選手たちが負けた直後にかける言葉を、私は未だ知らずにいる。

もちろん絶対の正解だなんて無いし、わざわざ気の利いたことを言う必要なんてないのは分かっていた。そもそも皆は別に私の言葉を求めている訳ではないのもまた、分かっていた。
勝手に自分に期待して、勝手に自分に失望しているのは他でもない私自身だったから。

カッコよかったよ。お疲れ様。頑張ったね。
全身を悔しさで震わせる大好きな選手たちに対して、そんな陳腐な言葉でしか迎えられない事実に、改めて打ちのめされてしまっただけだった。

インターハイ東京予選、ベスト8。ただでさえ全国の中でも指折りの激戦区で、優勝候補筆頭の井闥山と戦って奮闘した。その過程も結果も立派だ。けれど私の仲間たちは、それで満足するような生半可な気持ちで立っていなかった。
この悔しさは次の大会でしか晴らせないのだと、昨日の帰りに泣きながらご飯を食べる皆の横顔を見て、改めて痛感した。
私も現状で満足していていいのだろうかと、強く深く自問自答しながら。



「苗字さん、今ちょっと時間あるかな!?」

朝練が終わり廊下を歩いていた時、偶然遭遇した担任の大縫おおぬい先生に呼び止められる。いつもは笑顔で柔く細まっている黒い瞳が、興奮したように爛々と輝いていた。
母親と同じ年頃ながら穏やかな性格で話しやすい女性なのだが、普段は黒く綺麗に手入れされているボブヘアも心なしか乱れているように見えて、少しビックリしてしまう。何かあったのだろうか。

職員室で少し話をしたいとのことだったから、背後の同級生達に「先に行ってて」と伝えて別れる。
三人の顔は、やはりいつもより硬く真剣な色を帯びていた。だからと言ってオーバーワークはしていないし、心配しすぎる必要も無いだろうけど。何かサポートしてあげられることはないかとつい探してしまうのは、マネージャーであるが故か。

「単刀直入に言うとね、今年の春に応募してもらった作文コンクールの結果が届いたの」
「えっ」

すっかり忘れていた。大縫先生の担当教科が国語だったこともあり、確か強く勧められて出した記憶がある。提示されたテーマと自分が書いた内容を思い出して、ビビッと脳内が痺れるような感覚に陥った。

「見事に佳作選出です! 本当におめでとう!」
「あ、ありがとうございます……。そうですか、あれが」
「うん。ええと、あとね。もう一つ伝えなきゃいけないことがあって」
「はい、何でしょうか?」
「かなり大規模なコンテストだったことをアピールしたのもあって、校長先生がぜひとも表彰したいと仰ってて。今日このあとの全校集会で、苗字さんに壇上に上がってもらうことになっちゃったの」
「成程、突然ですね……?」
「ごめんなさい、私も嬉しくて張り切ちゃったから……。そこで苗字さんからのコメントもお願いしていいかな。思う存分、いくらでも話していいって許可は貰ってるから」

人前で喋ることは苦痛ではないけど、今回ばかりは少し緊張してしまう。返事に少し時間がかかる様子を見守るように、先生はゆっくりと笑った。

「このテーマと内容だからね。あの子たちに言いたいことがあるのなら、全校生徒の前でも構わずに言っていいと思うよ」
「……はい」

黒尾と夜久の担任も務めているだけあって、インターハイ予選が終わったばかりという状況は先生も把握しているし、色々と察するだろう。
応募した作文コンクールのテーマは、「人生の中で最高の出来事」。私が提出したタイトルは「バレーボールと出会ったこと」だ。我ながらシンプルな題名だけど、当時も今も勿論真剣だった。

「わたしも、苗字さんの言葉を聞くのを楽しみにしているから」
「そこまで期待して頂けるほどのことを言える自信は、正直ないんですけどね」
「負担に感じたら申し訳ないけれど、たとえ自信が無くとも、苗字さんは人からの期待を力に出来る子だと知ってるもの。それにこんなに素敵な作文なんだから。苗字さんの言葉をぜひ皆にも聞いてもらいたいわ」
「……ありがとうございます」

