エルサレム(6)
カルデアの周囲を取り巻く魔力反応が減退したのを受けて、名前は密やかに安堵の息を吐いた。
ソロモンの一番弟子として、肝心な場面で失態を晒すわけにもいかない。マーリンやカルデアのキャスター陣から教えを乞うて、時間をかけて勘を取り戻した甲斐もあるというものだ。
魔神柱から吸い取った魔力をカルデアへ供給すれば、数多くの気配が施設内部に散らばっていくのが分かった。七つの特異点をマスターと乗り越えた彼らならば、この場所を安心して任せることができる。
「名前、やっぱりここにいた!」
「ふふ。ブーディカ、わざわざ来てくれたの?」
管制室へ真っ先に飛び込んできた友人は、いつもと変わらぬ明るい笑顔を届けてくれた。名前の正体を知りながら普通の女の子として接してくれた彼女には、ひたすら感謝するばかりだ。
力強いハグを一瞬交わした後、やさしい掌が名前の両肩に添えられた。
「此処はあたし達に任せて。女神の名にかけて、何が何でも守り抜いてみせるから」
「うん、信じてる。あ、それと……伝えておかなきゃいけないことがあるの」
彼女の耳元に唇を寄せれば、自然と司令席に立つ彼と目が合った。
「私の宝具は、私の身に何があったとしても、しばらくは保つから」
「……うん、分かった」
身体を離して、頼もしい友人と微笑み合う。
「よし。それじゃ行こうか、名前」
突然第三者に名を呼ばれ、ぎょっとしながら振り返ると、にこやかな笑みを携えた羊飼いが片手を振っていた。 ブーディカの控えめな笑い声が響く中、名前は呆れながら肩をすくめる。
「あなたのエスコートは、もう終わったんじゃないの?」
「さっきは単に、父親としての役目を果たしたにすぎないだろう? 今は、君の友としてこの場に立っているのさ。……それとも僕は、君が背中を預けるに足る存在ではないのかな」
「そういうずるい言い方をするところ、本当に親子そっくり。友人として警告しておくと、色々と誤解を招くからやめた方がいいと思うけど?」
「そうか、分かった。以後気を付けよう」
和やかな雰囲気が漂うものの、いつまでもこの場に留まっている訳にはいかない。
手筈通りレイシフトの準備を終えて、名前は管制室をぐるりと見渡した。立香ちゃんを共に支えてきた仲間達が、長い間嘘を隠し通した名前を優しく見送ろうとしてくれている。彼らが紡ぐいつも通りの笑顔を受け取れただけで、晴れやかな気持ちが身体の隅々にまで満ちていった。
そうして優しく温かな声援に背中を押され、名前は知己と並び立って特異点に足を踏み入れる。
司令席でその様を見つめていた万能の天才は、隣に立つ友人が穏やかな顔で笑うのを見て、軽く肩を小突いた。
「声をかけなくて良かったのかい? 旦那様」
「いいの。ボクはもう、寂しいって泣くだけの子どもじゃないんだから」
*
「さて、無事に君と二人のデートに漕ぎ着けた訳だけど」
ダビデは軽口を叩きながらも、眼前に迫り来る魔神柱を容赦なく弓で射っている。余裕綽々な様子に半ば呆れつつ、名前もまた魔術によって彼をサポートし続けた。
カルデアにて発動した己の宝具は、特異点の魔神柱たちの力も例外なく削いでいるようだ。空間そのものに焼き付いたメモリーに目を配りながら、名前は目指すべき場所へと駆け上がっていく。
「行くんだろう? 弟の元へ」
「ええ」
「了解。なら僕は、邪魔にならないように退散しようかな」
何の気なしにダビデが口にした言葉は、予想していた通りのものだった。相変わらず、器用なようで不器用なのだから笑ってしまう。
「ダビデ」
「ん?」
「ありがとう。あなたが来てくれて、本当は嬉しかったの」
素直に本音を口にすれば、ダビデは何もかも得心したような顔で頷いた。
「君は、ただでさえ自分に厳しい女の子だからね。素直に礼が言えるようになって感心だ」
「もう、大きなお世話」
「名前」
「ん?」
「僕やソロモンにとって、紛れもなく君は太陽 だったよ。どうか忘れないでおくれ」
ダビデが素早く背を向けた次の瞬間、名前もまた、彼の意思を無駄にしないため踵を返す。……まったく、それはお互い様だというのに。
特異点に集結した英霊達は、玉座までの道を切り開く役目を十二分に果たしていた。無限に再生し続ける魔術王の配下を目の前にしても怯むことなく対峙し、今まで縁を繋いできたマスターのために全力を尽くしている。
彼らの勇姿を横目に戦場を駆け抜け、名前はついに弟を見つけた。心底退屈そうな瞳をついとこちらに投げた美しい海神は、一瞬にして驚愕したように目を瞠る。
「久しぶり、ポセイドン」
「…………、我は主など知らぬ」
