アイスキャンディーの暴力的なまでの冷たさが、口の中でじゅわりと弾けていく。爽やかな甘みが口いっぱいに広がる度、脳内に滲んでいた疲労が霧散していくようだった。

真夏の校舎裏には相変わらず人気が無い。いくら日陰があるとはいえこの蒸し暑さなのだから、利口な生徒ならば今頃クーラーの効いた教室で仲良くお喋りを楽しんでいることだろう。 額を流れ落ちる汗も制服の内に籠る熱も不快ではあったが、名前は構わず木の温みに満ちたベンチへと腰掛けていた。
すぐ隣に座る美少女が辟易したようにアイスを頬張る様子を横目で見つつ、ローファーも靴下も脱ぎ去って、ぶらぶらと一人で脚を揺らし続ける。

学校内でも不良として名高い彼女───織田信長と共に過ごす際、沈黙が訪れるのは珍しいことではない。互いの部屋を行き来する中で、好き勝手に音楽を聞いたり漫画や雑誌を読んだりすることもあれば、どちらかの膝を枕にして眠ることだってある。 だが今日この瞬間に迎えた静けさは、いつもとは違うものだと名前は直感していた。

「信長」
「ん?」
「夏休み、どこ行こっか」
「そうさな。ちょっくら山にかぶと狩りでも行くかの」
「お、いいね。キャンプファイヤーか打ち上げ花火でもやる?」
「それ完全に山火事になるやつじゃろ。わし燃えるじゃろ」
「そんな簡単に山も人も燃えないって。ほら、バーベキューとかキャンプとか川遊びっていう選択肢もあるし」
「……まあ結局、名前と二人なら何処でもいいんじゃが」

ツンと澄ましたような顔をする彼女の横顔は、どことなく拗ねているように見えた。表情と言葉が乖離してるぞ、と内心ツッコミつつも、名前は口を噤んだままアイスの残りをシャクシャクと噛み砕いた。

「そうだね。二人でいられるなら何でもいいや」

昨日名前は不良の集団に攫われた。信長と仲良くなってから、こういうトラブルに巻き込まれることは珍しくない。お陰様で、後ろ手に縛られた状態でも電話をかけられる技術だけは会得したのだが。
リーゼントをバッチリ固めたり、プリン髪を乱雑にオールバックにしているような、今時ドラマでも見ない程のテンプレ的なヤンキーが十人ほどいたと記憶している。 そんな彼らも、颯爽と鉄パイプを持って現れた信長の前では子供同然だった。獣のように吠えながら華麗に立ち回る華奢なスケバンは、しかし全てを終えて名前の前に立つといつも困ったような顔をする。例えるならば、母親に叱られそうな子どものようだった。
そして今、隣でアイスを頬張る彼女は、昨日と同じ表情を見せている。

「私が信長みたいに強くなるには、十年くらいかかっちゃうよね」
「アホ抜かせ。百年早いわ」
「ぐっ、言い返せない……。なら沖田ちゃんに合気道でも習おうかな」
「いやいや。ここにオールマイティーでロックンロールな指南役がおるじゃろ。他の奴に頼るまでもないじゃろ」
「だって信長、私が怪我すると悲しそうな顔するから」

彼女は唖然としたように瞳を丸くさせた後、どこか遠くを見るように視線を投げ、やがて黙りこくってしまった。いつだって竹を割ったような物言いをする信長にしては珍しいが、名前は気にせず脚をぶらつかせる。生ぬるい空気が肌をなぞり、心臓の裏側をそっと撫でつけた。
一年前、名前は野良猫のように馴れ合いを好まない織田信長の背中に惹かれた。自由奔放で開けっぴろげな笑顔を知り、誇り高くも排他的なその性質に寄り添い、彼女の弱味にまでなってしまった。 擦りむいた腕に貼り付けた不格好な絆創膏を、名前はそっと指でなぞる。自分の行動に対して後悔など微塵もしていないが、信長の隣にいるためには努力し続けなければならないことを知った。

「わしが拳を振るう度に泣きそうな顔をするのは、名前の方じゃと思っとった」
「そりゃ信長はかわいいし、綺麗だし、カッコイイし、大好きだから。傷付く姿を見るのは嫌だけど、楽しそうに立ち回ってる背中を見るのは好きなんだ」
「うむ。……不器用な名前が欲張りを言えるようになったのは良いことじゃな」

何かを企むように唇の端を持ち上げた信長は、軽やかに立ち上がってスカートを翻す。細やかで優美なプリーツがくるりと舞う様子を目で追っていると、彼女の甘やかな声にそっと名前を呼ばれた。

「名前」

どうしたの、と答えようとした唇には、いつの間にか砂糖菓子のごとく柔らかな熱が宿っていた。白くてきめ細やかな瞼が薄く開き、燃えるように紅く煌めく瞳と目が合う。
口付けは一瞬の内に終わり、次いで少しばかり距離が離れた。吐息が混じり合う程の近さで、信長は悪戯っ子のように無邪気に笑う。

「間抜け面」

何も言い返すことが出来ず、名前は彼女の言う通り間抜けな顔を晒していた。 口の中がカラカラに渇き、心臓は痛い程に鼓動を刻んでいる。頭の中がふわふわと浮遊するような感覚に溺れてしまいそうで、彼女に対する感情に鮮烈な色が混じってしまいそうで、名前は自分の心を誤魔化すように強く拳を握った。
生温い風が辺りを吹き抜け、信長の白くて細い足首が覗く。程よく筋肉のついた綺麗な脚がくるりと方向を変えたかと思えば、彼女は名前と目線を合わせるようにしゃがみこんでいた。

「嘘じゃよ。名前は一等かわいい」

心臓がまるごと攫われてしまったかと思った。息が止まった拍子に目線を下げると、頭上でからからと軽やかに笑う声がする。 ───夏が来る。二度と後戻りが出来ない、儚くて美しい季節がやってくる。