甘いレースと緩んだワイヤー
※若干、肌色注意なお話です
研磨は淡々と服を脱がすクセに、こちらが服を着る時は興味深そうにじっくり観察してくる。
色気のある視線は寄越すのに甘い言葉なんて一切口にしないし、普通のカップルがやるような定番のデートよりも、家の中で各々好きなことをするだけの友達みたいな遊び方を好む。
そもそも、好きだの付き合おうだの直接的な言葉なんて言われたこともない。私は単に、成り行きでキスもそれ以上のこともするようになっただけの同級生でしかないんだろうな、と理解はしていた。
まあ既に恋愛に夢を見るような歳でもないし、研磨は束縛するような女なんて嫌うだろうし。そもそも彼女ですらないんだし、良くて都合のいいお友達くらいの認識なんだろうし。
全身の疲労感と、下半身に微かな違和感を覚える朝。ベッドの上でブラジャーを身に付けながら、好奇心の滲む猫のような明るいブラウンの瞳を見つめ返す。
「ねえ、名前」
「何?」
「今日、一緒に下着でも買いに行く?」
「……、誰の?」
「名前の」
驚きすぎて息が止まる。今まで一緒に買い物なんて行ったこともないのに、よりによって最初が下着か。ハードルが高すぎて絶句したけど、こういう常識に囚われないマイペースなところが孤爪研磨という男だった。
「いや、自分で買いに行くからいいよ。それよりも、見てて萎えるくらい酷いの? 好みじゃなかったとか?」
「そういうんじゃなくてさ。名前、俺の家に来る時はいつも凝ったやつ着けてくれるから。どうせなら……その、俺が買ってあげたいなって」
「……なんで?」
「何で、って……俺たち付き合ってるから、でしょ」
「は?」
我ながら低い声を出してしまった。研磨がギョッとしたように目を丸くしている。
そんな素振りを見せたことなんて無いくせに。……私は頑張って都合のいい女を演じているのに、急にお互いの境界線を割るようなことを言ってきて、何なの。身勝手な怒りが、昨日研磨を受け入れた身体の奥底から沸々と湧いてきて仕方がない。
このまま笑顔でも涙でも浮かべて喜んでついて行けば、聞き分けのいい女としてこれからも触れてもらえるのだろうか。けれど何だか、それもどうでも良くなってしまった。
「研磨、そういうのいいよ。私はどうせ都合のいい女なだけでしょ」
「……そんなことないよ」
「好きとも愛してるとも言えないような女と簡単に付き合って、あっさり寝るような男なんだね。研磨は」
わざと棘のある言葉をぶつければ、目の前の顔がサッと青くなる。相手を傷付けるために言ったくせに、私の心臓もギリギリと鉄線を巻かれたように痛んだ。
馬鹿だな私、そんなこと思ってもいないのに。いつの間にか惹かれてあっという間に心を攫われて、大切にしたいなって思っていた男を、何よりもズタズタに痛めつけようとしていた。
「もし本当にちゃんと付き合ったとしても、好きって一言も言ってくれない人と上手くやれる自信、私ないよ。……だからごめん、もう帰る」
研磨は何も言わない。ベッドに座りながら項垂れて、私の顔を見ようともしなかった。それが答えなんだろう。最初から私たちが上手くいかないことは分かっていたから、涙さえも出なかったけど。
素早く服を着て荷物をまとめた。もともと私物なんて置いていないから、他に忘れ物を確認する必要もない。
「今までありがとう、研磨。……さようなら」
返事があったのか無かったのか、私は知らなかった。知る必要も無かった。その時は、心臓を壊すくらい全力で走ることしか考えられなかったから。
あーあ、呆気なさすぎるでしょ。帰りの電車のホームで研磨の連絡先を全部ブロックしてから、背中を丸めて目を閉じる。いい夢を見させてもらったなって、いつか思えるようになれたらいいなと思った。
どんなに心がボロボロの翌日でも、平等に朝は来る。
顔もコンディションも何もかも最悪な日だったけど、さすがに失恋が理由でサボるのは癪だから、無理やり身体を起こした。マスクをして顔を隠せばいいやと楽観視する。
朝一で大学のキャンパスに着き授業に向かう途中、私は信じられないものを見る。
研磨がいた。早起きは嫌だからと一限の授業を頑なに避けていた男が、こちらに向かって猛ダッシュして来ている。見たことがないくらい凄い形相だ。
「名前、何で逃げるの!?」
