鳴かぬ螢と煮え花
あなたを初めて見た時、まるで蛍のようなひとだと感じたことを、今でもよく覚えている。
⽇常の中に転がり落ちてきたわたしたちの出会いは、決して運命的なものでは無かったけれど。それでも確かに、⽬と⽬が合った瞬間に⼼臓の奥に光を⽣んだのだと、そう信じてしまっていた。
「先輩、いらっしゃいますかー?」
⼭⽥家の扉をいつも通りにコンコンと叩けば、いつになく慌てた様⼦の物⾳が家の奥から聞こえた。ドタバタと鳴る⼒強い⾜⾳は、成⼈男性が⾛り回るものだろうと簡単に推測できる。だが先輩の旦那さんである伝蔵さんは優秀な忍らしくもっと静かに動く筈だし、ご⼦息である利吉くんは未だに幼いから候補から除外する。
曲者にしては敵意を感じないし、お客⼈が訳あって留守番でもしているのかもしれない。
ならばせめてお⼟産は置いておこうと、予め⽤意しておいた書き置きと共に、地⾯に荷物を下ろした瞬間だった。
固く閉ざされていた扉が、ゆっくりと恐る恐る開いたかと思えば、緊張した⾯持ちの男性が顔を出してきた。馴染みのお宅から現れた見慣れぬ姿を⾒て、幾度か瞬きを繰り返す。
「苗字名前さん……で、お間違いないでしょうか?」
「はい、仰る通りです。失礼ですが、あなたは?」
「突然申し訳ありません! ええと、わたしは……」
何故か名乗りづらそうに⼝篭る様⼦を⾒て、⾸を傾げる。どうやら⾝体中に怪我をしているようだし、戦乱の世において訳ありの⼈は珍しくない。初対⾯なのに不躾すぎただろうかと反省しつつ、相⼿をなるべく安⼼させるように意識して微笑みを作った。
「もし事情がおありでしたら、無理に何か仰らなくとも構いませんよ」
「あ、いえ! ……まだ少し、慣れていないだけでして。先⽇から⼭⽥家でお世話になっている者で、お伝えできる名はもっておらず」
「そうでしたか……。不躾な言動を取ってしまい、大変申し訳ありません」
「いえいえ、とんでもない! ……その、名前さんがいらしたら家に通すように、と⾔われているんですが。ご都合はいかがでしょうか?」
かなりぎこちない喋り方をされるな、という印象だった。山田家でお世話になっているくらいだから、どこかの忍だろうか、と思考を巡らせてしまった時点で反省する。何でも探りを入れてしまうのはくのいちの職業柄だが、無理やり人の内情を暴くのは宜しくないと、かつて先輩から叱られたこともあったのに。
「私の都合は問題ないのですが。……療養中とお⾒受けしますけれど、ご迷惑じゃありません?」
「とんでもない! ええと……今⽇は山田家の皆さんがピクニックに行っていらして、⼣刻まで⼀⼈で過ごさなければいけないので。話し相手がいてくださるのは有難いんです」
これは予想でしかないけれど……私が来たら何と言えば良いのか、きっと事前に先輩からキツく教え込まれたのだろう。嘘を言っている様子はないが、心からの真実を話しているようにも感じなかったから。
「ではお言葉に甘えさせて頂きます。……ただ、せっかくお話しするなら呼び名があった方が便利ですし、私たちの間でだけ、一時的に決めておくというのはいかがでしょう?」
「呼び名、ですか」
「名無しさん、とお呼びするのも気が引けるもので。……そうですねえ」
お⼟産をそっと持ち上げるように⾒せれば、きょとんとした瞳が返ってくる。
「これにしましょう、半助。今から夕刻の間まで、私はあなたを半助さんとお呼びします」
「半助……ですか?」
「私の好きな食材の名前です。今日も持ってきたんですが」
半助と⾔えば、この辺りの地域では鰻の頭のことを指す。滋養強壮に良く栄養満点で、野菜や⾖腐と共に⽢⾟く煮ると美味しいのだ。くのいちとしての忍務を終えた後、町の屋台で鰻の串焼きを⾷べるのも好きだったし、⾃宅でことこと煮込む半助は⽇々の密やかな楽しみの⼀つだった。
そんなことをゆっくり説明していけば、⽬の前の半助さんは納得したように小さく頷いた。
「なるほど……。お話は伺っていましたが、名前さんは本当にお料理がお好きなんですね」
「あら。先輩、私について何か悪いことを仰ってませんでした?」
