夏の昼下がり
「あつい…」
ぐったりと壁に寄りかかった大倶利伽羅がぽつりと呟く。
それを横目に見た長谷部が、筆を走らせる手を止めないまま、口を開いた。
「主が言うにはこれからもっと暑くなるらしいが」
「…嘘でしょ…」
長谷部の言葉に、絶望したような声を漏らしたのは光忠だ。
白い肌にじっとりと汗を滲ませ、火照った頬を晒している。
「おい、誰か年長者を労ってくれないのか?」
内番服を着込んだ鶴丸は、手元でぱたぱたと団扇を振っている。
その風に前髪を揺らした大倶利伽羅は、恨みがましげな眼差しを鶴丸へと向けた。
「あんただけなんでけろっとしてるんだ…」
汗ひとつかいていない鶴丸は、なんでだろうなぁと苦笑いを浮かべながら、団扇を振る手を止めることはない。
「鶴さん、扇ぐのやめるなら一期くんのところから扇風機持ってきて…」
「無理言うな。粟田口一派で使ってるんだぞ」
粟田口勢揃いで扇風機の前を陣取っていたのは、すでにこの部屋に来るまでに見ている。
ぐったりとした短刀達が寝転がっている横を、せっせ一期と鳴狐が風邪をひかないようにと面倒を見ていた。
「というか何故俺の部屋で」
手を止めた長谷部は、小さくため息をついた。
「僕らの部屋陽が差し込んでね…」
「光坊達が危険な状態になってきたからな、避難してきたのさ」
彼ら三人の使う部屋は南向きで、昼時は陽光が煌々と差し込み家具や壁やらが熱を持ち、ひどく蒸し暑い。
服装や髪の黒い光忠や大倶利伽羅があまりにも苦しげで、鶴丸が二人を、日中陽の差さない長谷部の部屋まで連れてきたのだ。
「…麦茶でも持ってくるか?」
ぐったりとした二人に、さすがに可哀想に思ったのか、長谷部がそう尋ねれば、鶴丸が緩く首を振る。
「いや、そろそろ来ると思うんだが」
鶴丸が開け放たれた障子へと視線を向ければ、ぺたぺたと軽い足音が聞こえて来る。
障子の向こうからひょこりと顔を覗かせた審神者は、髪から汗を滴らせ、暑さに顔を歪めていた。
「あつい…廊下…とける」
「あ、あるじぃいい!?お、おいお前達!主に茶汲みなど…!」
審神者の手に持たれていた麦茶とコップを半ばもぎ取るように回収した長谷部は、暑さにだらける三人を睨めつけた。
「ほいほい、主。こっちへ座れ、扇いでやろう」
しかし、睨まれた三人はといえばなんて事のない様子で、もぞもぞと寛いでいた体勢から起き上がると、鶴丸がとんとんと自分の真正面の畳を叩く。
「主くん、麦茶は僕が注いでおくから」
長谷部の手元から麦茶をとった光忠が、慣れた動作で麦茶を人数分注いでいく。
それを一気に飲み干した審神者はそのまま床へと寝転がった。
「…国永、代わる」
「おっ、本当か伽羅坊」
移動して鶴丸の隣を陣取った大倶利伽羅が、鶴丸から団扇を受け取り床で寝転ぶ審神者を扇いでやる。
髪を揺らす程度の風だが、それが心地よいらしい審神者が表情を和らげた。
「…主が来た途端にその振る舞いはなんなんだ」
それに頬を緩める伊達男三人に、長谷部が思わず頬をひくつかせれば、三人はきょとんとした表情を浮かべる。
「なんとなく」
「…お前達本当に主が好きだな」
ため息まじりに長谷部がそう言えば、光忠が心外な、と言わんばかりに唇を尖らせた。
「君にだけは言われたくないよ?」
光忠の言葉に同意するように、大倶利伽羅が喉の奥で笑う。
それに対して長谷部が眉間にしわを寄せるが、言い返すことはできない。
「畳が冷たい」
ぺたりと頬を畳につけた審神者が呟く。
「あんたの言うくぅらぁをつけたらどうだ」
「…景観を損ねる」
大倶利伽羅の提案に、審神者が答える。
それを聞いた光忠がやれやれと苦笑いを浮かべた。
「はいはい、それで倒れたら元も子もないからね」
熱中症っていうんでしょう、と薬研から聞いたらしい光忠が、子供をたしなめるような声音で答える。
「じゃあお金がかかる」
「その程度、俺が捻出してみせましょう!」
「おぅふ…」
それっぽ言い訳をした審神者に対して、長谷部が生き生きとした表情を浮かべた。
ドヤ顔を決めた長谷部に審神者が唸る。
「まぁまぁ、みんな君が心配なんだ。それくらいいいだろう?」
ぽんぽんと、光忠が審神者の青みがかった髪を撫でる。
心地よさげに黄金色の左目がゆるゆると細められた。
「…はぁい」
「おい、俺は馴れ合うつもりはないぞ」
ぱたぱたと審神者を団扇であおいでやりながら、大倶利伽羅が表情を歪める。
