喧騒に満ちた朝の食堂で、目の前の後輩が心底気まずそうな顔をしていた。だからこそ私は全力で笑って、努めて明るい声を出す。

「ツッキー、おはよ!」
「……おはようございます、苗字さん」

既に食事を渡し終えていた烏野や音駒の面々が、ギョッとしたようにこちらを見る気配がした。事情を知る黒尾と夜久がコソコソと喋っている声も聞こえたから、取り急ぎの説明は一旦任せることにする。
それよりも、と目の前のツッキーを観察する。眼鏡の奥の瞳は僅かばかり充血しているようだし、目の下にも薄らとクマらしきものが見えた。あまり眠れなかったのかなと心配になるものの、昨日の今日で更に踏み込むのは良くないだろう。

「今日も暑いから、あまり無理しないでね」
「……どうも」

食事が載ったお盆を受け取り、ぺこりと頭を下げた背中を見送る。すぐに西谷くんや田中くんに絡まれ始めた姿は微笑ましくて、確かに月島くんは可愛がりたくなるタイプの後輩だなあと小さく笑った。音駒うちにはあそこまでクールな子がいないのでかなり新鮮である。

「名前ちゃん!  後⽚付けはあたし達がやっとくよー」
「そうそう! 任せてー」

そう言って、かおりちゃんと英里ちゃんが明るい声で厨房に来てくれた。

「二人とも、ありがと!」
「んーん、適材適所ってヤツ。実はさっき父兄さんから、スイカの差し入れがしたいって連絡があったんだ。このあとすぐ駐車場に来るらしいから、名前ちゃんは雪絵と一緒にそっちを任せたくて」
「お! 了解。なら早速いってくるね」
「ありがとー!」

エプロンなどのキッチン専用装備を外し、丁寧に畳んで隅に置いておく。厨房から出ると音駒や烏野の面々がちょうど食事を終えたばかりのようだった。綺麗に手を合わせていた夜久と、真っ先にバチっと目が合う。

「苗字、今朝も美味かったわ! ありがとな」
「こちらこそ! 皆が頑張ってる姿を見ると、私もやる気が出るからね」

自然と皆が食べてくれたお皿に目がいってしまうけれど、全部真っ白で何も残っていなかった。やはりこの光景は何度見ても嬉しくて眩しくて、次はもっと頑張ろうという意欲が湧いてくる。
その場にいる全員から「アザーッス!」と大きな声で御礼を言われて笑っていると、我らが主将がヌッと近づいてきた。

「苗字、これから仕事?」
「うん、ちょっと外に出てくるね。もし練習に間に合わなかったら、誰かに伝言託しておくから」
「了解。朝だからって油断しちゃダメだかんね。水分補給と日差し対策」
「はーい、分かりましたよお父さん」

からからとじゃれるように笑い合っていると、気付いたら海も傍に来ていた。

「とか言って、苗字は自分を蔑ろにすることも多いからな。はい帽子」

ぽんと優しく頭に被せられたのは、鍔の広い赤いキャップだった。見覚えのあるそれに目を丸くする。以前、海のお姉さんと一緒にお揃いで買ったものの、迷った末───夏場は汗で汚れてしまうし、合宿所ではこまめに洗濯も出来ないので───今回は持ってこなかったのだが。

「え! これ、もしかして葵さんが?」
「そう。姉さんが苗字にって持たせてくれたやつ。ちょうど後で渡そうと思ってたんだ」
「でも絶対汗で汚れちゃうし、申し訳ないんだけど……」
「ああ、その点も心配しないで大丈夫。『私は試合の応援に行けないことが多いから、せめて練習の時は名前ちゃんを少しだけ応援させてほしい』って託されたんだ」
「な、なんてお優しい……! 嬉しすぎる!」

海家はお姉さんも弟くんも海自身もあまりに人格者すぎて、いつも平伏してしまう。マネ弁週間で海に毎日作っている時は、毎度恐れ多い程のお菓子やメッセージやハンドクリーム等のケア用品まで頂いてしまうから恐縮しきりなのだ。
その御礼として葵さんと買い物に行った時、確かにこの帽子を「勿体無くて着けられる気がしない」と口にした覚えがあるのだが、それが本気だったとバッチリ見透かされていたのだろう。気恥ずかしいけれど、同時に嬉しくもあった。こんなにも自分を気にしてくれる人がいるという事実は、どこまでも私を奮い立たせてくれるから。

