名前達は、先程とは打って変わり真面目に顔を突き合わせていた。今後の方針を話し合うためだ。

オケアノスの異変について、カルデアはあらゆる角度から全容を吟味していく。この世界には、本来あってはならない筈の聖杯が存在すること。敵方によってもたらされた解決すべき変調が山のようにあること。敵方の聖杯を回収することの意義。財宝が埋蔵されている可能性。そして、ギリシャ神話を再現しているこの特異点の真の黒幕について。

現状判明している事実をつまびらかにしても敵の正体を掴めずにいたカルデアに向けて、ダビデ王はあっけからんと笑いながら希望の爆弾を落とした。

「僕、敵の正体を知ってるよ。実は召喚されてからずっと狙われてたんだよね」
「誰にですか!?」
「あ、名前気になる? 僕と結婚してくれるなら教えてもいいよ」
「……人類が滅びたら、その約束自体も反故する形になってしまいますけど」
「あー、分かったよ。それなら今度、また君の手料理を食べさせてほしい」
「はい、それならお易い御用です。それで敵の正体は?」

今にも画面に飛びかかりそうなロマニを片手で抑えつつ、名前はへらりと顔を赤くする王に問う。 結局、名前がメインオペレーターを務めることで決着がついたため、ロマニは隣にいるものの通信画面には映っていないのだ。

「うん。ヘラクレス」

ギリシャ神話の中でも最強の英雄と名高いその名に、名前は思わず目眩がした。知恵や腕力、勇敢さに関して言えば、オリンポス十二神でさえ敵わないとされる程の大英雄だ。十二の功業にまつわるエピソードが有名であり、その功績から死後は半神でありながら神と同等の存在として祭り上げられている。 英霊として現界したならば、恐らく破格の生命力と筋力を誇るに違いない。そのヘラクレスから無事に逃げ仰せたダビデさんも、流石というべきだろうか。

だが悲観してばかりもいられないと、名前は更に情報収集をしていく。

「構図としては、ヘラクレスの下に誰かが付き従っていた、ということですか?」
「いいや、彼はバーサーカーだったからまるで言葉が通じなくてね。乗組員として船に乗っていたようだったけど」
「なるほど。他の乗組員については分かります?」
「いや、申し訳ない。観察する暇もなくひたすら追いかけられていてね……。落ち着くまで身を隠していようかと思ったんだけど、なんだか運命の出会いが待っている予感がして身体が赴くままに此処まで来たんだ。きっと名前に出逢うためだね」
「……あの、ダビデさん」
「ん? ああ、別に何も求めてないから大丈夫だよ。僕はただ君を口説きたいだけだから」

ニコニコと屈託なく笑うその表情に、軽薄な色が滲んでいる様子は見えなかった。そもそも面白半分で揶揄うならば、ドレイク船長をはじめとした屈強な女性陣の前で堂々と宣言することはしないだろう。だからこそ困惑してしまうし、無闇に受け流したり礼を言うのも違う気がして、名前は口を噤んでしまう。

「あんたね、一丁前に色気づくんじゃないよ」

退屈そうに唇を尖らせるドレイクからは、殺気にも似た苛立ちが感じ取れる。しかし先程と違って、ダビデさんはさらりと受け流していた。

「いいじゃないか。今の僕はいつ消えるかも分からない、だだの羊飼いだからね。本当に大切にすべきものにはいつも手が届かないんだ。少しくらい欲張ってもいいだろう?」
「あぁん? 欲しい物があるんなら力ずくで奪い取ってみな。あんたそれでも男かい?」
「……そうだね、うん。船長からのお墨付きも貰ったことだし、僕は自由にするよ」

そうして、意外な形で話がまとまった。晴れやかな顔になったダビデさんはそれ以上情報を持っていないということで、明日は近くの霊脈を目指すことに決まる。 もう時間も遅いため、立香ちゃんやマシュは早々に身体を休めてしまい、海賊達も地面に寝転がりながら豪快に鼾をかいていた。

皆がすっかり寝静まった頃。マスターの存在証明やバイタルチェックを行うスタッフの横で、名前は通信機の前でにこやかに笑う青年に捕まっていた。

「ダビデさん、寝なくても大丈夫なんですか?」
「うん。君とは直接色々話したかったしね。それに、君も僕に聞きたいことがあるんじゃないかと思って」
「……よく分かりましたね?」
「男っていうのは、気になる女の子のことはよく見てるものだから」

