やがて満ちゆく心星
成歩堂なんでも事務所を訪ねると、弁護士の皆さんが個性豊かなリアクションで明るく出迎えてくれた。機械みたいだと揶揄された経験さえある私には、その姿がひどく眩しくてつい焦がれてしまう。
「ええッ!? 名前さんがクライン王国に!?」
「はい、予定では最長で一年ほど。なので心音さん、夕神くんのことをよろしくお願いします」
「いやいやいや! わたしに名前さんの代わりは無理ですって! 夕神さんだって嫌がるでしょうし!」
「それこそ心配ご無用です。心音さんはいつも通り、夕神くんと顔を合わせてお話しして下さるだけで良いですから」
「ウッ……昨日の法廷でまさに顔を合わせて、バッサバッサと斬り倒されたばかりなんですが……」
「夕神くん、目をかけている方にはつい厳しくなるみたいですからね。心音さんと会えて喜んでいるのは間違いないですよ」
信じられない様子で渋い顔をする様も愛らしい。夕神くんも、大事すぎるからこそ敢えて不器用な愛し方をしているだろうから、……上手く伝わらないくらいでちょうど良いのかもしれない。
一方、隣で何やら考え込んでいた成歩堂さんは、心配そうな顔で口を挟んでくる。
「クライン王国は色々と得体の知れない場所だからね……。くれぐれも気を付けて」
「はい。お気遣い痛み入ります」
「あー、あとは……頼りないかもしれないけど、向こうにはぼくの知り合いもいてね」
「綾里さん、ですよね。実は御剣さんも同じことを仰ってくださいまして」
「そうなんだ? ならぼくが余計な口を挟む必要もないかな」
「とんでもない。お気遣い頂けるだけで有難いですから」
「夕神検事が許したのなら、ぼくらは笑顔で見送る以外の選択肢もないから。ね、心音ちゃん」
「それはそうなんですけどぉ……! 名前さんと一緒にお買い物とか恋バナとかしたかったんですぅ……!」
本気で涙を流している様子の心音さんに微笑む。感情の変化がキラキラとしていて眩しくて、……相変わらず、見ているだけで心が擽ったくなるような純粋な子だ。
「こいばな……。確か焼酎の銘柄でしたかね」
「恋の話! 略して恋バナです! あとわたし未成年ですから!」
「あ。心音さんは大人びているので、つい失念してしまいました……。確かに一緒に飲んだら私が悪い大人になってしまいますね」
「え! そんな……名前さんってば……」
照れたように綺麗な長い髪を指先で弄び始めた姿に微笑んでいると、視界の端につるりと滑らかなおデコが映る。どうやら王泥喜さんがお茶を淹れてくださったらしい。依頼人でもないのに居座ってしまって申し訳ないなと眉を下げる。
「すみません、お気遣い頂きまして」
「いえッ! オレも苗字さんとは一度ちゃんとお話ししてみたかったので!」
「恐縮です」
発声練習でもしたのか、ほんの少し掠れた真っ直ぐな声だった。どこか心の奥底が擽られるような、温かくてかなしくて愛おしく、どこか懐かしい音……。
───…………、スケくん!
頭の奥底で、誰かが何かを叫んでいた。これは一体誰の声だろう。ひどく幼くあどけない、朗らかで喜びに満ちた音だった。
まさに今、また耳が鋭くなりかけて、頭の中に膨大なデータが流れこもうとしていると分かるのに。頭の底で響くこの声が、そしてそれを柔らかく包むように鳴る何かの音が、私の中に溢れる激しい情報の波を堰き止めてくれているのだと理解する。
「……苗字さん、大丈夫ですか!」
ハッとする。いつの間にか蹲って頭を抱えていたようだ。王泥喜さんを筆頭に、心音さんも成歩堂さんも心配そうに様子を窺ってくれていた。
「……ごめんなさい。少し、考え事をしてしまいまして」
「名前さん、顔色が悪いです。夕神さんに迎えに来てもらいましょうか……?」
「いえ。夕神くんは今日もお仕事なので、迷惑をかけるのも申し訳ないですし。私はそろそろお暇しますね」
「……今の苗字さんを一人で帰すのは、少し心配だな」
「あ、あのッ! ならオレに送らせてもらえないでしょうか!」
「え。オドロキくんが……?」
いつもならば絶対に遠慮するだろう。他者と関わるのは苦手だし、私の機械的な態度で傷付けてしまうのは申し訳ないからと理由を作って固辞している場面だ。しかし何故だろう。私もまた、王泥喜さんともう少しだけ言葉を交わしたい気持ちがあった。
「……なら、お言葉に甘えても宜しいでしょうか」
「えッ!?」
「いやいや、何でオドロキくんが一番驚いてるんだい?」
「だ、だって絶対に断られると思ったんで……」
「……オドロキ先輩、もしも名前さんに何かしたら夕神さんが黙ってないですからね」
「希月さん、怖いこと言うなよな!」
心音さんが凄みながら拳を作って言うので、王泥喜さんもタジタジのようだった。しかしその不安は無いだろう。もうすぐ物理的にお別れをするし、夕神くんも仕事に復帰したばかりで忙しいからそこまでの余裕も無いのは明白だ。
「心音さんのことならまだしも、私のことで夕神くんが何かすることは無いと思いますけど」
当然のことを言ったまでなのだが、三人から一斉に唖然としたような視線が向けられて首を傾げた。
