかそんな不安さえも包み込むように笑ってくれていた。
ゆっくり下を向いて、夜久と目を合わせる。今までの想いを全て込めながら舌を出した。
「泣かせないでよ」
「泣かせようとは思ってねーよ」
「夜久の男前。ばか」
「は? 何だそれ」
夜久が笑う。それだけで幸せで、愛しくて、切なくて、胸のずうっと奥が疼いた。
「なあ苗字」
「ん?」
「……抱き締めてもいいか?」
「な、んで……?」
「したくなったから」
「……いや、うん、別にいいけど」
「サンキュ」
制服姿で身を寄せ合う。シャツ姿を捲り上げた腕は筋肉が綺麗についていて、夜久の過去の努力が全部詰まっているんだなと思った。
予想よりも優しい力で降ってきた抱擁に息が止まる。私の全身が容赦なく夜久の熱と溶け合っていく。
「苗字」
「ん?」
「……苗字ー」
「なに、どうしたの夜久」
爽やかな春と瑞々しい夏を感じさせる、優しい声が耳元で私の名前を呼んだ。なんだか子どもみたいで可愛いけど。やっぱりこの体勢は緊張もするし。
「なんか、すげえ呼びたくなった」
「……素直に照れるんですけど」
「かわいいな」
「やめてー! 私ばっかり照れてる!」
「苗字だけじゃねえし」
ドッと、互いの心臓の音が重なった。鼓動のリズムはそれぞれ違ったけど、どちらも異様に早いことだけ分かってしまって、夜久の肩に埋めながら羞恥心に耐えることしか出来なかった。
明後日からテスト期間であるが故、みんな早めに自主練を切り上げて既に帰っている。静かでガランとした体育館はいつも私たちに寄り添ってくれるけど、今は全く知らない場所みたいで、次の言葉を急き立ててくるようだった。
「夜久」
「ん、どうした?」
何でそんなに優しい声出すの。泣きそうになるじゃん。と理不尽な思考に陥ってしまう。
「……私、テスト頑張る」
「おう、知ってる。苗字が成績落としたこと一切ないから、マジで尊敬してる」
「無事に終わったら、インハイ予選の応援も頑張る」
「ん、知ってる。いつも苗字が一生懸命やってくれるから、俺たちも頑張れる」
「……夜久に、」
「ん?」
「……夜久にもっと可愛いって思ってもらえるように、頑張る」
「……、何もしなくても苗字はそのままで可愛いけどな」
「そういうことじゃなくて!」
「その思考がまず可愛いし、今ここでそれを言うのが更にかわいい」
「夜久さんが容赦ない!」
「お互い様だわ」
じゃれ合うように互いの腕のチカラが少し強くなって、夜久が私の頭を梳くように撫でた。あやすような手つきが心地好くて目を細める。
私は相変わらず不器用なままだ。裁縫を試みれば針を指に刺すことも未だにあるし、料理だって数多の失敗を重ねてから完成品を作り上げるのが大前提だし、この間なんて体育館で盛大に転んでゼッケンをぶち撒けたし。
それ以外にも未熟な部分はたくさんある。でもそれこそが私だ。
音駒高校男子バレー部マネージャーの、苗字名前なんだ。
どんなことであっても一生懸命やる姿はカッコイイんだって、私は皆から学んだから。もう、誰に笑われても馬鹿にされても構わないと思った。
夜久の背中にギュッと縋り付いてから笑う。
好きだよ、と。音に出さないように気をつけながら、そっと小さく呟いた。
だって、そもそも練習する必要がなかったから。縫い物をしたって料理を作ったって、誰に喜んでもらえる訳でも褒めてもらえる訳でも無かったから。
……どうせ、私が何をやっても全てが無駄になってしまうから。
ならばもう、誰かに見てもらえるかもなんて期待しないように、何か努力することは極力避けようと思っていた。高校に入学しても将来のために勉強だけは頑張ろうとしていたけど、特別熱を入れようとはしなかったし。
───なあ、苗字さん。……バレーボール、興味ない?
だけど出会ってしまった。他でもない私を必要としてくれる人たちに、他でもない私が支えたいと切望できる人たちに。
どんなに苦手なことであっても、彼らのためなら頑張れると胸を張れる人たちと巡り会えた。だからせめて、皆にとって恥ずかしくないマネージャーになりたかった。
そんな当時の決意が、ボロボロのお守りを見てありありと甦ってくる。
「あ。悪い苗字、紐が切れた」
夜久の鞄から零れ落ちたのは、色褪せた不格好なお守りだった。微かな苦々しさと、それを圧倒的に包み込む優しい思い出に胸を衝かれる。
「……それは構わないんだけど」
「あとで直さなきゃな」
一年生の頃、IH予選に挑む先輩方のために作ったものの、「さすがにダセエ」と笑い飛ばされたくらいに下手くそな出来なのに。
別に先輩たちは根が悪い人たちという訳ではなく、単に高校生特有の悪ノリをしがちなだけだった。そういう雰囲気や態度には慣れていたから、穏便に済ませるべく無理やり笑って、大人しく捨てようとしたのに。
───先輩、いらないなら俺にくれませんか。
───えっ。これを?