「いえ! むしろ、真面目すぎるくらい真面目だと言っておられました」
───だからこそ名前は、少しくらい自由に遊んでも良いのよ、と。
恩人であり私という人間をよく知る先輩の、そんな軽やかな声が聞こえた気がした。褒め言葉でもあり諫言でもあるような、先輩の絶妙な言葉選びに肩をすくめる。確かに、頭でっかちなところはくのいちとしての私の美点であり、一個人としての欠点とも言えるだろう。
「……恐縮です。このままお話しするのも何ですし、お⾔葉に⽢えさせて頂きますね」
「ええ、どうぞ。⼤したおもてなしも出来ませんが」
「あら。むしろ先輩は、私に半助さんのお世話をするように、とお考えのようにお⾒受けしましたが」
「え?」
半助さんが、不思議そうな顔で瞬きを繰り返す。
「事前に先輩から仰せつかっていたんです。滋養強壮に良い物をたくさん持ってきて頂戴、と」
「そう、でしたか……」
「はい。という訳なので、改めて失礼いたしますね」
「えっ」
半助さんの横をするりと通り抜けて、⼭⽥家へとお邪魔する。炊事場でいつものようにお鍋やまな板を準備していると、慌てたような⾜⾳が背後でトコトコと小さく鳴った。
「……あの、名前さん。何かお⼿伝いできることは?」
「そうですね……」
持参した材料を⼀通り並べてから、振り返って半助さんの様⼦を観察する。全⾝のあちこちに包帯が巻かれているし、治りきっていない傷跡もあるようだけれど。ここに来た時にあんな⾜⾳を⽴てられるくらいだったし、多少働いてもらう分は問題なさそうだった。
「では、お⾖腐やお野菜を⼀⼝⼤に切って頂けますか?」
「はい、それは勿論。⼀体何を作られるんですか?」
「ふふ。先程も申し上げたでしょう?」
きょとんとこちらを⾒下ろすのは、こちらより背丈も⼤きく体格の良い男性である筈なのに。その整った顔は、まるで初めて家事を⼿伝う幼⼦のような純粋さに満ちていた。
「一緒に作りましょう? 半助豆腐」
「……は、い」
最初は緊張したように硬い動きを見せていた半助さんだったが、共に料理を作っていく内に、徐々に身体の強張りは解れていったようだった。
お借りした食卓の上に完成したお鍋をのせて、取り皿やお箸を並べていった。自分の作った料理を誰かに食べてもらうというのはいつもながら緊張するが、あまり人から見られながら食べるのも嫌だろうからと、半助さんの方を見ないように気を配る。
「……! 名前さん、美味しいです!」
「ふふ、それは良かったです。半助さんが手伝ってくださったお陰ですね」
「いえ、わたしはただ名前さんの指示通りに動いただけなので」
「あら、とてもお上手に切ってくださったじゃないですか。それに、誰かと共に頂くご飯というだけで、一人の時よりずっと美味しいですから」
「……確かに、仰る通りですね」
半助さんは名を持たないくらいだから、個人的な事情を語るのは避けたいだろうし、私も私であまり自分のことを晒すのは好まない。
そんな状況でこちらが提供できる話題と言えば、忍務の際に遭遇した忍術学園の子ども達のことだ。私自身は何の面白みもない女だが、彼らは大変愛らしくて純粋で、接しているだけで身も心も癒されることが多かった。
突拍子もない行動を取ったかと思えば、時折芯の通った信念を貫く子どもたちの眩しい様子をぽつぽつと伝えていけば、半助さんも僅かばかり顔が柔らかくなっていく。
「……名前さんは、子どもがお好きなんですね」
「えっ」
「えっ。……わたし、何か変なことを言ってしまいましたか?」
「あ、いえ! 少し驚いただけなんです。むしろ、大袈裟な反応をして申し訳ありません」
自分以外の誰かを、意識的に好きか苦手かと判断しようだなんて、全然考えたことがなかったのだ。そんな個人的な事情を伝えても困らせるだけだと分かっていたから、口には出さなかったけれど。
「……私、そんなに分かりやすい顔をしていましたかね」
「分かりやすいと言いますか……。とても優しい顔をされていたので、そうなのかなと」