「それじゃ苗字、いってらっしゃい」
「うん、いってきます! まだ時間はあるし、皆おかわりもしていいからねー」
「おう」
「はーい」
「うん」
「……あのね。夜久も黒尾も海も、わざわざ傍で見送らなくていいから」

食堂から出ようとすれば、三人とも私の背後にぴったりとくっついてくる。それはもう親についてくる雛鳥のごとく。当然とんでもなく可愛いのだが、今は私より自分たちのために時間を使ってほしかった。一番前にいた夜久が当然のように口を開く。

「苗字の傍にいてえんだから仕方ねえだろ」
「はいはい、やっくんはここでオトーサンが抑えてくるから苗字いってらっしゃい」
「は!? 何だよそれ」
「苗字。二人の面倒は俺が見ておくから」

迫り上がる熱を発散させてくれた二人に感謝しつつ、私は全員に手を振りながらその場を後にする。夜久の言葉には嘘も打算もないと本能的に分かってしまうからこそ、毎度新鮮な気持ちで照れてしまうのだ。……一年生の頃は、もっと普通の距離感だった気がするんだけどな。

気を取り直して昇降口の方へと向かえば、室内なのに生温い空気が全身を撫ぜる感覚がしてつい目を細めた。確かに今日は、いくら森の中とはいえ熱中症対策がいつも以上に大変そうだ。気を引き締めたところで、ちょうど靴を履き替えていた雪絵ちゃんに遭遇する。

「名前ちゃーん!」
「雪絵ちゃん、待たせてごめんね」
「全然! 私もちょうど今来たところだよー。ところで是非とも名前ちゃんの考えを聞きたかったんだけど!」
「ん?」

外履きに履き替えてキャップを大事に被り直した後、やたらと瞳をキラキラさせた雪絵ちゃんに両手を握られる。この子がこの顔をする時はだいたい話題が決まっているから、自然と頬が緩んだ。

「スイカ! 差し入れした後、晩ご飯で何か作る!?」
「んー、今日は暑いからさっぱりしたメニューに変更してもいいよね。どれくらいの量を頂けるかにもよるけど」
「すごくたくさんあるんだって!」
「ほんと? 有難いねー」
「ね! なので私は名前ちゃんと一緒にカット係に立候補しちゃいましたー」
「あはは、雪絵ちゃんからのご指名とは光栄です」

二人して駐車場に向かいながら、今晩の献立を一緒に考えていく。雪絵ちゃんはルンルンと浮足立った様子で笑っていた。かわいい。

「果肉が余ったらデザートにしたいなーって思ってたんだよねえ」
「確かに、シャーベットにするのも良いよね。私はスイカの皮で何か作れないかなって考えてて」
「わー! さっすが名前ちゃん! あんまり生ゴミ増やすと大変だもんねえ。お漬物にしちゃうとか?」
「そうそう。その上で栄養バランス的にも良い献立っていうと、ちらし寿司とかどうかな?」
「えっ!? あまりにも最高だよありがとう名前ちゃん結婚しよ」
「あはは。なら決まりだねー」
「もっちろんお手伝いは任せて!!」
「ふふ、ありがと」

大層やる気になった雪絵ちゃんと共に、差し入れを持ってきてくださったOBさんを迎え入れる。大きな段ボールをいくつも抱えた新木さんはちょうど直井コーチほどの年齢に見えて、小麦色の肌が眩しい優しい青年だった。真っ白なタオルを首から下げつつ、森然の近くで農家をしているのだと誇らしげに語ってくれる。
自分の仕事にプライドや愛を持っている大人の方は、監督やコーチも含めてやはり尊敬するばかりだなあとキラキラした気持ちが湧きあがった。

「もしお時間があれば、見学していかれますか?」
「あ、いいのかい? 荒川にも久しぶりに会いたいと思ってたんだ」
「ぜひ!」

森然の荒川コーチの名前が挙がるということは、やはり年代的に直井コーチや烏養さんともお知り合いなのかもしれない。後程ご案内しよう。

食堂に到着すると、既に選手もマネージャーも体育館へ向かったらしく静かだった。まだ練習開始までには時間があるが、全員やる気があるようで何よりである。各々が厨房まで段ボールを運び入れると、改めてかなりの量だったので感謝が募った。これならお夕飯の材料として充分すぎるくらいだ。

