永久を彩る冠菊
君のその声色が、表情が、ひどく苦手だと思った。
「名前さん、こんにちは」
涼やかさと猛々しさを兼ね備えた声が、朗らかに私の名を呼ぶ。先程まで一年は組の皆とお喋りできて弾んでいた気持ちも途端に萎んでいった。
食堂の受付でサラリと艶やかな髪を靡かせる六年い組の忍たまは、私の気持ちを知ってか知らずかやけに満面の笑みで、真っ直ぐ涼やかにこちらを見つめていた。
「……こんにちは、立花くん」
「名前さんは今日もお美しいですね。素敵です」
女性よりも余程麗しい女装をする男の子がよく言う、と内心息を吐きつつ笑顔を取り繕った。私が醜い女であることは、誰よりも私が一番よく分かっているのだから。
「ご注文は?」
「Bランチ、アジの開き定食で」
「かしこまりました。用意するから少し待っ……」
受付にさらけ出していた手の甲を、彼の指先が慈しむように滑らかに撫ぜていく。火傷の痕がついた爛れた肌をまるで宝のごとく大事に扱う体温に、胸が沸騰したように燃え上がった。ばっと手を払い除けてから無言で台所の奥に駆け出す。
今は食堂のおばちゃんが買い出しで不在なのだ。だからこそ忍たまの皆の心と身体が健やかであるようにと、私が食堂に勤める大人として見守らなければならないのに。ほんの少し触れられただけでこんなにも胸が掻き乱されるなんて、あってはならないことなのに。
彼の身体を形作るためのご飯を盛り付けて、手早く戻りお盆を差し出せば、先程のことは全て忘れ去ったような笑顔が待ち受けていた。
「名前さん」
「……うん」
「私から簡単に逃げられると思わないでくださいね」
それでは有難く頂きます、と軽く礼をしてから軽やかに踵を返していく。腹の底から冬が迫り上がってくるような心地に身震いするくせに、顔は夏のような熱を孕んでいるのだから難儀なものだと唇を嚙む。
それらの全てから逃れるべく、身を翻して夕食の仕込みに移っていく。鍋に火をかけながらぼんやりと考えた。……私が忍術学園に就職したのは彼が入学して少し経った時期で、一年生の頃はむしろ仲が良かったのになあ。
立花くんを前にすると、私が私でいられなくなりそうで、ひどく恐ろしかった。
あれは五年前。鈴虫が哀しげに鳴く真夜中のことだった。
慣れない新しい環境の中で上手く眠ることが出来ず、寂しげでありながら凛とした音に誘われるように、一人で寝床を抜け出していた。あてもなくぼんやりと夜の学園内を歩き回っていると、感情を押し殺したような微かな泣き声を耳にする。
忍たま長屋から少し外れた中庭の隅で、ぐずぐずと漏れ出るその音に足を向けてしまったのは、きっと過去の自分に重ね合わせてしまったからだろう。曲がり角からそっと声の主を覗けば、寝間着姿の幼い忍たまが声を押し殺しながら泣いていた。
声をかけるべきか、放っておくべきか。一瞬迷ったけれど、思い切って一歩を踏み出した。
「こんばんは」
「……っ! こ、こんばん、は」
びくっと肩を跳ねてから、慌てて目を擦ろうとした小さな手を咄嗟に両手で包む。瞳に傷が付いてしまうと思ったからだ。
が、すぐに後悔した。醜い火傷の跡が広がる指に突然触られたら、誰であろうと気持ちが悪いに決まっている。たとえその気持ちを素直に言葉にせずとも、年齢を問わず穢らわしそうに顔を顰められるのが常だった。
「ご、ごめんなさい。こんな手で触れてしまって……」
「お花みたい、ですね」
「え?」
「お姉さんの手……お花みたいで、とってもきれい」
唖然とした。今までそんなことを言うひとは、誰一人としていなかったから。食堂のおばちゃんは痛ましそうに労わってくれたし、学園の先生方は傷跡なんて見慣れたものだろうから全く触れることはなかった。
忍術学園の面々が優しく温かい人たちであることは理解していたつもりだったけれど、こんなにも煌めいた瞳で己の最も酷い傷跡を褒められると、さすがに動揺する。
まじまじと私の手を見下ろすその忍たまは、一年生の立花仙蔵くんだ。私はまだ、厨房内で皿洗いと下ごしらえを手伝うことに専念しているから、きちんと顔を合わせたことは無かったけれど。