ぎこちない笑顔を浮かべながら、半助さんがそう伝えてくれた。名乗る名さえ持たない程の深い事情を抱えるにもかかわらず、知り合ったばかりの女の内面を推し量ろうとしてくれたその誠実さに、胸の奥がぐっと緩んでいくような気がした。……だからだろうか。普段は口にしない思考が、つい零れてしまったのは。
「それでも……私には、誰かを好きになる資格なんて無いですから」
「え? 名前さん、それはどういう」
「いえ、ごめんなさい。変なことを言ってしまいました。……忘れてください」
ちょうど良く、ガタンと扉の開く音がした。山田家の皆さんが帰ってきたのだろう。利吉くんが楽しそうに勢いよく飛び込んできて、そんなご子息を温かく見守るように、後ろから伝蔵さんと先輩が入ってくる。
「皆さん、おかえりなさい」
「名前さん来てたんだ! あ、お鍋おいしそう!」
「あら、ありがとう。利吉くんも食べる?」
「うん!」
「利吉、その前に手を洗ってきなさい」
「はあい、父上!」
微笑ましい親子のやり取りを尻目に、先輩が凛とした佇まいでこちらへとやって来る。
「名前、わざわざ来てくれてありがとう。……どうやら、二人とも仲良くなれたみたいね?」
確信を得たような言葉を浴びて、咄嗟に半助さんと目を合わせる。案の定困ったような顔が返ってきたので、こちらもつい苦笑した。
あくまで感覚的な推測でしかないけれど、私も半助さんも「人と仲良くなる」という行為がよく分かっていない立場の人間なのだろう、と思う。
「仲良くなれたかどうか、は分かりませんが。お陰様で楽しい時間は過ごせました。ありがとうございます、先輩」
「ふふ、いいのよ。……名前にこんな顔をさせられる御方だとまでは思っていなかったのだけれど。ねえ名前、これからも是非遊びにいらしてね」
「はい、言われなくともそのつもりでしたが……」
こんな顔とはどんな顔だろうと、つい自らの頬に指を添えながら首を傾げてしまう。すると今度は、先輩と半助さんが目を合わせて困ったような顔をしていた。何故だろう。
「それじゃ私も、名前お手製の半助豆腐を頂きたいわ。準備してくるわね」
「はい、お待ちしています」
「……あの、名前さん」
踵を返した先輩を見送った後、真剣な顔をした半助さんに呼び止められる。決闘でも申し込まれるのだろうかと思う程の気迫だった。
「はい。何でしょうか……?」
「……わたしも、名前さんと過ごす時間は、楽しかったです」
「…………、はい。ありがとうございます?」
「ええと、何か気になることでも……?」
「いえ。かなり真剣なご様子だったので、もっと深刻なことを言われるものだと勘違いをしておりました。ご容赦ください」
「あ、……こちらこそ勘違いさせるような振る舞いをしてしまい、申し訳ありません……」
何故か半助さんは、半ば放心したような顔をしていた。そうして互いに深々と頭を下げ合う私たちのもとへ、手洗いを終えた様子の利吉くんがやって来る。
「名前さんもお兄ちゃんも、何やってるの?」
「私たち、今日が初めましてだから親睦を深めてたの。利吉くんも一緒にお鍋食べる?」
「うん! 食べるー!」
「なら、お皿とお箸を持ってきてくれるかしら?」
「分かった!」
素直に従ってくれた利吉くんの背中を見送っていると、半助さんがじっとこちらを観察するような視線を向けてくることに気付く。疑問を抱きながらその目を見返せば、心底驚愕したような瞳が見開かれて、やがて半助さんは顔を伏せてしまった。
「もしかして、ご気分でも悪いですか?」
「いえ、そういう訳では……! わたしのことはお気になさらず!」
「そうですか……?」
「はい! いやはや本当に美味しいですね、これ!」
不自然に再び食事を再開した半助さんの様子を、少し離れた場所から先輩と伝助さんが眺めていることに気付く。何やら二人とも、いつも以上に愉快そうに笑っているが。
待ちきれない様子の利吉くんが戻ってきたことを皮切りに、山田家も含めた全員で鍋を囲んでいく。
時折半助さんと目が合った時、異様にびくりと肩を震わせるのが不思議だったけれど。その様は警戒心の強い犬のようにも思えて、これからどうすれば慣れてくれるだろうか、と自然と考えるようになっていた。
