クローバー

「私を信ちゃんのお嫁さんにしてくれる?」

「それはええなあ」

そんな言葉を交わしたのはいつのことだったろうか。

私は物心ついたときから信ちゃんの後をついて回っていた。
信ちゃんは面倒見がよかったので両親が共働きの私の相手をよくしてくれたのである。

「ええか、名前。毎日ちゃんとやんねん。そしたら誰かがきっと見てくれとるからな」

信ちゃんのおばあちゃんがよく言っていることを信ちゃんは私にも言ってくれた。
そのおかげか私は日々の家事も、勉強も、部活もちゃんとやる癖がついて、高校生になった今も何かで困ったことは一度もない。

高校3年生になった信ちゃんはバレー部のレギュラーになった。
いつもちゃんとやってる信ちゃんの努力が報われたその日は、私も一緒になって喜んだ。

春高で烏野高校に負けたときは、信ちゃんは悔しくなさそうだったけど、私はこれでもかってくらい大泣きした。

「なんで名前が泣くんや」と信ちゃんは不思議そうに言ってたけど、好きな人の勇姿がもう見られないのは悲しかった。

三年生の部活はそれで引退になったので、信ちゃんは受験勉強に打ち込むんだと思っていた。
なのに信ちゃんは「俺は大学へはいかへんよ。農家継ぐねん」と当たり前のように言った。

「名前は大学行くんやろ?頑張りや」

そう言われて、なんとなく信ちゃんと距離を感じてしまった。
特に行きたい大学があったわけじゃないのに、みんなが行くからなんて理由でなんとなく進学を決めた私と、未来を見据えて農業をするって決めた信ちゃん。

私はいつも信ちゃんを追いかけていて、私の先に信ちゃんがいないことに目の前が真っ暗になったのだ。

本当は地元の大学に進学しようと思ってたのだけれど、信ちゃんと会いたくなくなってしまって東京の大学へと進路を変更した。

先生には「お前は地元に残ると思っとったけどなあ」と不思議そうに言われたが「偏差値的にも大丈夫やろ。お前はいつもちゃんとやっとるから普段通りがんばるんやぞ」と励ましてもらった。

信ちゃんには進路を変更したことは話さなかった。
合格の発表があって合格したことも、4月から東京で生活を始めることも何も、誰にも伝えず一人東京へと向かった。

それから信ちゃんとは一切連絡をとらず、四年間を過ごした。
いつも隣にいたから最初の頃は慣れなかったけれど、ちゃんと毎日を過ごしてたらそれも気にならなくなった。

大学在学中の長期休みもバイトにあけくれて実家には帰らなかった。
親もなんとなく察してくれていたのか特に何も言われなかったのがとてもありがたかった。

就活をするにあたって東京でするかそれとも地元に帰るか迷ったが、一応どちらも受けてみて受かった方にしようと考えた。 

結果はどちらでも内定をいただいた。
迷ったけれど、ちょっとだけ待遇のいい神戸の会社へと就職することにした。

そして、私は四年ぶりに神戸の地を踏んだ。

家に帰ると、親が出迎えてくれて久々の再会を喜んでくれた。
就職してからも一人暮らしは継続するつもりなのだが、こんなに喜んでくれるならもう少し頻繁に帰ればよかったとちょっと思った。

お母さんが「夕飯作っておくから近所でも散歩してきたら?」と言ってくれたので、サンダルをつっかけて久々の地元を散策することにした。

三年間通った稲荷崎高校へ足を運び、懐かしい校舎を見て周り、毎日通った通学路を一人歩く。

帰り道、小さい頃信ちゃんとよくお参りした神社を見つけ、吸い寄せられるように足が動いた。
鳥居をくぐると春の香りがする風が吹き、ああ、帰ってきたんだと思えた。

「名前…?」

背後から名前を呼ばれ、その聞き覚えのある声にハッと振り向いた。

「信ちゃん…?」

久しぶりに見た彼は、高校の時より少し背が伸びていて、体つきもガッシリしていた。

「なんや、帰っとったんか」

今まで何も連絡しなかったのに、それには一切触れず昔のように話す信ちゃんに、少しもどかしさを感じた。

「就職こっちですることになったから」

「そらええなあ」

「おばあちゃん元気?」

「相変わらずやで。信ちゃんのお嫁さん見るまでは死ねんって言うとるわ」

「本当変わらないね。元気そうでよかった」

そう笑って話せば、四年間の時間なんてまるでなかったようだ。

「名前はウェディングドレスのがええ?」

そう当たり前のように聞かれて「え」と驚けば「俺の嫁になるって言うてたやろ。約束は守るもんやで」と言われる。

「そんなの小さい頃の約束じゃん」

「好きな人でもおるんか?」

「いないけど…」

「俺はずっと名前だけが好きやで」

私の目を真っ直ぐに見てそういう彼に根負けして「信ちゃんの紋付袴もみたいから迷うな」といえば「ほなどっちも着るか」と頷いた。

高三のあの時、先に行ってしまったと思った信ちゃんは、私が隣にいる未来を見ていてくれたんだと今更になって気づいた。


花言葉:約束



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