月の女神はお団子の夢を見るか?(2)
お団子粉に少しずつ水を加えながら、名前は丁寧にそれらを混ぜ合わせていく。程よい柔らかさになるまでこねつつ、肌をなぞる夢の残滓をかき集めるように瞳を閉じた。
「うむ、この月見団子は大変美味である。名前、もっと他に種類はないのか」
薄暗い空の下、ぼんやりと月見団子を作っていた名前に向けて、皇帝カエサルは高らかに声を上げた。お月様のようにまんまるとした身体は、次から次へと団子を吸い込んでいる。カエサルは口いっぱいに甘味を詰め込みながら、心底幸せそうに破顔していた。バーサーカーのカリギュラが元気に吼える声も、背後で断続的に聞こえている。
「うーん、材料が揃っていないので少し厳しいかもしれないですね。カエサルさん、もし良ければ一緒に食材を狩りに行きません?」
「む、肉体労働はあまり好まんのだが」
「小麦粉がたくさん残ってるので、パンケーキなら作れますよ。この時代のフランスだと、野生の桃やさくらんぼでもジャムが作れると思います」
「なんと! ならばカリギュラを連れて行こう」
「ありがとうございます。あ、アルテラさんも一緒にどうですか?」
食料袋の陰で一人もそもそとお団子を頬張っていたアルテラは、名前からの誘いに驚いた様子で瞬きをした。
「ああ、行こう。私は歩くのが得意だ」
「アルテラだと!? 破壊の化身と名高いフンヌの戦士が何故ここに……? いや、そもそも何故普通に会話をしているのだ!?」
「そういえば、カエサルさんとお話をする前のことでしたね。私が目覚めた時、一番に相手をしてくださったのはアルテラさんだったんですよ」
いつの間にか、名前はフランスにレイシフトしていた。原因は気を失う直前に出逢った女性だと予想できるが、自身だけでこの状況が覆せるとはとても思えない。アルテラは、此処に来て一人不安になっていた名前と、拙いながらも言葉を交わしてくれたのだ。そんな彼女と、自分の料理を美味しいと食べてくれる皇帝のために、今だけは何かをして気を紛らわせていたかった。
「だがあいつは、お前達を滅ぼさんとしただろう。何故庇おうとするのだ」
非難するというより、単純に疑問に思ったような声でカエサルは問いかけてきた。 ローマにおいて、最後にして最大の敵として立ちはだかったのはアルテラだった。本来ならば、畏怖し敬遠するべきなのだろう。
「だって、私が作った物を美味しそうに食べてくださるんですもん。だから仲良くしたいって思っちゃうんです。単純ですよね、私」
「……なるほどな。うむ、よいではないか。強欲な女は嫌いではないぞ」
「光栄です。それでは早速……、あ。アルテラさん、少し待って頂いても構いませんか?」
座り込んでいたアルテラの元へ辿り着くと、名前は彼女の口元を拭うべくハンカチを取り出した。
「少し粉が付いてるんですが、拭いてしまっても大丈夫でしょうか」
「む。ああ、構わない」
彼女の均整のとれた肉体を構成する褐色の肌は、何とも滑らかでハリがある。思わずその頬に触れると、アルテラは戸惑ったように頬を赤く染めていた。その様子からはマシュのように純真無垢な内面が垣間見えて、素直に可愛らしいと感じる。
アッティラ・ザ・フン。伝承とは異なり、少女のような愛称を持つ英霊。彼女にとって、きっとアルテラという名は特別な意味をもつのだろう。だって、この名前で呼びかけた時の彼女は、驚く程に表情が豊かになる。
「名前さん! ドクター、名前さんを発見しました!」
突如響いた大声に、名前は弾かれたように顔を上げた。険しい顔で駆け寄ってくるのは、カルデアが誇るマスターとデミ・サーヴァント、そして名前が意識を失う直前まで共にいた女性である。 この世の美しさを全てかき集めたかのようなその容貌は、見ているだけで心が洗われるようだ。目が合ったので微笑むと、彼女は驚いたように息を呑んでいた。
しかし、考えてみれば今晩カルデアではお月見を行う予定だった。このお団子を持ち帰らなければ、そもそもイベント自体がお流れになってしまう。せっかくロマニが必死で考えたのに、そんなことがあっていいわけがない。
カエサルを説得するべく振り向くも、あっという間に首根っこを掴まれ腰を抱き込まれてしまった。ぽよぽよと弾力のあるお腹は見た目通り柔らかく心地好いが、身動きが取れなくなったのは少し困る。
「おっと、諸君らの望みはこの月見団子と名前であろう? だが今から私達はパンケーキの旅へ出る予定だったのだ。名前はやらんぞ」
「や、やらんって何!? 名前は誰のものでもないでしょ!?」
通信機を介して、ロマニが焦ったようにこちらを見ていた。余計な手間をかけてしまって申し訳ないなあと苦笑しながら、名前は今後すべき行動について思案する。
「ドクター、いけません。そこは名前はボクのものだから、と言うところです」
「いやいやマシュ、私はロマニのものじゃないからね」
「名前さん、何故ですか……! まさか、ドクターに愛想を尽かしてしまったんですか!?」
「うーん、愛想尽かされるとしたら私の方だと思うけど……。そんな話はともかく、個人的にはカエサルさん達に着いて行きたいんだ。ほら、カルデアの食料備蓄って今カツカツでしょう? 此処、野生の果物がたくさんあるみたいだから色々持って帰りたいなと思って」