⽇常の中に転がり落ちてきたわたしたちの出会いは、決して運命的なものでは無かったけれど。それでも確かに、⽬と⽬が合った瞬間に⼼臓の奥に光を⽣んだのだと、そう信じてしまっていた。
「先輩、いらっしゃいますかー?」
⼭⽥家の扉をいつも通りにコンコンと叩けば、いつになく慌てた様⼦の物⾳が家の奥から聞こえた。ドタバタと鳴る⼒強い⾜⾳は、成⼈男性が⾛り回るものだろうと簡単に推測できる。だが先輩の旦那さんである伝蔵さんは優秀な忍らしくもっと静かに動く筈だし、ご⼦息である利吉くんは未だに幼いから候補から除外する。
曲者にしては敵意を感じないし、お客⼈が訳あって留守番でもしているのかもしれない。
ならばせめてお⼟産は置いておこうと、予め⽤意しておいた書き置きと共に、地⾯に荷物を下ろした瞬間だった。
固く閉ざされていた扉が、ゆっくりと恐る恐る開いたかと思えば、緊張した⾯持ちの男性が顔を出してきた。馴染みのお宅から現れた見慣れぬ姿を⾒て、幾度か瞬きを繰り返す。
「苗字名前さん……で、お間違いないでしょうか?」
「はい、仰る通りです。失礼ですが、あなたは?」
「突然申し訳ありません! ええと、わたしは……」
何故か名乗りづらそうに⼝篭る様⼦を⾒て、⾸を傾げる。どうやら⾝体中に怪我をしているようだし、戦乱の世において訳ありの⼈は珍しくない。初対⾯なのに不躾すぎただろうかと反省しつつ、相⼿をなるべく安⼼させるように意識して微笑みを作った。
「もし事情がおありでしたら、無理に何か仰らなくとも構いませんよ」
「あ、いえ! ……まだ少し、慣れていないだけでして。先⽇から⼭⽥家でお世話になっている者で、お伝えできる名はもっておらず」
「そうでしたか……。不躾な言動を取ってしまい、大変申し訳ありません」
「いえいえ、とんでもない! ……その、名前さんがいらしたら家に通すように、と⾔われているんですが。ご都合はいかがでしょうか?」
かなりぎこちない喋り方をされるな、という印象だった。山田家でお世話になっているくらいだから、どこかの忍だろうか、と思考を巡らせてしまった時点で反省する。何でも探りを入れてしまうのはくのいちの職業柄だが、無理やり人の内情を暴くのは宜しくないと、かつて先輩から叱られたこともあったのに。
「私の都合は問題ないのですが。……療養中とお⾒受けしますけれど、ご迷惑じゃありません?」
「とんでもない! ええと……今⽇は山田家の皆さんがピクニックに行っていらして、⼣刻まで⼀⼈で過ごさなければいけないので。話し相手がいてくださるのは有難いんです」
これは予想でしかないけれど……私が来たら何と言えば良いのか、きっと事前に先輩からキツく教え込まれたのだろう。嘘を言っている様子はないが、心からの真実を話しているようにも感じなかったから。
「ではお言葉に甘えさせて頂きます。……ただ、せっかくお話しするなら呼び名があった方が便利ですし、私たちの間でだけ、一時的に決めておくというのはいかがでしょう?」
「呼び名、ですか」
「名無しさん、とお呼びするのも気が引けるもので。……そうですねえ」
お⼟産をそっと持ち上げるように⾒せれば、きょとんとした瞳が返ってくる。
「これにしましょう、半助。今から夕刻の間まで、私はあなたを半助さんとお呼びします」
「半助……ですか?」
「私の好きな食材の名前です。今日も持ってきたんですが」
半助と⾔えば、この辺りの地域では鰻の頭のことを指す。滋養強壮に良く栄養満点で、野菜や⾖腐と共に⽢⾟く煮ると美味しいのだ。くのいちとしての忍務を終えた後、町の屋台で鰻の串焼きを⾷べるのも好きだったし、⾃宅でことこと煮込む半助は⽇々の密やかな楽しみの⼀つだった。
そんなことをゆっくり説明していけば、⽬の前の半助さんは納得したように小さく頷いた。
「なるほど……。お話は伺っていましたが、名前さんは本当にお料理がお好きなんですね」
「あら。先輩、私について何か悪いことを仰ってませんでした?」
「いえ! むしろ、真面目すぎるくらい真面目だと言っておられました」