「あら、そういう態度を取るのね。こちらも時間はないし、手短に用件を伝えるけれど」
「……何だ」
姉として慕ってくれた、幼くあどけない弟の笑顔が脳裏を過ぎる。激情に支配された彼から受けた蹂躙の数々を、イスラエルで彼の腹を貫いた感触を、鮮明に思い返す。
「もう一度、私を殺してほしいの」
*
人が抱く献身的なまでの愛情は、本来ならば決して神には届かない。神は常に全ての物事を俯瞰し、無駄を排除し、傷付く心を持たないからだ。 だが、それでも神を完璧な機構と定義することは出来ないだろう。彼らには喜怒哀楽の感情があり、中には愛情と呼ぶに値する執着心さえも持ち得ている。
だがしかし神はあくまで神であり、人のごとく人に愛を与えることは叶わない。人のごとく愛を持つことも叶わない。
神が愛を得るためには、神としての存在価値を自らの手で消滅させるしかないのだ。
*
人間とは、死を乗り越えて前を向いていける強さを持つのだと、彼女は語った。 悲しみに暮れても、怒りを抱えても、恨みで心が満ち満ちても。自らの弱さに向き合い、受け入れ、明るい未来を紡ぐことの出来る生き物なのだと。
だが、目の前で悲嘆に暮れる王はどうであろう。愛する人に自ら手をかけ、風前の灯であった貴女を見て笑っていた王を見て、私は。私は。私は。………………、……。
もしもあの日、私が貴女を街の散歩へと誘わなければ。この手が、神を滅ぼせる程の───人類を焼却できる程の、強大な力を持ち得ていたならば。
何かが違ったのだろうかと、今でも思わずにはいられなかった。
*
人理焼却式、魔神王ゲーティア。彼こそは、ソロモン王の遺体に巣食い、人類史を犠牲にすることで新たな惑星の創世を試みる、人類最古の意思を持った魔術だ。
ビーストとしてマスターの前に立ちはだかった彼は、その胸に抱く夢を悠々と語る。 あらゆる生命が迎える死の結末を忌避した結果、消滅という概念の存在しない世界を創り上げようとしたのだと。 人間は、醜く無力である。ならば、高次元の生命体が跋扈する星の誕生こそが希望であろう。そう、高らかに宣言した。
その目的を達するがために装填された宝具は二つ。 まずは、第二宝具。戴冠の時きたれり、其は全てを始めるもの 。これは、通常の時間とは隔絶された虚数空間に存在する終局特異点、冠位時間神殿ソロモンそのものだ。
次に、第三宝具。誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの 。人類史の全てをエネルギーとして変換し、ゲーティア自身が原初へと至るための手段として生み出された光帯。三千年という時をかけて収集した膨大な熱量は、遥か昔への時間逆行をも可能とする。
ゲーティアは、玉座に肉薄したマスターとマシュを嘲り、魔神と称するに相応しい禍々しい容貌へとその身を変化させた。硬い鱗のような肌はひび割れ、丸太のように太い腕には幾つもの赤い魔眼が蠢いた。 人類の終了を告げるために自己変革を試みた彼は、普遍的な人類ならば誰もが持ち得ている喜怒哀楽を胸に、全力で第三宝具を放とうとする。
間違いなく世界を滅ぼせる程の宝具を前にして、マシュ・キリエライトが決死の覚悟で盾を抱え直し、敬愛するマスターを見つめ直そうとした───その瞬間。
白亜の玉座にゆるりと足を踏み入れた、ひとりの女性がいた。
「ゲーティア」
その凛とした声は、空間を裂くような鮮やかを帯びていた。彼女と同じ空気に浸るだけで、その穏やかな瞳に見つめられるだけで、ゲーティアは慚愧に胸を衝かれたような想いに支配される。
気付けばキャスパリーグが彼女の脚に擦り寄り、剥き出しとなった柔らかな肩に飛び乗っていた。いくら格が落ちているとはいえ、女神たる彼女が千里眼と交流を持つのは自然なことだ。眼下の光景に驚愕する必要はないだろう。彼女が生きてカルデアにいたことも、ゲーティアは末端からの報告で既に知り得ていた。
しかし。しかし、である。ゲーティアは、彼女にだけはこの姿を晒したくなかった。もしも再び出逢うことがあるならば、彼女の中に残存する美しい記憶のままでいたかった。
「……ッ、何故貴様がここへ来た!」
「あら。子どもが悪いことをしたら、叱るのが大人の役目でしょう?」
絶句した。だが、その言葉で迷いが瞬時に吹き飛んだ。
「───ならば、貴様諸共すべて消え失せるがいい!」
*
古代から現代に至るまで、名前は肉体を失ったまま地上を放浪し続けた。
それは、シバの協力を得ることで精霊が持つ霊器を借り受け、人間には目に見えない存在として大地に恵みを与えていく行為であった。名前は世界各国の栄枯盛衰を見つめ、文明を発展させるために人知れず実りを齎し続けた。
