赤葦と紅葉
「名字さん、次の土曜日はちゃんと休んでください」
「え、でもその日は…」
「働きすぎです。編集長からも『名字の顔が死にかけてるから休ませろ』って言われました。打ち合わせの予定があるなら別日に設定し直してください」
赤葦くんに言われて自分のスケジュールを確認すると、確かにここ何週間か働き詰めだった。
一応休みは取っているけれど、空いた時間を作りたくなくて資料を家で広げては何か役に立つことはないかと睨めっこをしていた気がする。
と、いうのもちょっと前に大きなミスをしてしまい、そのことがどうしても頭から離れなくて、余計なことを考える時間をなくそうと必死になっていたからなのだけれど。
「や、でもあんまり暇な時間作りたくないんだよね…」
「…じゃあ、土曜は俺と出かけましょう」
「え」
「暇じゃなきゃいいんですよね?」
「ちょっと待って、だからってなんで赤葦くんと」
「編集長から言われてますから」
「いやでもそれじゃ赤葦くんの休みにならないでしょ。休日まで編集長の言うこと聞く必要ないよ」
一ミリも表情を変えずに手帳を出し、さらさらと土曜日のところに『名字さんとデート』と予定を書いていく赤葦くんを慌てて止めると「俺も名字さんも休みの日です。デートなら文句ないですよね」と言い、パタンと手帳を閉じ行儀のいい礼をしてそのまま外へと行ってしまった。
「いや、デートって…えぇ…」
無理矢理取り付けられた予定だけれど、久々の『デート』という言葉に少しドキドキしたのはあの後輩の顔が割と格好よくて、スタイルもいいからだと思いたい。
『デート』
そんな言葉を使われて意識したなんてことは決してない。
決してないが、あの後輩の隣に並ぶのであればそれなりの格好をしなければいけない気がして、帰宅後は鏡の前で当日どの服を着るかひたすら考えた。
もう秋も深まってきたし、暖かい格好をしたいが、機能性を重視してオシャレ感のない服装も着たくない。
散々悩んだ挙句、黒のニットにブルーのワンピースを合わせることにしたけれど、少し可愛さにかけるだろうか。
鏡の前でくるくると回ってみるが、決してはしゃいでいるわけではない。
赤葦くんの隣にいて恥ずかしくないようにするだけである。
…なんて言い訳を自分にしてはみたものの、自分の心は案外正直だったみたいで、約束の土曜日はかけたアラームがなる1時間も前に目が覚めた。
いつもよりも念入りに化粧をして、髪型もほんの少しだけ気合いを入れ、甘くて仕事にはつけていったことのないお気に入りの香水もふりかけて準備万端。
赤葦くんと待ち合わせた最寄りの駅に向かうと、タイミングよくピロリンと通知が鳴った。
『ロータリーに停まってる黒のセダンにいます』
え、まさかの車でお迎え?
ロータリーを見渡すと本当に赤葦くんの言った通りの車が止まっていて、赤葦くんらしいその車に私の心はトキメキを隠せなかった。
ヤバい、格好いい。
車でデートなんて聞いてない。
都内でするデートなんて車で行けば邪魔になるだけなので、今までの人生でする機会には恵まれなかった。
憧れたドライブデート、それを赤葦くんとやるなんて。
赤葦くんも私に気づいたのか車のドアを開け「名字さん、おはようございます」といつも通りの挨拶を私にしてきた。
そうだ、いくらデートとはいえ赤葦くんにとっては編集長に言われたから仕方なくだったっけ。
ほんの少し下がったテンションを隠して、私もいつも通り“先輩の名字さん”でいることにした。
「おはよ、赤葦くん」
車のドアを開け助手席に座ると、シートヒーターがついているのかほんのりと背中が暖かい。
「今日はどこへ行くの?まさか車で出かけると思わなかったよ」
「ちょうど紅葉シーズンなんで、山の方に行こうかと思いまして」
「あ、だからこんな早い待ち合わせだったんだね?」
「名前さん、眠かったら寝てても大丈夫ですから」
「眠くな、い…よ…?」
今、赤葦くんは私のことをなんて呼んだ?