当たり前のようにサラリと放たれた言葉に、名前は笑った。この人はきっと、女を口説かないと生きていけないのだ。

「うん、私の負けだ。ダビデ、答えてくれる?」
「もちろん。話が終わったら、君は自分のやるべき仕事をしていいよ」
「……ありがとう」

軽薄な態度を取りながらも、ダビデは眠ることが出来ない名前のために度々竪琴をかき鳴らした。柔らかくてどこか懐かしい音色がロマニの寝息を彩る様子に、名前はひっそりと耳を澄ませていた。







翌日の朝。海賊島を出て海をしばらく進むと、新緑が眩しい群島が見えてきた。先程まで亜熱帯のジャングルにいたかと思えば、日本の春のように穏やかな気候に放り込まれるのだ。なるべく休息を取ってもらうように配慮したとはいえ、立香ちゃんの身体には厳しいものがあるだろう。 フランスやローマと比べて、此処では船酔いや体調を崩す可能性が格段に上がっている。今回、ロマニを体調管理に専念させたのは正解だったと名前は改めて痛感していた。

船上で和やかに会話を交わす一行の様子を微笑ましく見ていると、突如名前の背筋にピリリと悪寒が走る。探査パネルを確認すれば、本能的に感じたこの危機感は間違っていないのだと確信した。

「立香ちゃん、ドレイク船長! 敵性反応を確認しました。目標は海中を高速で移動中。遅くとも、約五分で船まで到達します。この強大な魔力反応は、サーヴァント───以前船長が戦った、ポセイドンと同種の強敵です」
「っ、分かりました!」
「あいよ。なら砲撃も目くらましにしかならないね」

立香ちゃんがどこか強ばった表情でマシュに声をかける横で、ドレイクは友人が来訪してきたような気安さで笑っていた。 現在は、ちょうど五分ほど進めば島に上陸できる位置で航海をしている。ドレイクがよく通る声で船員に指示を出せば、進路はあっという間に二時の方向へ変わっていった。

「しかし、すぐ近くに島があるとはいえ船底に穴を開けられると不味いね。しばらく動けなくなっちまう。あんたら、何か防ぐアテはあるのかい?」

ドレイクの試すような視線に曝されたマスターは、先程とは一転して明るい笑みを見せる。

「問題ありません。うちのマシュは強いんですよ!」
「せ、先輩……!」

頬を赤らめつつも船頭まで駆け抜けるマシュは、腰を落として戦闘態勢に入っている。やる気は充分だが、海上戦の知識がほとんど無いデミ・サーヴァントには厳しい攻防となるだろう。ならばこちらは数の利に頼るべきだ。 マシュへ寄り添うように歩み寄った青年へ向けて、名前はタイムリミットを告げる。

「ダビデ、射程範囲に突入するまであと一分だよ」
「オーケー、名前。僕は、あくまで時間を稼ぐことしか出来ないけど」
「それで充分。マシュ、島に上陸するまでダビデのサポートに徹して」
「了解です!」
「立香ちゃん、具体的な指示については任せるね」
「はい!」
「ドレイク船長、砲撃での支援をお願いします」
「ああ、任せな」

緊張でビリビリと痺れる背筋を無理やり伸ばし、名前は僅かに震える唇を押し開いた。

「敵の情報を再度共有します。目標は一体。約四分半でこちらへ到達します。海中を猛スピードで移動できる程の泳力を誇ってはいますが、騙し討ち等の方策を取らないことから───正面衝突による船の沈没を狙っていると推測されます」
「ふむ、要は戦略を練る程の頭脳は無いんだね。僕は、逃走経路を確保することに専念すればいいってことだ」
「その通り。海上戦が専門外なら、こちらと同じフィールドに引きずり込めばいいからね。幸い、頼もしい海賊さん達が味方だから」

水平線の上に見え始めた敵の姿に、ダビデはゆるりと口元を緩める。後方では、忙しなく動き回る海賊達の自信に満ちた雄叫びで溢れていた。

「ねえ、名前」
「ん?」
「君の守りたいものを、僕にも守らせてほしいんだ」

ダビデから向けられたのは、全てを見透かしたような、穏やかで切ない言葉だった。

とくり、とくり。怖気づいていた心臓が、いつも通りの鼓動を取り戻していくのが分かる。名前は、医療スタッフと顔を突き合わるロマニの背中と、真っ直ぐに敵を射抜くダビデの後ろ姿を見遣った。胸の奥から、温かな気持ちがどんどん溢れ出してくる。

「ありがとう。ダビデ、まもなくポイントに到達するよ」
「ああ、了解」
「カウント始めます。……三、二、一」
「───ゼロ」

ダビデのしなやかな指から放たれた矢は、海面の僅か上を滑るようにスルスルと伸びていき、やがて目標の手前で着 水する。遠目でも分かる程に激しい水しぶきが上がった。続いて幾つもの鋭い鏃が放たれ、確実に敵の進路を潰しにかかる。 探査パネルを縦に割るように真っ直ぐ伸びていた線が、ようやく小さな揺らぎを見せていた。

