・死・流血描写あり
優秀な部下であった。そう、実に優秀で有効な駒。
雲の隙間から日輪が顔を出した時、彼女の身体から朱い鮮血が噴き出した。日輪の御前で、そして我の眼前で。肩から腹に掛けて弧を描くように刻まれた刀傷は、容赦なく血を噴き、支えを無くした彼女は地面に吸い込まれるように倒れ込んだ。鈍い音がやけに胸に響く。それは近くで太鼓の音が鳴っている時のように胸に振動を与え、彼女に今何が起こったかを理解させた。
「元就、様……」
苦しそうに主の名を呼ぶ兵は、僅かに潤んだその眼でまだ死にたくないと訴えているようだ。
絶え間ない空洞感と満足感。照り付ける日輪の前で今、我は気持ち悪い程無表情なのだろうと自嘲した。
昔、我が刃に立ち向かった女が居た。
家臣共が無理矢理遣わされた者達であり、酷い扱いを受けているという情報を元に策を講じた戦だった。勿論毛利軍の圧勝によって終わり、さあ兵を引き揚げようと敵将の死体に背を向けた時だ。甲冑が擦れ合う音がして、そっと振り返れば、武装した者が刀を構えて我を睨んでいた。武装したとは言っても兜は外れ、重鎮だと理解させる鎧は半分脱げ掛かっている。破れた服から覗くのは晒しを巻いた胸で、後ろできつく縛られていたと思われる清楚な黒髪は彼方此方に跳ねて広がっていた。一瞬男かと思ったが、華奢な身体と晒しはそれを否定する。
「逃げぬのか」
小さな問い掛け。外からは鎖を亡くした家臣共の戸惑いと歓喜の混じった声が聞こえる。逃げ出そうにも何処に行けば良いのか分からないのだろう。いっそ殺してしまった方が楽だったのかもしれない。
「逃げてどうする」
刀の切っ先が真っ直ぐ、此方に向けられている。その刃に付いた血は我が配下の物だろうか。どうやら逃げ惑う人々の一員が紛れ込んできた、という生易しいものではないらしい。主を失って尚残る、誓約の鎖に囚われる者が一人でも居たという事か。
「一つ問おう」
我を睨み付け、静かに紡がれる言葉。眉間の皺が女の苦悩を表している。我は表情を変えずに、ただそれを見遣った。
「どうして、私の主人を、卑怯な手で殺した?」
「卑怯?」
この女の眼に映る感情に気付き、馬鹿にするように笑ってやる。女は皺を深め、少し前屈みになって上目で我を睨んだ。恐くもなんともない。ただの憎悪の塊だ。
「我は兵共にただ“救ってやる”と言っただけ。主を裏切ったのは貴様等の方ぞ」
刹那、女は斬り掛かってきた。他の兵よりは速いが、我にとっては造作もない。あっさりと我が輪刀の餌食となった。血に塗れ、軽い呻きと鈍い音を立てて倒れ込む。落ちた刀が心地良い音を奏で、我はそれを遠くに蹴ってやった。致命傷程の傷は与えていない。それでも他の傷を考えれば、暫くは安易に動けないだろう。
動かない女を見下すように見てから、我はそこを去ろうと背を向けた。
「私、は裏切ら、ない」
か細いくせに力強い声が響き、我はその方に視線を向けた。自分でも驚く程に自然な動作であり、自分の興味の矛先がこんな小娘なのかと自嘲を浮かべる。
「例え、何があろうとも……私は主を、裏切りはしない!」
あろうことか、女は力無く上半身を起こし、再び我を睨み付けていた。血を吐き出して、我の付けた一太刀の傷に手を当て、立ち上がろうとする。我は殺す訳でも無視をする訳でもなく、ただそれを冷めた眼で見た。
「主が死ねと仰れば直ぐにでも腹を斬り裂き」
そっと片膝を立て、喉から無理矢理声を搾り出すように呟く。
「主が斬れと仰ればその首を主の元へ差し出し」
鞘を杖にしてもう片方の足を持ち上げる。一瞬女の足がふらついて倒れこみそうになった。
「主が傍に居ろと仰れば、最期までお傍にお仕えする」
そこからまるで跪くような体勢になって、頭を垂れた。
「それが、私の生き甲斐。どうか奪わないで。奪うのならば」
女はそっと顔を上げた。それはあまりにも哀しげで、にもかかわらず我の目をまっすぐ射抜いていた。
「殺せ」
冷えたような口調で何の躊躇いもなく吐き出され、我は可笑しくなって笑った。まるで生け贄として捧げられた者のようであるのに、泣き崩れて赦しを乞うのではなく、享受して尚 刃向かうような、気丈ともとれるその気質。
嫌いではない、寧ろその方が我が手中に収めるのに相応しい。
「何が可笑しい」
「貴様は今から我が家臣となれ」
訝しげな表情は一瞬で驚愕と屈辱に変わった。嗚呼、面白い。此奴ならきっと、我の思う安芸の安寧を見つけてくれるだろう。
彼女は暫く悩んでいる様子だ。敵の陣営に下るなど、気丈な此奴からすれば辱め以外の何者でもない。我は静かに呟いた。
貴様が望むのは死んだ主か、己の生きる戦か。
女が息を呑んだのを見届け、立ち上がらせるべくそっと手を差し伸べる。目の前のか細い女子は、その手に少し驚いたらしく、目を見開いた。
「名は?」
「……ひよりと申します」
少しの躊躇いの後に紡がれる名。敬意を表したという事は我に付き従う事に決めたという事。ひより、美しい名だ。
「我が名は毛利元就。日輪の申し子なり」
ひよりとの出逢いは、そんなものだった。
鮮血が地に染みを作った。破れた服の端からは、あの時同様に晒しが覗いている。
「……死ねと仰る、なら……自分で、腹を……斬りまし、たのに……」
げほ、と血の塊を吐き出し、苦しげに息を漏らしながら言葉を紡ぐ。口の端には笑みが浮かんでいて、柵からの解放を喜んでいるように見えた。
「元就、様……私は、貴方が」
嫌な音がした。いくら戦の最前線で戦ってきた彼女だって、初めて聞いた音であろう。いや、聞こえる事も無かったかもしれない。悲鳴なんてなかった。ただ目を見開いたままの無惨な姿が、横たわったままぴたりと固まっているだけ。その胸には深々と槍が刺さっていた。先程槍兵から拝借した槍が、彼女の命をあっさりと、それこそほんの刹那に奪い去った。
訪れたのは一瞬の歓喜と、永遠の空虚。
彼女を誘い出す口実とされた空はただ静かに青く煌いて、我の存在を血に塗れた地に映している。辺りが段々と暗くなっている事から、もうすぐ月が日輪を食い潰す頃だろう。
「……ひより」
二度と返らぬあの明るい声が、我が心中にこだました。
生かすのをためらうほどあなたに溺れている
(結論は無惨な虚無になって)(淡い想いを狂気に変えた)
20111211 寄稿
20121203 サイト掲載
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素敵企画「葬」様へ寄稿