たとえほんの少しであろうとも、過去に傷付けてしまった人々に対する贖罪になることを、切に願いながら。
そんな己にとってのターニングポイントは、大きく二つあった。
一つ。中世のブリタニアにおいて、魔術師マーリンと取引を行ったこと。オリーブの木を元に密かに作り上げていた杖を託し、来るべき時が訪れた際に『わたし』を導いてくれるようにと依頼した。 結果として、マーリンは最善の仕事を果たしてくれた。こちらが返せたのは微々たるものだったが、無造作に扱われがちな彼の心が、少しでも慰められるようにとこれからも祈っている。
二つ。二十一世紀の南極において、苗字名前を見つけたこと。いつどこで誕生するか分からなかった彼女を探すべく、過去に交わした言葉から知識を炙り出し、明くる日も明くる日も地上を彷徨った末。人体実験の結果として、命を散らしかけた娘の笑顔に遭遇した。
名前は今度こそ娘の最期を見届け、彼女の魂を元の身体に戻すことが叶ったのだ。
その際、古代イスラエルにいた頃から編み上げていた魔術を発動させることで、名前は自らの記憶を封印し、誰にも真名が明かされることのないよう隠蔽を行った。
彼女の精錬な魂と無垢な身体に、ただ普通の女の子としての生活を知ってほしかった。哀れな女神の存在など消し去って、幸せに生きてほしかった。
カルデアで何事もなく時を過ごしたならば、女神としての名前の魂は完全に消滅し、時間逆行を遂げた名前も穏やかな眠りにつくことが出来たであろう。
けれど、厳重に鍵をかけた筈の名前の心の扉は、再び愛した男性によって開かれてしまった。女神としてではなく、一人の人間のように誰かを愛する喜びを知ってしまった女は、全てを思い出し、全てを悟り、全てを諦めた末、己の心に従うことを決めた。
───私の愛したひとはいつだって、私の笑顔を一番に望んでくれていたのだから。
*
「マシュ、立香ちゃん。ごめんね、少しの間だけ私に任せてもらえるかな」
何もかも察したように力強く頷いた少女達に微笑みかけてから、名前は宝具発動の準備に取り掛かったゲーティアを見つめ直す。
二人はきっと、見ている筈だ。終局特異点の空間に焼き付いたメモリーを───ゲーティアが抱く、名前やソロモンとの記憶を。
カルデアで出逢った二人の少女は、己の娘にどことなく雰囲気が似ていた。彼女たちの心根に惹かれたのは間違いないが、その根底には贖罪の気持ちがあったのかもしれない。 だが、二人に優しくしたいと思ったのは紛れもなく名前自身の感情だ。感謝こそすれ、後悔など微塵もしていない。
「ゲーティア、遅くなってごめんなさい」
「今更……ッ、今更、貴様に何が出来る! 無力で貧弱なだけの愚かな女神に!」
「そうね。あなたの言う通り」
名前は今まで、数多くの大切なものを取り零してきた。ずっと愛していたかったのに、慈しんでいたかったのに、傷付けてしまったひとが数多くいた。だからこそ、今ここで過去にケジメをつけなければならない。
「おいで、ゲーティア。すべてを受け止めてあげる」
「……いいだろう、無様に死に絶えるがいい。───第三宝具、展開。今この時を以て、人類の終了を告げる!」
三千年の時を濃縮した、膨大な熱量が眼前に迫る。気が遠くなるような年月をかけて積み上げられた想いが、全力で名前に投げつけられる。 それは、どのようなサーヴァントであっても触れただけで消滅しかねない程の、莫大なエネルギーの塊だった。ビーストとして人類の存在を否定した獣の激情が詰まった光は、きっと宝具とあらばたちまち無効化してしまうのだろう。
けれど、英霊の座に登録されることなく、神代から現代までの時をずっと生き続けてきた己ならば。三千年の時を知る名前なら、積年の想いに触れることも叶う筈だ。
「宝具、展開します!」
今から放つのは、娘を攫われ怒り狂った女神の蛮行が昇華された宝具である。その事実を理解していながら、今回も理不尽に命を摘み取ろうとする己は、いつまで経っても愚かなままなのだろう。
けれど、私の愛を私だけは否定してはならない。私の誇りを、私だけは踏み躙ってはならないのだ。
「───ッ、冬を齎す破壊の女神 !」
それは、サーヴァントが所有する貯蔵魔力を根こそぎ奪い尽くす大魔術。擬似的に冬を再現し、周囲に存在する生命体を消滅に追い込むその術は、オケアノスにて『デメテル』が展開した魔術と似て非なるものだ。
なぜなら、『デメテル』は魔術の扱い方を知らない素人だったから。元々、ソロモンから資質を褒められる程には魔力量やセンスがあったものの、所詮はそれだけだ。魔術王から教えを受けた今では、精密に結界を張り巡らせ、手ずから作り上げた魔術道具によって味方を守ることだって可能である。
