02
秘書に就任してからの数日間で苗字の実力を把握した様子の神楽は、本当に容赦なく仕事を振ってきた。
毎日あちこちで出席する会議の議事録作成やデザイナーとしての資材調達、事務所のスタッフに対するお茶汲みからスケジュール管理に至るまで、苗字は言われるがままにこなし続けていた。 幸いどれも及第点だったようで文句は言われなかったが、何やら不満そうな視線を頂戴することがよくあった。
恐らく、神楽は本質的には世話焼きな人なのだろう。誰かを構っていたくて、けれど思わず憎まれ口を叩く度に後悔してしまうような、そんな不器用さが滲み出ている。 まるで子どものような人だと思った。
「苗字。このデザインに関して思うこと、何か言って」
「畏まりました」
デザイン事務所での企画会議を終えた後、ミシンの前に座った神楽はスケッチブックを片手に首を回していた。どうやら寝不足なようだ、と目の下のクマを確認しつつも苗字は彼の手元を注視する。
金魚のヒレのように柔らかな袖が印象的な、淡いベージュのシフォンドレス。全体的に小さなシルエットで纏められたそのデザインは、普段使いは出来ないもののセミフォーマルな場には適していそうだった。 無駄な装飾を排除し、体型をくっきりと浮かび上がらせる服からは、着る者が持つありのままの美しさを惹きたてようとする作り手の意図が伝わってくる。
脳内にて一瞬で意見をまとめあげると、苗字は神楽をそっと盗み見ながら口を開いた。
「一つ質問しても宜しいでしょうか」
「何?」
「こちらのターゲット層は、二十代から三十代の女性で合っていますか?」
「うん。ちなみにコンセプトは、大衆向けのパーティードレス」
「承知しました。ありがとうございます」
神楽が求めるのは賞賛ではなく、あくまで客観的な意見だ。秘書へ就任するにあたって頭に詰め込んだ知識を再度吟味した後、苗字は堂々と唇を開いた。
「率直にお答えするならば、合コンに着ていくと白い目で見られる服かと存じます」
「は?」
「一般的なOLの方なら、見栄っ張りの彼氏に連れられて行く高級レストラン用の格好か、結婚式に着ていくドレスとして重宝するのではないでしょうか」
「……つまり?」
「想定されるターゲット層を見直すか、生地の素材を変えた方が購買者は増える可能性があると思われます」
神楽のデザイン画の隅には、素材に関するメモも添えられていた。しかしミカドシルクと言えばシルクの中でも最高級の一品であり、コンセプトから外れていることも否めない。
たとえば、マットな質感が魅力的で身体のラインが綺麗に浮かぶジョーゼットや、滑らかなハリと透明感に加えてボリュームも出せるオーガンジーならば、一般女性の懐にも寄り添えるのではないか。
一通り見解を述べた後、苗字は出過ぎた真似をしたことを謝罪する。 懐疑的に強張っていた様子の神楽の表情は、いつの間にかほんの僅かに緩んでいた。
「……君の意見は分かった。そこまで言ったなら責任は取ってよ」
その言葉が指す内容が分からず内心首を傾げつつも、苗字は従順に返事をする。 直後、何事も無かったかのようにミシンに向き合い始めた神楽を邪魔しないよう、音を立てずに距離を取った。
窓から覗く東京の街は既に薄暗く、一般的な定時をとうに過ぎたことを知る。 今晩は情報屋の会合があるため、縫製にあてがえる時間は残り少ない筈だが、それでも神楽は服作りに取り組んでいたいのだろう。 会長の反対を押し切ってまでファッションデザイナーを続ける道を選んだ背中は、力強さの中にどこか儚さを秘めていた。
「あ、苗字さん。ちょっといいかな」
