死者の果実

 みずみずしい表面が照明に照らされてキラキラと輝いている。薄らと所々皮のピンク色が見えるが、それがかえって美味しそうに思えるのはどうしてだろうか。ほのかに甘い香りが部屋の中に漂っているような気がする。
 お皿の上に切り分けられたそれらは、四本爪楊枝が刺されていた。
「桃とか久しぶりに食べるかも」
「剣持さんありがとうございます」
「なんで大人が剥けないんだよ、桃を」
 いいけどさぁ。席に座った剣持が、手を合わせる。いただきます、と丁寧に口にした剣持が、桃に刺さった爪楊枝を一本、手に取った。

 ――ROF-MAOの収録に、加賀美が紙袋を持ってやってきた。普段はできるだけ身軽できている人間の珍しい手荷物に、興味が一瞬だけそそられる。しかし他人の荷物を覗く趣味はないので気にすることをやめたが、加賀美の一言でまた気を引かれることとなった。
「みなさん、桃はお好きですか?」
 桃? 不破が復唱する。加賀美は手に持っていた紙袋を持ち上げ、困ったように眉を下げた。
「たくさん頂きまして……。私一人では到底食べきれない量なので持ってきました」
 テーブルの上に置かれた紙袋の中には桃が一、二、三、……、と、合計六つが入っていた。よくもまあそれだけの数を持ってきたもんだ、と剣持は内心引いていたが、桃は嫌いではないのでありがたく頂くことにする。どうせなら今みんなで食べてしまおうと提案したのは誰だったか。普段一番乗りで控え室に来ている甲斐田は珍しく遅めの到着らしく、今この場にはいない。いつ到着かわからない甲斐田の分は別で取っておくとして、先に頂こうと、事務所の簡易キッチンを借りることにした。
 六つはさすがに多いので半分の三つ、皮を剥いて切り分けた剣持が一番に口に放り込んだ。爪楊枝を口に近づけるにつれ桃の香りが強くなる。一切れを口の中に入れるのは難しいので一口サイズに噛めば、その端から甘い汁が伝って落ちていく。慌てて皿で受け止めて、口の中に入れた桃を舌で押し潰せばぶちぶちと簡単に形を崩した。大量の果汁が口の中に広がって、どこもかしこも甘い。皮を剥いていた時から思っていたが、こんなに甘いのならばかなり良いものなのだろう。そもそも食感が、普段食べているものより柔らかすぎる。熟成された桃は、砂糖とはまた違う嫌味のない甘さだった。
「美味しいですね、これ」
「そりゃそうでしょう。流石に取引先に渡すものをスーパーで買ったりはしないでしょうし」
「俺もいただきまーす」
 ぱくり。もぐもぐ。
 続いて加賀美もぱくり。もぐもぐ。
 二人は、想像していたよりも甘い桃に舌鼓を打った。顔を見合せて綻ばせている。
 美味い美味いと進む手は、ついに甲斐田の分を残してなくなってしまった。残念な気持ちはあれど食べればそりゃなくなるのは当たり前。あとはラップをして冷蔵庫を借りればいいだろう。ROF-MAOの名前を書いた紙を置いておけば誰かに食べられることはないはずだ。……たぶん。
 剣持がラップを手にして皿にかけようとしたとき、ちょうどタイミングよく扉が開いた。
「遅くなりましたぁ! おはようございま、す……?」
 勢いよくやってきた甲斐田が、テーブルの上に置かれた桃の入っている皿を見て動きを止めた。
 それがなんなのか、理解するのに数秒時間を必要とした。それぞれおはようと口にする挨拶すら耳を通り抜け、ただその一点だけを見つめ続ける。
「甲斐田さん、どうされました?」
 不審に思った加賀美が声をかけると、我に帰った様子で甲斐田は前に進む。進んで、進んで、それを見下ろして、一言。
「これ、なんですか?」
「桃だよ」
「桃(・)……?」
「さすがに知ってるやろ、桃ぐらい」
「知ってます、けど……」
 甲斐田から、表情が抜け落ちている。ゆっくりと順番に三人の顔を見つめていって、一気に険しい表情へと変わった。
「……これ、食べました?」
 これ、と指さしたのは、甲斐田の分だと残しておいた切り分けられた桃たちだった。普段見られない甲斐田の様子に首を捻るつつ、食べましたけど、と答えたのは加賀美である。
 もしかして嫌いだっただろうか。トマトに形が似ているし。いやしかし味や食感は全然違うし、嫌いだったとしてもそんな顔をする理由になるか?
