悪辣ピエロ 8
「千紗ちゃん」
ホテルの一室にこもる千紗の警護を仰せつかった湯田の言葉に、呼ばれた本人は目を丸くして彼を見上げる。
「って呼ばれてんの? 菊田さんに」
室内には湯田と千紗の二人きり。湯田と組んだ刑事はホテルの内外を見回っている。これは千紗に配慮してのことだった。
朝からの捜査会議に入り込み茅野千紗を警護対象としてねじ込んだのはいいが、上、おもに管理官である橋爪がいい顔をしなかった。
怒りを抑えなんとか説き伏せた玲子だったが、姫川班の言い分など知ったことかとばかりに警護について一任して寄越した。千紗にとって身近な菊田や同性の玲子がいるので都合はいいが、こちらも捜査と並行しなくてはならず人手は足りないのだが。
「呼び捨てか、たまに昔呼ばれてたちぃって……呼んでる、かな」
「へぇ、ちぃちゃんか。菊田さんの口から出るとこ想像つかないなー」
姫川班と所轄刑事の中から一組を警護へと回されることとなり、初回として湯田たちが当たることになった。年齢も近く誰とも馴染む性質のため最初にはちょうどいいだろうということだった。
湯田と組む刑事はいかにもな風貌をしており、あまり近くで何時間もとなると威圧感がある。それに現状としては室内に二人いる必要もないため、現在のこの配置となっている。
湯田は椅子の上で締まりなく笑う。
「大丈夫だよ。主任が犯人見つけ出してくれるから。菊田さんもいるし、俺たちで捕まえるから」
大丈夫。その気持ちに揺らぎはない。
自分一人の力は知れているが、湯田は上司を、仲間を、信じている。解決出来ると信じている。
「……ありがとう、ございます」
さして広い部屋ではない。片側のベッドに腰掛けた千紗との距離は近い。俯きがちな顔色も窺えるというもの。
白い。昨夜とどっちが顔色悪いだろう。……そんなことを考えていると、千紗は点けっぱなしのテレビへと視線を流した。湯田はようやく自分のしていたことに気づく。会ったばかりの男にじっと見られては顔を背けたくもなるだろう。
何か会話を、と開きかけた湯田の口は、――跳ねた肩を目にして閉ざされた。
「……千紗ちゃん?」
何かしてしまったかと逡巡したが、手元に落ちた視線がゆらゆらさまよっているのが見て取れた。
一瞬途切れたテレビの音声、聞こえた微かなバイブ音。目をやればベッドの上に携帯が投げ出されている。
手に取る気配のない千紗は動きを止めてまるで固まってしまったかのようで。
「ごめん、借りるよ」
言って移動した湯田は返答を待たずに拾い上げる。
「――心当たりは?」
「わかりません……」
開いたディスプレイに表示されるのは一通の新着メール。
送信アドレスは英数字の羅列、タイトルはなし、本文もなし、添付ファイルで画像が開かれた。
受信メール一覧に切り替えてみれば、送信者不明らしきものが何通、何十通と並んでいる。どれも画像が添付されていて、どうやら千紗本人や彼女が身を置く環境の写真のようだ。
これは。明らかに。
「携帯、預かるよ」
ストーカーの仕業とは明白。
保護されて昨日までより安全性は高まったというのに顔色が悪かった理由はこれか。
ざっと遡ってみると受信時間は昨夜遅くからとなっていた。今日になってあまりにも異常な数になったが言い出せずにいた、というところなのだろうが。それにしても。
「何かあったらすぐに教えて。タイミングとか遠慮とか考えなくていいから」
「……はい、ごめんなさい」
浅い呼吸で震える。
室内に流れるテレビからの音声がそらぞらしい。
「えっと、犯人が動けば動くほど手がかりになりそうなもの増えるし、もうちょっとの我慢っつーか……!」
見ていられなくて励ましたいと思うのに、どうしたらいいのかわからない。
湯田は肩を落としてベッド脇に座り込む。目の前に見上げる背中は小さい。一瞬、捜査資料で見た被害者のように倒れた姿が浮かぶ。着替えさせられたと思われる真っ白な服装に、胸から滲み出た真っ赤な――
「……昼からは葉山さんと交替するから、俺は携帯の件報告してくる」
見たくないと、思う。日夜死体を見るようなこんな仕事をしているとしても。
知り合ったからといって、警護対象に感情移入しすぎか。
立ち上がった湯田は、息を吐いた。
「あと、」
タメ口にしてくれたらうれしいかなー。なんて、軽口を叩いてみる。それくらいしか出来ない。
反応は返らない。聞こえているか、聞こえていないか。声が届いていればいい、それだけで。一人ではないと思ってほしかった。
望まない振動
――震えた携帯と震えた身体
執筆:12.05.09