20

治先輩が私のお菓子を食べて美味しいと言ってくれたあの日、私の人生は大きく変わったと思う。

治先輩がいなければ趣味で終わっていたお菓子作りも、今じゃ雑誌の取材もされるくらいには有名なパティシエールになれた。

順調に開業資金も貯まってきたし後はお店を開くだけなのだが、問題は場所だ。

私が今働いているパティスリーは東京にある。
兵庫に帰ってくるか、それとも東京にそのままいるか。

治先輩とは遠距離で、お互いの休みの日に日帰りで会っている。
というのもお互い休みは平日で、飲食という仕事柄連休を取ることは難しい。

特にこの12月はクリスマスということもあり繁忙期。
年末年始の休みのために身を粉にして働いていたけれど、正直キツかった。

毎日LINEはしていたけれど、やっぱり顔も見たいしなによりも会って触れたいのだ。

クリスマスも終えたので大きなスーツケースを引っ提げて新幹線へと飛び乗り、治先輩に会いにランチタイムも終わり間近のおにぎり宮へと足を運んだ。

「いらっしゃいま…名前ちゃん!!」

私の顔を見るなり大きな声で叫んだ治先輩に、お客さんたちが何事かと私の方を見た。

「あら、別嬪さんやねえ」

「治ちゃんのコレ?」

小指を立ててニコニコと治先輩に聞くおばあさんは多分常連さんなのだろう。

「そんな感じです。私焼きたらことピリ辛きゅうりでお願いします」

カウンターへと座ろうとしたらおばあさんたちに「こっち座りましょうよ」とお誘いをいただいたのでテーブル席へと腰をかけた。

「治ちゃんにこんな可愛え彼女がおるなんて知らなかったわあ」

「その大きな荷物、こっちに住んでるわけとちゃうの?」

「こっちで育ったんですけど、仕事は東京の方でしとるんですよ」

次から次へとくる質問にこたえながら話していると「なんかお嬢ちゃん甘い匂いせぇへん?」と鼻をひくひくさせながら聞かれた。

「あれ、密封したんですけど…匂いますか?」

「お嬢ちゃん自体からするんかしら?なんや甘い香りするで?」

「何か持ってきてるん?」

見せて見せてとはしゃぐおばあさんたちに持ち込みはまずいのではと困って治先輩を見れば「今日は何作ってきたん?見せてぇや」と開けるのを促された。

「今日は初心に帰ってクッキーです」

久々に会うしと気合いを入れて作ったクッキーは、普段お店に並ぶものよりもはるかに多い種類な上にラッピングも一つ一つ丁寧にやった。

クッキーを机に出せばキラキラとした目で「美味しそうやなあ」と見てくれるおばあさんたちに「一ついかがですか」と聞けば本当に嬉しそうに喜んでくれた。

「どれにしようかな」

「これはかわええな」

こういう反応をゆっくりと目の前で見るのは久々だった。
やっぱり人が喜んでくれるのは嬉しいし、この仕事のやり甲斐だと思う。

「あー、待って待って!お店閉めるから食べんの待ってや!」

店内にいるのは常連さんだけなのだろう。
治先輩は慌ててお店の外に出て暖簾を中へと引っ込めた。

「名前ちゃんのお菓子を最初に食べんのは俺やで」

私におにぎりののったお皿をひょいと渡して、おばあさんたちと一緒になってクッキーを選ぶ治先輩に「お熱いわねえ」と揶揄いの声が飛ぶ。

「付き合う前に約束したからな」

忘れないでいてくれた。
それだけで嬉しかった。

帰ってこよう、自然とそう思えた。

「お嬢ちゃん、これ孫にももらってってもええ?」

「是非!場所が決まったらこっちでお店開くつもりなんでその時は宣伝お願いしますね」

「任せてや〜」

治先輩が、私の方をみてピタリと止まった。

「名前ちゃん…?」

「不動産屋巡り、付き合ってくださいね」

「あら、なんやめでたいわねえ」

「お邪魔虫は去らなアカンな」

「お代ここに置いとくわね」と言っていそいそと荷物をまとめて帰っていくおばあさんたちに手を振り、治先輩の方へと向き直った。

「迷ってたんですけど、お店兵庫で開くことにします」

「ええの…?」

「アパートも探さないとですね」

「あー…それなんやけど…」

ちょっと待っとって、と奥へと引っ込んだ治先輩は手に小さい袋を持って戻ってきた。

「これ…」

「いただいてもいいんですか?」

「ほんまはもっと色々考えとったんやけど、今渡したくてな」

袋からだし箱を開ければ、ダイヤのついた可愛らしい指輪が一つ。

「治先輩…」

「お店、こっちで開くんやったら一緒に住も」

少し照れた顔で指輪を手に取り、治先輩は私の指へとはめてくれた。

「宮名前になってくれへん?」

言葉にできないくらいの嬉しさに涙がボロボロと溢れて、私はただ何度も頷くことしかできなかった。

「大切にするな」

優しく抱きしめてくれた治先輩に小さく、でもしっかりと「ありがとうございます」とお礼を言えば「俺のセリフやな」と笑ってくれた。



back