他人を傷付けることしか出来なかった昔の自分は、もういない。
「…………ッ」
ゲーティアの熱が、玉座の全域に展開した結界に触れる。名前がすべきなのは、目の前のエネルギーを受け止めきること。すべてを吸収し、包み込み、カルデア最後の希望を守り抜くこと。
しかし、これは、予想以上の熱と衝撃だ。本来ならば、こんな脆弱な神のなり損ないなど、とうに消滅していても不思議ではないほどの力で満ちていた。
現在この場に立つ身体を構成するのは、長い時を経て極限にまで磨り減った女神の魂でしかない。人間としての名前の肉体は既に活動を終え、安息の眠りについた。彼女に二度も苦痛を与えることなど、決してあってはならなかった。
肌を模した薄い膜がびりびりと震え、今すぐにでも溶けてしまいそうだった。どうしようもなく痛くて、熱くて、目が焼けてしまいそうな程に眩しくて仕方ない。 けれど、ゲーティアか放った叫びは、他でもない名前が受け止めるべきものだ。たとえこの身体が朽ち果てたとしても、全身が苦痛で張り裂けたとしても、明るい星の輝きを曇らせるだなんてさせてはならない。
私はこれ以上、大切な子ども を傷付けていい筈がないのだ。
「ぐぅうぁあ……ッ、あぁあああッ」
───すべて、受け切った。永遠にも思えた程の苦悶の時が終わり、視界が再び鮮やかな色で満ちていく。 関節を切り裂かれるような痛みが全身に滲むものの、名前の気持ちは清々しかった。
ゲーティアは一瞬愕然とした顔を見せたが、満身創痍な名前の様子を目にしてすぐに元の調子を取り戻していく。
「はは、ははははははは! いいだろう、貴様が無様に散るまで何度でも第三宝具を放つだけだ!」
「……うん。なら、私も何度でも迎え撃つね」
名前は決して、もう二度と折れはしない。自分勝手な精神構造は昔からずっと変わらないが、己の責務を把握できるくらいには成長したのだ。
改めて決意を固め、手元の杖を地面に突き立てる。嘲笑の顔を崩さないゲーティアを見つめ、背後で息を呑む二人の気配を感じ取る。
「……ロマニ、ごめんね」
名前は左手の薬指をなぞり、唯一の後悔を呟いた。 そして、誰にも届かない筈の小さな声を最後に、切り札を切ろうとした、───まさにその時だった。
「まったく、相変わらず強情なお母様だこと。ソロモン、どうにかしてくださらない?」
「うーん、こればかりはボクにもなあ。頑固なところも彼女の魅力だから」
「ふふ。ペルセポネーさんもそう思ってらっしゃる筈なのに、素直じゃないですね」
異なる三人の声が耳に届いて、思わず名前の時は止まる。ひどく息が詰まって仕方ない。
───彼がこの場に訪れることは、当然予想がついていた。けれど。けれど、……嗚呼。こんなことが、あっていいのだろうか。
震える掌を抑えつけて、恐る恐る振り返ろうとすれば、それより前に背中に触れた熱が名前に語りかけた。
「名前、お待たせ」
「……ロマニ」
「うん。ボクは今度こそ、キミを独りにさせないよ」
ゆっくりと身体を反転させると、この一年常に名前の心に寄り添ってくれた笑顔が、そこにはあった。両肩に触れた掌が名前の頬を滑り、傷付いた身体に勇気を与えてくれる。
そんな彼に負けじと、一歩前に踏み出した女性の美貌を目にして、名前はただ目細めるばかりだった。
「ペルセポネー、……相変わらずあなたは綺麗ね」
「ふふん、当然です。私はお母様の娘ですもの」
弟ハデスと共に冥界を治めた、ギリシャ神話に登場する春の女神。ペルセポネーは、黒を基調としたワンピース風の服を颯爽と揺らしつつ、金糸のような髪をさらさらと靡かせる。凛とした鮮やかな笑みが、ようやく名前の手の震えを治めてくれた。
「お母さん」
最後に歩み寄ってくれたのは、あどけない少女の微笑みだった。柔らかくて、優しくて、太陽の香りがいっぱい詰まった掌の温もりに、鼻の奥がつんと痛んだ。
「……っ、名前」
「はい。わたし達は、お母さんの力になるために此処へ来ました」
己が罪の象徴であり、愛の権化たる三人が、こんな愚かな女の元へ集ってくれた。その事実に心が震える程の喜びを覚えて、途方もなく泣きたくなってしまう。
「ソロモン、だと……?」
ゲーティアの言葉を受けて、ロマニはソロモンとしての霊基を再現していく。 三千年もの間ずっと焦がれ続けた輪郭を、名前は目でなぞり、心に刻み付けるように微笑みを零した。
生前目にすることのなかった白銀の髪に、喉の奥が熱く震える。やがて名前は、ロマニとゲーティアの対話に耳を澄ませていった。
