※劇場版のエピソードを前提にしたお話です



いってらっしゃい。おかえりなさい。ただいま。いってきます。
そんなありふれたようで儚い言葉が、戦国の世においては一等特別であることを、忍術学園の最上級生は誰もが知っていることだろう。

昨日共にご飯を食べた級友が忍務で命を落とすことも、家の事情によって急に学園を辞めていくことも、この情勢では決して珍しいことではない。現に私は脱落していった友人たちを見送り続けた結果、くのたまの中で唯一の六年生となったのだから。
お陰様で、忍たま達にも気軽に接することの出来る先輩として、確固たる地位を確立している訳だけれど。

さて、と早朝の薄闇の中で目を凝らした。学園の門を出てすぐの塀に身を預けながら───出門表はきちんと小松田さんに提出済だ───半月程前からソワソワとしていた、忍たまの級友たちを想起する。
土井先生が行方不明になった、という事情はシナ先生から伺っていた。学園長先生が六年生全員に土井先生捜索の忍務を依頼したから、上級生が不在になることが増えるだろうから、と。とはいえ、忍たまの下級生たちを気にかけなければ、と勝手に考え出したのは私自身なのだけれど。
そんな訳で、後輩たちの様子を観察する意図で各委員会に顔を出し、授業が終わった後もさりげなくちょっかいをかけていた。特に大きな問題もなく時間は過ぎていき、しかし同時に文次郎たちは何の収穫も得られないままだった。

そんな状態が続いた中での、昨日の朝。日々顔を暗くしながら帰ってきていた級友たちが、いつになく嬉々とした様子だったのがやけに気になった。詳しくは聞かなかったが、土井先生の行方に関する手がかりが何かしら見つかったのだろう。
忍のたまごなのだから、分かりやすく感情を顔に出すのはやめなさい……等と、偉そうに言うことは無かった。土井先生と級友たちの繋がりの深さを私は知っていたし、この五年間で個人的にもお世話になった立場として、喜ばしい知らせが手に入りそうな状況を歓迎しない訳もない。

しかし。それ以来私は、何故だか嫌な予感で胸が騒めいていた。単なる予感でしかなかったから、決して彼らの前で口にすることは無かったけれど。これでもシナ先生から勘がいいと褒められるくらいには、私の予想は当たることが多かったのである。
成果を達成する直前というのは、気が抜けて失敗をすることも多い。特に文次郎と留三郎が揃っているとあらばいくらでも喧嘩の火種は暴発するだろうし、不測の事態だって発生するだろう。六人が険しい顔をして帰還することも予測していた。

そして、学園の門の前で私の意識を覚醒させたのは───紛れもない血の匂いだった。すっかり嗅ぎなれたそれと共に、聞き慣れた足音が複数耳に入る。……きちんと六人分あることに安堵しつつ、こちらも敢えて足音を立てながら門の前に立ち、彼らがやって来る方向へと歩き出した。

「……、名前!」

先頭を走る文次郎を筆頭に、すぐに彼らがこちらの存在に気付く。案の定、全員がそれなりの怪我を負い暗い顔をしていた。長次がきり丸を抱えていることに内心驚きながらも、すっかり標準装備となった澄ました顔を取り繕い、ハッキリと大きく口を開いた。

「みんな、おかえりなさい」

ぐっと、全員が息を飲む気配が伝わってくる。その表情は敢えて詳しく観察しなかった。
再び彼らにこの言葉を伝えられた事実に感謝しながら、そっと静かに学園の門を開ける。

「全員の入門表は、代わりに私が書いておくから。先に入って」

こくりと皆が頷く。しかし、珍しくしおらしい顔をした文次郎が、目の前にやって来ては顔を背けた。

「……悪い、名前」
「私、謝罪を望んでいる訳ではないのだけれど」

傷に障らないように、背中をそっと指先で叩く。
詳しく言わずとも、その言葉に色々な意味が載っているのは分かっていた。忍務でもないのに早起きさせて悪いとか、期待させておいてこのザマで悪いとか、俺の代わりに色々やってくれて悪いとか、本来は自分が全てやらなければならないのに気遣わせて悪い、とか。
けれど、こちらはやりたいことを勝手に、やりたくてやっているのだから。私のことなど気にしなくても構わないのだ。

私の意図を察したらしい文次郎が、ようやくこちらを真っ直ぐに見つめる。左目が潰れかけているのに眼光が鋭く、いつになく気が逸っているようだった。文次郎に限らず、級友たちの顔には見たことも無い程の焦燥の色が滲んでいる。学園一冷静な男と称される、あの仙蔵にさえも。