ひょっこりと作業場の入口から顔を出した女性は、肩で切りそろえられたショートカットが爽やかな印象を受ける広報スタッフだ。 彼女はサッパリとした性格で仕事もてきぱきこなすため、終業後に残っているのは珍しい。などと意外に思うものの、苗字は神楽の姿を窓の外から見られないよう庇いながら彼女に歩み寄った。
「はい。如何いたしましたか?」
「あのね。突然なんだけど、モデルとかって興味ない? 実は苗字さんのイメージが今度のショーにぴったりだから、広報写真に使わせてもらいたくて。もちろん報酬はお支払いするから!」
「……申し出は大変有難いのですが、職務に差し障るといけませんので」
「うーん、そっか。残念。亜貴さんからは必ずオッケーもらえるって聞いてたのにな」
「え」
あまりにも予想外の言葉に勢いよく目線を戻すと、したり顔の神楽が頬杖をつきながらこちらを見遣っていた。
「苗字は、僕の剣になってくれるんでしょ?」
───これは頼られているというよりは、甘えられているのだろうか。
なるべくなら神楽の傍を離れたくはないのだが、そのあたりの事情は全て承知した上で対策を考えているに違いない。期待を込めた眼差しを向けてくるスタッフを無下にも出来ず、苗字は笑って了承の返事を伝えた。
顔を輝かせた彼女から感激したように手を取られた後、やがて室内は再び二人きりとなった。周囲から物音や人の気配が無いことを確認しつつ、苗字は改めて神楽へ非難の目を向ける。
「事前に相談してくださったら良かったのに」
「まさか君が僕の頼みを断る筈もないし」
「……私、写真に映るのは苦手なんです」
「ふうん」
何の前触れも無く懐から携帯を取り出した神楽は、突如カメラのレンズを苗字に向けた。カシャリと乾いた音が耳に届くと同時にようやく事態を理解した苗字は、胸に滲んだ薄暗い感情を追い払うように息を吐いた。
「写真映り、悪くないと思うけど」
淡々と画面を指でスクロールする姿を確認しつつも、苗字はそっと目線を下げた。
「……まだ腕はコンシーラーでカバーできますが、脚に残った傷跡はとても人にお見せ出来るものじゃないんです。きっと不快にさせてしまいますし、亜貴様の期待を裏切る結果にしかなりませんので、やはりこの話は無かったことにして頂けませんか」
「苗字」
「はい」
「脱いで。今すぐ」
「へ」
「実際に君の肌を見てない僕が何を言ったところで信用ならないでしょ。だからほら。早く脱いで」
「え、……いや、その」
男に肌を見せることに照れるような純情さはもう無いが、明るい光の下でまじまじと見られることに耐えられる心の強さもまた無いのだ。 それに、いくら事務所内に警備員が配置されているとはいえ、緊急事態に即座に対応できないような隙をボディーガードが外で見せる訳にはいかない。 誰が聞いても妥当な意見を脳内で練り上げた後、苗字は目の前に迫っていた神楽をそっと見上げた。
その瞳には、こちらを真っ直ぐ射抜こうとする熱が滲んでいる。
「……君、そんな顔も出来るんだ」
「そんな、顔……?」
「男を誘うような表情ってこと」
神楽の指に首筋をなぞられ、苗字は胸の奥がカッと燃えるように熱くなるのを感じた。 もしも女として見下されているなら拒絶すればいいだけの話だが、神楽は苗字を対等に扱った上で熱っぽく見下ろしてくる。 そこにあるのが恋愛感情だと勘違いする気は毛頭ないが、少なくとも口説く価値のある女だとは思われているらしい。
「……ご自宅でならいくらでもお見せしますので。そろそろ出発されたほうが良い時間かと」
「……それもそうか。苗字、片付け手伝って」
「はい、畏まりました」
すっかり赤くなってしまった顔を隠すように掌で口元を隠しつつ、苗字は神楽の傍に寄り添ったまま作業を手伝った。
結局、広報写真の件を有耶無耶にされたことに気付いたのは屋敷への帰還後、仮眠を取るべくネクタイを緩めた時だった。