同年代の子たちよりも体格が小さく、実技の授業や課題についていけないと、食堂で悔しそうに友達と話す声を聞いたことがあった。
恐らくそのことで悩んで泣いていただろうに、今は目元を赤くさせながら私の手をキラキラと見つめている。こんな純粋な心を持った子に向けて、「そんなことない」と否定するのも違う気がした。
「……ありがとう、立花くん」
「はい! ええと、新しく入った食堂のお姉さんですよね? お名前は何とおっしゃるんですか?」
「うん、名前と申します。よろしくね」
「名前、さん……。よろしくお願いします!」
パッと暗闇の中でも明るく笑う立花くんの方が、余程お花みたいに可憐で瑞々しかった。
その直後、今日の実技の授業中に、裏裏山で見かけた綺麗なお花畑があったのだと語ってくれた立花くんは、「名前さんにお似合いのお花があったので、明日持ってきます!」と意気揚々と宣言してくれた。
「ありがとう。立花くんは、授業中も色々なことを観察できてて凄いね」
「そ、そんなことは……! 一年生の中でも、体力が無くて、皆にはついていけてなくて……」
「そっか。でも立花くんは、同級生の皆に追い付きたいって考えているんだよね?」
「当然です! これでも立派な忍たまなので!」
「それが凄いと思うよ。自分なんか皆に敵わないって諦めて、頑張らない道を選ぶことも出来るのに。……立花くんは今の力にできる努力は何か考えてるからこそ、視野を広く持つことができて、お花畑も見つけられたんじゃないかな」
切れ長ながら大きな瞳が、きょとんと丸まってから照れくさそうに細まった。
「ありがとうございます! ……あ、でも、その。お花は、無理に受け取って頂かなくても良いので!」
「なんで? 私、とっても嬉しいよ」
「そう、ですか……。良かった……」
夕焼け空のように頬を染めて俯く横顔が、純粋で愛らしいと思った。
立花くんの同級生の子たちのお話や、私のお仕事についての話を続けていくと、次第に目の前で眠そうにうつらうつらと船を漕ぎ始める。微笑ましく見守りつつ、その日は寝かしつけるために忍たま長屋まで送り届けた。
それ以降、私と立花くんはよくお喋りするようになった。
学園内で顔を合わせたら必ず声をかけられたし、外出から戻ってくる度に贈り物としてお花を贈ってくれた。律儀だなと思ったけれど、私もまた、全てを押し花にして大切に持っていた。
慣れない環境で不安だった心も、歳下のお友達とお喋りするお陰で徐々に和らいでいったから。
三年生までは可愛い歳下の弟が出来たみたいで嬉しかったのに、菫色の装束を華麗に着こなし始めた頃に事件は起きる。
「名前さん」
男性らしい低くて澄んだ声が、私を呼び止める。誰もいない中庭で掃き掃除をしていたから、いつも通り振り返っては首を傾げた。
四年生になれば上級生の仲間入りで、実習も今までより相当厳しくなると聞く。一年生だった頃の面影は残したまま、宝禄火矢を扱い遠距離攻撃も近接戦闘もこなす姿はとても立派で、三年ほど見守ってきた大人としては誇らしかった。
「どうしたの? 立花くん」
「私と夫婦になってください」
「…………え?」
からん、と箒が手から零れ落ちた。拾う気すら起きない程の、頭を殴り付けられたかのような衝撃を受ける。
「今すぐは難しいと仰るなら、いくらでも待ちますので」
「あの、ちょっと待って立花くん。本気で言ってる……?」
「勿論です。冗談でこんなことを言うとでも?」
「……私、もう二十歳になるんだよ」
「そうですね。毎年の贈り物を考える時間も、私にとっては大切な宝物です」
「あ、ありがとう……。いや、そうじゃなくてね。立花くんと私の年の差って相当あるし、もっと若くて可愛い女の子はたくさんいると思うの」
立花くんは、私の言葉を見定めるかのように目を細める。そして最後には美しい顔立ちでにっこりと微笑んだ。
「私は三年前からずっと、名前さんだけをお慕いしてきましたので」
「……嬉しいよ。だけど、その想いを受け取ることは出来ない、かな」
混乱する頭を無理やり動かしながら、視線を下に落として無様に転がる箒を見た。年季の入ったボロボロのそれが自分と重なって見えて、ついハッとした。そうだ、心の底から湧き上がるような明るい気持ちなんて封じ込めなければ。
