電話が鳴った。十係の、ではなく、玲子の携帯でもない。菊田の携帯である。
ディスプレイを確認した彼は眉をひそめてすぐに通話ボタンを押し席を立つ。
「どうした?」
短い問い掛け。それだけに親しさが見えた。
部屋を出て行く直前、その足が止まる。「落ち着け、勤務時間終わったら行くから」言いながらドアの向こうへ姿を消す。相手は例の彼女と知れた。
「また何かあったんすかね?」
「悪質になってるのかもしれんな」
知人がストーカー被害に遭っていると聞いてから数日が経っていた。新たな帳場は立っておらず、姫川班は在庁待機が続いていた。
デスクから顔を上げた葉山が誰にともなし呟く。
「エスカレートする速度、早いですね」
確かにそうかもしれない。事件は多種多様だとはいえ、菊田が相談を持ちかけられてからの展開は早く感じられる。それ以前のつきまといなどが仮に長期的なものだったとしても、その後の悪化具合はどうしたことか。
ストーカーにはいくつかの種類がある。典型的かつ最も多いのが恋愛感情からくるもので、他に復讐や妄想、集団的なものまである。
今回のものは親しい異性の介入から動きが見られたことから、恋愛型ストーカーであると考えられるが……相手に心当たりがないとなると、とりわけ無資格型と言われる一方向的感情によるものか。あるいは妄想型か。
「……厄介ね」
思い出したのは、倉田修二の事件のことだ。彼の息子である英樹の恋人はストーカー行為を受けた挙げ句に暴行され、愛する人の手による死を自ら選んだ。
奥歯が鳴る。婦女暴行。玲子にとって切り離せない記憶。
ストーカーの正体がわからないため何を目的としているのか不明だが、そうなってしまう可能性は十分にあるのだ。
菊田が険しい顔つきで戻ってくる。
「主任」
視線で応えれば歩み寄る。
「日下班の今回のヤマなんですが、」
「まさか」
「まだ可能性だけです。詳細がわからないので出来ることなら照らし合わせられたらと」
まさか――、そんな偶然はあるのか。
それでも菊田の言いたいことは察せられた。可能性などないと誰が言えるだろう。真偽を断定出来るのは犯人だけだ。
「わかった、掛け合ってみる」
玲子は姿の見えない今泉を掴まえるべく携帯を手に、その番号を呼び出した――。
日下班が現在進行形で担当しているのは、ストーカーによる殺人事件。
ストーカーというだけで安易につなげて考えることは出来ないが、いくら身近な人間が渦中にいるとはいえ菊田がそれだけで簡単に口にするはずもない。
果たして、今泉と話をつけた玲子は捜査資料の開示に成功した。ただでさえ強面の日下の顔がますます渋くなっていたが。
資料を手に、菊田からもたらされる話に耳を傾ける。今泉の見ている前で姫川班だけの捜査会議だ。
すぐに見つかるかと思われた殺人犯はいまだ特定されていない。暴行の形跡はなく、被害者周辺の証言からもストーカーの原因や目的も不明なまま。
出てきた物的証拠からもストーカーに遭っていたという事実が判明しているだけで、捜査は難航しているらしい。
手元を睨み付ける玲子が髪を掻き上げた。
「もしかしたら増員、かかるわよ」
転がる加速度
──展開するのは悪しき感覚
執筆:12.05.04