毎日あちこちで出席する会議の議事録作成やデザイナーとしての資材調達、事務所のスタッフに対するお茶汲みからスケジュール管理に至るまで、苗字は言われるがままにこなし続けていた。 幸いどれも及第点だったようで文句は言われなかったが、何やら不満そうな視線を頂戴することがよくあった。
恐らく、神楽は本質的には世話焼きな人なのだろう。誰かを構っていたくて、けれど思わず憎まれ口を叩く度に後悔してしまうような、そんな不器用さが滲み出ている。 まるで子どものような人だと思った。
「苗字。このデザインに関して思うこと、何か言って」
「畏まりました」
デザイン事務所での企画会議を終えた後、ミシンの前に座った神楽はスケッチブックを片手に首を回していた。どうやら寝不足なようだ、と目の下のクマを確認しつつも苗字は彼の手元を注視する。
金魚のヒレのように柔らかな袖が印象的な、淡いベージュのシフォンドレス。全体的に小さなシルエットで纏められたそのデザインは、普段使いは出来ないもののセミフォーマルな場には適していそうだった。 無駄な装飾を排除し、体型をくっきりと浮かび上がらせる服からは、着る者が持つありのままの美しさを惹きたてようとする作り手の意図が伝わってくる。
脳内にて一瞬で意見をまとめあげると、苗字は神楽をそっと盗み見ながら口を開いた。
「一つ質問しても宜しいでしょうか」
「何?」
「こちらのターゲット層は、二十代から三十代の女性で合っていますか?」
「うん。ちなみにコンセプトは、大衆向けのパーティードレス」
「承知しました。ありがとうございます」
神楽が求めるのは賞賛ではなく、あくまで客観的な意見だ。秘書へ就任するにあたって頭に詰め込んだ知識を再度吟味した後、苗字は堂々と唇を開いた。
「率直にお答えするならば、合コンに着ていくと白い目で見られる服かと存じます」
「は?」
「一般的なOLの方なら、見栄っ張りの彼氏に連れられて行く高級レストラン用の格好か、結婚式に着ていくドレスとして重宝するのではないでしょうか」
「……つまり?」
「想定されるターゲット層を見直すか、生地の素材を変えた方が購買者は増える可能性があると思われます」
神楽のデザイン画の隅には、素材に関するメモも添えられていた。しかしミカドシルクと言えばシルクの中でも最高級の一品であり、コンセプトから外れていることも否めない。
たとえば、マットな質感が魅力的で身体のラインが綺麗に浮かぶジョーゼットや、滑らかなハリと透明感に加えてボリュームも出せるオーガンジーならば、一般女性の懐にも寄り添えるのではないか。
一通り見解を述べた後、苗字は出過ぎた真似をしたことを謝罪する。 懐疑的に強張っていた様子の神楽の表情は、いつの間にかほんの僅かに緩んでいた。
「……君の意見は分かった。そこまで言ったなら責任は取ってよ」
その言葉が指す内容が分からず内心首を傾げつつも、苗字は従順に返事をする。 直後、何事も無かったかのようにミシンに向き合い始めた神楽を邪魔しないよう、音を立てずに距離を取った。
窓から覗く東京の街は既に薄暗く、一般的な定時をとうに過ぎたことを知る。 今晩は情報屋の会合があるため、縫製にあてがえる時間は残り少ない筈だが、それでも神楽は服作りに取り組んでいたいのだろう。 会長の反対を押し切ってまでファッションデザイナーを続ける道を選んだ背中は、力強さの中にどこか儚さを秘めていた。
「あ、苗字さん。ちょっといいかな」
ひょっこりと作業場の入口から顔を出した女性は、肩で切りそろえられたショートカットが爽やかな印象を受ける広報スタッフだ。 彼女はサッパリとした性格で仕事もてきぱきこなすため、終業後に残っているのは珍しい。などと意外に思うものの、苗字は神楽の姿を窓の外から見られないよう庇いながら彼女に歩み寄った。
