08
次の日、名字さんは昨日あったことなどまるで気にしていないかのようだった。
俺が話しかけてもいつも通りだし、昨日あったことは夢幻だったんじゃないかと思うほどだ。
夢幻といえば、消えた二人はその後何事もなかったかのように教室にいて周りの奴らに聞いても「ずっと教室にいたよ?」と言われるだけだった。
夢と現の区別もつかないなんて、そんなことありえるのだろうか。
俺がどんなに考えてもこたえは見つからなくて、あっという間に文化祭開始の時間になってしまった。
午前中は家庭科室での調理班で、関係者以外立ち入り禁止のここは他校の女子に絡まれることもないので居心地がよかった。
他のクラスの人たちも調理班がそこから出られないのを知って自身の売り物を持ってきては売ってくれるし、食べるのにいちいち教室の外に出なきゃいけないのは面倒だったがそれを差し引いてもずっとここにいたいと思えた。
ところが、当初は午後も調理班の予定だったのだけれど「治くんは目立つから宣伝頼むで」とクラスメイトから看板を渡され、校内を一人彷徨く羽目になった。
午後にもなるとカフェの需要も増えるのか行く先々で声をかけられ、一周まわる頃には愛想笑いも枯れヘトヘトになっていた。
そういえば1日目のこの時間は野外ステージでミスコンの発表があったはず。
そこにいれば立ってるだけで宣伝になるのではと思い中庭へと向かった。
思っていた通り野外ステージは人で混み合っていて、イベントをみつつサボれる絶好の場所だった。
ミスコンなんて露程も興味ないけれど暇つぶしくらいにはなるだろうとステージを見た瞬間、自分の目を疑った。
ステージ中央には王冠を被せられた名字さんがいて、今年の優勝者に選ばれたのがわかる。
出るなんて聞いてへんけど?
驚きのあまりステージを凝視していたら、こちらに気づいた名字さんは眉を下げて「助けて」と口パクで伝えてきた。
状況が飲み込めなくて近くにいた知り合いに話を聞いたら、今年のミスコンは自薦が多く言い方は悪いがあまりパッとしない面子で盛り上がりにかけていたらしく、司会進行役が名字さんを見つけて無理矢理ステージへと引っ張ったらしい。
あそこにいるのは自分の意思ではないらしい。
ステージへと看板を持ってズカズカとあがり「2-1の和装カフェです〜。ぜひ来てくださいね」と言って名字さんに看板を渡し、そのまま二人でステージから逃げた。
文化祭中は立ち入り禁止の場所まで走り、周囲に人がいないのを確認して二人で芝生へと腰を下ろした。
「治くんありがと、助かったわ」
「災難やったな」
「やってられへんわ」
「俺も折角調理班になったのに目立つから周ってこいやで?」
お互い顔を合わせ深いため息を吐いた後「宣伝しにいくか…」と立ち上がった。
「あ、その前に…。名字さん、昨日のこと覚えとる?」
質問した直後、一瞬だけ名字さんの目が揺らいだように見えた。
でもすぐいつもの笑顔に戻り「昨日?なんかあったっけ?」と誤魔化したけれど、覚えているなら逃すつもりはなかった。
「俺とキスしたやろ?」
「治くんと?なんで?」
「なんで、は俺の台詞なんやけど。なんで知らないふりするん?」
質問すればするほど名字さんの眉はハの字に垂れ下がって、今にも泣きそうな顔になった。
「治くん、これ以上こっち側に関わらんといて」
“こっち側”
それが何を示すのかはわからない。
けれど名字さんのことを好きになってしまった今、後戻りはもうできない。
「好きやねん、名字さんのことが。何でかは知らんけど俺としたことをなかったことになんてせんといて」
きつく抱きしめてそう言えば、名字さんは首を振って泣き崩れた。
「嫌やったら、拒絶してくれればええやん。なんでそれもせんで忘れたフリするん」
いやいやと首を振り泣き続ける名字さんに、俺のことだけ見ればいいと無理矢理キスをした。
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