大縫先生は、私の色々な事情を知りながら見守ってくれる大人だ。文章を紡ぐことが好きなのだと心から伝わってくる人から手放しに褒めてもらえると、やはり仲間と過ごす時とはまた違った喜びを得られて面映ゆい。

大きく深呼吸をする。今の私から皆に対して言えることは、一体何なのだろうか。頭で考えても正解なんて分からないなら、心のままに思いを口にするしかないだろうと、先生と笑いながら思った。



校庭にて、朝一の全校集会が始まった。先生からは名前を呼ばれたら壇上に来てねと言われたけど、校長先生は割といつも話が長いし正直タイミングは読めなかった。

「えー、今日は私の話よりも、おめでたい出来事を表彰したいと思います」

その第一声に、唖然としたような空気が全校生徒に広がっていく。私も私で、マジかと固まってしまった。
今回の作文コンクールがどれ程の規模でどれ程に凄いのか、とお膳立てされていくのを聞きながら内心頭を抱える。ハードルを上げられてから喋る時の緊張感は凄いし、今回は特に、自分のためではなく誰かのために言葉を紡ごうとしているから余計にプレッシャーもかかるし。

「えー、……コンクールのテーマは、『人生の中で最高の出来事』というものでした。そして我が校の生徒が表彰された作文のタイトルは『バレーボールと出会ったこと』。えー、……実に高校生らしい、熱い青春の光景を感じられる文章だと聞き及んでいます。さあ、受賞した生徒を壇上に招きましょうか」

同じクラスの列から、ビシッと二対の視線が突き刺さるのが分かった。うん、まあ察するよね。敢えて無視して背筋を伸ばす。

「三年五組、苗字名前さん」
「───はい」

我ながらよく通る声だった。まあ発声練習はそれなりにやっているし、こういう時に映えるなら良かったかもしれない。

列を抜けて壇上に向かうまでの道のりでも、私に向けられる視線がどんどん増えていくのが分かった。
あー、キラキラと眩しい視線は多分部活の後輩たちだろうな。同級生たちからの心底期待するような視線もある。大縫先生も温かく優しく見つめてくれている。

そうか。……応援と期待を込めた目って、こんなにも心強くて頼もしくて怖いのかと、再度痛感した。何か失敗して僅かでも失望されたり軽蔑されたらどうしよう、なんて思考が一瞬脳内を突き抜ける。
だけど私が感じる恐怖心なんて、本気で全国制覇を目指し全力で試合に臨む皆に比べたらへでもない。そう思ったらあの頼もしさとカッコよさを改めて実感して心強くなったから、脳内でまとめていた言葉をそのまま胸の中にストンと落とした。あとは、一つ一つを上手く繋げていくだけだ。

ようやく目的地に到着し、マイクの前に立つ。深々と礼をしてから目線を上げれば何百人もの視線が自分に突き刺さっていて、息を呑んだ。
こういう時、最初に真っ直ぐ目が合うのはやっぱり夜久だった。何で、私が不安に震えている時に限って一番傍にいてくれるんだろう。……今ならば、いつもみたいに自然と笑えている気がした。

「ただいまご紹介にあずかりました、三年五組所属、男子バレー部マネージャーの苗字名前です。この度は私のために貴重な機会をくださった先生方と、まさに今貴重なお時間を割いてくださっている全校生徒の皆さんに、深く感謝を申し上げます」

軽くお辞儀をする。こういう時の前置きは、必要以上に丁寧なくらいで丁度いい。話を聞いてもらうハードルを極力下げておかないと、自分の首を絞めることになるし。大勢の前で話す時の緊張を解すためにも、自分で場の空気を作っていくのが大事な訳だし。

「そして何よりも。私とバレーボールを出会わせてくれた部員と、日々最高のプレイを見せてくれる仲間たちに、心からの敬意を表します。皆のお陰で、少しでも誰かの心に響くような文章が書けたという事実が、とても幸せです」

段々と皆の顔がハッキリと見えてくる。……海の笑顔って見ているだけで心が洗われるし、この世に蔓延る全ての怒りを浄化できそうな力があるよね。やっぱりあとでサインもらいに行こう。