「はい。如何いたしましたか?」
「あのね。突然なんだけど、モデルとかって興味ない? 実は苗字さんのイメージが今度のショーにぴったりだから、広報写真に使わせてもらいたくて。もちろん報酬はお支払いするから!」
「……申し出は大変有難いのですが、職務に差し障るといけませんので」
「うーん、そっか。残念。亜貴さんからは必ずオッケーもらえるって聞いてたのにな」
「え」
あまりにも予想外の言葉に勢いよく目線を戻すと、したり顔の神楽が頬杖をつきながらこちらを見遣っていた。
「苗字は、僕の剣になってくれるんでしょ?」
───これは頼られているというよりは、甘えられているのだろうか。
なるべくなら神楽の傍を離れたくはないのだが、そのあたりの事情は全て承知した上で対策を考えているに違いない。期待を込めた眼差しを向けてくるスタッフを無下にも出来ず、苗字は笑って了承の返事を伝えた。
顔を輝かせた彼女から感激したように手を取られた後、やがて室内は再び二人きりとなった。周囲から物音や人の気配が無いことを確認しつつ、苗字は改めて神楽へ非難の目を向ける。
「事前に相談してくださったら良かったのに」
「まさか君が僕の頼みを断る筈もないし」
「……私、写真に映るのは苦手なんです」
「ふうん」
何の前触れも無く懐から携帯を取り出した神楽は、突如カメラのレンズを苗字に向けた。カシャリと乾いた音が耳に届くと同時にようやく事態を理解した苗字は、胸に滲んだ薄暗い感情を追い払うように息を吐いた。
「写真映り、悪くないと思うけど」
淡々と画面を指でスクロールする姿を確認しつつも、苗字はそっと目線を下げた。
「……まだ腕はコンシーラーでカバーできますが、脚に残った傷跡はとても人にお見せ出来るものじゃないんです。きっと不快にさせてしまいますし、亜貴様の期待を裏切る結果にしかなりませんので、やはりこの話は無かったことにして頂けませんか」
「苗字」
「はい」
「脱いで。今すぐ」
「へ」
「実際に君の肌を見てない僕が何を言ったところで信用ならないでしょ。だからほら。早く脱いで」
「え、……いや、その」
男に肌を見せることに照れるような純情さはもう無いが、明るい光の下でまじまじと見られることに耐えられる心の強さもまた無いのだ。 それに、いくら事務所内に警備員が配置されているとはいえ、緊急事態に即座に対応できないような隙をボディーガードが外で見せる訳にはいかない。 誰が聞いても妥当な意見を脳内で練り上げた後、苗字は目の前に迫っていた神楽をそっと見上げた。
その瞳には、こちらを真っ直ぐ射抜こうとする熱が滲んでいる。
「……君、そんな顔も出来るんだ」
「そんな、顔……?」
「男を誘うような表情ってこと」
神楽の指に首筋をなぞられ、苗字は胸の奥がカッと燃えるように熱くなるのを感じた。 もしも女として見下されているなら拒絶すればいいだけの話だが、神楽は苗字を対等に扱った上で熱っぽく見下ろしてくる。 そこにあるのが恋愛感情だと勘違いする気は毛頭ないが、少なくとも口説く価値のある女だとは思われているらしい。
「……ご自宅でならいくらでもお見せしますので。そろそろ出発されたほうが良い時間かと」
「……それもそうか。苗字、片付け手伝って」
「はい、畏まりました」
すっかり赤くなってしまった顔を隠すように掌で口元を隠しつつ、苗字は神楽の傍に寄り添ったまま作業を手伝った。
結局、広報写真の件を有耶無耶にされたことに気付いたのは屋敷への帰還後、仮眠を取るべくネクタイを緩めた時だった。