「……何故ですか? そんなに私のことが嫌ですか?」
「そんな訳ない! でも……私は、誰かの妻になる自信なんて、ないから」
「分かりました。……なら、名前さんに自信がつけば私と夫婦になってくださると」
立花くんは鷹揚に言って、情けなく狼狽える私を真っ直ぐに射抜いた。獲物を狙う狩人のような鋭い眼光に心臓が縮む。本気で言っているのだと、本能的にすぐ分かった。
君の成長をずっと見守って、共に喜んで、その度に言葉にならない特別な想いが育っていくことを薄らと感じていたからこそ、懸命に蓋をしていたというのに。
醜い両手をぎゅっと握り締めて、胸の前で握る。……どうか立花くんが、学園を卒業するまでには私のことなんて諦めてくれますように。
「……なんて、思っていたのにね」
食堂のおばちゃんのおつかいで、隣町まで食材の買い出しに出かけていた。学園の先生方の手も借りたことで多少の護身術は身につけていたし、近道として山を突っ切っていたのだ。
行きは何の問題も無く静かに進めたが、帰りは面倒なことに山賊に遭遇してしまった。お陰で、今朝の立花くんから受け取った言葉について考えなくて済むのは有難かったけど。金でも要求されるか、女として売り飛ばされそうになるのだろうか。
「なんだぁ? 後ろ姿は美人かと思ったのに、年増の傷物じゃねェか。醜女に用はねぇよ」
指先が冷えていく。あんなにも温かく優しい学園の中で、あんなに綺麗な男の子から求婚などされていたからだろうか。一体何を勘違いしていたのだろう。
幼少期に、実の親から口減らしとして山に捨てられ、生き延びるために這いつくばって辿り着いた村が、瞬く間に戦で焼かれた。 この戦国の世では在り来りな過去の中で作った火傷の跡を、己の指先でなぞる。
嗚呼、そうだ。かつて立花くんはお花みたいだなんて言ってくれたけれど。こんな傷を持つ私は、誰かと添い遂げるような資格さえない醜女だった。そんなことは知っていた筈なのに、何故だか瞼の裏が急に熱くなった気がして俯いた。
「……そうですか。それでは失礼します」
「待て」
まるで地獄に引きずり込まれたかのような、耳にするだけで底冷えするかのような声だった。それは、目の前に気怠そうに喋っていた山賊のものでも、勿論私のものでもない。背後にいる、聞き慣れている筈の知らない男性の声だった。
「私にとってこの世の何よりも大切な女性へ向けて、よくもそんな口が聞けるな」
ゆっくりと振り向けば、学園一の技術を誇る巧みな女装をこなしている立花くんがいた。だからこそ声と表情の険しさと凄みに、背筋が凍りついていく。
「た、立花くん……?」
話しかければ、にっこりと完璧なまでの笑顔を見せた。
「名前さん、ご心配なく。……すぐに終わらせます」
文字通り、私に声をかけてきた山賊はあっという間にのされてしまった。相手をひどく冷たい瞳で見下してはいたけれど、無駄に痛め付けたりはしないのがさすが理性的な男の子だと思う。
相手を縄でぐるぐるに縛り上げた後、一歩も動けずに固まる私を見て、ようやく安心したようにフッと笑ってくれた。そうすれば徐々に、こちらの心臓も柔く緩んでいく。
「近頃悪さをしている山賊を倒してこい、というのは学園長の思い付きでもあったんです。なので名前さんは、『立花くんの手を煩わせた』なんて、気にしなくて良いですから」
「……立花くんって、何で私の考えることが分かるの?」
「いつも言っているでしょう。私はずっと、あなたをお慕いしてきたので。想いを寄せる女性のことなら何でもお見通しです」
優雅に微笑む姿に、初対面で私の手を褒めてくれた時の笑顔が重なった。喉の奥がきゅっと締まり、心臓がねじ切れそうな程に痛くなる。立花くんはあの頃と変わらずにずっと、心の底から私を想ってくれていたんだなって、初めてちゃんとした意味で理解できたような気がした。
「……ねえ、立花くん」
「はい、どうしましたか?」
「やっぱり君と夫婦になりたいなって、今更だけど言ったら……怒る?」
その直後に私だけが見た、君のその声と表情が、ひどく愛おしいと思った。