「誰が、食べました?」
 三人は疑問に思いつつ、聞いたことがないような甲斐田の低い声に、気持ち後ずさる。実際は座っているので動けないが。
 代表して加賀美が恐る恐る手を上げた。他二人の視線を感じて手を上げはしたが、この雰囲気で発言が許されてくれるかどうか。
 甲斐田は口を閉ざしたまま目線を加賀美にやる。それが発言を許されたような気がして、加賀美はゆっくりと口を開いた。
「ここにいる全員食べましたが……、何か問題でもありましたか……?」
「食べた? 本当に? 桃を?」
「はい……食べましたが……」
 あまりの圧の強さにしどろもどろになるが、何がいけなかったのだろうか。ここにいる誰も甲斐田の様子についていけないまま見つめていると、突然バン! と机が振動した。
「桃を! 食べたんですか!?」
「そう言ってるやん」
 痺れをきらした不破が甲斐田の問いに答える。何度もそう言っているだろうと不破は不機嫌顔だ。しかし甲斐田は真剣な表情をだんだん曇らせていく。どういうことなんだ。メンバーの好き嫌いを正確に把握しているわけではないが、たとえ嫌いであってもここまでの反応を示すような人間ではないはずだ。それに、誰かの好きに拒絶するような反応なんて……、
「……なんともないですか?」
 その声は、とてもとても小さなものだった。少し震えているようにも聞こえるその声は、泣きそうだった。眉を下げて空を潤わせた甲斐田は、ひとりひとりの顔を見つめていく。
「桃食べたぐらいで何か起こるわけなくない……? アレルギーの心配してる?」
「アレルギー、とかじゃなくて……、本当に? なんともないですか? 精神が汚染されるとか」
「精神の汚染!? 桃で!?」
「いやそれは例えなんですけど、こう、なにか聞こえたり……」
「……あの、甲斐田さんは桃にそんな力があると思ってらっしゃる……?」
「…………何もないのならいいんですけど……」
「いやそこで話を終わらせるな!?」
 最初よりも落ち着いた様子の甲斐田は大人しく席につくが、ほかの三人が納得していなかった。あんな反応をされて気になるなと言われてはいわかりましたとなるわけがない。とりあえず、と残っていた分の桃を甲斐田の方に寄せた不破は、食べる? と首を傾げた。
「……いりません、すみません、桃って食べちゃいけなくて」
「食べたらあかんの?」
「アー……、あの、桜魔で桃って死者の食べ物で。生きてる人間は食べないっていうかぁ……食べちゃダメっていうかぁ……」
 その説明に、剣持と加賀美はなんとなく先程の反応について理解ができた。桃は魔除けや神聖な果実だと言うし。しかし死者の食べ物であることは初めて聞いたかもしれない。そこは桜魔特有の文化なのだろうか。
「桃食べたら甲斐田死ぬん?」
 なるほど、と納得する二人の隣で不破は浮かんだ疑問を甲斐田にぶつける。その手は誰も口をつけていない――甲斐田のために刺された――爪楊枝で遊んでいる。まだラップはかけられていなかったが、みずみずしさは死んでいない。つやりと輝く薄桃色の表面は健在だ。
「わかんないです、桜魔では食べる人間がいないので……。お供えした後は処分なんですよね」
「勿体ないなあ」
 しかし食べられないのであれば仕方がない。美味しいことに間違いはないが無理に食べさせるものではないし。甲斐田が食べないのであれば残りは食べてしまってもいいだろうか。このまま放置しているのは、流石に勿体ない。腐ってしまう前に食べてしまおうと伸ばした手は空ぶってしまった。
