夕飯準備のため、体育館を出る直前のこと。バチッと音がしそうな程にしっかりと、私は確かにその人と目が合った。
金髪ボブでスポーティな格好が大変お似合いの女性は、初対面の筈なのにどこか既視感を覚える。瞬き一回分の間に心当たりを探れば、烏野のルーキーたちを送り届けてくれた方だろうかと思い至った。

「もしかして、田中くんのお姉様ですか?」
「そーだよ! アタシは田中冴子、よろしくね。アンタもしかして……ネコマのマネージャーさん?」
「はい、苗字名前と申します!」
「名前か! 龍にメールを送るよう言ってくれたんだってね。校門、閉まってたから超助かったよー!」

バシバシと私の肩を叩く手は力強くて、笑顔も眩しくて温かい。弟さんへの信頼も、日向くんと影山くんへの思いやりも感じられてホッコリする。
田中くんとはちゃんとお話ししたことがないけど、こんなお姉さんのもとで育ったならば、さぞや真っ直ぐに成長したんだろうなと勝手に想像してしまった。

「冴子さんは、このまま体育館で見学していかれますよね?」
「んー、そうしようかなと思ってたんだけど。名前、これから一人で全員分のご飯作るんでしょ? 人手あった方がいいんじゃない?」

先程の一連の流れ晩ご飯コーレスを見て気遣ってくださるとは、優しい方だなと笑う。

「お気遣いありがとうございます。夕飯の仕込みは既に終わっているので、一人で大丈夫ですよ」
「そう? あ。でもアタシ、自分の夕飯どうしよっかな」
「その点はご心配なく! 冴子さんの分のご飯もお布団も用意していますから。あと実は今晩、監督達が夜に飲み会をなさる予定なんですけど、参加されます?」

車の運転ができる上に田中くんのお姉様ということで、飲酒が可能な年齢でいらっしゃるとは思うのだけど。
そうだ、飲み会のおつまみを作るついでに福永にあたりめを持っていかなきゃ、と考えていたところで、正面からガバッと力強く抱擁される感覚がした。愛らしい方だなと微笑ましく感じながら、その背中をぽんぽんと撫でる。

「参加するー!」
「分かりました! ならまた改めてお夕飯の時間に諸々のご説明はしますね」
「ありがと! 名前って気が利くいい女だねえ……。あっそうだ、ウチの弟の龍のことどう思う!?」

ガシッと両肩を掴まれて、しっかりと互いの目線が合う形で質問される。えっ、それはどういう意味だろうかと一瞬混乱した。
キラキラとした瞳に映る期待にどれほど応えるべきかなと悩んだけど、今は自分の素直な気持ちを答えた方が良いだろうと悟った。田中くんとは正直まだ全然交流できてないし、他校のマネージャーとしての視点でしか語れないし。

「田中くんは、とても純粋で真っ直ぐな方ですよね。チーム全体の士気を高めるエネルギッシュさを心身共に兼ね備えた、素晴らしい選手だと思います」
「成程ねー。なら男としてはどう!?」
「男性としても、勿論素敵だとは思いますけど……」
「けど?」

参ったな、あまりよく知らない男の子について批評するようなことを言うのは避けたいんだけど、と首を捻っていた時。

「姐さん、お疲れ様です!」
「あ、夕! 元気してた?」
「ウッス! 姐さんもお変わりないようで!」
「に、西谷くん……!?」

横からニュッと現れた西谷くんは、綺麗な鋭角のお辞儀をしながら冴子さんに挨拶していた。烏野の二年生たちは仲が良さそうだし、元々お知り合いだったのかなと思いながら慌てる。
普段は明るくて優しいムードメーカーなのに、コートの中では誰より静かに的確にレシーブをするギャップが凄すぎて、凄い。一人でわたわたと感動しながら両手を頬に当てる。

「え。もしかして……!」

すると冴子さんが何やらピンときたような顔をして、力強く私の肩を抱く。背後に西谷くんを放置したまま内緒話をするような格好になってしまい、また慌てた。何も言わずに待たせてしまって良いのだろうか。

「ねえねえ、名前ってさ」
「は、はい」
「夕のこと好きなの?」
「そ、そんな恐れ多いこと思ってないですよ!? ただ私が勝手に推させて頂いているだけでして!!」
「えーでも、仲良くはなりたいでしょ?」
「いやいやいや、私なぞが西谷くんと仲良くするだなんてそんな!」
「俺は苗字さんと仲良くなりたいッスよ!」

いつの間にか隣にいた西谷くん推しが満面の笑みで両手を上げる様を浴びて、思わずヒエッと肩が飛び上がる。横からも真正面からも純粋無垢で太陽のような笑顔を向けられて、思考も呼吸も停止しそうだった。
だけど自分の羞恥心を理由に、せっかくの機会とご縁を逃すのは勿体ないだろう。震える両手をギュッと胸の前で握り込みながら、顔が熱くなるのも構わず口を開いた。