「名前さん、こんにちは」
涼やかさと猛々しさを兼ね備えた声が、朗らかに私の名を呼ぶ。先程まで一年は組の皆とお喋りできて弾んでいた気持ちも途端に萎んでいった。
食堂の受付でサラリと艶やかな髪を靡かせる六年い組の忍たまは、私の気持ちを知ってか知らずかやけに満面の笑みで、真っ直ぐ涼やかにこちらを見つめていた。
「……こんにちは、立花くん」
「名前さんは今日もお美しいですね。素敵です」
女性よりも余程麗しい女装をする男の子がよく言う、と内心息を吐きつつ笑顔を取り繕った。私が醜い女であることは、誰よりも私が一番よく分かっているのだから。
「ご注文は?」
「Bランチ、アジの開き定食で」
「かしこまりました。用意するから少し待っ……」
受付にさらけ出していた手の甲を、彼の指先が慈しむように滑らかに撫ぜていく。火傷の痕がついた爛れた肌をまるで宝のごとく大事に扱う体温に、胸が沸騰したように燃え上がった。ばっと手を払い除けてから無言で台所の奥に駆け出す。
今は食堂のおばちゃんが買い出しで不在なのだ。だからこそ忍たまの皆の心と身体が健やかであるようにと、私が食堂に勤める大人として見守らなければならないのに。ほんの少し触れられただけでこんなにも胸が掻き乱されるなんて、あってはならないことなのに。
彼の身体を形作るためのご飯を盛り付けて、手早く戻りお盆を差し出せば、先程のことは全て忘れ去ったような笑顔が待ち受けていた。
「名前さん」
「……うん」
「私から簡単に逃げられると思わないでくださいね」
それでは有難く頂きます、と軽く礼をしてから軽やかに踵を返していく。腹の底から冬が迫り上がってくるような心地に身震いするくせに、顔は夏のような熱を孕んでいるのだから難儀なものだと唇を嚙む。
それらの全てから逃れるべく、身を翻して夕食の仕込みに移っていく。鍋に火をかけながらぼんやりと考えた。……私が忍術学園に就職したのは彼が入学して少し経った時期で、一年生の頃はむしろ仲が良かったのになあ。
立花くんを前にすると、私が私でいられなくなりそうで、ひどく恐ろしかった。
あれは五年前。鈴虫が哀しげに鳴く真夜中のことだった。
慣れない新しい環境の中で上手く眠ることが出来ず、寂しげでありながら凛とした音に誘われるように、一人で寝床を抜け出していた。あてもなくぼんやりと夜の学園内を歩き回っていると、感情を押し殺したような微かな泣き声を耳にする。
忍たま長屋から少し外れた中庭の隅で、ぐずぐずと漏れ出るその音に足を向けてしまったのは、きっと過去の自分に重ね合わせてしまったからだろう。曲がり角からそっと声の主を覗けば、寝間着姿の幼い忍たまが声を押し殺しながら泣いていた。
声をかけるべきか、放っておくべきか。一瞬迷ったけれど、思い切って一歩を踏み出した。
「こんばんは」
「……っ! こ、こんばん、は」
びくっと肩を跳ねてから、慌てて目を擦ろうとした小さな手を咄嗟に両手で包む。瞳に傷が付いてしまうと思ったからだ。
が、すぐに後悔した。醜い火傷の跡が広がる指に突然触られたら、誰であろうと気持ちが悪いに決まっている。たとえその気持ちを素直に言葉にせずとも、年齢を問わず穢らわしそうに顔を顰められるのが常だった。
「ご、ごめんなさい。こんな手で触れてしまって……」
「お花みたい、ですね」
「え?」
「お姉さんの手……お花みたいで、とってもきれい」
唖然とした。今までそんなことを言うひとは、誰一人としていなかったから。食堂のおばちゃんは痛ましそうに労わってくれたし、学園の先生方は傷跡なんて見慣れたものだろうから全く触れることはなかった。
忍術学園の面々が優しく温かい人たちであることは理解していたつもりだったけれど、こんなにも煌めいた瞳で己の最も酷い傷跡を褒められると、さすがに動揺する。
まじまじと私の手を見下ろすその忍たまは、一年生の立花仙蔵くんだ。私はまだ、厨房内で皿洗いと下ごしらえを手伝うことに専念しているから、きちんと顔を合わせたことは無かったけれど。
同年代の子たちよりも体格が小さく、実技の授業や課題についていけないと、食堂で悔しそうに友達と話す声を聞いたことがあった。