「何言ってるの、毎度毎度ジャージ貸してあげてるのに」
ジト目で見つめてくる光忠に、大倶利伽羅は視線をそらす。
文机に向かっていた長谷部は手早く筆を滑らせると、一枚の紙を鶴丸に手渡した。
「おい鶴丸、陸奥守と三日月にこの紙を渡してこい」
「任せておけ!」
ぱっと一通り目を通した鶴丸は破顔一笑、身軽に立ち上がるとそのまま濡れ縁をかけて行く。
「行動が早いねぇ…長谷部くん」
陸奥守と三日月、審神者を除けば本丸の二大司令塔に許可を取りに行くのだ、本丸に関わることなのだろう。
今のやり取りの中で、書かれている内容に心当たりをつけた光忠は長谷部へ穏やかな笑みを浮かべた。
「当たり前だ、主の体調を万全に保つのも臣下の務めだ」
「…それはもう秘書かなにか?」
臣下とはなんだっただろうか、と思わず光忠が笑う。
「執事じゃないのか」
「見た目的には光忠だよな、執事」
「そうだな」
秘書というよりは、その方が近いだろうと大倶利伽羅が呟けば、その声を聞きとめたらしい審神者が、ふふ、と笑いながらからかい、大倶利伽羅が神妙な顔で頷く。
「お嬢様って言われたいかい?」
「いやですごめんなさい」
お嬢様、を強調して呼ぶ光忠に、審神者が間髪入れずに返事を返せば、冗談だよ、と光忠が笑った。
「主が望むのならば執事でも…!」
「…あなや。どういう状況なのだ」
何かを決意した様子の長谷部がきりりと表情を引き締めたところで、部屋に入ってきた三日月が室内を見渡し、困惑げに眉尻を下げた。
「三日月ー…」
「暑さにやられておるなぁ、主」
脱力しきった声音で呼ばれた三日月は、ふ、と表情を緩ませ、袂で口元を覆いながらくすくすと笑う。
「君、よくその格好でいられるなぁ」
「はっはっはっ」
三日月のあとをついてきたらしい鶴丸が、戦装束のままけろりとしている三日月を見て顔をしかめる。
同じ三条派の今剣や岩融たちは暑さで随分と簡素な服装になっているというのに、石切丸と三日月は暑さに強いのかそのままだ。
「陸奥守はどうした?」
長谷部が問えば、三日月が緩く首を傾げ、口を開く。
「あやつならば、くぅらぁをどこに設置するかと本丸中を駆けずり回っているぞ」
嬉々として見取り図片手に歩き回っていた、と三日月が答えれば、光忠が苦笑いを浮かべた。
「はは、陸奥守くんも暑かったんだねぇ」
たまに装束から腕を抜いては、歌仙や宗三にみつかりどやされているのを何度か見かけている。
「短刀達などは庭先で水撒きついでに濡れ鼠になっておるが、我らはそうもいかぬゆえな」
鯰尾が水撒き用のホースで弟達に水をかけていたのを愛染や浦島などが見かけ、一部の脇差や打刀、短刀たちはほぼ毎日のように水遊びをしている。
最初は叱っていた一期も、後始末をするならば、とずぶぬれになる弟たちなどのために手ぬぐいを用意し、見守っていた。
「歌仙くんに怒られちゃうよ」
「そもそもあんたの衣装が汚れただけで悲鳴をあげるだろう」
さすがに太刀以上になってくると、その輪に入るのは憚られる。
なにより、一部は戦衣装のままであり、濡れたり汚れたりすれば洗うのはいささか手間なのだ。
「戦場では気にもかけないというのに」
「それとこれとは別問題なんだろう…ん?主?」
長谷部がやれやれ、とため息を吐く。
それに対して鶴丸が肩を竦め、おやと視線を移す。
「…おや、随分と静かだと思うたら…眠ってしまったか」
つられるように三日月も鶴丸の視線を追う。
先ほどまで会話に参加していた審神者が、すぅすぅと規則正しい寝息を立てて眠っていた。
男所帯の中でこう無防備に眠られるのは些か心配ではあるが、全幅の信頼を寄せられている、と思えば悪くないような気がしてしまう。
「暑さで参ってたからね。僕、他の部屋に扇風機がないか見てくるよ。伽羅ちゃんはそのまま扇いでてあげて」
「...わかった」
最初の気だるげな様子はどこへやら、眩い笑顔を浮かべた光忠は足音を抑えながらも足早に部屋を出ていく。
その背を見送った鶴丸は、すっと軒先へ視線を移し、そのまま三日月へと声をかけた。
「簾を下ろすか。三日月、そっち側を頼む」
「あいわかった」
ひょいと梁へと手を伸ばした鶴丸に倣うように、三日月も腕を伸ばし手早く簾を下ろしていく。
手馴れたてつきのそれを見ながら、長谷部は湯呑みを盆に載せ直すとちらりと審神者と大倶利伽羅に視線を向けた。
「俺は麦茶を片してこよう」
「あぁ」
夏の昼下がり
[MAIN]
ALICE+