「いや追いかけられたら逃げるでしょ!」
しかし、全国まで行った経験のある元スポーツマンとバリバリ文系で運動音痴の女では、追いかけっこも即座に終わる。
研磨に左腕を掴まれながら、大きく肩で息をした。背後の顔を見る気は無かったから、情けない顔のまま下を向く。
「名前、……俺の話、聞いて」
研磨も少し息を切らせていた。実際、体力がそこまである訳じゃないのは知っていたけど。
実際本音では聞きたく無いが、昨日あれだけこっ酷く傷付けた私がそれを言う資格も無いか、と自嘲する。ようやく息が整ってきた。
「……なに? 今なら、ブスとかキモいとか、罵詈雑言も受け入れるけど」
「は!? そんなこと言う訳ないでしょ」
ここまで感情的な声を出す研磨は初めてで、素直に戸惑う。何があっても動じずマイペースに佇む姿しか知らないから、心臓があらゆる意味で軋むように痛んだ。
「そのままでいいから、聞いて」
「……うん」
「まずはごめん。俺、名前に甘えてた。……この子は俺のこと好きなんだろうなって、一目見て分かったから、……何も言わなくても分かってくれるだろうって慢心してた」
「……慢心、ってなに?」
「俺も名前のこと好きだって、視線とかセックスで伝えてる……つもりだった」
「ちょっ! こんなとこで何を言って……!」
さすがに公共の場での発言としてはいかがなものかと、慌てて振り向く。すると研磨は捕食者のような顔でニヤリと笑って、私を軽やかに抱き締めた。
「捕まえた」
すっかり私の肌に馴染んだ熱に、全身が包まれる。研磨の顔が首筋に埋まって、色気を含んだ息を吹きかけられた。身体の奥底のスイッチを入れるようなそれに、つい肩が飛び上がる。
「周りに人がいないのは確認してたから大丈夫」
「だからって! 研磨もそういう非常識な行動は嫌いなタイプでしょ!?」
「それくらい、なりふり構ってられなかったってこと。……分からない?」
ゆっくりと熱が離れて、お互い向かい合う形になった。猫みたいな丸くて茶色い瞳が、ふわりと柔らかく細まっていく。
「苗字名前さん」
「え? な、なに。急にかしこまって」
研磨が深く頭を下げて、右手を私に向かって差し出した。金と黒の混じった髪がさらりと揺れて、その整った顔をすっかり覆い隠している。
「あなたが好きです。……俺と付き合ってくれませんか」
「い、いやいや急にどうしたの!? だからこんなことしてたら目立つって!」
「返事を貰うまでこのままでいるからね、俺は」
見た目以上にずっと頑固でねちっこい男は、言ったことは絶対に実行するだろう。あらゆる感情がごちゃ混ぜになった心を掻きむしるように深呼吸をしてから、差し出された大きな掌に自分のそれを重ねた。
「分かったから! 付き合います!」
「嫌々付き合うみたいに言うじゃん。やり直し」
ようやく顔を上げた研磨は、愉快そうに唇に弧を描いている。もう目的は達成しているくせに、この男!
「私も、研磨のことが好きです。……こちらこそ、付き合ってください」
「うん、よろしく。……ありがと、名前」
改めて抱き締められて、研磨の子どもっぽい無邪気な笑い声が耳元で聞こえる。本当に嬉しそうで、私のためにそこまで必死になってくれたのかと思うと愛しくて、頭の天辺から爪先まで丸ごと持っていかれてしまいそうだった。
「研磨ってこんなバカなことするんだ」
「まあ、そりゃ……好きな子にフラれた男は執念深くもなるでしょ」
「……昨日は本当にごめん。研磨の話を全然聞かずに、一方的に傷付けた」
「俺もごめん。名前の気持ちを考えずに一人で自己完結して、ずっと傷付けてた」
視線を重ねて、互いの心さえも通わせるように笑い合う。
「名前、今日の授業が終わったら買い物行こう」
「うん、良いけど。やっぱり初っ端で下着はイヤ」
「……どうしても?」
「どうしても」
「まあいいや、なら次のデートで」
「……研磨が変わりすぎて怖い」
「カッコつけても不安にするだけだって、さすがに学んだからね」
互いに勝手に色々怯えて、甘えすぎていたのかもしれないなあ。
額をくっ付けて軽く触れるだけのキスをしてから、私たちはじゃれ合うようにまた抱き合った。
なんだかもう、今の姿を誰に見られても何と思われても構わなかった。研磨に好きだって真っ直ぐ伝えるために、私はその甘やかな耳元に唇を寄せた。