恐らくそのことで悩んで泣いていただろうに、今は目元を赤くさせながら私の手をキラキラと見つめている。こんな純粋な心を持った子に向けて、「そんなことない」と否定するのも違う気がした。
「……ありがとう、立花くん」
「はい! ええと、新しく入った食堂のお姉さんですよね? お名前は何とおっしゃるんですか?」
「うん、名前と申します。よろしくね」
「名前、さん……。よろしくお願いします!」
パッと暗闇の中でも明るく笑う立花くんの方が、余程お花みたいに可憐で瑞々しかった。
その直後、今日の実技の授業中に、裏裏山で見かけた綺麗なお花畑があったのだと語ってくれた立花くんは、「名前さんにお似合いのお花があったので、明日持ってきます!」と意気揚々と宣言してくれた。
「ありがとう。立花くんは、授業中も色々なことを観察できてて凄いね」
「そ、そんなことは……! 一年生の中でも、体力が無くて、皆にはついていけてなくて……」
「そっか。でも立花くんは、同級生の皆に追い付きたいって考えているんだよね?」
「当然です! これでも立派な忍たまなので!」
「それが凄いと思うよ。自分なんか皆に敵わないって諦めて、頑張らない道を選ぶことも出来るのに。……立花くんは今の力にできる努力は何か考えてるからこそ、視野を広く持つことができて、お花畑も見つけられたんじゃないかな」
切れ長ながら大きな瞳が、きょとんと丸まってから照れくさそうに細まった。
「ありがとうございます! ……あ、でも、その。お花は、無理に受け取って頂かなくても良いので!」
「なんで? 私、とっても嬉しいよ」
「そう、ですか……。良かった……」
夕焼け空のように頬を染めて俯く横顔が、純粋で愛らしいと思った。
立花くんの同級生の子たちのお話や、私のお仕事についての話を続けていくと、次第に目の前で眠そうにうつらうつらと船を漕ぎ始める。微笑ましく見守りつつ、その日は寝かしつけるために忍たま長屋まで送り届けた。
それ以降、私と立花くんはよくお喋りするようになった。
学園内で顔を合わせたら必ず声をかけられたし、外出から戻ってくる度に贈り物としてお花を贈ってくれた。律儀だなと思ったけれど、私もまた、全てを押し花にして大切に持っていた。
慣れない環境で不安だった心も、歳下のお友達とお喋りするお陰で徐々に和らいでいったから。
三年生までは可愛い歳下の弟が出来たみたいで嬉しかったのに、菫色の装束を華麗に着こなし始めた頃に事件は起きる。
「名前さん」
男性らしい低くて澄んだ声が、私を呼び止める。誰もいない中庭で掃き掃除をしていたから、いつも通り振り返っては首を傾げた。
四年生になれば上級生の仲間入りで、実習も今までより相当厳しくなると聞く。一年生だった頃の面影は残したまま、宝禄火矢を扱い遠距離攻撃も近接戦闘もこなす姿はとても立派で、三年ほど見守ってきた大人としては誇らしかった。
「どうしたの? 立花くん」
「私と夫婦になってください」
「…………え?」
からん、と箒が手から零れ落ちた。拾う気すら起きない程の、頭を殴り付けられたかのような衝撃を受ける。
「今すぐは難しいと仰るなら、いくらでも待ちますので」
「あの、ちょっと待って立花くん。本気で言ってる……?」
「勿論です。冗談でこんなことを言うとでも?」
「……私、もう二十歳になるんだよ」
「そうですね。毎年の贈り物を考える時間も、私にとっては大切な宝物です」
「あ、ありがとう……。いや、そうじゃなくてね。立花くんと私の年の差って相当あるし、もっと若くて可愛い女の子はたくさんいると思うの」
立花くんは、私の言葉を見定めるかのように目を細める。そして最後には美しい顔立ちでにっこりと微笑んだ。
「私は三年前からずっと、名前さんだけをお慕いしてきましたので」
「……嬉しいよ。だけど、その想いを受け取ることは出来ない、かな」
混乱する頭を無理やり動かしながら、視線を下に落として無様に転がる箒を見た。年季の入ったボロボロのそれが自分と重なって見えて、ついハッとした。そうだ、心の底から湧き上がるような明るい気持ちなんて封じ込めなければ。