───だからこそ名前は、少しくらい自由に遊んでも良いのよ、と。
恩人であり私という人間をよく知る先輩の、そんな軽やかな声が聞こえた気がした。褒め言葉でもあり諫言でもあるような、先輩の絶妙な言葉選びに肩をすくめる。確かに、頭でっかちなところはくのいちとしての私の美点であり、一個人としての欠点とも言えるだろう。
「……恐縮です。このままお話しするのも何ですし、お⾔葉に⽢えさせて頂きますね」
「ええ、どうぞ。⼤したおもてなしも出来ませんが」
「あら。むしろ先輩は、私に半助さんのお世話をするように、とお考えのようにお⾒受けしましたが」
「え?」
半助さんが、不思議そうな顔で瞬きを繰り返す。
「事前に先輩から仰せつかっていたんです。滋養強壮に良い物をたくさん持ってきて頂戴、と」
「そう、でしたか……」
「はい。という訳なので、改めて失礼いたしますね」
「えっ」
半助さんの横をするりと通り抜けて、⼭⽥家へとお邪魔する。炊事場でいつものようにお鍋やまな板を準備していると、慌てたような⾜⾳が背後でトコトコと小さく鳴った。
「……あの、名前さん。何かお⼿伝いできることは?」
「そうですね……」
持参した材料を⼀通り並べてから、振り返って半助さんの様⼦を観察する。全⾝のあちこちに包帯が巻かれているし、治りきっていない傷跡もあるようだけれど。ここに来た時にあんな⾜⾳を⽴てられるくらいだったし、多少働いてもらう分は問題なさそうだった。
「では、お⾖腐やお野菜を⼀⼝⼤に切って頂けますか?」
「はい、それは勿論。⼀体何を作られるんですか?」
「ふふ。先程も申し上げたでしょう?」
きょとんとこちらを⾒下ろすのは、こちらより背丈も⼤きく体格の良い男性である筈なのに。その整った顔は、まるで初めて家事を⼿伝う幼⼦のような純粋さに満ちていた。
「一緒に作りましょう? 半助豆腐」
「……は、い」
最初は緊張したように硬い動きを見せていた半助さんだったが、共に料理を作っていく内に、徐々に身体の強張りは解れていったようだった。
お借りした食卓の上に完成したお鍋をのせて、取り皿やお箸を並べていった。自分の作った料理を誰かに食べてもらうというのはいつもながら緊張するが、あまり人から見られながら食べるのも嫌だろうからと、半助さんの方を見ないように気を配る。
「……! 名前さん、美味しいです!」
「ふふ、それは良かったです。半助さんが手伝ってくださったお陰ですね」
「いえ、わたしはただ名前さんの指示通りに動いただけなので」
「あら、とてもお上手に切ってくださったじゃないですか。それに、誰かと共に頂くご飯というだけで、一人の時よりずっと美味しいですから」
「……確かに、仰る通りですね」
半助さんは名を持たないくらいだから、個人的な事情を語るのは避けたいだろうし、私も私であまり自分のことを晒すのは好まない。
そんな状況でこちらが提供できる話題と言えば、忍務の際に遭遇した忍術学園の子ども達のことだ。私自身は何の面白みもない女だが、彼らは大変愛らしくて純粋で、接しているだけで身も心も癒されることが多かった。
突拍子もない行動を取ったかと思えば、時折芯の通った信念を貫く子どもたちの眩しい様子をぽつぽつと伝えていけば、半助さんも僅かばかり顔が柔らかくなっていく。
「……名前さんは、子どもがお好きなんですね」
「えっ」
「えっ。……わたし、何か変なことを言ってしまいましたか?」
「あ、いえ! 少し驚いただけなんです。むしろ、大袈裟な反応をして申し訳ありません」
自分以外の誰かを、意識的に好きか苦手かと判断しようだなんて、全然考えたことがなかったのだ。そんな個人的な事情を伝えても困らせるだけだと分かっていたから、口には出さなかったけれど。
「……私、そんなに分かりやすい顔をしていましたかね」
「分かりやすいと言いますか……。とても優しい顔をされていたので、そうなのかなと」
