01
「初めまして。この度、神楽様の護衛を仰せつかった苗字と申します。よろしくお願い致します」
「……は?」
某日の朝八時。神楽家の屋敷で対面した二人の男女は、対象的な姿で向き合っていた。 片や唖然としたように目を丸くする青年。片や無表情のまま微動だにしない女性。前者は白ブラウスにマスタード色のパンツというラフな格好をしており、全身を真っ黒なスーツで固めた後者との違いは歴然である。
「……護衛の件は事前に聞いてたけど、まさか女の子が来るとは思わなかった」
神楽の口から拒絶の言葉が飛び出さなかったことを認めると、苗字は小さく頷いた。
「依頼を承った際に、女の方が何かと都合が良いとお伺いしまして」
世界的なファッションデザイナー。財界や警察にもコネを持つ情報屋。国内で多角的に事業展開を行っている神楽グループの御曹司。そんな三つの顔を持つ神楽のもとに襲撃予告が届いたのは、つい先日のことだ。
───現在得ている地位も財産も全て捨てろ。さもないと、お前の家や職場を余すところなく襲撃し、爆破する。
ワープロで打たれたと見られるシンプルな手紙は、純粋な殺意に満ちていた。その言葉通り、神楽家が所有する服飾店に爆弾が仕掛けられていたこともあり、グループの会長───すなわち神楽亜貴の祖父は事態を重く見た。 自宅や職場に警備員を配置するのは勿論のこと、何よりも重要なのは本人の身の安全を確保することだ。だが犯人からの要求は曖昧で明確な基準が分からず、何よりも神楽自身に従う意思が無かった。そこで会長は、孫になるべく普段通りの生活をさせるため女性ボディーガードによる護衛を要求した。
───神楽亜貴は多彩であるが故に、常に華やかな業界で動き回っている。傍にいても不自然にならない程度に容姿が優れ、尚且つ本来の目的を充分に遂行できる程に屈強な女性を頼む。 普通ならば匙を投げても不思議ではない要望だが、職場の上司は有無を言わさぬ笑顔で苗字に指令書を渡してきたのだ。己に対する評価の高さを喜ぶより前に、面倒事を丸投げした様子を隠そうともしない上司に苛立ったことをよく覚えている。
「新プロジェクトの発足に伴い、期間限定で秘書として働くことになった。私に関しましては、そう周知して頂ければと」
「それは構わないけど。君は実際、僕の下で働けるくらいの知識はあるの?」
「失望させない自信はあります。ですがいくら私が口で言い募ったところで、神楽様ご自身が納得されなければ意味がありません。違いますか?」
神楽は意外そうに目を丸くした後、まあねとキッパリ返事をした。
「たとえこっちが守ってもらう立場だとしても、仕事となったら一切容赦しない。いいよね?」
「勿論です。万が一お役に立てなかった場合は、お好きなように切り捨ててください」
「ふうん。その言葉、忘れないでね」
「望むところです」
生意気な女が来たとでも言いたげに肩をすくめる神楽を見て、お互い様だと苗字は思った。 ボディーガードとしての任務をこなすにあたって、苗字は必ず事前に護衛対象と接触してその人となりを調査していた。今回は神楽家のメイドに変装したり、情報屋としての根城であるホテルのラウンジに潜入したりしていたのだが、詳細は割愛する。
神楽は基本的に、誰に対しても歯に衣着せぬ物言いをしていた。良くも悪くも己の感情に素直だと評価を受けることが多く、言葉を選ばずに言うならば恨みを買いやすいのだ。 神楽の知人から情報収集をした結果、その裏に滲む仕事への真摯な態度は伝わってきたものの、彼を表面的にしか知らない人物が憎悪を募らせても不思議ではないと判断した。
苗字は、絢爛豪華な廊下を淡々と進む大きな背中を見つめる。その全身からはどことなく張り詰めた空気が滲んでおり、現状にストレスを感じていることが読み取れた。しかし神楽はそれでも、理不尽に人を怒鳴りつけるようなことはしない。 いくら彼自身の言動が刺々しいものであろうとも、こんな形で悪意に晒されていい人ではないのだ。 付き従うように一歩後ろに控えたまま、苗字はそっと唇を開いた。
「神楽様」
「何?」
「私の仕事はあなたを守ることです」
「…………」
「無責任な物言いであることを承知で申し上げます。私は何があろうともあなたを守り抜きます。人として対等に扱って頂くことは求めません」
「この僕に、君を道具として扱えってこと?」
