08
放課後、返却日にはまだ早い本を手に図書館へ向かったのには理由があった。
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「名前ちゃん、あれから図書館行ってないでしょ?」
昼休みに中庭で借りた本を読んでいたら、たまたま通りかかった及川先輩に声をかけられた。
聡い先輩のことだから、きっと私があの先輩に好意を寄せていることに気づいたのだろう。
「…本の返却期間までまだありますし、元々学校の図書館へ行ったのは市の図書館が休みだったからですよ」
我ながら言い訳じみたことを言っているなと思ったけれど、あんな冷たい目をされた後に会いに行く勇気なんてあるわけがない。
「俺がそういうこと聞いてるんじゃないのくらいわかってるでしょ!」
読んでいた本をヒョイと取り上げられ渋々及川先輩の顔を見れば、なかなかにすごい膨れっ面をしていた。
「なんのことかわからないですね」
「そうやって誤魔化そうとするんだか…あ!」
「…どうかしましたか?」
「ふふーん。俺さ、この本読みたかったんだよね〜」
「え?」
及川先輩が、この恋愛小説を?
とてもじゃないが活字を読むタイプには見えない。
「先輩本なんて読むんですか?」
「読む読む!ほら、今部活ない期間だしね!」
「…その時間、勉強にあてろってことだと思いますけど」
「勉強はしてるからいーの。それよりも!この本読みたいんだけど名前ちゃんが借りてると俺が借りられないなァ〜」
わざとらしくチラチラと私の顔を見る及川先輩に、鈍い私も何が言いたいかピンときた。
「…返しに行けってことですか」
「放課後にね!あ、俺も後で行くから席取っておいてね?」
「えっ、ちょっと及川先輩!」
約束だよ、なんて言いながら去っていく後ろ姿に、あんなのでも一応先輩だしなぁと盛大にため息をついたのは言うまでもないだろう。
「図書館…行かないとか…」
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及川先輩との約束通りに席を取り、待つこと一時間。
私の学年は五限で終わったけれど、もしかして先輩たちは六限まであるのではないかと気づいたのは、六限の終わりを告げるチャイムが図書館に響いた時だった。
もっと早く気づいていれば先輩にメッセージをいれて帰ったのに、と後悔するも時すでにおそし。
ここまで待ったからには来るまで待たないと今までの時間が無駄に思えてなんとなく癪に触る。
しかし、仕方がないとため息を吐きつつ図書館のドアのほうを見るも、及川先輩の姿は一向に見えない。
HRももう終わっているはずの時間で、何より他の三年生の姿もちらほらと散見されるのに、だ。
自分の意思とは関係なく人を待たなければいけないのがこんなに苦痛だとは思わなかった。
ドアの方ばかり見てイライラするのも良くないかと視線を手元に戻した時。
「ここ、座っていい?」
低く、落ち着いた声。
及川先輩のとは違うその声に、その席は先輩に頼まれて取っていたものだと説明しようと顔をあげた途端、頭の中が真っ白になったかと思った。
「及川に頼まれたんでしょ?あいつ、今日は岩泉と市立図書館の方行くんだってさ」
淡々と説明される言葉に及川先輩が来ないことを理解はするけれど、何故彼がここにいて、かつ私の前に座るのかが理解できない。
「世話焼きだよね」
そんな私の表情を読み取ったのか、彼は少し照れたようにそう続けた。
「あ、俺、松川一静っていいます」
優しそうな顔で笑う彼…もとい、松川先輩に、ハッと現実に戻された私は慌てて「名字名前です」と名乗った。
「名字さん」
「は、い」
「この後おヒマ?」
「空いて、ます」
「じゃあ少しお時間くださいな」
先程座ったばかりだというのに、松川先輩はヒョイと立ち上がり、手招きをして私に外へ出るように促した。
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