ナズナ

高校三年生の夏、部活が午前しかなかった時に及川たちと海に行ったことがある。

「夏らしいことやんべ!」と言い出したのは岩泉で、それにのって花巻も「海とかどうよ」と提案してきた。
「じゃあ今から行く?」なんて楽しそうに言った松川に賛成してみんなで電車へ飛び乗り海へと向かった。

夏は海水浴場として人気の場所だが、まだ海開きもしてない時期だったので人はまばらにしかいなかった。
男子はズボンを捲り、私は靴下を脱いで海へと突進していった。

冷たいと騒ぎながらお互いに水をかけあうのは高校生ならではのバカらしい遊び方で、制服のことなんて考えずに濡れるのは楽しかった。

部活帰りだったのでみんなスポーツタオルは持っていたし、海から上がったら濡れたシャツを脱いで着替えた。

私はというと及川が予備のシャツを貸してくれたのでそれを着た。
一旦は断ったのだが「風邪ひいちゃうでしょ!」と母親みたいなことを言われ、ありがたく借りることにした。

騒いだ後、ふと及川を見たら海を見つめる目が少し寂しそうだった。

その時はみんなでまた感傷に浸ってるよと笑ったのだけれど、今思うと日本にいる最後の夏だったから彼なりに何か思うことがあったのかもしれない。

私が及川のアルゼンチン行きを知ったのは三年生の冬で、本人から日常の話をするような軽い口調で話された。

「俺さ、卒業したらアルゼンチンに行くんだよね」

告げられた言葉に「へえ、そうなんだ」なんて返したけれどアルゼンチンってどこだっけ、離れても会いに行ける距離なのだろうかと頭の中は大忙しだった。

後で調べたけれど日本とアルゼンチンは飛行機で行っても1日以上かかって、とてもじゃないけれど簡単に会える距離とは言えなかった。

もう及川に会えないかもしれないと思うと辛かったけれど、及川は自分のバレーをしにアルゼンチンへと行くのだと思うと私のわがままなんか言ってはいけないと思った。

最後の見送りの時も向こうで安心してプレイできるように笑顔でサヨナラをしようと決めた。

想いは伝えなかったけれど、私と及川の気持ちが通じていたことは確かにあったし、それは夢でも幻でもなかったはずだ。

それから何年か経ってテレビで及川の活躍を見たときにあの時一緒にみた海が脳裏へと浮かんだけれど、彼は彼の、私は私の人生があるんだと頭を振った。

でも及川はそのすぐ後に、やっと日本に来れたからと私の家へ寄って指輪を渡し「アルゼンチンで待ってるね」と颯爽と去っていった。

岩泉に言わせれば「あいつが自分の欲しいもん諦めるわけねぇべ」らしいけれど、もう少し心の準備とかさせてくれてもいいのではないだろうか。

それでも及川がずっと私のことを忘れないでいてくれたのが嬉しくて、左手に光る指輪を見ては次会える日を楽しみに待っていた。

さあ、いつ行こうか。



花言葉:あなたに私のすべてを捧げます


お題:君と眺めた海



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