ワレモコウ


※オフィスパロ


4月1日、初めての出社に緊張して会社の扉をくぐれば、周りの人たちに比べてスーツに着られている感が拭えない自分がまるで子どものように感じた。

どんなに心許なくても今日から社会人で、お給料をもらう以上責任がついて回る。
しっかりしなきゃ。
深呼吸をして指定された部屋へと向かえば、既に新入社員の人が何人か座っていた。

以前内定式で顔を合わせた程度の知り合いなので首を傾けて挨拶をすれば向こうも同じように返してくれた。

「始業まではここで待機してもらって、その後は会社内の案内と今日から一ヶ月の研修内容をザックリ説明するからよろしくね」

後ろからかかった声に振り向けば、新人研修の担当になったであろう先輩が立っていた。

背の高い人だなあと顔を見て驚いた。

高校時代、密かに憧れていた松川先輩だった。

当時、青城のバレー部は人気が高く文化部の私とは全く関わりなんてなかったから向こうは私のことなんて知らないだろうけれど、初めてみた試合の時にこんな素敵な人が世の中にいるのかと一瞬で恋に落ちた。

とはいえなにか直接的なアクションができるわけもなく、試合の時に応援するくらいしかできなかったのだけれど。
…いや、一度だけ勇気を出してチョコを渡したことがある。
それでも松川先輩は他の人からもチョコをたくさんもらっていたから、きっと覚えてなんかいないだろう。

まさかその人が自分の勤め先の会社にいて新人研修の担当になるとは。

運命ってあるのだろうか、なんてらしくもないことを思ってしまう。

そこから一ヶ月間、松川先輩は私たちにとても丁寧に仕事を教えてくれた。

新人担当になるのも納得の教え方で、私たちが躓けば躓かない対策と解決方法の両方を教えてくれたし、仕事内容をきちんと覚えられるまで根気よく付き合ってくれた。

松川先輩自体も自身の仕事があるはずなのに、そんなことはおくびにも出さないのは2年という社会人経験の差を感じさせた。

そして研修が終わった5月、配属部署へと正式に異動した私は松川先輩を社内で見かけることはあっても話すことは殆どなくなってしまった。

それでもたまに松川先輩を見かければ、向こうも気づいてくれて手を振ったり暇があれば話しかけてくれることもあった。

高校の時よりも近くなったその関係に好きな気持ちは募るばかりだったけれど、伝える術も勇気もない私には今の関係で十分だと自分に言い聞かせることしかできなかった。

そして仕事にも慣れ始めた頃、たまたま松川先輩と給湯室で2人きりになる機会があった。

「あれ、名字さんもお茶?」

「松川さんもですか?」

「ちょっと仕事で色々あってね〜。気分転換にコーヒーでもと思ってさ」

「松川さんいつも飄々とされているからそういうことないのかと思ってました」

「…そんなことないよ。俺だって人間だから悔しい時は泣いたりするかもよ?」

揶揄うように笑った松川さんを見て、高校時代にバレーをやっていた時はもっといろんな表情をしていたのを思い出した。

「たしかに、泣いてましたね」

心の中で思った言葉がポロリと口からでて、しまったと思った時にはもう遅かった。

「あ、私お茶も入れたしもう席戻りますね?」

松川先輩の顔も見ずに給湯室から逃げるように出ようとしたら、ドアノブに先に手をかけられ行き先を阻まれた。

「あの…開けてもいいですか…?」

後ろに立っている松川先輩の顔は見えず、先ほどよりもひんやりとした空気が漂うのを肌で感じる。

「ねえ、名字さん」

呼ばれた名前には熱がこもっていて、心臓がけたたましい音を立てる。

「高校の時から俺のこと見てたでしょ?いつまで知らないフリするの?」

耳元で囁かれた声に、手に持っていたタンブラーが落ちた。

「なんてね」

ドアノブを回しドアを開けると、松川先輩は何事もなかったかのように「タンブラー、落ちたよ」と笑い給湯室を去っていった。

残されたのは、その色気にあてられた私と落ちたタンブラーだけだった。



花言葉:変化



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