「食材なら、わたしとマスターでいくらでも狩りに来ますから! 英霊の皆さんも、名前さんのことを心配して待ってますし」
「うん。結果的に、勝手に姿を消しちゃったことになったのは反省してる。本当にごめん。でも私は、約束一つ守れないような人間にはなりたくないし、こんな気持ちでカルデアへ帰りたくないの」
「……名前」
ロマニが、懇願するように名前を紡いだ。名前はぐっと唇を噛み締めながら血が滲む程に拳を握り締めるが、その掌をカエサルは乱暴に包み込む。
「貴様ら、名前を返してほしくば世界中の団子を私のもとへ届けよ! 出来ぬならば去れ!」
「お団子はいい文明。そして、名前もいい文明だ。邪魔をするのならば容赦はしない」
「ふむ。アルテラよ、私達の目的は同じというわけだな。ならば共に敵を打ち倒そうではないか」
名前を守るように背中を見せるアルテラに目を丸くしていると、いつの間にやら事態は思わぬ方向にシフトしていた。戦闘態勢に入りつつある両者を見て、名前は大きく声を上げる。
「ちょっと待って! 呑気に攫われて寝てた私が悪かった! ええと、ひとまずマシュ達にお団子だけ先に持って帰ってもらって、私が後から一人で帰るっていうのはどう?」
「ならぬぞ名前。私は団子も貴様も手中に収めたいのだ」
ハッと息を呑む名前は、静かに自身の浅慮さを恥じ入った。ただでさえ迷惑をかけているのに、これ以上個人的な感情によって駄々をこねるわけにはいかない。
「マスター、ドクター。これ以上の説得は不可能と判断しました。戦闘を開始します!」
*
カルデアに帰還した直後、名前を出迎えたのは困ったように笑うロマニだった。コフィンから出てきた立香ちゃんやマシュ、ダ・ヴィンチちゃん、ブーディカへ次々と謝罪を済ませた後、真っ直ぐに自室へと帰っていく。
───名前、縁があれば私の元へ来るがいい。存分に愛してやろう。
カエサルは、消滅するその瞬間まで優しいままだった。
───また、おいしい料理を楽しみにしている。
アルテラは、敗北した直後にも柔らかく微笑んでくれた。
───名前、明日は美味しい物たくさん作ってあげるからね!
ブーディカは、文句の一つも言わずにこちらを気遣ってくれた。
けれど。彼らが、立香ちゃんが、マシュが、ダ・ヴィンチちゃんが───そしてロマニがかけてくれた言葉は、全て名前の心に刃として突き刺さった。皆が向けてくれる優しさが、今は痛くて仕方ない。
「名前、大丈夫?」
扉を背に床へ座り込んでいた名前は、背中から伝わってきた穏やかな声に飛び上がった。
「ロマニ?」
「うん。お月見パーティーはまだ続いてるから、もし良ければどうかなと思って呼びに来たんだ。体調が悪ければもう少し休んでからでもいいし」
「ありがとう。ごめんね、まだ少し気分が悪いから後で行く」
「そっか、分かった。……名前、入ってもいいかな」
びくりと身体が震えるのが自分でも分かった。私は何を恐れているのだろう。何を願っているのだろう。何を望むべきなのだろう。 自分のことは何も分からなかったけれど、今ロマニから逃げてはいけないことだけは分かった。
「うん、……いいよ」
機械音と共に、背後に人が立つ気配がした。控えめな足音、ふわりと香る甘い薫り。幾度も焦がれたそのひとが、そこにはいる。 何も言葉を発することが出来ず、名前は目の前の床をじっと見つめた。
「名前、今日はお疲れさま」
「ううん、私なんて全然。迷惑ばかりかけてごめんね」
「とにかくキミが無事で良かったよ。……本当は、カルデアに帰ってきたくないのかなって思ってたから」
驚愕のあまり振り向くと、ロマニは微笑みながらしゃがみ込んでいた。至近距離で視線が重なり合うものの、思わずパッと逸らしてしまう。
「そんなわけないよ。私の帰る場所は、此処しかないんだから」
「うん、そうだね。もっと自由に生きられる筈のキミを制限しているのは、ボク達だ」
淡々としながらも気遣いが伺えるその言葉に、うっすらと汗が滲んだ。彼は気付いているのだ。名前が挙動不審なのは、疲労によるものではないのだと。
「……ロマニ。わたし、全部思い出したの」
掠れて震えた無様な声で、名前は必死に言葉を紡いだ。ロマニは特に驚いたような気配を見せずに「うん」と相槌を打つ。
「そうかなあとは思ってたよ。キミは自分で思っているよりもずっと、隠し事が下手だから」
「……ロマニは、秘密を守るのが上手だよね」
「そのせいでキミを不安にさせるのは、本意じゃないんだけどね」
いつも通りの優しい台詞。穏やかな声音。柔らかな雰囲気。私を通して、私ではない誰かを想うその視線が、その体温が、その言葉が、何もかも辛くて堪らなかった。
「わたしの身体は、わたしのものじゃない……んだよね?」
「───うん。詳しく言えば、並行世界で生きていた名前の魂と、この世界で生きていた名前の身体が融合したのではないかとボクは考えている。あの日キミに埋め込まれた霊基がトリガーとなり、肉体の所有者の命を守る力が働いた結果、キミの魂が吸い寄せられた。その弊害として、過去の記憶が無くなったと仮定したんだ」