研磨は淡々と服を脱がすクセに、こちらが服を着る時は興味深そうにじっくり観察してくる。
色気のある視線は寄越すのに甘い言葉なんて一切口にしないし、普通のカップルがやるような定番のデートよりも、家の中で各々好きなことをするだけの友達みたいな遊び方を好む。
そもそも、好きだの付き合おうだの直接的な言葉なんて言われたこともない。私は単に、成り行きでキスもそれ以上のこともするようになっただけの同級生でしかないんだろうな、と理解はしていた。
まあ既に恋愛に夢を見るような歳でもないし、研磨は束縛するような女なんて嫌うだろうし。そもそも彼女ですらないんだし、良くて都合のいいお友達くらいの認識なんだろうし。
全身の疲労感と、下半身に微かな違和感を覚える朝。ベッドの上でブラジャーを身に付けながら、好奇心の滲む猫のような明るいブラウンの瞳を見つめ返す。
「ねえ、名前」
「何?」
「今日、一緒に下着でも買いに行く?」
「……、誰の?」
「名前の」
驚きすぎて息が止まる。今まで一緒に買い物なんて行ったこともないのに、よりによって最初が下着か。ハードルが高すぎて絶句したけど、こういう常識に囚われないマイペースなところが孤爪研磨という男だった。
「いや、自分で買いに行くからいいよ。それよりも、見てて萎えるくらい酷いの? 好みじゃなかったとか?」
「そういうんじゃなくてさ。名前、俺の家に来る時はいつも凝ったやつ着けてくれるから。どうせなら……その、俺が買ってあげたいなって」
「……なんで?」
「何で、って……俺たち付き合ってるから、でしょ」
「は?」
我ながら低い声を出してしまった。研磨がギョッとしたように目を丸くしている。
そんな素振りを見せたことなんて無いくせに。……私は頑張って都合のいい女を演じているのに、急にお互いの境界線を割るようなことを言ってきて、何なの。身勝手な怒りが、昨日研磨を受け入れた身体の奥底から沸々と湧いてきて仕方がない。
このまま笑顔でも涙でも浮かべて喜んでついて行けば、聞き分けのいい女としてこれからも触れてもらえるのだろうか。けれど何だか、それもどうでも良くなってしまった。
「研磨、そういうのいいよ。私はどうせ都合のいい女なだけでしょ」
「……そんなことないよ」
「好きとも愛してるとも言えないような女と簡単に付き合って、あっさり寝るような男なんだね。研磨は」
わざと棘のある言葉をぶつければ、目の前の顔がサッと青くなる。相手を傷付けるために言ったくせに、私の心臓もギリギリと鉄線を巻かれたように痛んだ。
馬鹿だな私、そんなこと思ってもいないのに。いつの間にか惹かれてあっという間に心を攫われて、大切にしたいなって思っていた男を、何よりもズタズタに痛めつけようとしていた。
「もし本当にちゃんと付き合ったとしても、好きって一言も言ってくれない人と上手くやれる自信、私ないよ。……だからごめん、もう帰る」
研磨は何も言わない。ベッドに座りながら項垂れて、私の顔を見ようともしなかった。それが答えなんだろう。最初から私たちが上手くいかないことは分かっていたから、涙さえも出なかったけど。
素早く服を着て荷物をまとめた。もともと私物なんて置いていないから、他に忘れ物を確認する必要もない。
「今までありがとう、研磨。……さようなら」
返事があったのか無かったのか、私は知らなかった。知る必要も無かった。その時は、心臓を壊すくらい全力で走ることしか考えられなかったから。
あーあ、呆気なさすぎるでしょ。帰りの電車のホームで研磨の連絡先を全部ブロックしてから、背中を丸めて目を閉じる。いい夢を見させてもらったなって、いつか思えるようになれたらいいなと思った。
どんなに心がボロボロの翌日でも、平等に朝は来る。
顔もコンディションも何もかも最悪な日だったけど、さすがに失恋が理由でサボるのは癪だから、無理やり身体を起こした。マスクをして顔を隠せばいいやと楽観視する。
朝一で大学のキャンパスに着き授業に向かう途中、私は信じられないものを見る。
研磨がいた。早起きは嫌だからと一限の授業を頑なに避けていた男が、こちらに向かって猛ダッシュして来ている。見たことがないくらい凄い形相だ。
「名前、何で逃げるの!?」
「いや追いかけられたら逃げるでしょ!」