「……と、ずっと内輪の話を続けているとうちの部員から怒られてしまいそうなので。少しだけ、本題のバレーについても語らせてください」

その場で朗らかな笑いが起きる。黒尾を筆頭に聞き慣れた皆の声が確かに聞こえて、心臓がゆったりと綻んでいく。喉も良い感じに温まってきた。

「皆さんは、バレーボールについてどう思いますか? ……体育の授業でやった球技、オリンピックでたまに見るスポーツ、基本のルールだけは何となく知っている競技。もちろん好きで積極的に見ているといった方もいますよね。バレーの面白さについて語るとキリがないので割愛しますが。それらの感覚に決して優劣はなく、人それぞれの価値観は全て尊重されるべきだ、というのが私の持論です。これを踏まえた上で、今からの言葉を聞いて頂きたいのですが」

梅雨入り直前の、からりと晴れた空が視界の上半分を満たしていた。初めてバレー部の見学に行った日も確かこんな空だったなと思い出す。そう、あの日からずっと、私は。

「私は、音駒の男子バレー部を世界で一番カッコいいと思っています。私ばかりが彼らのカッコよさを独り占めするのは不公平だと、本気で考えているくらいには。皆のマネージャーであるという事実を、いつも誇りに感じています」

傍からこの言葉を聞いていたら、共感性羞恥を覚えたりするのだろうか。この子は大勢の前で私感を表明して恥ずかしいなって馬鹿にする気持ちが湧くのだろうか。何百人もいたら中にはそう考える人もいるかもしれないけど、そんなことは関係なかった。
今ここで皆のために言葉を紡ぐことが出来るのは、他ならぬ私しかいないのだから。

「バレー部に入部した日、私を誘ってくれた部員は全国制覇を目標にしていると言ってくれました。だから二年前からずっと、私はそれを信じています。今まさにこの瞬間も」

わざわざ見回さなくても、レギュラー陣がどこにいてどんな顔をしているかが自然と分かってしまう。ただ皆が耳を傾けてくれている、その事実だけで充分だった。

「だからこそ言います。……全日本バレーボール高等学校選手権大会。通称春高。来年の一月に開かれる全国大会の舞台に、全国のバレー部員が憧れる東京のオレンジコートに、私たちは行きます」

無理で過度な期待ではなく、堅実で着実な信頼を手向けながら。今度はコートの外側に向かって頭を下げていく。

「なので! もし、練習の見学でも練習試合の観覧でも公式試合の観戦でも、少しでも興味を持ってくださったなら是非、三年五組の苗字までお声がけください。身近なバレー部員への伝達でも大歓迎です。……応援の声は何よりも、選手たちの力になりますから!」

個の声援が集まった大歓声が、いざという時にコートの中で息を切らす選手たちの背中を押す。そんな光景を今まで何度も見てきた。

「試合終盤の選手たちの身体は、筋肉を構成する筋繊維が切れて壊れて、気力だけで動いているような場面さえあります。そんな時、皆さんの声が、彼らのあと一歩を支えるかもしれません。皆さんの声援が、最後の一球を繋ぐかもしれません」

私だって個の応援でも戦えるようにそれなりに努力してきたけど、大好きで最高にカッコいい皆の凄さを、もっとたくさんの人に知ってもらいたいから。

「激戦区東京の代表として立つ、男子バレー部員たちのサポーターとなって。最高にカッコいいヒーローたちを一緒に支えてくれる心強い仲間を、いつでもお待ちしています!」

再度深々と頭を下げてから、バッと顔を上げる。ここまで好き勝手にあれこれ言ってしまったけど、あともう一瞬だけ許してほしい。
マイクを口から遠ざけて、両手を後ろで組んで。脚を腰幅に開いてから背筋を真っ直ぐに伸ばした。

「───男子バレー部のみんな!」

試合中みたいに声を強く鋭く張り上げる。
本当ならば放課後に言うつもりだったことだけど、今日このタイミングでこんな機会があるのも、それはそれで運命なのかもしれない。大好きな皆から貰った人生最高の出来事を噛み締めるように、私はただ笑った。