「そういえば苗字さんって、もしかして部活のブログも書いてたりする?」

段ボールを開けて立派なスイカに感動したところで話しかけられて、つい飛び上がる。今までブログに関して声をかけられたのは音駒関係者だけだったから、もしかしたら他校のOBさんにまで見てもらったかもしれない可能性にソワソワしてしまう。

「は、はい!」
「やっぱりそうかあ。今年はいつ差し入れを持っていこうか考えてた時に、偶然見つけてね。後輩たちも一生懸命頑張っているんだなあって思ったら、予定よりも早く持ってきたくなっちゃって」
「それでご連絡くださったんですね……! ありがとうございます!」
「いやいや。この歳にもなると若者たちの青春が眩しいんだよなあ。こちらこそ素敵なお裾分けをありがとう」
「それこそ森然のコンビネーションプレイなんて、昔から素敵で惚れ惚れしてますから! 音駒うちも現在進行形で刺激を頂いてますし」
「音駒の守備に攻撃まで加わったら末恐ろしいなあ。確か、梟谷も大エースが活躍中なんだよね?」
「はい! 実力は確かでも、中身は末っ子なんですけどねー」

雪絵ちゃんがパッと華やいだ顔で、年相応にニコニコと無邪気に笑っている。言葉だけ聞くと木兎に対して呆れているようにも感じるが、そうでないことは声色や表情からしっかりと読み取れた。
手のかかる同級生はさぞや可愛いことだろう。他校生の私でさえ友人としてそう思うのだから、チームメイトとしてマネージャーとして支える立場からすれば、どのように感じるかは想像に難くない。

「雪絵ちゃん! 私はスイカ冷やしつつご飯の準備しとくから、新木さんの案内を頼んでもいいかな? 黒尾と芝山に、私が遅れそうって伝言も頼みたくて」
「おっけー!」
「新木さんもぜひ楽しんでいってください!」
「苗字さん、色々とご丁寧にありがとうね」
「こちらこそ、差し入れありがとうございました!」

二人の背中を見送った後、厨房の中で大きめのお鍋や桶をありったけ取り出していく。冷やすだけなら冷蔵庫を活用しても良いのだが、必要以上に冷やしすぎて甘さを落とすことは出来るだけ避けたかった。清潔なタオルをたっぷりと用意してから、鍋に入れたスイカに被せる。あとは全てに水を張っていけば、やがて気化熱で甘味が引き立つ適温になる筈だった。

今晩の献立を変えるならば、本来使う予定だったお野菜やお肉が余るだろう。最終日のバーベキュー用に冷凍しておいた方が良いかもしれない。脳内で諸々の量を計算しつつ、ラップとフリーザーバッグを使用して冷凍室に詰めていく。
監督陣が美味しいお肉を用意してくれているのでそれだけでも充分だとは思うのだが、せっかくなら選手にもマネージャーにも更に喜んでもらいたい。個人的にも許可をもらった上で色々と準備しているから楽しみだ。
ワクワクしながら手を動かして、昼食の仕込みもバッチリと終えた。スイカは午後の休憩時間に出すとして、現状出来ることは全て完了した筈だった。

厨房での後片付けも終えてから、我ながら浮足立ったまま体育館へと駆けだしていく。裏方の仕事だって勿論楽しいしやりがいはあるけど、やっぱり皆がバレーする姿を見るのが一番大好きで幸せな時間だったから。
なるべく音を立てないようにそっと扉を開けると、ちょうど芝山と目が合った。タオルやドリンクの準備中だったようで、さすが一番率先して手伝ってくれるだけあって手際が良いなと笑う。

「苗字さん! お疲れ様です!」
「うん、芝山お疲れ。遅れちゃってごめんね」
「いえ! 白福さんから事情は伺っていたので!」

コート内を見れば、我らが音駒と森然が対峙していた。別のコートでは梟谷と烏野が戦っているようで、向かい側にいた雪絵ちゃんが手を振ってくれる。大きく振り返した後、私は芝山から諸々の備品を預かった。

「芝山、あとは私が引き継ぐね。しっかり試合見ておいで」
「ありがとうございます……!」

そわそわと嬉しそうな背中を見送りつつ、守備のコンビネーションプレイ音駒攻撃のコンビネーションプレイ森然がぶつかり合う様を見守る。さすが、どちらも練度の高い安定したチームだと感動していると、体育館の隅で嬉しそうに目を細める新木さんとも目が合った。お互いに深々とお辞儀をする。その後、すぐさま荒川コーチと楽しそうに喋っている様が微笑ましかった。