だからこそ私は、いつも通りの声で、いつもと同じ顔で、全員に向かって口を開いた。

「学園長先生の部屋まで行くんでしょう? いってらっしゃい、気を付けて。ご飯も温めて保健室まで持っていくから、落ち着いたら来て頂戴」

ハッと驚いたような瞳と、いくつかの笑顔が私を見つめる。いの一番に平静を取り戻した様子の伊作が、こちらに一歩を踏み出した上でようやく笑った。

「本当にありがとう、名前。いってくるね」
「ええ、いってらっしゃい」
「もそ」
「……分かったわ。今日の図書委員会の活動は延期って、皆に伝えておくわね」

長次が抱えたきり丸が、いつになく無口で気落ちした様子だったけれど、状況を知らない中で声をかけるのは悪手だろうと判断する。三人が門を潜るのをそのまま見送った。

次に声をかけてきたのは、足取りも笑顔もしっかりした様子の小平太と留三郎だ。

「名前、私は味噌汁と握り飯がいい!」
「それならお漬物も添えるわね」
「俺は……そうだな。熱い茶を頼む」
「熱すぎると火傷するでしょう。程々にしておくわ」

二人ともいつもより元気がなかったけれど、付き合いが長いからこそ分かる程の微々たるものだった。小平太や留三郎が弱さを見せられるのは私の前ではないだろうから、友としての日常的な会話を交わしながら、軽く背中を叩きながら見送った。

最後に残ったのは、努めて冷静でいようと必死に顔を強張らせた様子の、仙蔵と文次郎だ。
い組はいつだって、忍務における戦略の要を担っている。静と動、知恵と力。それぞれの得意分野を遺憾無く発揮し先陣を切ることで、今まで生存者の命を救い続けてきた。だからこそ、忍務に失敗した時に感じる責任が人一倍重たいのだということも、私は傍で見ていたからよく知っている。

二人は暗く俯きながらも、次の瞬間にはこちらを真っ直ぐに見つめた。彼らが口を開くよりも前に、私は自らの唇を力強く押し開く。

「六年い組、火薬委員会委員長立花仙蔵」
「……ああ」
「同じく六年い組、会計委員会委員長潮江文次郎」
「……おう」
「全員が万全の状態で再び出立できるように、私も全力で手伝うわ。だから……今は一旦、お疲れ様」

暗い中でも分かる程の深い怪我を負っていても、きっと六人は再び戦地へ向かうのだろう。全員の目に未だ闘志の炎が宿っていると分かったからこそ、私は単に手助けするくらいしか出来ない。
今回彼らが全力を尽くし、彼らなりに最善の結果を得ようとしたことだけは、詳細を知らずとも理解できたから。今の私に手向けられるのは、こんな些細な労りの言葉だけだった。

「……名前」
「なあに? 仙蔵」

僅かに肩を震わせた仙蔵が、私の右肩を優しくさする。

「感謝する。また後で」
「ええ、いってらっしゃい」

サラリと靡いた艶やかな髪が遠ざかっていった。残るはあと一人。

「文次郎」
「……名前、一瞬だけ肩を貸せ」
「仕方ないわね。どうぞ」

間髪入れず、私の左肩に文次郎が額を寄せる。珍しく、壊れ物に触れるような繊細な色が滲んでいた。それだけ心労が伸し掛っているのだろう。
瞬き程の短い間。薄闇に浸るその大きくて厚い背中を、私は精一杯の柔らかさを載せながら、そっと撫ぜた。

ゆっくりと顔を上げた文次郎の顔からは、もう既に暗い色が消え去っている。

「助かった。……飯、期待してる」
「ええ、任せて」
「では行ってくる」
「いってらっしゃい」

その後、文次郎が振り返ることは無かった。級友たちときり丸の気配が、真っ直ぐ学園長先生のもとへ向かっていくのを認めて安心する。
そして今度は、物凄い速さで門へ走ってくる小松田さんの気配を感じ、肩をすくめることしか出来なかった。

「……一旦全て、文次郎のせいということにしましょう」

本人に聞かれたら怒鳴られそうだが、くのいちのたまごは掌返しなど朝飯前である。元々、しおらしいだけの女でいるつもりは無かった。

また明日、彼らに「いってらっしゃい」と言えるように。今やるべきことに全力を尽くすのは当然だろう。