07

気づけば先輩が初めて泊まってから二週間が過ぎた。

二週間も家で暮らしていればその家のことに慣れてくるもので、“松川くん”だった俺もいつの間にか“いっくん”へと呼び方が変わっていた。
うちの母親のことも“松川くんのお母さん”だったのが“お母さん”になり、先輩はまるで最初から家族だったかのようにうちへと溶け込んだ。

母さんもご両親が亡くなった先輩のことを心配していて「このままうちの子になればいいのにねえ」なんて俺の方を見ながら言ってきた。

俺としても家に帰ると名字先輩が「おかえりなさい」と笑ってくれるのが嬉しくて、少しでも早く帰れるようにと頑張ったりと少なからず心境の変化はあって、先輩さえよければこのまま家にいてくれて構わないのだ。

しかしそれを持ちかけるには時期尚早で、心の傷も癒えぬ内に結論を急かしたくはない。

もう少し、もう少しだけ落ち着いたら。

そんな風に先送りにしていたら、いつの間にか先輩のお父さんの四十九日が近づいていた。

「お寺、この間来ていただいたところですか?」

「うん、そこにお墓があるからそのつもり」

「手配とかまだなら俺も手伝いますよ」

「本当?助かるなあ…」

休みの日にお寺へと出向き、俺の顔を見た後住職は「この子の顔が晴れたのは君のお陰かな」と俺だけに聞こえるように小声で言い、「心配していたからよかった」とポツリとこぼした。

先輩が立ち止まった俺を不思議そうに見ると、住職は「さ、四十九日のお話しをしにきたんだっかな」と俺たちをソファへと座るよう促した。


四十九日に参列するのは喪主の先輩だけだったので住職との話はスムーズに進み、石材店とのスケジュール調整も無事済んだ。

後は当日を迎えるだけになり、帰り道に名字先輩から「いっくんのおかげで私、また前を向いて進めそう」と言われ、先輩が家に帰る日も近いのかもしれないと思った。



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