カブ

大学3年生の春、ゼミの飲み会で隣に座った先輩に「名前ちゃんかわいいよね〜。俺結構好みなんだ」とやたらと近い距離で話しかけられ辟易した。

その時は「そうなんですか〜、ありがとうございます」と流してトイレへと逃げたのだが、今日の飲み会は両隣を挟まれ逃げる余地がない。

先輩の近くだけは行かないようにとなるべく遠くの席へ座ったのだが「名前ちゃん遠くない!?こっちおいでよ!」と呼ばれてしまえば行かざるをえなくて渋々隣へと座った。

そしたらその先輩が他の先輩も呼んでしまい、逃げ場のないこの状況が作られたのである。

しかもタチが悪いのがなるべくお酒を飲まないようにと気をつけているのに飲むのが遅ければ「減り遅くない?飲んでる?」と声をかけられ、グラスを空けてバレないようにソフトドリンクを頼もうとすれば先手を打たれてアルコールを頼まれてしまう。

そんな感じでもう何杯飲まされただろう。
頭もふわふわしてきて、だんだん眠くなってくる。

これで寝てしまったら何があるかわからないので必死になって気を保とうとするが、肩に回された手もやけに近い顔ももう振りほどく元気もない。

「ほら、名前ちゃんこれも飲んでみなよ」そう差し出されたコップを無理矢理手に持たされたとき「先輩、それ俺が飲みます」とたくましい腕が伸びてきた。

顔を見れば私の想い人でもある同じ学年の岩泉くんで、先輩から渡されたお酒を代わりに飲んでくれて、私に小声で「トイレにでも逃げとけ」と言ってくれた。

正直歩くのもままならなかったが、一生懸命ふらつく体をどうにか立たせトイレへと向かった。

どれくらい経っただろう。
立っているのもつらくてトイレ近くの廊下でうずくまっていると「名字、大丈夫か」と上から声をかけられた。
岩泉くんの声だ…と思うものの思うように体が動かない。

「鞄持ってきた。会計も幹事に渡してあっから帰るべ」

「ごめ、迷惑かけて…」

「気にすんな。もっと早く助けてやりゃよかったな、気づくの遅くなって悪ィ」

立てるか、と聞いてくれたが立てそうもなくて首を振ると背中を差し出された。
流石に申し訳なくて壁に手をつき立ちあがろうとするが「気持ち悪ィんだろ、遠慮すんな」と言われ背中へともたれかかる。

岩泉くんの背中は大きくてひどく安心した。
失態を晒しているのは百も承知の上だが、好きな人にこうやってくっつけるのは素直に嬉しい。

お店を出ると、岩泉くんは大通りまでおぶってくれ、すぐタクシーを捕まえてくれた。
そのまま一緒に乗ってくれて「家、どこだ」と聞かれたので住所を伝える。

運転手さんが車を走らせてくれ、しばらくすると家へと着いた。
部屋番号を口にすると岩泉くんがなんとも言えない顔でこちらを見た。

「お前もう少し危機感もてよ…」と呆れた口調で言われたので「信頼してます」とこたえれば「ちょっとは疑え」とおでこをはたかれた。

それでもちゃんと部屋まで連れていってくれて、絶対に扉の内側へは入ることをせず私が部屋まで入るのを見届けた後「ちゃんと鍵閉めろよ」と言った。

名残惜しくて岩泉くんのシャツを引っ張ったら「俺も男なんだよ。好きなやつにそんなことされたら帰りにくいだろ」と困った顔をされ「また月曜にな」と頭を撫でられた。

岩泉くんが帰ってからずっと先程言われた‘好きなやつ’という言葉が頭から離れなくて、月曜会った時にでもお礼と共に私の気持ちを伝えようと心に誓い、目を瞑った。


花言葉:助け



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