「わ、私で良かったらよろしくお願いします……!」
「俺の方こそお願いします!」
「え。二人とも付き合うみたいなやり取りしてるけど、やっぱり名前はガチなの?」

冴子さんの言葉にハッとする。確かに客観的に見ればそう受け取れるかもしれない。

「いえ、その、今のはファンとして少し境界線を越えさせて頂くことに対する決意表明と言いますか!」
「えー? 本当にィ?」
「姐さん! 苗字さんには、夜久さんっていうイイ感じの人がいるんスよ!」
「待って何で西谷くんがそれを!?」
「スガさんに言われたんですよ。だから西谷は色々わきまえろよーって!」

菅原くん、確かに食堂で黒尾と話してる時ニヤニヤしてたもんなーと、つい遠い目をしてしまう。

「へー! そのヤクって子、夕並みに男前なの?」

冴子さんの問いが、私の意識を鮮明に掬い上げた。

体育館の奥側のコートに視線を向ければ、生川との練習試合を控えた我らが音駒の選手たちがいた。全員が腰を低く落として強烈なサーブに備える中、最後方で構えるリベロの姿を目に焼き付ける。集中力をピリッと鋭く高めている様子が、離れた場所からもよく分かった。
夜久が一人で気合を入れている時の静かで真剣な顔が、いつだって私は好きだった。

「個人的な価値観として、私は音駒の皆を世界で一番カッコイイと思っていますし。そこに優劣をつけるつもりは決してないんですけど」

夜久の名前を聞くだけで何でも出来そうなくらい勇気が湧いてくるし、姿を見るだけで私も頑張らなきゃと元気が倍増するし、言葉を交わすだけで私は他でもない私を肯定することができた。
たった一人に依存しすぎないように、自分自身の力で色々努力しようと頑張っているつもりだけど、やっぱり私の原動力は夜久なんだと痛感する。私の過去も現在進行形で抱える傷も全て懐深く受け止めてくれる、たった一人の男の子が好きなのだと実感する。

「夜久はずっと、特別で大切な存在なので。他の誰かと比べたり、勝手に批評したくないんです。すみません」

照れくさくなって、髪を耳にかけつつ冴子さんを見遣れば。何故だかポカンと呆気にとられたような顔をしていた。

「名前って……スゴく大人の女の子なんだねえ」
「え!? なんだか自分の意見をズバズバ言ってしまって、お恥ずかしいし申し訳ないんですが……」
「いんや! それくらいハッキリ言ってくれる方が好みだし! それに、そのヤクって子について話してる時の名前の顔、すんごく綺麗でつい見惚れちゃったもん」
「……余計に照れます」
「可愛いなー! このこの! あ、そういやまだ仕事の途中だよね! 邪魔してごめん!」

肩を抱かれてワシャワシャと頭を撫で回されて、くすぐったい気持ちになる。胸の奥がポカポカと温まるような心地のまま、私は大きく首を横に振った。

「いえ! 夕飯の準備は本当にすぐ終わるので! むしろ西谷くんの方がこれから練習試合なのに、引き止める形になってしまい申し訳なくて……!」
「俺は自分から来ましたし、お二人とお話ししたかったんで! あと前から思ってたんですけど、苗字さんは敬語じゃなくていいッスよ! 俺の方が歳下ですし」
「ウッ、そう……だよね……! 分かった、お言葉に甘える!」
「ウッス!」

五月の練習試合ですっかり選手としての西谷くんのファンになったけど、夜久とはまた違った方向性の明るい人柄を浴びる度にますます胸が熱くなる。

「それじゃ西谷くん、が、頑張って……!」
「アザッス! 晩飯も楽しみにしてます!」

ちょうど日向くんと影山くんのアップが終わったようで、西谷くんは爽やかに笑ってからチームに戻っていく。私も早く食堂に行かねばと気合いを入れた。

「それでは冴子さん、私はこれで! 見学する場所については、烏野マネージャーの潔子ちゃんに聞いて頂ければと!」
「うん、本当に色々ありがとね! 名前、またあとで話そ!」
「はい! この合同合宿は本当に見応えがあるので、ぜひ楽しんでください!」

烏野の今度の対戦相手は梟谷のようだった。音駒と生川の試合も始まっている。集中してボールを追いかけている選手たち全員にエールを送りながら、最後に一瞬だけ夜久の姿を探した。

ちょうど海のサーブレシーブが綺麗に決まって、無邪気に笑っているところだった。人の努力も健闘も素直に喜べて、自らを奮い立たせるための原動力に変えていける強いところが、やっぱり好きだなと私は笑った。