私も仕事を再開しつつコートに目を向ける。と、やけに緊張した面持ちの灰羽が、ボールを持ってエンドライン付近に立っていた。ローテーション的に次にサーブを打つと思うのだが、それにしても顔も動きもぎこちない。黒尾も海も夜久もそんな後輩の緊張を解すべくわちゃわちゃと声をかけている様子だが、やはりブリキの人形のような動きを繰り返している。

灰羽は自他ともに認める自信家だ。実際にとても器用で勘も良く、バレー経験の浅さを補える程の体格の良さとセンスもある。けれど、そのセンスさえも努力によって飛び越える猛者たちがいるのもまた、この梟谷グループという強豪たちが集う場だ。
特に灰羽はバレーも始めたてで、他校のライバルと競うのも初体験。昨日もかなりの確率でサーブもレシーブも失敗していたし、多少のプレッシャーがかかっているのかも。あとは単純に慣れない環境に対する緊張があるのかもしれない。まだ二日目だし、疲れていそうな印象はあまり受けなかったけど。

なんて分析していると、孤爪がチラッと私の方を見た。「どうにかして」とでも言いたげな顔は、山本や灰羽を相手にするのが面倒になった時によく見せてくれる顔だった。念のため右手の人差し指で自分を指せば、我らが脳はこくりと当然のように頷く。

───苗字さんは、パッシブスキルを持ったエンチャンターって感じだよね。
───リエーフにバフかけすぎると時々面倒なことになるから、用法用量は守ってね。

つまりは、練習試合が始まったばかりの今こそパッシブスキルを発揮せよ、とのお達しか。ならば少しでも期待に応えねばと、応えるように頷いてから声を張り上げる。

「灰羽!」

音駒と森然だけでなく、他校の面々の視線も一斉に突き刺さるのを感じた。あ、大きな声を出しすぎたかもしれない。もし迷惑をかけていたら、後で黒尾と相談して皆に謝っておこうと決意する。

「……ッ! え、苗字さん!?」

同級生たちでさえも解けなかった緊張ならば、私が下手に励ましたところで結果は同じだ。ならばここは、純粋無垢な男子高校生を刺激し奮い立たせるような含蓄の深い名言を引用し、「なんか分かんねえけどカッケー!」という気持ちを引き出せれば及第点だろう。灰羽の注目を集めるべく、先程自分に向けて立てた人差し指で天を指した。

「うん、苗字さんから一言アドバイス! 中国で思想書を書いた洪自誠こうじせい曰く、『人生の苦楽は表裏一体と知れば苦はなくなる』らしいんだけどね」
「え? こうじ……? くらく……?」
「つまり、バレーを楽しむ気持ちは、苦しいって思いの先にあるってこと。数え切れない程の失敗の先に、真の楽しさがあるってこと。灰羽、この意味わかる?」
「え、と。分からないかも……?」

要は、真の楽しいという気持ちは苦境の中で見つけるものだ、という意味なのだが、私が伝えたいことを表すのに最も相応しい気がしていた。

「なら、言い換えるとね。今たくさんの失敗を積み重ねてる灰羽は、超カッコいいってこと」
「え! ま、マジッスか!」
「うん、大マジ。超本気」
「うおー、やったあ! 苗字さん、俺頑張るんで見ててください!」
「勿論。特等席でちゃんと見てるから、がんばって」
「はい!」

やる気を出してくれたようで何よりと安堵していると、何やらジトリとした視線を感じる。コートの後方にいる夜久から、肌に突き刺さるような視線を浴びていた。

「苗字、甘やかしすぎ」
「私は思ったことを言ってるだけです。それに夜久が厳しく指導してくれるからこそ、私も安心して甘やかせる訳だし」
「ならこっちも期待に応えてやるから、この後ちゃんと俺のことも甘やかせよ?」

夜久は軽やかに爆弾を落としてから、すぐに真剣な顔で灰羽のサーブに備えていた。
自分の顔色を隠すようにキャップを被り直しても、黒尾や海の生暖かい視線はバッチリと感じてしまい、更に気恥ずかしさが込み上げる。
私の方が余程甘やかされているなあと笑いつつ、今日もまた、世界で一番カッコいい男の子たちを応援することに徹した。