ロマニが名前の元へ通ってくれたのは、実験の経過観察が目的だったのだろう。戦闘力が高くないとはいえ、不安の芽は早めに摘むに限る。 所長が名前を避けていたことにも納得だ。自身の父が行った人体実験によって生み出された存在など、常人ならば近付きたくはないだろう。
ロマニは実験室で名前を発見した時、痛ましそうな顔をした後に謝罪をしてくれた。気付けなくてごめん、と何もかも諦めたような表情で手を握ってくれた。 あの瞳に映った感情はただ一つ。同情だ。ロマニ・アーキマンは、独りぼっちの苗字名前を哀れんでいたのだ。
「ねえロマニ、聞きたいことがあるの。あなたが与えてくれた名前は、元々わたしのものだった?」
「……いや。資料のどこにも、キミの名前は載っていなかった。苗字名前という名は、正真正銘ボクが考えたものだよ」
「そっか。それじゃ最後に一つだけ。わたしの寿命はもう長くない。合ってる?」
「…………うん。今のキミは、人間の身体にホムンクルスの部位を無理やり移植している状態だ。遠くない未来、激しい拒絶反応が出ることが予想できる。もちろん、出来る限りの処置はしているけど」
「ありがとう。あのねロマニ、お願いがあるの」
「うん?」
私は今から、この人を傷付ける。いつだって優しかった、誰よりも愛おしい人の心に棘を残す。
「少し、距離を置かせてもらってもいいかな」
「それは……」
「私、本当に面倒臭い女だから。正直、今のままでロマニと付き合っていける自信が、なくて」
「…………そっか、分かったよ。ボクはパーティーに戻るけど、もし気が向いたら来てね。無理してボクの近くに来なくても大丈夫だから」
*
「ねえねえレオナルド。すこし距離をおきたいって、どういうことなんだと思う?」
レオナルド・ダ・ヴィンチは、机の向かいでベロベロに酔っ払うロマニを見て嘆息する。名前の部屋から戻ったかと思えば、いつもからは考えられない程に酒を煽り見事に出来上がってしまっていた。スタッフや本日の功労者であるマスターは全員部屋へ帰ったため、気が抜けているのもあるだろう。
ダ・ヴィンチはカルデアが執り行っていた実験に関しても全て記憶しており、名前の心情も薄々察していた。
苗字名前は、ロマニ・アーキマンを心底愛している。その感情は今だって変わらないだろうし、これからも色褪せることはないのだろう。何故ならば、名前にとってロマニこそがヒーローであり、世界の始まりであるからだ。たとえ想いの形が変わったのだとしても、自身の身体が長くもたないのだとしても、根底にある愛情が覆る筈もない。
だが、恋人関係を解消したいと申し出た。それはきっと、ロマニを想ってのことなのだろう。
───魔術師のモルモットに成り下がっていた自分が、ロマニの貴重な時間を奪ってはいけない。今、自分に向けてくれている好意は同情から発生したものに違いない。付き合うならば、もっと魅力的なひとにするべきだ。
名前の思考なんて、ダ・ヴィンチでさえ容易に推察できるのだ。恋人であるロマニが考えつかないわけはない。それでも本気でショックを受けているのだから、名前の心配など杞憂に過ぎないのだ。
「…………ボク、振られちゃうのかなあ」
翡翠の瞳に膜を張る涙を見て、ダ・ヴィンチはグラスを片手にギョッとする。召喚されて以来、ロマニ・アーキマンが感情的な振る舞いを見せるのはこれが初めてだった。
「おいおい。あくまでそうなるかもしれないって言ってたんだろう? 名前はきみにベタ惚れなんだから、可能性は低いと思うけど」
「でも、好きなだけじゃどうにもならないことがあるって、日本の少女漫画にも書いてあったし」
「何でそんなもの……、ああそうか。ロマニ、きみは名前のために日本のことを色々と勉強していたね」
「同情とか憐憫とか、そういった感情を抱いていたことは認めるよ? 名前をあんな目に遭わせた組織の一員として責任を感じていたし、名前の心を守らなきゃいけないと思ってた」
「うん、きみはそういうやつだよな」
「でも、……でもね。名前の寝起きって物凄く可愛いんだ」
「は?」
「徹夜明けでも名前に笑いかけてもらったら全力で頑張れるし、むしろもう一週間くらい起きてられるかなって思えるんだよ」
「それ、完全に深夜テンションだろう?」
「なんだと!? あのふにゃっとした笑顔の破壊力を知らないからそんなことが言えるんだぞ! ボクが疲れてるとお茶とかコーヒーとか淹れてくれるし、掌のマッサージだってしてくれるし、寝てる間に抱き着いてくれるのも最っ高に可愛いんだからね!」
「……本当に、いつも不思議に思うよ。きみが真っ当な恋をしているなんて」
「そうかな。ボクが名前を好きになったのは、運命だと思ってるよ」
ロマニらしからぬ言葉に、ダ・ヴィンチは幾度も瞬きを繰り返す。誰のことも信用できず、十年以上ずっと一心不乱に知識だけを吸収してきた男だったのに。ロマニはきっと、自分が変わったことにすら気付いていないのだろう。 相手の全てを受け入れ、慈しみ、ただひたすらに尽くす。恋が盲目と言うならば、彼らが互いに抱いている感情は間違いなく愛だ。それは、自身を犠牲にしてまで相手を一途に思い遣る気持ち。
「なあロマニ、仮定の話だ。もしも名前がカルデアにいなかったとしたら、一体どうしたんだ?」