「名前さん?やっぱり疲れてますか?」
「え、いや、そんなことないよ!赤葦くんが運転してくれるのに隣で寝るなんてできないよ!」
しどろもどろになりながら返したけれど、やはり赤葦くんは私のことを名前で呼んでいる。
不意打ち、ずるい。
「今日はデートですから。名前さんを疲れさせることなんかしませんよ。眠かったら寝てください。可愛い寝顔を見るのも醍醐味です」
この後輩は心臓に悪すぎる。
「起きたばっかで眠くないから!大丈夫!!」
「そうですか。残念です。じゃあ出発しますね」
くすりと笑った赤葦くんの顔に、心臓のバクバクが止まらない。
あれ、赤葦くんてこんな感じだったっけ?
っていうか笑ったとこ初めてみる気がする。
眠くないよなんて言ったのに結構疲れは溜まっていたみたいで、ユラユラと規則的に走る車は心地よい睡眠を運んできてくれて、ハッと目を覚ました時にはもう目的地に着いていた。
「…目、覚めましたか?」
「面目ない…」
「気にしないでください。可愛かったですよ」
車から出れば流石の紅葉シーズン。
駐車場は紅葉を見ようと来たであろう車でごった返していて、空きもあまりなさそうだ。
赤葦くんに話を聞けばそれなりに道は混んでいたらしいので、早く出ていなければ渋滞にハマっていたかもしれない。
「赤葦くんの時間設定ばっちりだったね」
「混む前にこれて良かったです」
息を吸うと都内と違って空気は澄んでいて、吹く風も少し冷たい。
部屋に閉じこもっていたら味わえないこの季節ならではの透明感に、心が洗われるようだ。
「名前さん、寒くないですか?」
自分のコートを脱いで私の肩にかける赤葦くんに、ドキリと胸が高鳴った。
私の肩に手を当てて、まるで抱きしめられているような感覚になる。
「あ、かあしくん」
「俺、京治って言います」
「え」
「今日はデートですからそう呼んでください」
「け、いじくん…?」
見つめ合った瞳に、優しい色が滲む。
「…少し散歩でもしましょうか。近くに神社があるんです」
「あ、有名なとこだよね?行ってみたい」
「少し登るんですけど大丈夫ですか?」
「うん、スニーカーだから平気」
最後までブーツと悩んだけれど、動きやすいようにとスニーカーで来たのは正解だったらしい。
参道を少し歩くと山門が見え、左右に狛犬が鎮座していた。
苔の生えたそれは私たちを見定めるかのように見下ろしていて、石だというのにただならぬ威圧感がある。
山門を抜けると大きな杉の木が立ち並び、どこか神秘的な空気が流れるのを感じた。
「わ、すごい…」
「圧巻ですね」
「結構山道なんだね」
「足元気をつけてください」
そんな会話をしながら30分ほど登っただろうか。
「名前さん、本殿見えましたよ」
「つい、た?」
「ええ、いい運動になりましたね」
赤葦くんはなんてことなさそうだけれど、日頃運動を全くしない私は軽く息が上がっていて言葉が途切れ途切れになる。
やっと着いたと顔を上げた途端、目に入る一面の赤、朱、紅。
なんて綺麗なんだろうか。
思わずほうっと出た吐息は、心からの感嘆だった。
「気分転換になりましたか?」
「うん、連れてきてくれてありがとう」
「名前さんはそうやって笑ってた方が似合いますよ」
私の顔にかかる髪を長い指で掬い、そっと耳にかけながらどこか諭すように言う赤葦くんに、ここ最近の自分に余裕がなかったことを自覚させられた。
「詳しくは聞きませんけど、名前さんのその辛さ、俺に半分分けてくれませんか」
「それは、どういう…」
「好きな人が近くで辛そうにしているのを見るのはあまり好ましくないので」
「好きな、人…」
「名前さんのことですよ」
何もかも分かった上で今日ここへ連れてきてくれたのか。
編集長から言われたなんて言っていたけれど、それも本当かどうか怪しい。
「どうですか?」
「よろしくお願いします…」
差し出された手を取り、本殿まであと少しの階段を一緒に登る赤葦くんの背中に、敵わないなぁとバレないようにため息をついた。
「京治くん」
「…なんですか、名前さん」
「ありがとうね」
久々に、心から笑えた気がした。
「もう一人で抱え込まないでくださいね」
「うん」
フイと前を向いた赤葦くんの表情は見えないけれど、繋いだ手から伝わる熱はじんわりと温かく、私をとても幸せな気持ちに導いてくれた。
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