「ゲーティア。私たちは、おまえに引導を渡すために来た」
ソロモンの一番弟子として、肝心な場面で失態を晒すわけにもいかない。マーリンやカルデアのキャスター陣から教えを乞うて、時間をかけて勘を取り戻した甲斐もあるというものだ。
魔神柱から吸い取った魔力をカルデアへ供給すれば、数多くの気配が施設内部に散らばっていくのが分かった。七つの特異点をマスターと乗り越えた彼らならば、この場所を安心して任せることができる。
「名前、やっぱりここにいた!」
「ふふ。ブーディカ、わざわざ来てくれたの?」
管制室へ真っ先に飛び込んできた友人は、いつもと変わらぬ明るい笑顔を届けてくれた。名前の正体を知りながら普通の女の子として接してくれた彼女には、ひたすら感謝するばかりだ。
力強いハグを一瞬交わした後、やさしい掌が名前の両肩に添えられた。
「此処はあたし達に任せて。女神の名にかけて、何が何でも守り抜いてみせるから」
「うん、信じてる。あ、それと……伝えておかなきゃいけないことがあるの」
彼女の耳元に唇を寄せれば、自然と司令席に立つ彼と目が合った。
「私の宝具は、私の身に何があったとしても、しばらくは保つから」
「……うん、分かった」
身体を離して、頼もしい友人と微笑み合う。
「よし。それじゃ行こうか、名前」
突然第三者に名を呼ばれ、ぎょっとしながら振り返ると、にこやかな笑みを携えた羊飼いが片手を振っていた。 ブーディカの控えめな笑い声が響く中、名前は呆れながら肩をすくめる。
「あなたのエスコートは、もう終わったんじゃないの?」
「さっきは単に、父親としての役目を果たしたにすぎないだろう? 今は、君の友としてこの場に立っているのさ。……それとも僕は、君が背中を預けるに足る存在ではないのかな」
「そういうずるい言い方をするところ、本当に親子そっくり。友人として警告しておくと、色々と誤解を招くからやめた方がいいと思うけど?」
「そうか、分かった。以後気を付けよう」
和やかな雰囲気が漂うものの、いつまでもこの場に留まっている訳にはいかない。
手筈通りレイシフトの準備を終えて、名前は管制室をぐるりと見渡した。立香ちゃんを共に支えてきた仲間達が、長い間嘘を隠し通した名前を優しく見送ろうとしてくれている。彼らが紡ぐいつも通りの笑顔を受け取れただけで、晴れやかな気持ちが身体の隅々にまで満ちていった。
そうして優しく温かな声援に背中を押され、名前は知己と並び立って特異点に足を踏み入れる。
司令席でその様を見つめていた万能の天才は、隣に立つ友人が穏やかな顔で笑うのを見て、軽く肩を小突いた。
「声をかけなくて良かったのかい? 旦那様」
「いいの。ボクはもう、寂しいって泣くだけの子どもじゃないんだから」
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「さて、無事に君と二人のデートに漕ぎ着けた訳だけど」
ダビデは軽口を叩きながらも、眼前に迫り来る魔神柱を容赦なく弓で射っている。余裕綽々な様子に半ば呆れつつ、名前もまた魔術によって彼をサポートし続けた。
カルデアにて発動した己の宝具は、特異点の魔神柱たちの力も例外なく削いでいるようだ。空間そのものに焼き付いたメモリーに目を配りながら、名前は目指すべき場所へと駆け上がっていく。
「行くんだろう? 弟の元へ」
「ええ」
「了解。なら僕は、邪魔にならないように退散しようかな」
何の気なしにダビデが口にした言葉は、予想していた通りのものだった。相変わらず、器用なようで不器用なのだから笑ってしまう。
「ダビデ」
「ん?」
「ありがとう。あなたが来てくれて、本当は嬉しかったの」
素直に本音を口にすれば、ダビデは何もかも得心したような顔で頷いた。
「君は、ただでさえ自分に厳しい女の子だからね。素直に礼が言えるようになって感心だ」
「もう、大きなお世話」
「名前」
「ん?」
「僕やソロモンにとって、紛れもなく君は
ダビデが素早く背を向けた次の瞬間、名前もまた、彼の意思を無駄にしないため踵を返す。……まったく、それはお互い様だというのに。
特異点に集結した英霊達は、玉座までの道を切り開く役目を十二分に果たしていた。無限に再生し続ける魔術王の配下を目の前にしても怯むことなく対峙し、今まで縁を繋いできたマスターのために全力を尽くしている。
彼らの勇姿を横目に戦場を駆け抜け、名前はついに弟を見つけた。心底退屈そうな瞳をついとこちらに投げた美しい海神は、一瞬にして驚愕したように目を瞠る。
「久しぶり、ポセイドン」
「…………、我は主など知らぬ」