ぎこちない笑顔を浮かべながら、半助さんがそう伝えてくれた。名乗る名さえ持たない程の深い事情を抱えるにもかかわらず、知り合ったばかりの女の内面を推し量ろうとしてくれたその誠実さに、胸の奥がぐっと緩んでいくような気がした。……だからだろうか。普段は口にしない思考が、つい零れてしまったのは。
「それでも……私には、誰かを好きになる資格なんて無いですから」
「え? 名前さん、それはどういう」
「いえ、ごめんなさい。変なことを言ってしまいました。……忘れてください」
ちょうど良く、ガタンと扉の開く音がした。山田家の皆さんが帰ってきたのだろう。利吉くんが楽しそうに勢いよく飛び込んできて、そんなご子息を温かく見守るように、後ろから伝蔵さんと先輩が入ってくる。
「皆さん、おかえりなさい」
「名前さん来てたんだ! あ、お鍋おいしそう!」
「あら、ありがとう。利吉くんも食べる?」
「うん!」
「利吉、その前に手を洗ってきなさい」
「はあい、父上!」
微笑ましい親子のやり取りを尻目に、先輩が凛とした佇まいでこちらへとやって来る。
「名前、わざわざ来てくれてありがとう。……どうやら、二人とも仲良くなれたみたいね?」
確信を得たような言葉を浴びて、咄嗟に半助さんと目を合わせる。案の定困ったような顔が返ってきたので、こちらもつい苦笑した。
あくまで感覚的な推測でしかないけれど、私も半助さんも「人と仲良くなる」という行為がよく分かっていない立場の人間なのだろう、と思う。
「仲良くなれたかどうか、は分かりませんが。お陰様で楽しい時間は過ごせました。ありがとうございます、先輩」
「ふふ、いいのよ。……名前にこんな顔をさせられる御方だとまでは思っていなかったのだけれど。ねえ名前、これからも是非遊びにいらしてね」
「はい、言われなくともそのつもりでしたが……」
こんな顔とはどんな顔だろうと、つい自らの頬に指を添えながら首を傾げてしまう。すると今度は、先輩と半助さんが目を合わせて困ったような顔をしていた。何故だろう。
「それじゃ私も、名前お手製の半助豆腐を頂きたいわ。準備してくるわね」
「はい、お待ちしています」
「……あの、名前さん」
踵を返した先輩を見送った後、真剣な顔をした半助さんに呼び止められる。決闘でも申し込まれるのだろうかと思う程の気迫だった。
「はい。何でしょうか……?」
「……わたしも、名前さんと過ごす時間は、楽しかったです」
「…………、はい。ありがとうございます?」
「ええと、何か気になることでも……?」
「いえ。かなり真剣なご様子だったので、もっと深刻なことを言われるものだと勘違いをしておりました。ご容赦ください」
「あ、……こちらこそ勘違いさせるような振る舞いをしてしまい、申し訳ありません……」
何故か半助さんは、半ば放心したような顔をしていた。そうして互いに深々と頭を下げ合う私たちのもとへ、手洗いを終えた様子の利吉くんがやって来る。
「名前さんもお兄ちゃんも、何やってるの?」
「私たち、今日が初めましてだから親睦を深めてたの。利吉くんも一緒にお鍋食べる?」
「うん! 食べるー!」
「なら、お皿とお箸を持ってきてくれるかしら?」
「分かった!」
素直に従ってくれた利吉くんの背中を見送っていると、半助さんがじっとこちらを観察するような視線を向けてくることに気付く。疑問を抱きながらその目を見返せば、心底驚愕したような瞳が見開かれて、やがて半助さんは顔を伏せてしまった。
「もしかして、ご気分でも悪いですか?」
「いえ、そういう訳では……! わたしのことはお気になさらず!」
「そうですか……?」
「はい! いやはや本当に美味しいですね、これ!」
不自然に再び食事を再開した半助さんの様子を、少し離れた場所から先輩と伝助さんが眺めていることに気付く。何やら二人とも、いつも以上に愉快そうに笑っているが。
待ちきれない様子の利吉くんが戻ってきたことを皮切りに、山田家も含めた全員で鍋を囲んでいく。
時折半助さんと目が合った時、異様にびくりと肩を震わせるのが不思議だったけれど。その様は警戒心の強い犬のようにも思えて、これからどうすれば慣れてくれるだろうか、と自然と考えるようになっていた。