ムスカリ
白く眩い季節も終わりを告げ、日差しに春の暖かさを感じ始めたというのに、私の気分は一向に晴れる気配はない。
三月に入ると、途端に“卒業”の二文字が現実味を帯び始めた。
今までの生活に別れを告げることを憂える者もいれば、新しい生活をまだかまだかと待ち望む者もいる。
私はといえば、仲の良い友人も何人か同じ大学へと進むことが決まっており、他県へ出て行く人に比べれば不安もあまりなく、順風満帆といっても過言ではないだろう。
しかし、懸念事項がひとつだけ。
高校三年次に告白され、もうすぐお付き合いも一年が経つ彼氏をこの学舎に置いて行くことである。
年齢差があるのだから当然といえば当然なのだが、彼の穏やかな性格、同級生にはいない大人びた雰囲気、誰に対しても平等な優しさ。
及川くんの人気に隠れてしまっているが、バレンタインでは到底義理チョコには見えないものを複数個渡されているのを知っている。
一静くんは、彼女がいるからと断ってくれているけれど、私がこの学校からいなくなれば無理矢理渡してくる人もいるかもしれない。
「…名前さん、俺なんかした?」
私の刺すような視線が気になったのか、すぐにでも謝ってきそうな雰囲気で一静くんが私に問いかける。
「別に〜?」
「いやいや、その言い方は何かあるやつでしょ」
「…一静くんを残して卒業するの心配だなぁって」
「なら名前さんがもう一年高校生やる?」
揶揄うような口調でそうは言うが、一静くんは私がうんと言わないことをよくわかっている。
「…意地悪」
ぷうと頬をわざとらしく膨らませてみれば、楽しそうに笑った後、私の頬を両方の手でふんわりと包み込んだ。
「俺もね、名前さんが俺のいないとこで他のヤツと関わってくの心配だよ?」
「私は一静くんみたいにモテないもん」
「名前さんが知らないだけだよ」
一静くんと違って、この三年間誰かに告白されることなんてただの一度もなかった。
恋愛イベントと名高い体育祭や文化祭、そして修学旅行でさえも同じクラスの男子と話すことなく終えた私に、なんの心配をするというのだろうか。
「…私がいなくなっても、他の子に目移りしないでね」
「名前さん以外興味ないよ」
「一静くん…」
寂しいよ。
そう呟いた瞬間、自分の中のぐちゃぐちゃした感情の名前が漸くわかった気がした。
そうか、私は寂しいのか。
言葉として外へ出してみると、寂しさが胸中にどんどんと広がっていき、気づいたら涙が頬を伝っていった。
「名前さん、これは決まるまで言うつもりはなかったんだけど…」
「うん」
「俺、卒業したら就職するつもりなんだ」
「…えっ」
同じ大学とまではいかなくても、県内の大学へ進学するものだと思っていた。
「名前さんと生活リズムも違っちゃうだろうし、なかなか会えないと思うんだよね」
大学生と社会人。
年齢的には私の方が上だけれど、社会に出ているか否かは、立場として圧倒的な差がある。
「わ、別れようって、こと…?」
俯いていた顔をあげ、一静くんの顔をしっかりと見たら、虚をつかれたような顔で私のことを見下ろしていた。
「…じゃなくて?」
「別れるなんてそんな…そうじゃなくて…」
少し歯切れの悪い語尾に、頬にさす赤み。
あ、もしかして。
「…期待してもいい?」
「ゆくゆくは、ね。目先の約束としては、一緒に住まないかな、と」
「同棲ってこと?」
「そう。会えなくて寂しいのは、きっと俺の方だからね」
「そんなことないよ、私も寂しい」
「俺は4月になってもまだ高校生だし、最低でも後一年は我慢してもらうことになるけど。…名前さんは、口約束だけじゃ不安?」
不安じゃないとは、言い切れない。
一静くんがいくら約束してくれたとしても、それは私と一静くんだけが知るものであり、他の誰かにわざわざ話すものでもない。
それでも、この一年間で積み上げられた信頼の方が勝った。
「ううん、一静くんは約束やぶったりしないから大丈夫」
窓の外に目を向けると、風と共に散る花びらの向こうに未来の自分たちの影が重なるのが見えた気がした。
花言葉:明るい未来
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