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大学は地元から通えないところをわざわざ受け、就職も「戻ってきてほしい」と親には言われたけれど、そのまま東京の方でした。
気ままな一人暮らしは楽しくて、気づけば20代も半分以上が過ぎ30も間近、いつの間にかもういい年の大人になっていた。
今回、勤めている会社から異動が言い渡され、図らずとも地元に帰ることになり久々に家に帰ると、出て行った時よりも少し老けた両親がおかえりという言葉よりも早く「恋人はいないのか」と未だ結婚をしない私へ尋ねてきた。
自分ではまだ早いと思っていたけれど、周りからはそう見えないらしい。
共通の話題を模索してなのかもしれないが、近所の○○くんは一昨年結婚してとか、高校の時同じクラスだった○○ちゃんのところはもう二人目が生まれたとか、そんな話ばかりされる。
両親も年老いてきたし気持ちはわかるのだけれど、まあこれがなかなかに鬱陶しい。
「今は親が子どもの代わりにする婚活パーティーもあるんやって。名前にいい人おらへんのやったらそういうのも悪くないんやない?」
悪気なんてないのはわかっていても、もう我慢も限界だった。
「結婚とかまだ考えてへんし、そういうの口出されるの嫌やねん!頼むから干渉せんといて!!!」
転勤が決まった時に「私たちももう年やから名前が家におってくれたら安心やわ」なんて言葉に同情したのが間違いだったのだろうか。
両親は大事だけれど、小言が続くようならまた気ままな一人暮らしに戻るのも検討した方がいいのかもしれない。
とりあえず今この空間から逃げ出すべく、駅の方へと行くことにしよう。
澱んだ空気は入れ替えないと。
メイクよし、服装よし、少しでも沈んだ気持ちを上げるべく自分を大好きなもので着飾り、イヤホンからは好きな音楽を流す。
折角の休日、台無しにしてたまるか。
お気に入りの鞄を引っ提げて、家の近くのバス停から駅へ向かうバスへと飛び乗った。
高校時代に通っていた道なのに、10年も経ったら家は新しくなりお店も変わっていて、知っているはずの景色がもうどこにもない。
それでもガタゴトとバスに揺られながら目を瞑ると、脳内に焼き付いている懐かしい景色が鮮明に思い出される。
あの頃は楽しかった。
私は部活なんて入るつもりなかったのに「名前はマネージャーやろ?」と有無を言わさず入らされ、朝早くから学校へ行き毎日夜遅くまで幼馴染である彼らのバレーのサポートをした。
私の隣には常に彼らがいて、周りの子からはどっちと付き合っているんだとよく聞かれたけれど、バレーに夢中な彼らを恋愛の舞台に無理矢理のせようとするのは野暮だと笑ってこたえたっけ。
男女の距離感なんてなく馬鹿みたいにふざけ合い、時には泣きそうになったりもして、互いの感情を共有した。
でも彼らには華があり、試合で団扇を掲げられたりバレンタインでは両手では収まらないほどのチョコを貰ったりと、幼馴染という関係さえなければ自分とは違う世界の人なんだと思い知らされる場面が増えた。
だから徹底的に恋愛感情は押し殺して接して、決して隣にいる未来を夢に描くことはせず、ひたすら彼らのサポートに徹することにした。
たまたま幼馴染で家が隣だっただけ。
それを自分によく言い聞かせ、大学へ行ってからは連絡も控えるようにした。
最初は頻繁に連絡が入ったけれど、私が返さなければその頻度も週一から月一に、最終的には新年の挨拶くらいしか来なくなった。
寂しさがなかったといえば嘘になる。
でも、これでいいんだ。
そして私自身もあの頃の垢抜けなかった私とはサヨナラして、流行りのメイクや服装を覚え、人並みに彼氏も作ったりした。
時折、地元の大学に通っていたら未だに彼らと仲良くやっていたのだろうかと考えることがある。
けれど、あれ以上一緒にいたらひた隠しにした私の気持ちはバレてしまっただろう。
実際、あの真面目が服を着て歩いているような先輩は「名前は気持ち伝えへんの?」と私があいつを好きなことが周知の事実かのように聞いてきたし、東京に行くと言った時も「自分で選んだ道なら後悔せんようにな」と保護者みたいなことを言われた。
そんな先輩ですら年賀状で近況は聞いているけれど、実際に会ったのは私たちの卒業式だから、もう10年も前になる。
他の先輩たちはどうしているのだろうか。
オリンピックの時に久々に集まるから来ないかと誘われはしたが、どうしても外せない仕事があり泣く泣く諦めた。
忘れたつもりでいたのに、名前を聞いただけで湧き上がってくる想いにため息しかでない。
今だって、息の吸い方を忘れてしまったかのように胸が苦しくなる。
忘れようと思って離れたのに、それがかえって思いを募らせることになるなんて、そんなことは思いもしなかった。
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