「探しに行くよ。名前に出逢わない人生なんて、今のボクは考えられないんだ。傲慢だって、強欲だって、指をさされてもいい。どんな手を使っても会いに行く」
「そうか。なら、もう一回振り向いてもらわないとね」
「……うん。でも、しつこい男だって思われないかなあ。これ以上嫌われたりしたら立ち直れないんだけど」
「まあまあ、骨くらいなら拾ってやるからさ」
「それ玉砕前提で言ってるよね!?」
*
お月見パーティーの日から数日が経った。 ロマニとは必要最低限の会話を交わすに留め、名前は立香ちゃんやサーヴァント達との訓練に勤しんでいた。記憶を取り戻してからというものの、名前はこれまでが嘘のように魔術を使えるようになったのだ。これは嬉しい誤算だと思いながら、現在は主にキャスターから教えを受けている最中である。
そんな自身の最大の変化といえば、眠っても悪夢を見なくなったことだろうか。それも当然だ。あの夢は全て、わたしの過去の経験なのだから。
洗面台で顔を洗ってから、名前はスタッフ全員の朝食を作るために部屋を出る。眠れたのは一瞬だったが、今はとにかく単純作業をして負の感情を追い払いたかった。普段よりも少し早い時刻だが、早い分には問題ないだろう。
「あ、……おはよう。名前」
扉の横に、ソワソワと落ち着きなくロマニが立っていた。名前は瞬時に不器用に笑顔を形づくる。
「うん。おはよう、ロマニ」
「突然ごめんね。ええと、どうしても一つだけキミに伝えたいことがあって」
「いいよ。部屋に戻った方がいい?」
「いや、此処でいいよ。この時間なら人通りもないだろうし」
ロマニは突如片脚のみ跪き、名前の掌を掬うように絡め取った。滑らかな肌触りの手袋が、指先を柔らかく包み込む。
「ロマニ……?」
「名前、愛してるよ」
ケーキのように甘い視線に射抜かれ身動きが取れずにいると、ロマニは名前の手の甲にそっと唇を寄せた。
「……っ!」
「ボクはね、同情で女の子にキスできるほど優しくないんだ。自分の意思でキミを好きになったし、本気でキミを愛してる。これだけは信じてほしい」
ロマニが触れた箇所が、燃え上がるように熱くなる。彼の僅かばかり紅潮した頬を見て必死に心を落ち着けようとするものの、どうしたって心臓は言うことを聞かない。
けれど、今ここでロマニの優しさに甘えてはいけないのだ。彼には誰よりも幸せになってほしいから。中途半端な覚悟しか持ち得ない自分など、これっぽっちも相応しくない。
「遅かれ早かれロマニを傷付けるくらいなら、私は今の内に距離を置いた方がいいと思う」
「ワガママでごめん。それでもボクは、最後までキミと一緒にいたいよ。キミと共に在ることこそが、ボクの幸せなんだ」
「……私、ロマニに何も恩返し出来ないのに?」
「名前の笑顔が、ボクにとっては何よりの宝物だよ」
名前の心が、魂が、身体の芯が震え出す。
「……ロマニ、そんな台詞どこで覚えてきたの?」
「あー、やっぱりクサかったかな。これでも全部、ボクの本心なんだけど。……情けないことに、キミに振られたくなくて必死に考えてきたんだ」
何もかも全てが堪らなくなり、名前は膝をついてロマニに抱き着いた。背中に回った腕の力強さに、涙がつんと込み上げてくる。
「私、自分の記憶を取り戻した時にね、ジャンヌ・オルタを思い出したの。彼女は最期まで自分が紛い物であることを知らないままだった。それはきっと、とても幸せだったんだろうなって」
「うん」
「でもね、今は身体の期限が残り少ないことが分かって良かったと思ってる。これからの時間を大切に使うことが出来るから。……あの日々を幸福だったと言うことは出来ないけど、私はあなたに逢えたから。もうそれでいいんだ」
「名前。ボクは、キミに恨まれても当然だと思ってる」
「そんなわけないのに。───私はずっと、あなたの名前を呼び続けるって決めたの。あなたが幸せであるように。あなたが自分で自分を認めてあげられるように。あなたが、人から愛されているのだと実感してくれるように。だからね、私がロマニを恨む筈なんてないんだ」
「…………そっかあ」
涙に濡れた声が頭上から降り注ぐ。互いの存在を確かめるように身体の輪郭をなぞって、体温を分け合って、引き寄せられるようにして唇を重ねた。
───私は生きるよ。あなたを想いながら、最後まで笑ってみせるから。
*
それから更に数日後。団子盗難事件の主犯は月の女神アルテミスであった、と立香ちゃんから報告を受けた。 全ての原因は、英霊召喚システムが確立されたカルデアにおいて、月へ捧げる供物を作ってしまったこと。強制的に儀式が発動する結果となり、彼女を叩き起こしてしまったのだという。
なるほど。確かにそれならば、名前が呼び起こしたと言えるだろう。
「名前さん、アルテミスから伝言なんですけど」
「ん?」
「”ごめんなさい。末永くお幸せに”とのことで」
「ふふ。立香ちゃん、ありがとう。またアルテミスを呼ぶためにも、美味しいお団子をたくさん作らなくちゃね」
「はい!」
これから再び特異点にレイシフトをするという彼女達を見送ってから、すっかり自分の定位置となった管制室の司令席へと座る。自然と重なった視線に胸をときめかせ、名前は少女のように微笑んだ。
