灰羽を他校にお披露目するのは今回が初となる。今まで音駒に足りなかった、あと一歩の高さと強さとしなやかさ。初心者であるが故に常識の枠に囚われない多彩な攻撃は、穴のない守備を補強する新たな武器を増やすこととなった。
すなわち元々の堅実さと粘り強さの中に、突拍子の無いイレギュラーな秘密兵器を織り交ぜようという魂胆だ。灰羽が上手く機能するのも、完成された丁寧な守備がどんな攻撃さえも拾うから。

長期間の努力によって培われた練度の高いレシーブが、未来のエースと我らが脳を自由に動かす様は、やっぱり世界一カッコいいわけだ。
そんな音駒の芯の通った心意気は、一年生たちにも着実に受け継がれつつある。

「あれ。犬岡、早いね。おはよ」

最初に来たつもりだったのに、朝一の体育館前にはソワソワした様子の後輩が立っていた。私を見た途端に背筋がピンッと伸びてブンブンと手を振ってくれる。相変わらず犬みたいに無邪気で可愛い。

「苗字さん、おはようございます! 荷運びお手伝いします!」
「ありがと、助かる! ならウォータージャグは任せていいかな。私は備品の最終チェックするから」
「はい!」

預かっていた鍵で扉を開けて、一緒に体育館の中に入る。
道中、「合同合宿の自主練ってどんな雰囲気なんですか!?」やら「梟谷の設備ってうちと全然違うんですかね!?」やら、意欲的な質問がたくさん飛んできた。
灰羽のスタメン入りにより一番割を食ったのは何を隠そう犬岡だったし、実際に監督からメンバー発表があった時は落ち込んでいた様子だったけど。黒尾や海のサポートによってすぐ立ち直ったみたいだし、何より元来の前向きな性格が本人の一番の武器を更に鋭く研ぎ澄ませていた。

「犬岡、またカッコよくなったね」
「え!?」
「傍から見てても、コートの中に前より意識を向けるようになったなって分かるから。前までの純粋に楽しんでそうな顔も良かったけど、今の真剣な顔も素敵だと思う」
「あ……ッ、ありがとうございます!」
「今回は烏野も来るし、日向くんとのスピード対決も楽しみだねー」
「うおー! 負けません!」
「うん、一緒に頑張ろ」

犬岡は一番早く来てくれたし、烏野では日向くんが何番目に到着したか聞いてみるのも面白いかも。合宿前の最速スピード対決ってことで。……このあと潔子ちゃんにメールしてみるか。

一緒に備品を運びながら元の場所に戻れば、続々と部員たちが集まっていた。当然のように三年生は全員いるし、下級生もレギュラー陣は揃っている。孤爪はいつも通り黒尾が引っ張ってきたのだろう、随分と大きな欠伸をしながらスマホを弄っているようだった。

コーチが運転してくれるマイクロバスも、ちょうど到着したばかりのようだ。と確認したところで、バチッと音がしそうなくらい、真っ先に夜久と目が合う。

「皆、おはよー!」
「おはようございますッ!」

運動部らしく、オーッスと一斉に返事がくる。そして俊敏に駆け寄ってきた夜久により、抱えていた備品があれよあれよと言う間に全て奪われた。

「おーい、マネージャーの仕事を取らないでー」
「なんかつい反射的に?」
「いや、時々だけど私も一緒にランニングも筋トレもしてるじゃん。てか夜久は人にアドバイスする時、最終的にだいたい筋トレで全部解決するって言いがちじゃん。何故私ばかり甘やかす」
「だって苗字は特別だし、いつも頑張ってるぶん甘やかしたいから」
「……夜久さん、ありがとう。それ最後尾に運んどいてください」
「何だよ、急に他人行儀になって」
「苗字さんはね、全部に反応してたら体力がもたないと学んだの。またね」

犬岡にも同様に運び込む場所を指示した後、コーチとこの後の打ち合わせをするべくバスに乗り込んでいく。
何やら不満そうな顔をしている夜久も可愛くて好きだが、今は無視しないと仲間たちに恥ずかしい姿を晒しかねないので手を振って別れた。

顔の熱を冷ますのに必死で、背後で呆れた声が多数上がっていることには気付かなかったけど。

「黒尾さん、あの距離感で付き合ってないとか何なの? って時々キレそうになるわー」
「あの二人らしいとは思うけどね」
「……なんか、下手に惚気られるよりもダメージありますよね」
「皆さん、なんか顔暗いっスね! 元気出していきましょうよー!」
「リエーフうるせえ」
「お前ら、ごちゃごちゃ話してどうした」
「やっくんには一生俺らの気持ちなんて分からないと思うので、苗字の言う通り荷運びしといてください!」
「はあ? 急にキレんな」

場所は変わってバスの車内。コーチとの話し合いを終えて監督もやって来たところで、選手たちも続々と乗り込んでくる。
緊急事態が発生した際にすぐサポート出来るよう、マネージャーの定位置は運転席のすぐ後ろだ。そのため毎度、遊園地のお姉さんよろしく全員とハイタッチしながら出迎えるのが恒例だった。
さりげなく皆の顔色や表情も確認したが、特に大きな問題はなさそうだ。本気で熱中症が心配なのは来月の森然での合宿だし、マネージャーの真子ちゃんとも改めて相談しておかなきゃなと考える。

「苗字、行きは寝るか?」
「んー、今回は起きてる」
「分かった、話してても眠かったら言えよ」
「りょーかい、ありがと」

夜久が隣に座ってくれるのもすっかり恒例になっていた。何となくいつも学年順に並ぶため、後ろには黒尾や海がいてくれるから安心する。
宮城遠征の際は新幹線の座席を回転させてカードゲームで遊んだりしたけど、今回の道のりは三十分弱だし雑談をしていればすぐに過ぎていくだろう。