 あれぇ? 剣持が首を捻った先では、桃の刺さった爪楊枝を不破が手にしていた。
「甲斐田ぁ」
「はい、……、……? ……!? ぁえ!?」
 不破に名前を呼ばれた甲斐田が返事をするために口を開いた瞬間、薄桃色の物体が甲斐田の口の中に放り込まれた。それが何なのか理解するより前に口を閉じてしまった甲斐田は、それがひと切れの桃だと理解しても吐き出せないまま、口元に手をあてて目を丸くしている。ぱちぱち。甲斐田が瞬きをするたびに星が弾け飛んでいるようだった。
 つるつるとした見た目とは違い、舌が感じるのはざらつきだった。初めて桃を口にした甲斐田は噛むこともできずに、困ったように眉を下げて慌てている。
「食べてみ? 死にはせんのやろ?」
「んー!? ん! ん!!」
「不破っちさぁ」
「甲斐田さん、大丈夫ですか? 吐き出しても構いませんよ、ホラ。ゴミ箱持ってきましょうか」
 加賀美が動き出そうとするのを甲斐田は手で止める。相変わらず不安そうな顔はしているが吐き出したくは無いのだろう。ゆっくり、ゆっくりと口の中に転がる桃を咀嚼し始めれば、中に秘められた水分が一気に口の中に広がる。
 死にはしない、かもしれない。たぶん。おそらく。きっと。しかし、あくまで桜魔で生きる甲斐田にとってこの桃がどう転がっていくのかなんて、わかりゃしない。だけどなんとなく、食べてみようと思った。ひと切れだけでも、せっかくなのだから、と。何も無ければ良い。万が一何かが起こっても、対処ぐらいはできるはずだ。
 ゆっくりと時間をかけて口の中で桃が分裂していく。舌触りは普通。見た目とは違うけれど強い違和感があるわけではない。酸味はなく、ただ甘い味が広がっていく。潰れた桃の塊だったものを飲み込んで、そっと口元に手を当てた。
 これは、
「……おい、しい…………?」
 桜魔では桃は、死者の食べ物だ。死んだ人間に供えることによって邪気を払い、神の元へと無事還れるように願う、供え物だ。だから仏壇や墓に供える果実は桃一択であるし、だから生者は口にすることがない。生きている人間は、この味を知ることはない。
 そんな果実が、こんなに美味しいなんて思わないじゃないか。
 不破は得意げな顔をしているし、剣持と加賀美はどこか安心したような顔をしているのは気のせいか。早速次を食べさせようと待機している不破に断りを入れる。さすがに複数口にしてしまうのはよくない気がする。美味しいことを知ってしまっただけに残念ではあるが、生きている内は口にすることがないと思っていたものを食べることができただけ貴重な経験だろう。
「残りは三人でどうぞ! 桃ってこんなに美味しいんですね、生きてる内に食べれてよかったです」
「まさか桜魔が桃を食べれないなんてね」
「現世では普通に食べれるの、ちょっと羨ましいです」
「食べたらええやん? あかんの?」
「これ以上はよくない気がする……。僕がこれから現世だけで生きているなら大丈夫だと思うんですけど……」
「ふーん」
「あれ? もしかして興味ない?」
「また機会があれば、って感じですかね」
「そうですねえ……勿体ないんですけど」
 甲斐田の視線は惜しむように桃に向けられているが、これ以上口にしないと決めた以上、そして何が起こるかわからない以上、残念ではあるが食べることは出来ない。
 きっと、次食べることがあるのならば、それは自分が死んだ時だろうな、と甲斐田は思う。
「ああそうだ! これだけは気をつけてほしいんですけど、」
 弦月と長尾だけには、絶対食べさせちゃダメですよ。
 あの二人の方が、よっぽど近い・・ので。