しかし、全国まで行った経験のある元スポーツマンとバリバリ文系で運動音痴の女では、追いかけっこも即座に終わる。
研磨に左腕を掴まれながら、大きく肩で息をした。背後の顔を見る気は無かったから、情けない顔のまま下を向く。
「名前、……俺の話、聞いて」
研磨も少し息を切らせていた。実際、体力がそこまである訳じゃないのは知っていたけど。
実際本音では聞きたく無いが、昨日あれだけこっ酷く傷付けた私がそれを言う資格も無いか、と自嘲する。ようやく息が整ってきた。
「……なに? 今なら、ブスとかキモいとか、罵詈雑言も受け入れるけど」
「は!? そんなこと言う訳ないでしょ」
ここまで感情的な声を出す研磨は初めてで、素直に戸惑う。何があっても動じずマイペースに佇む姿しか知らないから、心臓があらゆる意味で軋むように痛んだ。
「そのままでいいから、聞いて」
「……うん」
「まずはごめん。俺、名前に甘えてた。……この子は俺のこと好きなんだろうなって、一目見て分かったから、……何も言わなくても分かってくれるだろうって慢心してた」
「……慢心、ってなに?」
「俺も名前のこと好きだって、視線とかセックスで伝えてる……つもりだった」
「ちょっ! こんなとこで何を言って……!」
さすがに公共の場での発言としてはいかがなものかと、慌てて振り向く。すると研磨は捕食者のような顔でニヤリと笑って、私を軽やかに抱き締めた。
「捕まえた」
すっかり私の肌に馴染んだ熱に、全身が包まれる。研磨の顔が首筋に埋まって、色気を含んだ息を吹きかけられた。身体の奥底のスイッチを入れるようなそれに、つい肩が飛び上がる。
「周りに人がいないのは確認してたから大丈夫」
「だからって! 研磨もそういう非常識な行動は嫌いなタイプでしょ!?」
「それくらい、なりふり構ってられなかったってこと。……分からない?」
ゆっくりと熱が離れて、お互い向かい合う形になった。猫みたいな丸くて茶色い瞳が、ふわりと柔らかく細まっていく。
「苗字名前さん」
「え? な、なに。急にかしこまって」
研磨が深く頭を下げて、右手を私に向かって差し出した。金と黒の混じった髪がさらりと揺れて、その整った顔をすっかり覆い隠している。
「あなたが好きです。……俺と付き合ってくれませんか」
「い、いやいや急にどうしたの!? だからこんなことしてたら目立つって!」
「返事を貰うまでこのままでいるからね、俺は」
見た目以上にずっと頑固でねちっこい男は、言ったことは絶対に実行するだろう。あらゆる感情がごちゃ混ぜになった心を掻きむしるように深呼吸をしてから、差し出された大きな掌に自分のそれを重ねた。
「分かったから! 付き合います!」
「嫌々付き合うみたいに言うじゃん。やり直し」
ようやく顔を上げた研磨は、愉快そうに唇に弧を描いている。もう目的は達成しているくせに、この男!
「私も、研磨のことが好きです。……こちらこそ、付き合ってください」
「うん、よろしく。……ありがと、名前」
改めて抱き締められて、研磨の子どもっぽい無邪気な笑い声が耳元で聞こえる。本当に嬉しそうで、私のためにそこまで必死になってくれたのかと思うと愛しくて、頭の天辺から爪先まで丸ごと持っていかれてしまいそうだった。
「研磨ってこんなバカなことするんだ」
「まあ、そりゃ……好きな子にフラれた男は執念深くもなるでしょ」
「……昨日は本当にごめん。研磨の話を全然聞かずに、一方的に傷付けた」
「俺もごめん。名前の気持ちを考えずに一人で自己完結して、ずっと傷付けてた」
視線を重ねて、互いの心さえも通わせるように笑い合う。
「名前、今日の授業が終わったら買い物行こう」
「うん、良いけど。やっぱり初っ端で下着はイヤ」
「……どうしても?」
「どうしても」
「まあいいや、なら次のデートで」
「……研磨が変わりすぎて怖い」
「カッコつけても不安にするだけだって、さすがに学んだからね」
互いに勝手に色々怯えて、甘えすぎていたのかもしれないなあ。
額をくっ付けて軽く触れるだけのキスをしてから、私たちはじゃれ合うようにまた抱き合った。
なんだかもう、今の姿を誰に見られても何と思われても構わなかった。研磨に好きだって真っ直ぐ伝えるために、私はその甘やかな耳元に唇を寄せた。