酔いに現
「復帰おめでとうございます」
「謹慎お疲れさまでしたー!」
口々に向けられた言葉に、玲子は笑って応える。
「ありがとう、みんなもご苦労さま」
その一言にグラスが打ち合わされた。場所はいつもの居酒屋、いつものメンバーだ。
「いやあ、ほんま謹慎明けてよかったなぁ、玲子ちゃーん」
……闖入者もいつも通り。
「だからなんであんたがいるの」
「呼んでねーんだよ、帰れ井岡」
「んもう、玲子ちゃんのいけずー。玲子ちゃんが謹慎明けたお祝いやっちゅーからこの井岡、駆けつけましたっていうのにぃ」
我が物顔で隣に陣取り、玲子にすり寄る井岡の眼中に菊田はいないようだ。だがそんな井岡を阻まないわけがない。
素早い動きで背後に回った菊田が二人の間を引き剥がす。ついでに軽く突き放す。
「何すんねん菊田ァ」
「呼び捨てにすんな!」
「へっ、同格なんやさかい文句言われる筋合いあらへんやろ」
「ンだと!?」
まるで子供のケンカのようで周囲から見れば滑稽だろうが、毎度騒ぎの渦中となる玲子にとってはたまったものではない。
「まあまあ、主任のための席なんだから。二人とも落ち着いて」
石倉が取りなして騒ぎはおさまるが、当の二人は座卓を挟んで睨み合ったまま。湯田と葉山は苦笑し、玲子はため息ひとつを落としてから気を取り直す。
並んだ料理はいつも通りの味だ。気の向くままあれこれとつまんではグラスを呷った。
「このあとどうしますー?」
ほろ酔いの湯田が上げた声に、石倉と葉山は二軒目に向かうことになり、玲子はせっかくだけどと帰宅を告げた。
「そんなら玲子ちゃんを送って――」
飛びつかんばかりに寄ってきた井岡を菊田が長い腕でもって引き剥がし、石倉と湯田がその両脇を固めて場を離れる。「お疲れさまでした」の声の中、名を呼ぶこだまが聞こえたが気のせいと思うことにする。
「送ります」
「ん、ありがと」
菊田と二人、彼らとは逆方向に歩き出す。昨日まで謹慎していたために、帰る先は自宅、向かうのはホテルではなく駅だ。
夜道を二人で歩くのも慣れたもので、仕事中は少し後ろを歩くことも多い菊田だが、この時ばかりは必ず隣に並ぶ。
いつものことなのに、それがなぜだか胸中をくすぐる感じがして玲子は小さく苦笑する。
「どうかしました?」
「ううん。しばらく一人だったからか、にぎやかだったなと思って」
「ああ、まあ騒がしいのはおもに一人ですけどね」
さも苦そうにため息混じりの菊田に、玲子はつい吹き出した。
「井岡が絡むと菊田も大概騒がしいわよ?」
「一緒にしないでください」
「あはは」
「……ああもうざったいと酒が不味くなります。バカ井岡め」
本当に井岡とやりあう時の菊田は変わる。普段の口数の少なさや感情の振り幅の狭さががらりと。
玲子は抑えることなく笑いをこぼす。不機嫌顔の菊田が視線を向けた。
「じゃあ飲み直す? 井岡のいないとこで」
「主任がいいなら喜んで」
もちろん、自分から言い出したのだから否やはあるはずもない。
*
「主任、そろそろ時間なんじゃないすか?」
気づけば夜中も近くほどよい時間になっていた。
適当に入ってみたバーは思いがけずアタリで、落ち着く雰囲気につい長居してしまった。当然、酒量も多い。
「大丈夫っすか、結構呑んでましたけど」
「ヘーキヘーキ。自分の酒量くらいわかってるもの」
言いながらもちょっと普段よりオーバーしてしまったような自覚もある。酔い潰れるなんて真似はするつもりもないが、ほんの少しぼんやりしているかもしれない。
店を出て、二人は今度こそ駅へと向かう。バッグを菊田に預けているため身軽な玲子はほんの少し揺れる視界の中を、それでも確かな足取りで歩く。
アルコールで火照った頬に夜風が心地よい。
「あっ、」
妙に機嫌よく進めていた足元が揺れた。
「……主任」
よろけた玲子は、しかし倒れることはなかった。菊田の手が腕にかかり咄嗟に支えたためだ。
手はすぐに離れ、見上げると小さく苦笑した眼差しがある。
「やっぱり呑みすぎでしたね」
「……ん、ごめん」
ありがと、と言えば大きな手のひらが玲子の頭に乗る。くしゃりと軽く撫で、離れた。
「……なによ?」
「いえ、こうしたいなと思っただけです」
「なにそれ」
睨み上げてはみるものの、嫌な気分ではない。酔っているせいだろうか。
「ほら、行きますよ」
菊田が促して、
「え、なに」
手を、引かれる。
転ばれたら大変ですから、と。
つながれた手はあたたかい。
見上げるもその顔は前を向いていて、なのに耳が赤いような気がした。
暗さのせいではっきりと視認はできない、もしかしたら酔いが見せた幻かもしれない。それでも、
「菊田ぁ」
「はい」
呼べば返る声に、手のひらのぬくもりに、ゆるやかな歩調に、
――なんだか夢見心地な夜だった。
酔いか現実か、それは曖昧な――
執筆:12/04/26