「あら、そういう態度を取るのね。こちらも時間はないし、手短に用件を伝えるけれど」
「……何だ」
姉として慕ってくれた、幼くあどけない弟の笑顔が脳裏を過ぎる。激情に支配された彼から受けた蹂躙の数々を、イスラエルで彼の腹を貫いた感触を、鮮明に思い返す。
「もう一度、私を殺してほしいの」
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人が抱く献身的なまでの愛情は、本来ならば決して神には届かない。神は常に全ての物事を俯瞰し、無駄を排除し、傷付く心を持たないからだ。 だが、それでも神を完璧な機構と定義することは出来ないだろう。彼らには喜怒哀楽の感情があり、中には愛情と呼ぶに値する執着心さえも持ち得ている。
だがしかし神はあくまで神であり、人のごとく人に愛を与えることは叶わない。人のごとく愛を持つことも叶わない。
神が愛を得るためには、神としての存在価値を自らの手で消滅させるしかないのだ。
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人間とは、死を乗り越えて前を向いていける強さを持つのだと、彼女は語った。 悲しみに暮れても、怒りを抱えても、恨みで心が満ち満ちても。自らの弱さに向き合い、受け入れ、明るい未来を紡ぐことの出来る生き物なのだと。
だが、目の前で悲嘆に暮れる王はどうであろう。愛する人に自ら手をかけ、風前の灯であった貴女を見て笑っていた王を見て、私は。私は。私は。………………、……。
もしもあの日、私が貴女を街の散歩へと誘わなければ。この手が、神を滅ぼせる程の───人類を焼却できる程の、強大な力を持ち得ていたならば。
何かが違ったのだろうかと、今でも思わずにはいられなかった。
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人理焼却式、魔神王ゲーティア。彼こそは、ソロモン王の遺体に巣食い、人類史を犠牲にすることで新たな惑星の創世を試みる、人類最古の意思を持った魔術だ。
ビーストとしてマスターの前に立ちはだかった彼は、その胸に抱く夢を悠々と語る。 あらゆる生命が迎える死の結末を忌避した結果、消滅という概念の存在しない世界を創り上げようとしたのだと。 人間は、醜く無力である。ならば、高次元の生命体が跋扈する星の誕生こそが希望であろう。そう、高らかに宣言した。
その目的を達するがために装填された宝具は二つ。 まずは、第二宝具。
次に、第三宝具。
ゲーティアは、玉座に肉薄したマスターとマシュを嘲り、魔神と称するに相応しい禍々しい容貌へとその身を変化させた。硬い鱗のような肌はひび割れ、丸太のように太い腕には幾つもの赤い魔眼が蠢いた。 人類の終了を告げるために自己変革を試みた彼は、普遍的な人類ならば誰もが持ち得ている喜怒哀楽を胸に、全力で第三宝具を放とうとする。
間違いなく世界を滅ぼせる程の宝具を前にして、マシュ・キリエライトが決死の覚悟で盾を抱え直し、敬愛するマスターを見つめ直そうとした───その瞬間。
白亜の玉座にゆるりと足を踏み入れた、ひとりの女性がいた。
「ゲーティア」
その凛とした声は、空間を裂くような鮮やかを帯びていた。彼女と同じ空気に浸るだけで、その穏やかな瞳に見つめられるだけで、ゲーティアは慚愧に胸を衝かれたような想いに支配される。
気付けばキャスパリーグが彼女の脚に擦り寄り、剥き出しとなった柔らかな肩に飛び乗っていた。いくら格が落ちているとはいえ、女神たる彼女が千里眼と交流を持つのは自然なことだ。眼下の光景に驚愕する必要はないだろう。彼女が生きてカルデアにいたことも、ゲーティアは末端からの報告で既に知り得ていた。
しかし。しかし、である。ゲーティアは、彼女にだけはこの姿を晒したくなかった。もしも再び出逢うことがあるならば、彼女の中に残存する美しい記憶のままでいたかった。
「……ッ、何故貴様がここへ来た!」
「あら。子どもが悪いことをしたら、叱るのが大人の役目でしょう?」
絶句した。だが、その言葉で迷いが瞬時に吹き飛んだ。
「───ならば、貴様諸共すべて消え失せるがいい!」
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古代から現代に至るまで、名前は肉体を失ったまま地上を放浪し続けた。
それは、シバの協力を得ることで精霊が持つ霊器を借り受け、人間には目に見えない存在として大地に恵みを与えていく行為であった。名前は世界各国の栄枯盛衰を見つめ、文明を発展させるために人知れず実りを齎し続けた。