水晶のごとく透き通った瞳が、こちらの心を覗き込むように光った。侮蔑さえも滲むその顔を見据えつつ、苗字は予想通りの反応が返ってきたことを内心喜んでいた。
「そうです。盾として、剣として、鏡として。どうぞご自由にお使いください」
「鏡?」
「神楽様が無理をなさらない限り、私も無謀なことは致しません。道具として振る舞う秘書がお嫌でしたら、ご自身をもっと大切になさってください」
「はあ?」
神楽は、理解できないとでも言うように眉を吊り上げた。 だが少なくとも、苗字に対する悪感情は和らいだようだ。拗ねた子どものように顔を背けて再び廊下を歩き始めた神楽からは、先程までのピリピリとした空気がすっかり消え去っていた。
「苗字」
「はい」
「僕が本当に守るに値するのかどうか、その目できちんと確かめて。その上でもう一度同じことが言えるなら、期待してあげてもいいけど」
なんとも彼らしい物言いだ。込み上げる笑いを抑えつつ、苗字は静かに腰を折った。
「畏まりました、神楽様」
「慇懃無礼な態度も許さないから」
「分かりました、亜貴さん」
「……いきなり馴れ馴れしすぎるでしょ」
「冗談です。なるべく臨機応変に対応致しますが、基本的にな堅苦しい口調になることをお許しください。定められた規則ですので」
「それは業務時間内だけの話だよね。つまりプライベートでは適用されない。違う?」
「仰る通りですが、私が神楽様のお側に控えている間は例外なく職務を遂行する義務が発生します。つまりプライベートの時間は無いものと存じますが」
「僕の隣にいる限り、君は警備会社の人間じゃなく僕の秘書として振舞って」
確信はなかった。しかし、その有無を言わさぬ口調の裏には不安が薄く滲んでいるような気がして、苗字は恭しく頭を下げた。
「承知致しました。亜貴様」
「うん。分かってるとは思うけど、僕だけを守るなんて馬鹿な真似はしないでよ」
「はい。ですが、私が最優先にするのは何があろうともあなたです。その事実は変わりません」
呆れたように苗字を一瞥した後、神楽は小さく肩をすくめた。どうやらこちらの言葉は無事に受け入れられたようである。
こうして、苗字の運命を大きく変えることになる護衛任務はひっそりと始まった。
「……は?」
某日の朝八時。神楽家の屋敷で対面した二人の男女は、対象的な姿で向き合っていた。 片や唖然としたように目を丸くする青年。片や無表情のまま微動だにしない女性。前者は白ブラウスにマスタード色のパンツというラフな格好をしており、全身を真っ黒なスーツで固めた後者との違いは歴然である。
「……護衛の件は事前に聞いてたけど、まさか女の子が来るとは思わなかった」
神楽の口から拒絶の言葉が飛び出さなかったことを認めると、苗字は小さく頷いた。
「依頼を承った際に、女の方が何かと都合が良いとお伺いしまして」
世界的なファッションデザイナー。財界や警察にもコネを持つ情報屋。国内で多角的に事業展開を行っている神楽グループの御曹司。そんな三つの顔を持つ神楽のもとに襲撃予告が届いたのは、つい先日のことだ。
───現在得ている地位も財産も全て捨てろ。さもないと、お前の家や職場を余すところなく襲撃し、爆破する。
ワープロで打たれたと見られるシンプルな手紙は、純粋な殺意に満ちていた。その言葉通り、神楽家が所有する服飾店に爆弾が仕掛けられていたこともあり、グループの会長───すなわち神楽亜貴の祖父は事態を重く見た。 自宅や職場に警備員を配置するのは勿論のこと、何よりも重要なのは本人の身の安全を確保することだ。だが犯人からの要求は曖昧で明確な基準が分からず、何よりも神楽自身に従う意思が無かった。そこで会長は、孫になるべく普段通りの生活をさせるため女性ボディーガードによる護衛を要求した。
───神楽亜貴は多彩であるが故に、常に華やかな業界で動き回っている。傍にいても不自然にならない程度に容姿が優れ、尚且つ本来の目的を充分に遂行できる程に屈強な女性を頼む。 普通ならば匙を投げても不思議ではない要望だが、職場の上司は有無を言わさぬ笑顔で苗字に指令書を渡してきたのだ。己に対する評価の高さを喜ぶより前に、面倒事を丸投げした様子を隠そうともしない上司に苛立ったことをよく覚えている。
「新プロジェクトの発足に伴い、期間限定で秘書として働くことになった。私に関しましては、そう周知して頂ければと」
