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「あれ、岩泉何か忘れ物でもしたのか?」
正門に着いた途端、担任に鉢合わせするなんて思わなかった。
名字と待ち合わせしていて、と素直に言えばいいのだけれどこれから告白することを考えるとどうも恥ずかしい。
「…忘れ物したんで取りにきました」
「お前が忘れ物なんて珍しいな。教室の鍵、職員室にかかってるから持ってっていいぞ。用が終わったら返しといてくれ」
「うっす」
忘れ物なんてしてないけれど言ってしまったからには仕方ない。
職員室に鍵を取りに行き、誰もいない教室の扉を開ける。
掲示物や荷物で雑多な教室も、綺麗に片付けられていて俺らが過ごした面影はもうない。
もう少ししたらまた新しい三年生がこの教室に入り、一年を過ごす。
当たり前なのに、どこか寂しく感じるのは高校生活に思い入れがあるからなのだろうか。
自分の席だったところに腰をかけてみると、卒業式の日に担任が言ったことが思い出された。
『お前ら、やり残したことはないか?もしあったとしたら、ちゃんと区切りつけていけよ』
別になんてことない言葉だったけれど、名字との関係が曖昧なままだった俺の心にはズシンと響いた。
名字が今日学校を指定してくれてよかったのかもしれない。
あいつと俺の新しい関係が始まるなら、この教室が一番いいように思える。
「あれ、岩泉くんもう来てたの?」
物思いに耽っていたら、名字の声が教室に響いた。
「名字…」
「待ち合わせって教室っだったっけ?」
「悪ィ、ここにいんの伝え忘れてた」
「や、私も待ち合わせ場所言ってなかったなって思って!」
お互い謝りながら、なんとも言えない空気が流れる。
今まで名字と普通に話していたのに、喋り方すら忘れてしまったかのように言葉がでてこない。
「あー、岩泉くんはなんで教室に?」
「担任に会って、鍵借りた。名字は?」
「最後だから教室行こうかなって」
「会えてよかったわ」
「ね、行き違いにならなくてよかった」
名字が俺の席の前に腰掛け、俺の顔を覗くように見上げると、心臓が張り裂けるんじゃないかっていうくらい早鐘を打った。
柄にもなく、緊張する。
「名字、あの日好きって言ったの覚えてるか?」
「うん、忘れるわけないよ」
「俺、将来は海外に行くつもりなんだ」
名字は少し驚いたように目を見開いたが、思い当たる節があったのか小さく頷いた。
「これから進路とか色々分かれても、名字と一緒にいたい。俺の隣にいてほしい」
「そ、れは…」
「俺と付き合ってくれ。これから先、何があってもお前のこと幸せにするから」
まるでプロポーズだな、なんて他人事のように思ったけれど、名字がこの先俺じゃない誰かの隣で笑ってる姿なんて見たくなかった。
俺が、幸せにする。
「本当岩泉くんは…そういうとこ…」
名字は真っ赤になった顔を隠すように下を向くと、大きく息を吸って俺の手をしっかりと握った。
「岩泉くんが海外に行くなら、私もそこで生きていく。岩泉くんが私を幸せにしてくれるなら、私が岩泉くんを幸せにする」
「おう、頼んだぜ」
「任せて」
ギュッと握り合った手は、甘酸っぱさなんて微塵もなかったけれど、この先どんなことがあってもこの手を離すことはないし、離されることもないだろうと確信できた。
「岩泉くん、好きだよ」
椅子から立ち上がった名字の姿は凛としていて、初めて会った時の緩さはなく、彼女の元来の性格であろう実直さが滲み出ていた。
「岩泉くんに出逢えてよかった」
俺は、この時の名字の笑顔を死ぬまで忘れないと思う。
好いたやつの、本当に幸せそうな、溢れるような笑顔を。
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