───はい。俺たちは、それが欲しいんで。
夜久も黒尾も海も、そう言ってわざわざ持っていってくれたんだっけ。懐かしいな。
あの出来事があったからこそ、裁縫も料理も勉強も部活の仕事も、もっと頑張ろうと思った。全てにおいて確実な成果を出せるように死に物狂いでやろうと思った。
「……まだ持ってたんだ」
「当たり前だろ。黒尾も海もいつも鞄につけてるし」
「えっ。今までの全部……?」
「当然」
「………、………」
「苗字、どうした?」
慌てて天井を見上げる。いつも通りの部活終わりの、いつも通りの
出会ってから今まで、夜久にはあらゆる自分を見せてきた。裁縫も料理もマネージャーの仕事も上手くできなくて凹んでいた時も、家の中がゴタゴタしてグズグズ悩んでいた時も、合宿所で眠れなくて真夜中に泣きそうだった時も。変に同情しすぎることも干渉しすぎることもなく、時には笑わせてくれて、時には黙って傍にいてくれた。
夜久はいつだって、当たり前のように隣にいた。甘えすぎて、迷惑に思われたり嫌われたりするのが怖かったのに、いつの間にかそんな不安さえも包み込むように笑ってくれていた。
ゆっくり下を向いて、夜久と目を合わせる。今までの想いを全て込めながら舌を出した。
「泣かせないでよ」
「泣かせようとは思ってねーよ」
「夜久の男前。ばか」
「は? 何だそれ」
夜久が笑う。それだけで幸せで、愛しくて、切なくて、胸のずうっと奥が疼いた。
「なあ苗字」
「ん?」
「……抱き締めてもいいか?」
「な、んで……?」
「したくなったから」
「……いや、うん、別にいいけど」
「サンキュ」
制服姿で身を寄せ合う。シャツ姿を捲り上げた腕は筋肉が綺麗についていて、夜久の過去の努力が全部詰まっているんだなと思った。
予想よりも優しい力で降ってきた抱擁に息が止まる。私の全身が容赦なく夜久の熱と溶け合っていく。
「苗字」
「ん?」
「……苗字ー」
「なに、どうしたの夜久」
爽やかな春と瑞々しい夏を感じさせる、優しい声が耳元で私の名前を呼んだ。なんだか子どもみたいで可愛いけど。やっぱりこの体勢は緊張もするし。
「なんか、すげえ呼びたくなった」
「……素直に照れるんですけど」
「かわいいな」
「やめてー! 私ばっかり照れてる!」
「苗字だけじゃねえし」
ドッと、互いの心臓の音が重なった。鼓動のリズムはそれぞれ違ったけど、どちらも異様に早いことだけ分かってしまって、夜久の肩に埋めながら羞恥心に耐えることしか出来なかった。
明後日からテスト期間であるが故、みんな早めに自主練を切り上げて既に帰っている。静かでガランとした体育館はいつも私たちに寄り添ってくれるけど、今は全く知らない場所みたいで、次の言葉を急き立ててくるようだった。
「夜久」
「ん、どうした?」
何でそんなに優しい声出すの。泣きそうになるじゃん。と理不尽な思考に陥ってしまう。
「……私、テスト頑張る」
「おう、知ってる。苗字が成績落としたこと一切ないから、マジで尊敬してる」
「無事に終わったら、インハイ予選の応援も頑張る」
「ん、知ってる。いつも苗字が一生懸命やってくれるから、俺たちも頑張れる」
「……夜久に、」
「ん?」
「……夜久にもっと可愛いって思ってもらえるように、頑張る」
「……、何もしなくても苗字はそのままで可愛いけどな」
「そういうことじゃなくて!」
「その思考がまず可愛いし、今ここでそれを言うのが更にかわいい」
「夜久さんが容赦ない!」
「お互い様だわ」
じゃれ合うように互いの腕のチカラが少し強くなって、夜久が私の頭を梳くように撫でた。あやすような手つきが心地好くて目を細める。
私は相変わらず不器用なままだ。裁縫を試みれば針を指に刺すことも未だにあるし、料理だって数多の失敗を重ねてから完成品を作り上げるのが大前提だし、この間なんて体育館で盛大に転んでゼッケンをぶち撒けたし。
それ以外にも未熟な部分はたくさんある。でもそれこそが私だ。
音駒高校男子バレー部マネージャーの、苗字名前なんだ。
どんなことであっても一生懸命やる姿はカッコイイんだって、私は皆から学んだから。もう、誰に笑われても馬鹿にされても構わないと思った。
夜久の背中にギュッと縋り付いてから笑う。
好きだよ、と。音に出さないように気をつけながら、そっと小さく呟いた。