「……どうやら苗字さんは本気で言っているみたい、だね?」
「名前さんは天然で謙虚すぎるって分かってましたけど、さすがにこれじゃ夕神さんが可哀想すぎるというか……」
「まさか夕神検事も、オレたちに同情されてるとは思ってもいないだろうなあ」
三者三様の苦笑いに囲まれる。首を傾げた瞬間、頭にズキンと痛みが走った。
更に心音さんから体調を心配されてしまい、そのまますぐ事務所を出ることになる。やはり優しい子だなと目を細めた。私がこの地を離れたところで、やはり何も問題はないだろうと安心する。
「あの、……苗字さん」
事務所から我が家までの道を二人で歩いていると、神妙な声で呼び止められる。
「何でしょう、王泥喜さん」
「その……もし見当違いのことを言っていたら、すぐに忘れてほしいんですが!」
「いえいえ、どのようなお言葉でも有難く頂戴しますよ」
「で、では! 苗字さんは昔、クライン王国に住んでいたことがありませんか……?」
ピタリと過去を言い当てられても、何故だか意外に感じなかった。むしろ納得したし、しっくりきたし、胸の奥にじわりと熱が滲むような心地がした。
「はい、仰る通りです。……それなのに私には、クライン王国で過ごしていた頃の記憶がない状態でして。だからこそ、過去を思い出すために今回の件を決めました」
「やはり、そうでしたか……。実はオレも昔、クライン王国で育った時期があるんです。そこで、とあるヤツから……ナマエ、という日本人の女の子の話を、繰り返し聞かされたことを思い出しまして!」
私の目を真っ直ぐに見て、真摯に語りかけてくる顔から目が離せない。ほんの少し掠れている、純真さを帯びた声を浴びる度に、心臓がひんやりと熱く脈打っていく。
「……王泥喜さん。その方のお名前を、お伺いしても?」
「はい。……ヤツの名前は、ドゥルク」
ぱちんと、頭の奥が弾けていく。欠けたピースが嵌っていくような感覚がする。
「苗字さんのことを、とても心配して……気にかけていた男、です」
名前しか知らないひとなのに、会いに行かなければ、という強烈な焦燥感を覚えた。私は目の前の恩人に対して深々と頭を下げる。
「……ありがとうございます、王泥喜さん」
未だに何も思い出せないままだけれど、明確で大事な目的を届けてくれたかつての同胞に、心からの感謝を捧げた。
「ええッ!? 名前さんがクライン王国に!?」
「はい、予定では最長で一年ほど。なので心音さん、夕神くんのことをよろしくお願いします」
「いやいやいや! わたしに名前さんの代わりは無理ですって! 夕神さんだって嫌がるでしょうし!」
「それこそ心配ご無用です。心音さんはいつも通り、夕神くんと顔を合わせてお話しして下さるだけで良いですから」
「ウッ……昨日の法廷でまさに顔を合わせて、バッサバッサと斬り倒されたばかりなんですが……」
「夕神くん、目をかけている方にはつい厳しくなるみたいですからね。心音さんと会えて喜んでいるのは間違いないですよ」
信じられない様子で渋い顔をする様も愛らしい。夕神くんも、大事すぎるからこそ敢えて不器用な愛し方をしているだろうから、……上手く伝わらないくらいでちょうど良いのかもしれない。
一方、隣で何やら考え込んでいた成歩堂さんは、心配そうな顔で口を挟んでくる。
「クライン王国は色々と得体の知れない場所だからね……。くれぐれも気を付けて」
「はい。お気遣い痛み入ります」
「あー、あとは……頼りないかもしれないけど、向こうにはぼくの知り合いもいてね」
「綾里さん、ですよね。実は御剣さんも同じことを仰ってくださいまして」
「そうなんだ? ならぼくが余計な口を挟む必要もないかな」
「とんでもない。お気遣い頂けるだけで有難いですから」
「夕神検事が許したのなら、ぼくらは笑顔で見送る以外の選択肢もないから。ね、心音ちゃん」
「それはそうなんですけどぉ……! 名前さんと一緒にお買い物とか恋バナとかしたかったんですぅ……!」
本気で涙を流している様子の心音さんに微笑む。感情の変化がキラキラとしていて眩しくて、……相変わらず、見ているだけで心が擽ったくなるような純粋な子だ。
「こいばな……。確か焼酎の銘柄でしたかね」
「恋の話! 略して恋バナです! あとわたし未成年ですから!」
「あ。心音さんは大人びているので、つい失念してしまいました……。確かに一緒に飲んだら私が悪い大人になってしまいますね」
「え! そんな……名前さんってば……」
照れたように綺麗な長い髪を指先で弄び始めた姿に微笑んでいると、視界の端につるりと滑らかなおデコが映る。どうやら王泥喜さんがお茶を淹れてくださったらしい。依頼人でもないのに居座ってしまって申し訳ないなと眉を下げる。
「すみません、お気遣い頂きまして」
「いえッ! オレも苗字さんとは一度ちゃんとお話ししてみたかったので!」
「恐縮です」
発声練習でもしたのか、ほんの少し掠れた真っ直ぐな声だった。どこか心の奥底が擽られるような、温かくてかなしくて愛おしく、どこか懐かしい音……。
───…………、スケくん!