「目標、減速します!」
「あいよ! さあアンタ達、行こうじゃないか!」

ドレイクが嬉々として船員に声を上げ、近くの島へ上陸するための準備を整えていく。船周辺では敵性生物が一切感知されないため、マシュや立香ちゃんは忙しなく辺りを警戒していた。 敵サーヴァントは、再び驚異的な速度でこちらを目指し始める。

「やっぱり駄目か。仕留めた方がいいかい?」
「敵は恐らく相当な巨体なの。それを無理なく引き上げられる距離で、こちらに何の被害も無いまま撃ち抜くことが出来るならお願いするけど?」

やめておくよ、とダビデは肩をすくめた。出来るくせに、と内心思いつつ名前はモニターに集中する。 そして、クレタの雷光は鋭い眼光を携えて一行の前に現れた。

その身長は優に二メートルはあっただろう。獣のように雄叫びを上げるサーヴァントは、既に全身が傷だらけだった。 天を仰ぐように備わった黒い角、闇夜を内包したような暗い色を宿す血走った眼、褐色の肌に覆われた筋骨隆々の肉体。純白の髪を振り乱しながら血が滴る足を引き摺る姿は、見る者が見れば化け物だと指を差す程の様相だ。

だが藤丸立香は逃げなかった。毅然とした表情を浮かべながら、信頼する仲間に向けて臆することなく指示を出した。

「マシュ、ダビデ。ドレイク船長。───彼を救うために戦いましょう」







腹に一矢、腕に五発。マシュが盾で守りながら勝ち取った戦果は、敵サーヴァントを沈黙させたことで確実なものとなった。

「えう、……り、あれ」

すっかり戦意を喪失したかに見えたサーヴァントが、うつ伏せになりながら絞り出すように声を発する。子供が親を求めて喘ぐような悲痛な叫びに、名前も思わず眉間に皺を寄せた。 立香ちゃんが近付こうとすれば、彼はなけなしの気力を振り絞って威嚇してくる。指一本でも触れれば喰いちぎってやると言わんばかりの形相だ。

彼がもし黒幕の配下だとするならば、バーサーカーを操るための制御役が最低でも一人は傍にいる筈だ。だがモニターには特に反応が無い上に、敗北してからも彼以外の気配は微塵も感じなかった。 あまりにも特徴的な彼の容貌と、先ほど断片的に零していた名前についても疑問が残る。頭の中で、欠けたピースを一つずつ繋ぎ合わせていった。

そして、特異点も管制室もビリビリとした緊張感に包まれる中、名前は一人緩く口角を上げる。

「───アステリオス」
「……名前さん?」

突如声を張り上げた名前を不審に思ったのだろう。マシュが小さく己の名前を呼ぶ声が聞こえた。心配してくれているであろう友人に向けて微笑んでから、名前はそっと唇を押し開く。

「私は名前。あなたの名前は、アステリオスで間違いない?」
「おれ、あすてりおす。……う、ナマエ?」

つぶらな瞳が自身を捉えたことを認識して、名前は大きく肯いた。

「うん。よろしく、アステリオス」
「よろ、しく……?」
「疲れているのにごめんね。一つだけ聞かせてほしいことがあるの。───あなたは、人間が憎い?」

日本においても、ギリシャ神話の迷宮伝説におけるミノタウロスは有名だ。ミノス王の傲慢さによって生み出されてしまったものの、最期まで光を求め続けた怪物えいゆう。ギリシャ神話において幾人もの人間を殺した彼の本質が、善悪どちらであったのか名前には分からない。 だが彼の瞳は、マシュの眼と似た色を宿していた。純粋無垢で愛を求める己を自覚していない、そんな色。だからこそ名前は、彼の内面を見極めるために問いかけをした。

「おれを、にくむのは、にんげんだ」
「ううん、それは違う。私は人間だけど、アステリオスのことはちっとも憎くないよ」 「……どう、して?」
「私は、あなたのことが知りたいから。何が好きで、何が嫌いで、何を求めるのか。アステリオス自身が知らないなら、これから一緒に知っていきたいと思ってる」
「し、らない。おれは、えう、りゅあれを」
「エウリュアレ。それが、あなたの大切なひと?」

アステリオスは、驚いたように瞳を丸くした。そして、彼自身にとっても不可解な感情が溢れ出たかのように、その頬にぼたぼたと涙が伝っていく。

「おれ、まもらなきゃ、いけなかった、のに」

拙い嗚咽が溢れ出る中、アステリオスの目線に合わせるようにしゃがみ込む背中が見えた。そこに広がっていたのは、太陽のように見る者の心を明るく照らす紅。 現状、彼の心に直接寄り添うことのできる唯一の存在だった。我らがマスターは、何の躊躇いもなくその手を差し伸べる。