「今日もよろしくね、ロマニ」
「うむ、この月見団子は大変美味である。名前、もっと他に種類はないのか」
薄暗い空の下、ぼんやりと月見団子を作っていた名前に向けて、皇帝カエサルは高らかに声を上げた。お月様のようにまんまるとした身体は、次から次へと団子を吸い込んでいる。カエサルは口いっぱいに甘味を詰め込みながら、心底幸せそうに破顔していた。バーサーカーのカリギュラが元気に吼える声も、背後で断続的に聞こえている。
「うーん、材料が揃っていないので少し厳しいかもしれないですね。カエサルさん、もし良ければ一緒に食材を狩りに行きません?」
「む、肉体労働はあまり好まんのだが」
「小麦粉がたくさん残ってるので、パンケーキなら作れますよ。この時代のフランスだと、野生の桃やさくらんぼでもジャムが作れると思います」
「なんと! ならばカリギュラを連れて行こう」
「ありがとうございます。あ、アルテラさんも一緒にどうですか?」
食料袋の陰で一人もそもそとお団子を頬張っていたアルテラは、名前からの誘いに驚いた様子で瞬きをした。
「ああ、行こう。私は歩くのが得意だ」
「アルテラだと!? 破壊の化身と名高いフンヌの戦士が何故ここに……? いや、そもそも何故普通に会話をしているのだ!?」
「そういえば、カエサルさんとお話をする前のことでしたね。私が目覚めた時、一番に相手をしてくださったのはアルテラさんだったんですよ」
いつの間にか、名前はフランスにレイシフトしていた。原因は気を失う直前に出逢った女性だと予想できるが、自身だけでこの状況が覆せるとはとても思えない。アルテラは、此処に来て一人不安になっていた名前と、拙いながらも言葉を交わしてくれたのだ。そんな彼女と、自分の料理を美味しいと食べてくれる皇帝のために、今だけは何かをして気を紛らわせていたかった。
「だがあいつは、お前達を滅ぼさんとしただろう。何故庇おうとするのだ」
非難するというより、単純に疑問に思ったような声でカエサルは問いかけてきた。 ローマにおいて、最後にして最大の敵として立ちはだかったのはアルテラだった。本来ならば、畏怖し敬遠するべきなのだろう。
「だって、私が作った物を美味しそうに食べてくださるんですもん。だから仲良くしたいって思っちゃうんです。単純ですよね、私」
「……なるほどな。うむ、よいではないか。強欲な女は嫌いではないぞ」
「光栄です。それでは早速……、あ。アルテラさん、少し待って頂いても構いませんか?」
座り込んでいたアルテラの元へ辿り着くと、名前は彼女の口元を拭うべくハンカチを取り出した。
「少し粉が付いてるんですが、拭いてしまっても大丈夫でしょうか」
「む。ああ、構わない」
彼女の均整のとれた肉体を構成する褐色の肌は、何とも滑らかでハリがある。思わずその頬に触れると、アルテラは戸惑ったように頬を赤く染めていた。その様子からはマシュのように純真無垢な内面が垣間見えて、素直に可愛らしいと感じる。
アッティラ・ザ・フン。伝承とは異なり、少女のような愛称を持つ英霊。彼女にとって、きっとアルテラという名は特別な意味をもつのだろう。だって、この名前で呼びかけた時の彼女は、驚く程に表情が豊かになる。
「名前さん! ドクター、名前さんを発見しました!」
突如響いた大声に、名前は弾かれたように顔を上げた。険しい顔で駆け寄ってくるのは、カルデアが誇るマスターとデミ・サーヴァント、そして名前が意識を失う直前まで共にいた女性である。 この世の美しさを全てかき集めたかのようなその容貌は、見ているだけで心が洗われるようだ。目が合ったので微笑むと、彼女は驚いたように息を呑んでいた。
しかし、考えてみれば今晩カルデアではお月見を行う予定だった。このお団子を持ち帰らなければ、そもそもイベント自体がお流れになってしまう。せっかくロマニが必死で考えたのに、そんなことがあっていいわけがない。
カエサルを説得するべく振り向くも、あっという間に首根っこを掴まれ腰を抱き込まれてしまった。ぽよぽよと弾力のあるお腹は見た目通り柔らかく心地好いが、身動きが取れなくなったのは少し困る。
「おっと、諸君らの望みはこの月見団子と名前であろう? だが今から私達はパンケーキの旅へ出る予定だったのだ。名前はやらんぞ」
「や、やらんって何!? 名前は誰のものでもないでしょ!?」
通信機を介して、ロマニが焦ったようにこちらを見ていた。余計な手間をかけてしまって申し訳ないなあと苦笑しながら、名前は今後すべき行動について思案する。
「ドクター、いけません。そこは名前はボクのものだから、と言うところです」
「いやいやマシュ、私はロマニのものじゃないからね」
「名前さん、何故ですか……! まさか、ドクターに愛想を尽かしてしまったんですか!?」
「うーん、愛想尽かされるとしたら私の方だと思うけど……。そんな話はともかく、個人的にはカエサルさん達に着いて行きたいんだ。ほら、カルデアの食料備蓄って今カツカツでしょう? 此処、野生の果物がたくさんあるみたいだから色々持って帰りたいなと思って」