頭の奥底で、誰かが何かを叫んでいた。これは一体誰の声だろう。ひどく幼くあどけない、朗らかで喜びに満ちた音だった。
まさに今、また耳が鋭くなりかけて、頭の中に膨大なデータが流れこもうとしていると分かるのに。頭の底で響くこの声が、そしてそれを柔らかく包むように鳴る何かの音が、私の中に溢れる激しい情報の波を堰き止めてくれているのだと理解する。
「……苗字さん、大丈夫ですか!」
ハッとする。いつの間にか蹲って頭を抱えていたようだ。王泥喜さんを筆頭に、心音さんも成歩堂さんも心配そうに様子を窺ってくれていた。
「……ごめんなさい。少し、考え事をしてしまいまして」
「名前さん、顔色が悪いです。夕神さんに迎えに来てもらいましょうか……?」
「いえ。夕神くんは今日もお仕事なので、迷惑をかけるのも申し訳ないですし。私はそろそろお暇しますね」
「……今の苗字さんを一人で帰すのは、少し心配だな」
「あ、あのッ! ならオレに送らせてもらえないでしょうか!」
「え。オドロキくんが……?」
いつもならば絶対に遠慮するだろう。他者と関わるのは苦手だし、私の機械的な態度で傷付けてしまうのは申し訳ないからと理由を作って固辞している場面だ。しかし何故だろう。私もまた、王泥喜さんともう少しだけ言葉を交わしたい気持ちがあった。
「……なら、お言葉に甘えても宜しいでしょうか」
「えッ!?」
「いやいや、何でオドロキくんが一番驚いてるんだい?」
「だ、だって絶対に断られると思ったんで……」
「……オドロキ先輩、もしも名前さんに何かしたら夕神さんが黙ってないですからね」
「希月さん、怖いこと言うなよな!」
心音さんが凄みながら拳を作って言うので、王泥喜さんもタジタジのようだった。しかしその不安は無いだろう。もうすぐ物理的にお別れをするし、夕神くんも仕事に復帰したばかりで忙しいからそこまでの余裕も無いのは明白だ。
「心音さんのことならまだしも、私のことで夕神くんが何かすることは無いと思いますけど」
当然のことを言ったまでなのだが、三人から一斉に唖然としたような視線が向けられて首を傾げた。
「……どうやら苗字さんは本気で言っているみたい、だね?」
「名前さんは天然で謙虚すぎるって分かってましたけど、さすがにこれじゃ夕神さんが可哀想すぎるというか……」
「まさか夕神検事も、オレたちに同情されてるとは思ってもいないだろうなあ」
三者三様の苦笑いに囲まれる。首を傾げた瞬間、頭にズキンと痛みが走った。
更に心音さんから体調を心配されてしまい、そのまますぐ事務所を出ることになる。やはり優しい子だなと目を細めた。私がこの地を離れたところで、やはり何も問題はないだろうと安心する。
「あの、……苗字さん」
事務所から我が家までの道を二人で歩いていると、神妙な声で呼び止められる。
「何でしょう、王泥喜さん」
「その……もし見当違いのことを言っていたら、すぐに忘れてほしいんですが!」
「いえいえ、どのようなお言葉でも有難く頂戴しますよ」
「で、では! 苗字さんは昔、クライン王国に住んでいたことがありませんか……?」
ピタリと過去を言い当てられても、何故だか意外に感じなかった。むしろ納得したし、しっくりきたし、胸の奥にじわりと熱が滲むような心地がした。
「はい、仰る通りです。……それなのに私には、クライン王国で過ごしていた頃の記憶がない状態でして。だからこそ、過去を思い出すために今回の件を決めました」
「やはり、そうでしたか……。実はオレも昔、クライン王国で育った時期があるんです。そこで、とあるヤツから……ナマエ、という日本人の女の子の話を、繰り返し聞かされたことを思い出しまして!」
私の目を真っ直ぐに見て、真摯に語りかけてくる顔から目が離せない。ほんの少し掠れている、純真さを帯びた声を浴びる度に、心臓がひんやりと熱く脈打っていく。
「……王泥喜さん。その方のお名前を、お伺いしても?」
「はい。……ヤツの名前は、ドゥルク」
ぱちんと、頭の奥が弾けていく。欠けたピースが嵌っていくような感覚がする。
「苗字さんのことを、とても心配して……気にかけていた男、です」
名前しか知らないひとなのに、会いに行かなければ、という強烈な焦燥感を覚えた。私は目の前の恩人に対して深々と頭を下げる。
「……ありがとうございます、王泥喜さん」
未だに何も思い出せないままだけれど、明確で大事な目的を届けてくれたかつての同胞に、心からの感謝を捧げた。