「……何故ですか? そんなに私のことが嫌ですか?」
「そんな訳ない! でも……私は、誰かの妻になる自信なんて、ないから」
「分かりました。……なら、名前さんに自信がつけば私と夫婦になってくださると」
立花くんは鷹揚に言って、情けなく狼狽える私を真っ直ぐに射抜いた。獲物を狙う狩人のような鋭い眼光に心臓が縮む。本気で言っているのだと、本能的にすぐ分かった。
君の成長をずっと見守って、共に喜んで、その度に言葉にならない特別な想いが育っていくことを薄らと感じていたからこそ、懸命に蓋をしていたというのに。
醜い両手をぎゅっと握り締めて、胸の前で握る。……どうか立花くんが、学園を卒業するまでには私のことなんて諦めてくれますように。
「……なんて、思っていたのにね」
食堂のおばちゃんのおつかいで、隣町まで食材の買い出しに出かけていた。学園の先生方の手も借りたことで多少の護身術は身につけていたし、近道として山を突っ切っていたのだ。
行きは何の問題も無く静かに進めたが、帰りは面倒なことに山賊に遭遇してしまった。お陰で、今朝の立花くんから受け取った言葉について考えなくて済むのは有難かったけど。金でも要求されるか、女として売り飛ばされそうになるのだろうか。
「なんだぁ? 後ろ姿は美人かと思ったのに、年増の傷物じゃねェか。醜女に用はねぇよ」
指先が冷えていく。あんなにも温かく優しい学園の中で、あんなに綺麗な男の子から求婚などされていたからだろうか。一体何を勘違いしていたのだろう。
幼少期に、実の親から口減らしとして山に捨てられ、生き延びるために這いつくばって辿り着いた村が、瞬く間に戦で焼かれた。 この戦国の世では在り来りな過去の中で作った火傷の跡を、己の指先でなぞる。
嗚呼、そうだ。かつて立花くんはお花みたいだなんて言ってくれたけれど。こんな傷を持つ私は、誰かと添い遂げるような資格さえない醜女だった。そんなことは知っていた筈なのに、何故だか瞼の裏が急に熱くなった気がして俯いた。
「……そうですか。それでは失礼します」
「待て」
まるで地獄に引きずり込まれたかのような、耳にするだけで底冷えするかのような声だった。それは、目の前に気怠そうに喋っていた山賊のものでも、勿論私のものでもない。背後にいる、聞き慣れている筈の知らない男性の声だった。
「私にとってこの世の何よりも大切な女性へ向けて、よくもそんな口が聞けるな」
ゆっくりと振り向けば、学園一の技術を誇る巧みな女装をこなしている立花くんがいた。だからこそ声と表情の険しさと凄みに、背筋が凍りついていく。
「た、立花くん……?」
話しかければ、にっこりと完璧なまでの笑顔を見せた。
「名前さん、ご心配なく。……すぐに終わらせます」
文字通り、私に声をかけてきた山賊はあっという間にのされてしまった。相手をひどく冷たい瞳で見下してはいたけれど、無駄に痛め付けたりはしないのがさすが理性的な男の子だと思う。
相手を縄でぐるぐるに縛り上げた後、一歩も動けずに固まる私を見て、ようやく安心したようにフッと笑ってくれた。そうすれば徐々に、こちらの心臓も柔く緩んでいく。
「近頃悪さをしている山賊を倒してこい、というのは学園長の思い付きでもあったんです。なので名前さんは、『立花くんの手を煩わせた』なんて、気にしなくて良いですから」
「……立花くんって、何で私の考えることが分かるの?」
「いつも言っているでしょう。私はずっと、あなたをお慕いしてきたので。想いを寄せる女性のことなら何でもお見通しです」
優雅に微笑む姿に、初対面で私の手を褒めてくれた時の笑顔が重なった。喉の奥がきゅっと締まり、心臓がねじ切れそうな程に痛くなる。立花くんはあの頃と変わらずにずっと、心の底から私を想ってくれていたんだなって、初めてちゃんとした意味で理解できたような気がした。
「……ねえ、立花くん」
「はい、どうしましたか?」
「やっぱり君と夫婦になりたいなって、今更だけど言ったら……怒る?」
その直後に私だけが見た、君のその声と表情が、ひどく愛おしいと思った。