「食材なら、わたしとマスターでいくらでも狩りに来ますから! 英霊の皆さんも、名前さんのことを心配して待ってますし」
「うん。結果的に、勝手に姿を消しちゃったことになったのは反省してる。本当にごめん。でも私は、約束一つ守れないような人間にはなりたくないし、こんな気持ちでカルデアへ帰りたくないの」
「……名前」
ロマニが、懇願するように名前を紡いだ。名前はぐっと唇を噛み締めながら血が滲む程に拳を握り締めるが、その掌をカエサルは乱暴に包み込む。
「貴様ら、名前を返してほしくば世界中の団子を私のもとへ届けよ! 出来ぬならば去れ!」
「お団子はいい文明。そして、名前もいい文明だ。邪魔をするのならば容赦はしない」
「ふむ。アルテラよ、私達の目的は同じというわけだな。ならば共に敵を打ち倒そうではないか」
名前を守るように背中を見せるアルテラに目を丸くしていると、いつの間にやら事態は思わぬ方向にシフトしていた。戦闘態勢に入りつつある両者を見て、名前は大きく声を上げる。
「ちょっと待って! 呑気に攫われて寝てた私が悪かった! ええと、ひとまずマシュ達にお団子だけ先に持って帰ってもらって、私が後から一人で帰るっていうのはどう?」
「ならぬぞ名前。私は団子も貴様も手中に収めたいのだ」
ハッと息を呑む名前は、静かに自身の浅慮さを恥じ入った。ただでさえ迷惑をかけているのに、これ以上個人的な感情によって駄々をこねるわけにはいかない。
「マスター、ドクター。これ以上の説得は不可能と判断しました。戦闘を開始します!」
*
カルデアに帰還した直後、名前を出迎えたのは困ったように笑うロマニだった。コフィンから出てきた立香ちゃんやマシュ、ダ・ヴィンチちゃん、ブーディカへ次々と謝罪を済ませた後、真っ直ぐに自室へと帰っていく。
───名前、縁があれば私の元へ来るがいい。存分に愛してやろう。
カエサルは、消滅するその瞬間まで優しいままだった。
───また、おいしい料理を楽しみにしている。
アルテラは、敗北した直後にも柔らかく微笑んでくれた。
───名前、明日は美味しい物たくさん作ってあげるからね!
ブーディカは、文句の一つも言わずにこちらを気遣ってくれた。
けれど。彼らが、立香ちゃんが、マシュが、ダ・ヴィンチちゃんが───そしてロマニがかけてくれた言葉は、全て名前の心に刃として突き刺さった。皆が向けてくれる優しさが、今は痛くて仕方ない。
「名前、大丈夫?」
扉を背に床へ座り込んでいた名前は、背中から伝わってきた穏やかな声に飛び上がった。
「ロマニ?」
「うん。お月見パーティーはまだ続いてるから、もし良ければどうかなと思って呼びに来たんだ。体調が悪ければもう少し休んでからでもいいし」
「ありがとう。ごめんね、まだ少し気分が悪いから後で行く」
「そっか、分かった。……名前、入ってもいいかな」
びくりと身体が震えるのが自分でも分かった。私は何を恐れているのだろう。何を願っているのだろう。何を望むべきなのだろう。 自分のことは何も分からなかったけれど、今ロマニから逃げてはいけないことだけは分かった。
「うん、……いいよ」
機械音と共に、背後に人が立つ気配がした。控えめな足音、ふわりと香る甘い薫り。幾度も焦がれたそのひとが、そこにはいる。 何も言葉を発することが出来ず、名前は目の前の床をじっと見つめた。
「名前、今日はお疲れさま」
「ううん、私なんて全然。迷惑ばかりかけてごめんね」
「とにかくキミが無事で良かったよ。……本当は、カルデアに帰ってきたくないのかなって思ってたから」
驚愕のあまり振り向くと、ロマニは微笑みながらしゃがみ込んでいた。至近距離で視線が重なり合うものの、思わずパッと逸らしてしまう。
「そんなわけないよ。私の帰る場所は、此処しかないんだから」
「うん、そうだね。もっと自由に生きられる筈のキミを制限しているのは、ボク達だ」
淡々としながらも気遣いが伺えるその言葉に、うっすらと汗が滲んだ。彼は気付いているのだ。名前が挙動不審なのは、疲労によるものではないのだと。
「……ロマニ。わたし、全部思い出したの」
掠れて震えた無様な声で、名前は必死に言葉を紡いだ。ロマニは特に驚いたような気配を見せずに「うん」と相槌を打つ。
「そうかなあとは思ってたよ。キミは自分で思っているよりもずっと、隠し事が下手だから」
「……ロマニは、秘密を守るのが上手だよね」
「そのせいでキミを不安にさせるのは、本意じゃないんだけどね」
いつも通りの優しい台詞。穏やかな声音。柔らかな雰囲気。私を通して、私ではない誰かを想うその視線が、その体温が、その言葉が、何もかも辛くて堪らなかった。
「わたしの身体は、わたしのものじゃない……んだよね?」
「───うん。詳しく言えば、並行世界で生きていた名前の魂と、この世界で生きていた名前の身体が融合したのではないかとボクは考えている。あの日キミに埋め込まれた霊基がトリガーとなり、肉体の所有者の命を守る力が働いた結果、キミの魂が吸い寄せられた。その弊害として、過去の記憶が無くなったと仮定したんだ」