「春高、一緒に行こう!」

一瞬の静寂が訪れる。そして、無言ながら圧倒的に昂る熱量を全身で感じた、次の瞬間。

「オウ!!!!!!!!!!!」

お腹の底から迸ったことが分かるくらいの、全力の大きな返答にまた笑った。マイクを口に近付ける。

「2012年度全日本高校生作文コンクール、テーマ『人生の中で最高の出来事』。佳作受賞作『バレーボールと出会ったこと』に寄せて。三年五組所属、男子バレー部マネージャーの苗字名前でした。……お時間を頂き、ありがとうございました」

お辞儀をしてから壇上を降りた。有難いことにたくさんの温かい拍手を貰ったから、ペコペコと頭を下げつつ、大人しく自分のクラスの列に近付いた。

「えー……、では本日は他に連絡もないので、これにて解散ということで」

校長先生の言葉と共に、改めて大きな拍手が起きる。「バレー部がんばれ!」と声を張り上げてくれる人もいたから、聞こえた方向にこちらも大きく手を振った。

途端、背後から激しいタックルを受けて、つい崩れ落ちそうになる。すんでのところで踏みとどまったけど。

「ギャーッ! 何なの誰なの!?」

絶対にバレー部の誰かだと思ったからスイッチが切れて、いつものノリに戻ってしまう。というか明らかに背が高いしうちのクラスの列ですぐ遭遇したことから考えても、正体はすぐに分かったけど。

「苗字! やっぱりうちのマネージャーは最高だわ!」
「黒尾、分かったからハウス! 自分の居場所に戻って! もう集会終わったし!」
「苗字ー!」

列をかき分けて前からやってくるのは我らがリベロだ。嘘でしょ、ちょっと待って。

「夜久は黒尾を止める立場でしょ!」
「俺も来ちゃった」
「海まで!? 三年がこれならまさか後輩たちも来る!?」
「うん、今まさに来てるね」
「山本が泣きながら走ってくるじゃん……。あ、福永も来てるわ」
「さすがに研磨は来ねえか」
「孤爪が来たら、熱が出たんじゃないかって心配になるから! 待ってもう……収拾がつかない……」

灰羽が遠くでピョンピョン跳ねているのも見えるし、今すぐにでも走り出してきそうだ。

続々と周りの生徒たちが自分たちの教室に戻っていく中、集まったバレー部員たちは帰ろうとせず、円陣を組むように丸くなっている。

「黒尾さん! 研磨さん連れてきました!」
「……リエーフに無理やり連れて来られました」

嫌々引きずられてきたことが分かる顔に、つい頭を抱えてしまった。

「ごめんね、孤爪……」
「いや、これは苗字さんのせいじゃないし……。というか、おめでとう。凄いね」
「ありがと。で、主将。あまり長い時間拘束されたら授業に遅れるんですけど?」
「まーまー苗字さん、すぐ終わらせるから安心して」

右に黒尾、左に夜久、真正面に海がいる形で全員で肩を組んでいく。制服姿で円陣を組む光景は初めて見る上、当たり前のように私も混ぜてもらえたことに、ちょっとだけ鼻の奥がつんとした。

「行くぞ、春高!」
「オウ!!!!!!!!!!!」

私もまた、お腹の底から声を出して主将の声に応えた。全員の意思と声が重なっていく様は、とても綺麗で雄々しくて愛おしい。やっぱり私は、バレーも皆も大好きだ。



「苗字」
「なに? 夜久」

校庭からの帰り道、部員たちの最後尾を歩きながら、まるで内緒話をするように夜久が話しかけてくる。

「今日の苗字、めちゃくちゃ綺麗でカッコよかった」

さっきまで無意識下に感じていた恐怖や疲労が、ドッと一気に溶け出していくような感覚に襲われた。夜久の真っ直ぐな言葉は、いつも私の心の柔い部分を掬って照らしてくれる。

無邪気な笑顔に向けて、私は右手の人差し指を一本立てた。

「なにせ私、全国制覇するチームのマネージャーだから」
「ん、知ってる。俺も全国トップのリベロになってやる」
「うん、応援してる。一緒にがんばろ」
「おう」

猫の手を作った拳を、互いにこつんと突き合わせる。
バレーボールが繋いでくれたやさしい体温はきっと、これからもずっと私の人生を支え続けてくれるだろうと思った。