「それは構わないけど。君は実際、僕の下で働けるくらいの知識はあるの?」
「失望させない自信はあります。ですがいくら私が口で言い募ったところで、神楽様ご自身が納得されなければ意味がありません。違いますか?」
神楽は意外そうに目を丸くした後、まあねとキッパリ返事をした。
「たとえこっちが守ってもらう立場だとしても、仕事となったら一切容赦しない。いいよね?」
「勿論です。万が一お役に立てなかった場合は、お好きなように切り捨ててください」
「ふうん。その言葉、忘れないでね」
「望むところです」
生意気な女が来たとでも言いたげに肩をすくめる神楽を見て、お互い様だと苗字は思った。 ボディーガードとしての任務をこなすにあたって、苗字は必ず事前に護衛対象と接触してその人となりを調査していた。今回は神楽家のメイドに変装したり、情報屋としての根城であるホテルのラウンジに潜入したりしていたのだが、詳細は割愛する。
神楽は基本的に、誰に対しても歯に衣着せぬ物言いをしていた。良くも悪くも己の感情に素直だと評価を受けることが多く、言葉を選ばずに言うならば恨みを買いやすいのだ。 神楽の知人から情報収集をした結果、その裏に滲む仕事への真摯な態度は伝わってきたものの、彼を表面的にしか知らない人物が憎悪を募らせても不思議ではないと判断した。
苗字は、絢爛豪華な廊下を淡々と進む大きな背中を見つめる。その全身からはどことなく張り詰めた空気が滲んでおり、現状にストレスを感じていることが読み取れた。しかし神楽はそれでも、理不尽に人を怒鳴りつけるようなことはしない。 いくら彼自身の言動が刺々しいものであろうとも、こんな形で悪意に晒されていい人ではないのだ。 付き従うように一歩後ろに控えたまま、苗字はそっと唇を開いた。
「神楽様」
「何?」
「私の仕事はあなたを守ることです」
「…………」
「無責任な物言いであることを承知で申し上げます。私は何があろうともあなたを守り抜きます。人として対等に扱って頂くことは求めません」
「この僕に、君を道具として扱えってこと?」
水晶のごとく透き通った瞳が、こちらの心を覗き込むように光った。侮蔑さえも滲むその顔を見据えつつ、苗字は予想通りの反応が返ってきたことを内心喜んでいた。
「そうです。盾として、剣として、鏡として。どうぞご自由にお使いください」
「鏡?」
「神楽様が無理をなさらない限り、私も無謀なことは致しません。道具として振る舞う秘書がお嫌でしたら、ご自身をもっと大切になさってください」
「はあ?」
神楽は、理解できないとでも言うように眉を吊り上げた。 だが少なくとも、苗字に対する悪感情は和らいだようだ。拗ねた子どものように顔を背けて再び廊下を歩き始めた神楽からは、先程までのピリピリとした空気がすっかり消え去っていた。
「苗字」
「はい」
「僕が本当に守るに値するのかどうか、その目できちんと確かめて。その上でもう一度同じことが言えるなら、期待してあげてもいいけど」
なんとも彼らしい物言いだ。込み上げる笑いを抑えつつ、苗字は静かに腰を折った。
「畏まりました、神楽様」
「慇懃無礼な態度も許さないから」
「分かりました、亜貴さん」
「……いきなり馴れ馴れしすぎるでしょ」
「冗談です。なるべく臨機応変に対応致しますが、基本的にな堅苦しい口調になることをお許しください。定められた規則ですので」
「それは業務時間内だけの話だよね。つまりプライベートでは適用されない。違う?」
「仰る通りですが、私が神楽様のお側に控えている間は例外なく職務を遂行する義務が発生します。つまりプライベートの時間は無いものと存じますが」
「僕の隣にいる限り、君は警備会社の人間じゃなく僕の秘書として振舞って」
確信はなかった。しかし、その有無を言わさぬ口調の裏には不安が薄く滲んでいるような気がして、苗字は恭しく頭を下げた。
「承知致しました。亜貴様」
「うん。分かってるとは思うけど、僕だけを守るなんて馬鹿な真似はしないでよ」
「はい。ですが、私が最優先にするのは何があろうともあなたです。その事実は変わりません」
呆れたように苗字を一瞥した後、神楽は小さく肩をすくめた。どうやらこちらの言葉は無事に受け入れられたようである。
こうして、苗字の運命を大きく変えることになる護衛任務はひっそりと始まった。