たとえほんの少しであろうとも、過去に傷付けてしまった人々に対する贖罪になることを、切に願いながら。
そんな己にとってのターニングポイントは、大きく二つあった。
一つ。中世のブリタニアにおいて、魔術師マーリンと取引を行ったこと。オリーブの木を元に密かに作り上げていた杖を託し、来るべき時が訪れた際に『わたし』を導いてくれるようにと依頼した。 結果として、マーリンは最善の仕事を果たしてくれた。こちらが返せたのは微々たるものだったが、無造作に扱われがちな彼の心が、少しでも慰められるようにとこれからも祈っている。
二つ。二十一世紀の南極において、苗字名前を見つけたこと。いつどこで誕生するか分からなかった彼女を探すべく、過去に交わした言葉から知識を炙り出し、明くる日も明くる日も地上を彷徨った末。人体実験の結果として、命を散らしかけた娘の笑顔に遭遇した。
名前は今度こそ娘の最期を見届け、彼女の魂を元の身体に戻すことが叶ったのだ。
その際、古代イスラエルにいた頃から編み上げていた魔術を発動させることで、名前は自らの記憶を封印し、誰にも真名が明かされることのないよう隠蔽を行った。
彼女の精錬な魂と無垢な身体に、ただ普通の女の子としての生活を知ってほしかった。哀れな女神の存在など消し去って、幸せに生きてほしかった。
カルデアで何事もなく時を過ごしたならば、女神としての名前の魂は完全に消滅し、時間逆行を遂げた名前も穏やかな眠りにつくことが出来たであろう。
けれど、厳重に鍵をかけた筈の名前の心の扉は、再び愛した男性によって開かれてしまった。女神としてではなく、一人の人間のように誰かを愛する喜びを知ってしまった女は、全てを思い出し、全てを悟り、全てを諦めた末、己の心に従うことを決めた。
───私の愛したひとはいつだって、私の笑顔を一番に望んでくれていたのだから。
*
「マシュ、立香ちゃん。ごめんね、少しの間だけ私に任せてもらえるかな」
何もかも察したように力強く頷いた少女達に微笑みかけてから、名前は宝具発動の準備に取り掛かったゲーティアを見つめ直す。
二人はきっと、見ている筈だ。終局特異点の空間に焼き付いたメモリーを───ゲーティアが抱く、名前やソロモンとの記憶を。
カルデアで出逢った二人の少女は、己の娘にどことなく雰囲気が似ていた。彼女たちの心根に惹かれたのは間違いないが、その根底には贖罪の気持ちがあったのかもしれない。 だが、二人に優しくしたいと思ったのは紛れもなく名前自身の感情だ。感謝こそすれ、後悔など微塵もしていない。
「ゲーティア、遅くなってごめんなさい」
「今更……ッ、今更、貴様に何が出来る! 無力で貧弱なだけの愚かな女神に!」
「そうね。あなたの言う通り」
名前は今まで、数多くの大切なものを取り零してきた。ずっと愛していたかったのに、慈しんでいたかったのに、傷付けてしまったひとが数多くいた。だからこそ、今ここで過去にケジメをつけなければならない。
「おいで、ゲーティア。すべてを受け止めてあげる」
「……いいだろう、無様に死に絶えるがいい。───第三宝具、展開。今この時を以て、人類の終了を告げる!」
三千年の時を濃縮した、膨大な熱量が眼前に迫る。気が遠くなるような年月をかけて積み上げられた想いが、全力で名前に投げつけられる。 それは、どのようなサーヴァントであっても触れただけで消滅しかねない程の、莫大なエネルギーの塊だった。ビーストとして人類の存在を否定した獣の激情が詰まった光は、きっと宝具とあらばたちまち無効化してしまうのだろう。
けれど、英霊の座に登録されることなく、神代から現代までの時をずっと生き続けてきた己ならば。三千年の時を知る名前なら、積年の想いに触れることも叶う筈だ。
「宝具、展開します!」
今から放つのは、娘を攫われ怒り狂った女神の蛮行が昇華された宝具である。その事実を理解していながら、今回も理不尽に命を摘み取ろうとする己は、いつまで経っても愚かなままなのだろう。
けれど、私の愛を私だけは否定してはならない。私の誇りを、私だけは踏み躙ってはならないのだ。
「───ッ、
それは、サーヴァントが所有する貯蔵魔力を根こそぎ奪い尽くす大魔術。擬似的に冬を再現し、周囲に存在する生命体を消滅に追い込むその術は、オケアノスにて『デメテル』が展開した魔術と似て非なるものだ。
なぜなら、『デメテル』は魔術の扱い方を知らない素人だったから。元々、ソロモンから資質を褒められる程には魔力量やセンスがあったものの、所詮はそれだけだ。魔術王から教えを受けた今では、精密に結界を張り巡らせ、手ずから作り上げた魔術道具によって味方を守ることだって可能である。
