08

「名字さん!」

おにぎり宮の屋台が近づくと、私に気がついた治さんが嬉しそうに手を振ってくれた。

「どうも…」

屈託のない笑みにズキリと心が痛み、なんとなく他人行儀な挨拶を返してしまう。

そんな私に治さんは不思議そうに首を傾げながら「名字さん、なんか元気あらへん?そういう時はおにぎり食べるとええよ」と笑ってくれた。

優しい。

優しいが故に余計心が痛む。

「えーと…バレーの試合の動画面白くて、寝不足なんです」

「えっ、あれから調べてくれたん?」

「予備知識あったほうがええかなと思いまして」

治さんは「へぇ…」とえらく感心したような声を出し、少し考える素振りを見せた。

「それ、ツムのユニフォーム買うたん?」

「あ、えっと…折角やしと思って!」

嘘の上塗り、そんな言葉が頭をよぎる。

いや、嘘というほどのことでないのかもしれない。

けれど、後ろめたい気持ちが私にある以上これは間違いなく治さんに対しての裏切りだと思う。

「ユニフォームまで買うたら応援も気合い入るなあ。…あ、すまん、注文聞いてへんかったな?」

「えーっと…梅とおかかを二つずつ、別の入れ物にお願いします」

「はいよ。お友だちの分やんな?詰めるからちょお待っとって」

治さんはご機嫌そうに鼻歌を歌いながら、パックを手に手際よくおにぎりを詰めていく。

上手く誤魔化せたのだろうか。

いや、そもそも侑さんのユニフォームを着ていること自体は何の違和感もないのではないか。

私をこの会場に招待してくれた本人だし、なにより自分の家族を応援してくれることに嫌な気持ちは抱かないはず。

「ほい、梅とおかかを二つずつと…お漬物はサービスや!」

ぐるぐると忙しなく巡る思考に頭はいっぱいいっぱいで、頭上から降ってきた治さんの声に肩が跳ねる。

「…ありがとうございます!」

「おん、試合楽しんでな」

「はい、じゃあ…また」

渡されたビニール袋を手に取ると、居心地の悪さから逃げるようにその場を後にした。

**

試合は、一言で言い表せないくらいすごかった。

それこそ治さんとの気まずさなんて最早頭の片隅にもなくて、このすごさを言葉にしたくて撤収作業中の治さんのところに行ってしまったくらいだ。

「治さん!!!」

「名字さん」

「バレーボール、めっちゃ楽しいですね!」

「お、ハマりそ?」

「ハマるなんてもんやないですよ!」

「そら誘った甲斐あるわ〜。そんなよかったならツムにも伝えてあげてくれへん?」

「あ、そうですよね。チケットいただいたわけやし、お礼も言わなアカンし…」

「ついでにそのユニフォームにサインでも貰てきたら?まだあっちにおると思うよ」

治さんが指差した方を見ると、確かに目立つ金色の髪が見えた。

「名字さんのことはツムに伝えてるから、行けば喜ぶと思うで」

「喜ぶ…?」

「ま、早よ行ってあげてや」

治さんに背を軽く押され、流されるまま侑さんの列に並び自分の順番を待っていると、試合の興奮も落ち着きだんだんと我にかえってきた。

さっきの試合をやっていた本物のバレーボール選手に今から直接会うなんて。

しかも治さんと同じあの偏差値の高い顔面を目の前にして、一体どう話せばいいのだろうか。

試合すごかったです?

いや、その前にチケットのお礼?

いやいや、相手は私のこと知ってるかも怪しいんだからまずは自己紹介?

そんなことをぐるぐる考えていたら、あっという間に私の順番が回ってきた。

「あ!!」

私の顔を見るなり大声をあげたかと思うと、何か言いたそうに口をぱくぱくと動かされた。

そんな侑さんの反応に周りの人は何事かとこちらに視線を向け、その羞恥心から先程まで一生懸命考えていた台詞が全部頭から吹っ飛んだ。

「ユニ!俺のユニ!マジか!アカン!それはアカン!!」

侑さんは私の着ているユニフォームを指差しそう叫び、手で顔を覆いその場に蹲ってしまった。

治さんは喜ぶって言うたけど、ユニフォームを着ていただけでこの反応。

喜ばれている感じが全くしないどころか寧ろ嫌がられているのではないかと思う。

「あの…着ててすみません…」

折角楽しかった気分も台無しだ。

サインなんて頼む雰囲気でもないし、お礼すら言うのを憚られる。

素敵な選手だと思ったのに。

失恋でもした気分だ。

泣きたくなるのを必死に我慢して、急いで女子トイレへと駆けた。

何かあるかもと着替えを持ってきていてよかった。

脱いだユニフォームをぐしゃぐしゃに丸めて鞄へと突っ込み、こぼれ落ちてくる涙をどうにか止めようと楽しいことを考えるのに、脳裏に浮かぶのは試合中の楽しそうな侑さんばかりで涙は全然止まってくれそうにない。

こんな思いをするなんて知ってたら観にこなかったのに。



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