「初めまして、アステリオス。私は藤丸立香。もし良ければ、あなたのマスターになりたいと思ってるんだ」
「ます、たあ?」
「そう。アステリオスが守りたいものを、わたしにも守らせてくれないかな」

傷だらけの大きな掌を包み込むように、立香ちゃんの柔らかくて白い手が重なる。

その瞬間。彼女は確かに、英雄アステリオスにとってのヒーローとなったのだ。







「うん、医療器具はこれで充分だ。マシュなら扱うことが出来るだろう」
「ロマニ、ありがとう。こっちも物資の用意は完了したから───。ダ・ヴィンチちゃん、転送準備をお願い」
「はーい、承りました! ……で、名前。いい加減少しは休もうか」

上陸した島にちょうど霊脈が存在していたため、職員達は一丸となって物的支援を行うために準備を進めていた。 召喚サークルの設置が完了したこともあり、特異点にいる面々には現在休息の時間を取ってもらっている。だが今後いつ急襲されるか不明なため一時も油断は出来ず、今後の方針も再び話し合わなければならない。名前一人だけのうのうと寝こけているわけにもいかなかった。

「大丈夫だよ。私、まだまだ頭働いてるし」
「そういうことじゃなくてさ。ちゃんと甘えてきなさいってこと」
「え?」

突如背後からのしかかった熱に目を白黒させていると、ダ・ヴィンチちゃんは笑いながら軽やかに身を翻していた。その後、彼が立香ちゃんと会話を交わす明るい声が聞こえてくる。 アステリオスの回復を待つことは、これからの航海を順調に進める上でも重要な意味を持つのだ。そのため、ダビデやドレイク、マシュでさえ彼とコミュニケーションを取るべく努力している様子が伺えた。ダビデも案外面倒見が良い一面があるらしいと知り、微笑ましく感じる。

しかし、目下名前の意識を奪っているのは、背中にぴったりと寄せられた柔らかい熱の持ち主だ。名前の全身を包み込むように指先を滑らせたかと思えば、最後にそっと掌を重ねられる。すっかり嗅ぎ慣れたロマニの甘い香りがした。

「名前、お疲れさま」
「お、お疲れ。いきなりどうしたの……?」
「頑張ってる名前を労りたいのと、ボクがキミに触れたかったのと、……少しヤキモチを焼いただけかな」
「んん!?」
「あはは、驚いてる」
「いや、そりゃ驚くよ!?」

顔が見えない状態であっても、ロマニが心底おかしそうに頬を緩めているのが分かった。背中に感じる激しい鼓動をBGMに、名前は視線を足元に落とす。職員に配給された白いブーツが僅かばかりくすんでいた。

二人きりの時にだけ聞かせてくれる甘い声が、脳髄にまで染み渡る。

「この現状は、キミでなければ創り出せなかった。カルデアの司令官として礼を言わせてほしい。───ありがとう、名前」
「ううん、こちらこそ。……でもねロマニ。これ以上、私のこと甘やかさないで」

え、と気の抜けたような声が零れると同時に、名前はロマニの腕から抜け出した。きょとりと丸まった綺麗な翠色を視界いっぱいに満たしてから、その柔らかな両頬に手を添えて背伸びをする。 一瞬触れただけでも、身体の内側にやさしく温かい火が灯っていった。

「私は、ロマニがいれば何だって頑張れる。だから今は、少しだけ背中を押してもらってもいいかな」
「……うん、わかった」

呆然としたように動きを止めてから、ロマニは手の甲で口元を覆い隠している。もう何度も交わしている筈なのに、首筋まで真っ赤だ。

「ねえ名前。今度の休みにデートしようか」
「……デート?」
「ほら、お月見の時に管制室で月を映してもらっただろう? あれと同じ要領で、プラネタリウムみたいにしてさ」
「うん、……素敵。それなら私はお弁当でも作っていくよ。温室にビニールシートを敷いて、花を見ながらお喋りしよう?」
「ああ、いいね。あとは名前が好きそうな映画のDVDを用意しておくから、一緒に観ようか」
「ありがとう。夜は泊まっていいの?」
「い、……いいけど」
「ん、なら準備しておくね。はい、約束」

指切りするために小指を差し出せば、ロマニも恐る恐る絡ませてくる。

───明るい未来を夢想すれば、いつかきっと本当になる。それを名前に教えてくれたのは、他でもないロマニ・アーキマンだった。