ロマニが名前の元へ通ってくれたのは、実験の経過観察が目的だったのだろう。戦闘力が高くないとはいえ、不安の芽は早めに摘むに限る。 所長が名前を避けていたことにも納得だ。自身の父が行った人体実験によって生み出された存在など、常人ならば近付きたくはないだろう。
ロマニは実験室で名前を発見した時、痛ましそうな顔をした後に謝罪をしてくれた。気付けなくてごめん、と何もかも諦めたような表情で手を握ってくれた。 あの瞳に映った感情はただ一つ。同情だ。ロマニ・アーキマンは、独りぼっちの苗字名前を哀れんでいたのだ。
「ねえロマニ、聞きたいことがあるの。あなたが与えてくれた名前は、元々わたしのものだった?」
「……いや。資料のどこにも、キミの名前は載っていなかった。苗字名前という名は、正真正銘ボクが考えたものだよ」
「そっか。それじゃ最後に一つだけ。わたしの寿命はもう長くない。合ってる?」
「…………うん。今のキミは、人間の身体にホムンクルスの部位を無理やり移植している状態だ。遠くない未来、激しい拒絶反応が出ることが予想できる。もちろん、出来る限りの処置はしているけど」
「ありがとう。あのねロマニ、お願いがあるの」
「うん?」
私は今から、この人を傷付ける。いつだって優しかった、誰よりも愛おしい人の心に棘を残す。
「少し、距離を置かせてもらってもいいかな」
「それは……」
「私、本当に面倒臭い女だから。正直、今のままでロマニと付き合っていける自信が、なくて」
「…………そっか、分かったよ。ボクはパーティーに戻るけど、もし気が向いたら来てね。無理してボクの近くに来なくても大丈夫だから」
*
「ねえねえレオナルド。すこし距離をおきたいって、どういうことなんだと思う?」
レオナルド・ダ・ヴィンチは、机の向かいでベロベロに酔っ払うロマニを見て嘆息する。名前の部屋から戻ったかと思えば、いつもからは考えられない程に酒を煽り見事に出来上がってしまっていた。スタッフや本日の功労者であるマスターは全員部屋へ帰ったため、気が抜けているのもあるだろう。
ダ・ヴィンチはカルデアが執り行っていた実験に関しても全て記憶しており、名前の心情も薄々察していた。
苗字名前は、ロマニ・アーキマンを心底愛している。その感情は今だって変わらないだろうし、これからも色褪せることはないのだろう。何故ならば、名前にとってロマニこそがヒーローであり、世界の始まりであるからだ。たとえ想いの形が変わったのだとしても、自身の身体が長くもたないのだとしても、根底にある愛情が覆る筈もない。
だが、恋人関係を解消したいと申し出た。それはきっと、ロマニを想ってのことなのだろう。
───魔術師のモルモットに成り下がっていた自分が、ロマニの貴重な時間を奪ってはいけない。今、自分に向けてくれている好意は同情から発生したものに違いない。付き合うならば、もっと魅力的なひとにするべきだ。
名前の思考なんて、ダ・ヴィンチでさえ容易に推察できるのだ。恋人であるロマニが考えつかないわけはない。それでも本気でショックを受けているのだから、名前の心配など杞憂に過ぎないのだ。
「…………ボク、振られちゃうのかなあ」
翡翠の瞳に膜を張る涙を見て、ダ・ヴィンチはグラスを片手にギョッとする。召喚されて以来、ロマニ・アーキマンが感情的な振る舞いを見せるのはこれが初めてだった。
「おいおい。あくまでそうなるかもしれないって言ってたんだろう? 名前はきみにベタ惚れなんだから、可能性は低いと思うけど」
「でも、好きなだけじゃどうにもならないことがあるって、日本の少女漫画にも書いてあったし」
「何でそんなもの……、ああそうか。ロマニ、きみは名前のために日本のことを色々と勉強していたね」
「同情とか憐憫とか、そういった感情を抱いていたことは認めるよ? 名前をあんな目に遭わせた組織の一員として責任を感じていたし、名前の心を守らなきゃいけないと思ってた」
「うん、きみはそういうやつだよな」
「でも、……でもね。名前の寝起きって物凄く可愛いんだ」
「は?」
「徹夜明けでも名前に笑いかけてもらったら全力で頑張れるし、むしろもう一週間くらい起きてられるかなって思えるんだよ」
「それ、完全に深夜テンションだろう?」
「なんだと!? あのふにゃっとした笑顔の破壊力を知らないからそんなことが言えるんだぞ! ボクが疲れてるとお茶とかコーヒーとか淹れてくれるし、掌のマッサージだってしてくれるし、寝てる間に抱き着いてくれるのも最っ高に可愛いんだからね!」
「……本当に、いつも不思議に思うよ。きみが真っ当な恋をしているなんて」
「そうかな。ボクが名前を好きになったのは、運命だと思ってるよ」
ロマニらしからぬ言葉に、ダ・ヴィンチは幾度も瞬きを繰り返す。誰のことも信用できず、十年以上ずっと一心不乱に知識だけを吸収してきた男だったのに。ロマニはきっと、自分が変わったことにすら気付いていないのだろう。 相手の全てを受け入れ、慈しみ、ただひたすらに尽くす。恋が盲目と言うならば、彼らが互いに抱いている感情は間違いなく愛だ。それは、自身を犠牲にしてまで相手を一途に思い遣る気持ち。
「なあロマニ、仮定の話だ。もしも名前がカルデアにいなかったとしたら、一体どうしたんだ?」
