カモフラージュ・リアリティ


久しぶりの公休日、菊田は予定より幾分早くその場に着いた。プライベートのため普段よりラフなズボンにシャツとジャケットを羽織った出で立ちで。
腕時計を確認すると約束にはまだ早い。落ち着かない気分で周囲に視線を走らせ、軽く緊張している自分に気づき苦笑する。

今日は後輩の口車に乗せられたカタチになるが、それでも菊田にとって特別な日になる。緊張しても仕方ないだろう。

ふと、視界に鮮明な色が飛び込んで顔を上げる。
白い色合い。ワンピースにボレロという、見慣れない姿。見知らぬやわらかな雰囲気。だが似合っている。
束の間惚けて、慌てて手を上げる。

「早いわね、菊田」
「ちょっと前に着いたとこっすよ」

嘘だ。
楽しみで、緊張して、落ち着かなくて、一時間とはいわないまでも思いのほか早く来てしまっていた。そんなこと言えるはずもないが。

小走りで近づいた玲子は服装に似つかわしく、いつもの勇ましさは見られないたおやかな表情で菊田を見上げてくる。それだけで鼓動が跳ねる。

「なんか変な感じよね、菊田とこうやって歩くなんて」

並んで歩き出すと、仕事中は意識しない身長差や距離感が気になった。
女性にしては身長もあり仕事柄しっかりとした筋肉もついているのだろうが、それでもやはり自分よりいくらも小さく細くて薄い。――いかにも女性だった。
彼女が女性らしい女性だなんて、そんなことはとっくに知っていたけど。

「玲子さんこそ。雰囲気違いますね」
「……そう?」

傾げた首、肩に流れ落ちるまっすぐな髪。目を奪われかけて、何気ないふりで逸らす。
呼び慣れない名前を口にする緊張感は伝わってしまっただろうか。

――玲子とのデート。

完全プライベートでの二人きり。
否、湯田と葉山がどこか周辺にいるとはあらかじめわかっていることで、デートとは言っても本物ではない。付き合っているわけでもないし、そんな関係ではないのだ。

これは湯田の悪だくみだ。

先日、玲子が見合いや井岡のアプローチに対する愚痴をこぼした。そこで湯田が恋人がいればいいのに、いないならとりあえずデートだけでもして井岡に見せつけてやれば諦めもするのではないか、と。
そして白羽の矢が立ったのが菊田である。言い出した張本人は、自分だと姉弟のようで釣り合いがとれないだとかなんとか言っていたが、普段からことあるごとに玲子との関係を茶化すような言葉を口にしている湯田のことだ、面白がっているのは間違いない。

それでもやると決めたのは菊田自身で、拒まなかったのは玲子で、
……拒否されなかった、そこに何か意味があると期待したくなるのは勝手な願望なのだが。
 
「映画、ちょっと微妙だったわね」
「そっすね……まあ好みの問題もあるだろうけど」

嬉々として計画を立てた湯田からの指定がいくつかあった。

その1、デートを楽しむこと。
その2、敬語を使わないこと。
その3、玲子を主任と呼ばないこと。

その他にも映画を観ろ、内容は恋愛ものだ、仕事以外の会話をしろ、など細々としたものを数え上げればキリがないと思えた。菊田も玲子も、実のところほとんど覚えてはいなかったりする。

呼び方や口調が入り混じって玲子に何度も笑われる。それもくすぐったく楽しいだなんて、どうかしているだろうか。

「消費税上げるとかさ、やるならいっそ一気にやっちゃえばいいのよ。そうした方が順応するのも早いでしょうよ」

仕事以外の会話がこんな内容というのは……恋人らしからぬとは思うが。

「俺はどっちかっていうと上げてほしくないかなって方だけど」
「上げないなら上げない、上げるなら上げる。バシッと決めてほしいのよね、私としては」

男らしくさぁ! と握られた玲子のこぶしに思わず吹き出した。

「政治に男らしくって」
「なぁによ、ダメなの?」

玲子の口調はいつもと変わらないのに、鋭い眼差しなく見上げられると、女性らしい服装といつもより華やかなメイクもあって、

――かわいい。

思わず菊田はそっぽを向いて口元を覆う。怪訝な顔をされるがせめてもの抵抗だ、こんな表情は彼女の目にさらせない。
そんな菊田の心情を知ってか知らずか、玲子は楽しげに菊田の袖を引く。

「菊田、クレープ食べよ」

通りかかったクレープ屋に近寄り、カラフルなメニュー表を眺める。スイーツ系、食事系、多種類で目を賑わす。
こうしていると、どこにでもいる女の子だ。女性というよりも純粋な。

「ああ、うん。どれにする?」
「やっぱりせっかくなんだから季節限定のものがいいわね。旬物よ旬物」
「旬物って酒のアテじゃないんだから、」
「菊田はなんにする?」

聞いていないらしい。
メニュー表を前に夢中になっている。いつも菊田に甘党だ糖尿になるだの言っているのに、今はその瞳を輝かせて。

「玲子さんに任せる」

言えば、手を口元にあて小首を傾げて考え込む。そんな仕草ひとつ、目を引かれる。

――本当に。

本当に付き合っているかのような錯覚。
今まさに湯田たちがどこかから見ていて、もしかすると井岡までもいるかもしれないというのに。

「そうね…ストロベリーショコラかしら?」
「じゃあそれで」

レジに並ぶも、時間帯がよかったのか待つほどもなく注文をすることができた。
笑顔の店員に、口を開く玲子も笑顔だ。

「今月のクレープとイチゴショコラクレープで」
「はい、ご一緒にお飲み物はいかがですか?」
「なしで」
「はい、合計1010円です」

玲子がバッグを開ける。「1010円…っと」呟きながらの彼女の先手を打つ。
ズボンにそのまま財布を突っ込んでいる菊田の方が早い。

「二千円お預かりします」

店員の声に顔を上げた玲子が勢いよく振り返る。睨まれて苦笑。

「ちょっと菊田、」
「出すよ」
「いいわよ、さっき映画出してもらったし」

お互い譲るつもりはないと知れる。
そりゃあ階級が上の彼女の方が給料はいいのだろうが。それでも。
今日はデートなんだから、と告げる。

甘えてよ、玲子さん。

耳元に声を落とせば、瞬間ほのかに染まる頬。このまま触れてしまいたい。

偽装デートのはずが、彼女が一層愛しくなった一日だった。





執筆:12.05.01