記録用として車内で皆の写真を撮った後、改めて点呼をしてから梟谷へ向けて出発した。
乗り物が出発する瞬間って何となくテンションが上がるよね、と夜久と話しつつ窓の外に目線を向けていれば、ポケットに入れていた携帯電話が振動する。普段はマナーモードにしているけど、合宿中はすぐ連絡が取れるように着信音をオンにしていたんだった。

夜久に断りを入れてから開けば、潔子ちゃんからメールの返信がきていた。そういえば皆が乗り込んでくる前に少し時間があったから、挨拶がてら送っていたんだっけ。
内容を確認してからすぐ夜久との会話に戻ろうとしていたのだが、あまりにも予想外の文字列が並んでいたから一瞬思考が停止してしまう。

「……、え? ふふ」
「苗字、どうした?」
「んー、烏野のマネージャーさんからだったんだけどね。……あ、でも今回は黒尾と海が代表で迎えに行くし、事務連絡として皆に共有しといた方がいいか」

名前を呼ばれたことに気付いたのだろう、すぐ後ろの主将コンビがひょっこり顔を出す。

「苗字、どうかしたか?」
「うん、ちょっと全体連絡したいことが出来て。少し大声出していい?」
「もちろん、どうぞ」
「なら遠慮なく。ごめん、皆! 出発したばかりなんだけど少し良いかな?」

シートベルトをつけたまま、身体を回転させて背もたれから顔を出す。楽しそうな喧騒の波をピタリと止めてしまったことに申し訳なく思いつつ、すぐ済ませてしまおうと口を開いた。

「犬岡!」
「は、はいッ!」
「日向くんとの合宿前スピード対決、圧倒的大差をつけて犬岡の勝ち!」
「お……? おー! やった!!」
「おーい苗字さん、俺たち置いてけぼりなんですけど。つまりどういうこと?」

ナイスアシストをしてくれた黒尾に向けて、ぐっと親指を立てる。

「烏野の十番、日向くん。テストで赤点取っちゃったから補習になって、今回遅刻してくるそうです」
「……マジで?」
「ちなみにセッターの影山くんもだって。という訳で、烏野さんを迎えに行く黒尾と海はそれを忘れないように。ゴールデンウィークに宮城遠征へ行った組は、夕方頃まであの速攻は無いと思って良さそう」

ブヒャヒャと本気で笑い出した黒尾もそうだけど、あの孤爪がちょっとビックリした顔をしているのが可愛い。

「連絡は以上! 皆、ご清聴ありがと!」

身体を元の位置に戻してから改めて椅子に深く座る。夜久が、お疲れと言うように肩を叩いてくれた。

「チビちゃんはまだ分かるとしても、セッターの九番が補習なのは意外だな」
「ね。あの精密なトスで赤点ってことは、バレーに一途すぎる子なのかも。……あと夜久、ちょっと個人的な意見を言ってもいい?」
「もちろん。何だ?」
「私、身体的な特徴に基づく呼び方よりは、相手の名前をちゃんと呼ぶ方が好みかも」

たとえば公式試合の会場で、夜久の身長が小さいと揶揄する声を耳にしたら密かに青筋を立ててしまう。その時だって決して表には出さないし、人に怒ったり八つ当たりすることもないけど。
本人の力ではどうにも変えられない特徴に基づいた呼び方が、昔から苦手なのは変わらない。この価値観を押し付けたい訳では無いけど、夜久には知ってもらいたかった。

「……悪い、確かに自分が言われて嫌な呼び方を人にすんのは良くねえ。ありがとな」
「ううん、こちらこそ」

他人の意見なんて、うるせえなと一蹴してもいい筈なのに。夜久になら思ったことを素直に打ち明けてもいいんだと安心できるから、そのまま会話を続けていく。

「影山くんにもサインもらいたかったけど、あの子も人と話すの苦手そうだったからなー。無理強いするのも良くないし、しばらく様子見かな」
「苗字、マジで烏野全員にサインもらう気か?」
「タイミングが合えば!」
「……俺にだけは強請らないくせにな?」

珍しく拗ねたように頬杖をついて私を見遣る。あまりにも意外で、ただ瞬きを繰り返すことしか出来なかった。確かにその通りではあるんだけど。

「サインって、見返す度にその人と会えた奇跡と幸福を実感するための記録媒体だと思ってるんだけど。夜久はいつも傍にいてくれるから、今は必要ないかなって」
「……今は、ねえ」
「あ、もしかして私って思い込みが激しい自意識過剰な痛いヤツだった?」
「違えよ! それなら、一生苗字は俺のサインが必要ねえんだなと思っただけ」
「……これはまた大きく出ましたね、夜久さん」
「だから、何で今日はやたらと他人行儀なんだよ」

照れ隠しするのに必死だからだよ。とは素直に言えず、顔を隠すべくそっぽを向く。
だって今の言葉を言い換えれば、一生傍にいるつもりってことだ。絶対の未来なんて期待しても無駄だろうと思うのに、夜久の力強い言葉を信じてしまいたくなる。

窓の外の薄暗い景色を眺めていると、柔らかな熱に手の甲がゆっくりと包まれていった。目線を合わせないまま、私は自らの手を引っくり返す。今度は相手の指先に自身のそれを絡ませ、ぎゅっと手を繋ぎ合う形になった。

ちらりと夜久の様子を窺えば、ちょっぴり顔が赤くなっていたから安心する。私だけじゃなくて良かった。

顔の熱が一旦落ち着いた頃、再びポツポツと雑談を始める。私たちが将来どうなっているのかなんて全く分からないけど、夜久の隣にいると、安心してありのままの自分でいられることだけは分かってしまった。