他人を傷付けることしか出来なかった昔の自分は、もういない。
「…………ッ」
ゲーティアの熱が、玉座の全域に展開した結界に触れる。名前がすべきなのは、目の前のエネルギーを受け止めきること。すべてを吸収し、包み込み、カルデア最後の希望を守り抜くこと。
しかし、これは、予想以上の熱と衝撃だ。本来ならば、こんな脆弱な神のなり損ないなど、とうに消滅していても不思議ではないほどの力で満ちていた。
現在この場に立つ身体を構成するのは、長い時を経て極限にまで磨り減った女神の魂でしかない。人間としての名前の肉体は既に活動を終え、安息の眠りについた。彼女に二度も苦痛を与えることなど、決してあってはならなかった。
肌を模した薄い膜がびりびりと震え、今すぐにでも溶けてしまいそうだった。どうしようもなく痛くて、熱くて、目が焼けてしまいそうな程に眩しくて仕方ない。 けれど、ゲーティアか放った叫びは、他でもない名前が受け止めるべきものだ。たとえこの身体が朽ち果てたとしても、全身が苦痛で張り裂けたとしても、明るい星の輝きを曇らせるだなんてさせてはならない。
私はこれ以上、
「ぐぅうぁあ……ッ、あぁあああッ」
───すべて、受け切った。永遠にも思えた程の苦悶の時が終わり、視界が再び鮮やかな色で満ちていく。 関節を切り裂かれるような痛みが全身に滲むものの、名前の気持ちは清々しかった。
ゲーティアは一瞬愕然とした顔を見せたが、満身創痍な名前の様子を目にしてすぐに元の調子を取り戻していく。
「はは、ははははははは! いいだろう、貴様が無様に散るまで何度でも第三宝具を放つだけだ!」
「……うん。なら、私も何度でも迎え撃つね」
名前は決して、もう二度と折れはしない。自分勝手な精神構造は昔からずっと変わらないが、己の責務を把握できるくらいには成長したのだ。
改めて決意を固め、手元の杖を地面に突き立てる。嘲笑の顔を崩さないゲーティアを見つめ、背後で息を呑む二人の気配を感じ取る。
「……ロマニ、ごめんね」
名前は左手の薬指をなぞり、唯一の後悔を呟いた。 そして、誰にも届かない筈の小さな声を最後に、切り札を切ろうとした、───まさにその時だった。
「まったく、相変わらず強情なお母様だこと。ソロモン、どうにかしてくださらない?」
「うーん、こればかりはボクにもなあ。頑固なところも彼女の魅力だから」
「ふふ。ペルセポネーさんもそう思ってらっしゃる筈なのに、素直じゃないですね」
異なる三人の声が耳に届いて、思わず名前の時は止まる。ひどく息が詰まって仕方ない。
───彼がこの場に訪れることは、当然予想がついていた。けれど。けれど、……嗚呼。こんなことが、あっていいのだろうか。
震える掌を抑えつけて、恐る恐る振り返ろうとすれば、それより前に背中に触れた熱が名前に語りかけた。
「名前、お待たせ」
「……ロマニ」
「うん。ボクは今度こそ、キミを独りにさせないよ」
ゆっくりと身体を反転させると、この一年常に名前の心に寄り添ってくれた笑顔が、そこにはあった。両肩に触れた掌が名前の頬を滑り、傷付いた身体に勇気を与えてくれる。
そんな彼に負けじと、一歩前に踏み出した女性の美貌を目にして、名前はただ目細めるばかりだった。
「ペルセポネー、……相変わらずあなたは綺麗ね」
「ふふん、当然です。私はお母様の娘ですもの」
弟ハデスと共に冥界を治めた、ギリシャ神話に登場する春の女神。ペルセポネーは、黒を基調としたワンピース風の服を颯爽と揺らしつつ、金糸のような髪をさらさらと靡かせる。凛とした鮮やかな笑みが、ようやく名前の手の震えを治めてくれた。
「お母さん」
最後に歩み寄ってくれたのは、あどけない少女の微笑みだった。柔らかくて、優しくて、太陽の香りがいっぱい詰まった掌の温もりに、鼻の奥がつんと痛んだ。
「……っ、名前」
「はい。わたし達は、お母さんの力になるために此処へ来ました」
己が罪の象徴であり、愛の権化たる三人が、こんな愚かな女の元へ集ってくれた。その事実に心が震える程の喜びを覚えて、途方もなく泣きたくなってしまう。
「ソロモン、だと……?」
ゲーティアの言葉を受けて、ロマニはソロモンとしての霊基を再現していく。 三千年もの間ずっと焦がれ続けた輪郭を、名前は目でなぞり、心に刻み付けるように微笑みを零した。
生前目にすることのなかった白銀の髪に、喉の奥が熱く震える。やがて名前は、ロマニとゲーティアの対話に耳を澄ませていった。
「ゲーティア。私たちは、おまえに引導を渡すために来た」