胡蝶蘭
「ただいま〜」
日付が変わるか変わらないかのギリギリの時間に、こちらを窺うような小さな声で帰ってきた。
「おかえり、今日遅かったね?」
「んー、ちょっと野暮用でネ」
珍しく語尾を濁して曖昧に笑うのは彼氏の鉄朗で、高校時代からのお付き合いになるのでかれこれ8年になる。
ふと鉄朗の手元を見ると有名なジュエリーブランドと近所のケーキ屋さんの袋が下げられていて、今日は何かの記念日だったかと頭を捻らせた。
付き合った日…は違うしどちらかの誕生日でもない。
別に喧嘩もしていなければ、連絡もなしに帰りが遅かったことを怒ったりもしていない。
「…今日なんかあったっけ?」
心当たりが全くなくて鉄朗にそう尋ねると「ちょっとここ座って」と寝転がっている私に手招きをした。
「本当はもっとお洒落なとこでしたかったんだけど、名前はそういうの嫌がるから」
目の前に袋を差し出され、コホンとわざとらしく咳をした鉄朗の頬は少し赤みが差していて、いつも飄々としている彼にしては珍しい表情をしていた。
「今日は、俺が初めて名前を見かけた日…まあ、つまりは一目惚れした日なんだけど」
初耳だ。
鉄朗と知り合ったのは初めて同じクラスになった高校三年生の春だとばかり思っていた。
「名前は覚えてないかも知れないんだけど、先輩の引退試合でボロ負けして落ち込んでた時、元気ないならあげるって俺に飴玉くれたんだよネ」
「へぇ…」
「ま、覚えてなくてもいいんだけど。…あの時、不貞腐れてた俺に笑ってくれた顔が忘れられなくてさ。この子が隣で笑ってくれてたら何があっても頑張れるなって」
「え、ちょっと待って?急にどうしたの?話がみえないんだけど…」
「まあ、つまり」
言葉の途中で、鉄朗は袋から箱を取り出し、私の目の前でパカリとその蓋を開けた。
「これからもずっと一緒にいてほしいから、俺と結婚してくれませんか」
私の目に飛び込んだのは、室内の照明にも関わらずキラキラと光り輝くもの…つまり、婚約指輪だった。
「え、嘘…本当に?」
「名前が好きなんだ」
私の左手を取り、薬指へとその指輪を嵌める鉄朗の流れるような仕草に、息が止まるかと思った。
「私でいいの…?」
「モチロン」
指輪に唇を落とし私を見上げた鉄朗には先程までの少し緊張した面持ちはもうなくて、ふわりと笑ったその顔がただただ眩しかった。
「ま、嫌だって言っても逃がさないケドな」
いつも通りのニヒルな笑みを浮かべた鉄朗に「誰が逃げるかバカ」と言えば「ソーシソーアイだな」とふざけた口調で返された。
花言葉:永久の愛
お題:世界で一番愛おしい君へ
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