「探しに行くよ。名前に出逢わない人生なんて、今のボクは考えられないんだ。傲慢だって、強欲だって、指をさされてもいい。どんな手を使っても会いに行く」
「そうか。なら、もう一回振り向いてもらわないとね」
「……うん。でも、しつこい男だって思われないかなあ。これ以上嫌われたりしたら立ち直れないんだけど」
「まあまあ、骨くらいなら拾ってやるからさ」
「それ玉砕前提で言ってるよね!?」
*
お月見パーティーの日から数日が経った。 ロマニとは必要最低限の会話を交わすに留め、名前は立香ちゃんやサーヴァント達との訓練に勤しんでいた。記憶を取り戻してからというものの、名前はこれまでが嘘のように魔術を使えるようになったのだ。これは嬉しい誤算だと思いながら、現在は主にキャスターから教えを受けている最中である。
そんな自身の最大の変化といえば、眠っても悪夢を見なくなったことだろうか。それも当然だ。あの夢は全て、わたしの過去の経験なのだから。
洗面台で顔を洗ってから、名前はスタッフ全員の朝食を作るために部屋を出る。眠れたのは一瞬だったが、今はとにかく単純作業をして負の感情を追い払いたかった。普段よりも少し早い時刻だが、早い分には問題ないだろう。
「あ、……おはよう。名前」
扉の横に、ソワソワと落ち着きなくロマニが立っていた。名前は瞬時に不器用に笑顔を形づくる。
「うん。おはよう、ロマニ」
「突然ごめんね。ええと、どうしても一つだけキミに伝えたいことがあって」
「いいよ。部屋に戻った方がいい?」
「いや、此処でいいよ。この時間なら人通りもないだろうし」
ロマニは突如片脚のみ跪き、名前の掌を掬うように絡め取った。滑らかな肌触りの手袋が、指先を柔らかく包み込む。
「ロマニ……?」
「名前、愛してるよ」
ケーキのように甘い視線に射抜かれ身動きが取れずにいると、ロマニは名前の手の甲にそっと唇を寄せた。
「……っ!」
「ボクはね、同情で女の子にキスできるほど優しくないんだ。自分の意思でキミを好きになったし、本気でキミを愛してる。これだけは信じてほしい」
ロマニが触れた箇所が、燃え上がるように熱くなる。彼の僅かばかり紅潮した頬を見て必死に心を落ち着けようとするものの、どうしたって心臓は言うことを聞かない。
けれど、今ここでロマニの優しさに甘えてはいけないのだ。彼には誰よりも幸せになってほしいから。中途半端な覚悟しか持ち得ない自分など、これっぽっちも相応しくない。
「遅かれ早かれロマニを傷付けるくらいなら、私は今の内に距離を置いた方がいいと思う」
「ワガママでごめん。それでもボクは、最後までキミと一緒にいたいよ。キミと共に在ることこそが、ボクの幸せなんだ」
「……私、ロマニに何も恩返し出来ないのに?」
「名前の笑顔が、ボクにとっては何よりの宝物だよ」
名前の心が、魂が、身体の芯が震え出す。
「……ロマニ、そんな台詞どこで覚えてきたの?」
「あー、やっぱりクサかったかな。これでも全部、ボクの本心なんだけど。……情けないことに、キミに振られたくなくて必死に考えてきたんだ」
何もかも全てが堪らなくなり、名前は膝をついてロマニに抱き着いた。背中に回った腕の力強さに、涙がつんと込み上げてくる。
「私、自分の記憶を取り戻した時にね、ジャンヌ・オルタを思い出したの。彼女は最期まで自分が紛い物であることを知らないままだった。それはきっと、とても幸せだったんだろうなって」
「うん」
「でもね、今は身体の期限が残り少ないことが分かって良かったと思ってる。これからの時間を大切に使うことが出来るから。……あの日々を幸福だったと言うことは出来ないけど、私はあなたに逢えたから。もうそれでいいんだ」
「名前。ボクは、キミに恨まれても当然だと思ってる」
「そんなわけないのに。───私はずっと、あなたの名前を呼び続けるって決めたの。あなたが幸せであるように。あなたが自分で自分を認めてあげられるように。あなたが、人から愛されているのだと実感してくれるように。だからね、私がロマニを恨む筈なんてないんだ」
「…………そっかあ」
涙に濡れた声が頭上から降り注ぐ。互いの存在を確かめるように身体の輪郭をなぞって、体温を分け合って、引き寄せられるようにして唇を重ねた。
───私は生きるよ。あなたを想いながら、最後まで笑ってみせるから。
*
それから更に数日後。団子盗難事件の主犯は月の女神アルテミスであった、と立香ちゃんから報告を受けた。 全ての原因は、英霊召喚システムが確立されたカルデアにおいて、月へ捧げる供物を作ってしまったこと。強制的に儀式が発動する結果となり、彼女を叩き起こしてしまったのだという。
なるほど。確かにそれならば、名前が呼び起こしたと言えるだろう。
「名前さん、アルテミスから伝言なんですけど」
「ん?」
「”ごめんなさい。末永くお幸せに”とのことで」
「ふふ。立香ちゃん、ありがとう。またアルテミスを呼ぶためにも、美味しいお団子をたくさん作らなくちゃね」
「はい!」
これから再び特異点にレイシフトをするという彼女達を見送ってから、すっかり自分の定位置となった管制室の司令席へと座る。自然と重なった視線に胸をときめかせ、名前は少女のように微笑んだ。
「今日もよろしくね、ロマニ」