悪辣ピエロ 2


「すいません、ちょっと出てきます」

菊田がそう言って大部屋を出て行って、そろそろ一時間になるだろうか。
普段から表情豊かな方ではないが、それにしてもしかめっ面とも言い表しがたい妙な顔をしていた。
ちら、と葉山が壁に掛けられた時計を見上げた。そのタイミングでドアが開く、入ってきたのは菊田だった。

「あ、菊田さん。おかえりなさーい」
「ああ、ただいま。すいません、戻りました」

迎えた湯田に声を返して機敏な足取りで自分のデスクに着く、その顔は難しい。石倉が眼鏡を外してその様子を見た。
菊田、と呼んだのは玲子が先だった。

「なんかあった?」
「……まあ。個人的な話なんすけど」
「なに? って、それは聞いて構わないこと?」
「あー……はい、それは全然」

とは言いながらも、らしくなく歯切れは悪い。これは何事かあるな。玲子は石倉と視線を交わす。

「お前が顔色変えて戻るなんてよっぽどのことじゃないのか。出来ることがあるなら協力するぞ」
「そうよ。言いたくないならしょうがないけどね」
「いえ、ありがとうございます」

実は、と菊田は周囲に視線を走らせ口を開く。ちょうどみんな出払っていて残っているのは姫川班だけだ。

「知人がストーカー被害に遭っているようで。被害届は出させたんですけど」

眉間に寄せられた皺。表情が、その知人が心配なのだと物語る。思わず眉をひそめれば、口を挟まず聞いている葉山と湯田の顔もしかめられていた。
菊田は頭をがりがりと掻き、椅子に背を預けると深く息を吐く。深刻な状況なのだろうか。

「実害は? 相手に釘でも刺してきた?」
「いえ、相手がどこの誰かもまだわかってないんです。以前からのつきまといと無言電話、昨日は剥き身の写真が一枚、部屋に直接放り込まれてたそうです」

胸元から取り出された写真、それがそうなのだろう。証拠品ではないのか、と考えた玲子がわかったのか、菊田は嘆息して首を振る。
送り主は不明。指紋も出ず。……ということか。菊田に一声かけ葉山が背後からそれを覗き込む。

「これ、菊田さんですよね」

頷く菊田は苦さを含んだ笑みを浮かべた。

「相談を受けたら、男と密会してた、みたいに取られたみたいだな。ストーカーに」
「もしかして、それで悪化……ですか」
「……ああ」

責任を感じているのか。聞く限り悪いことなどしていないというのに。そもそも菊田が悪さなどするはずもないと、この場にいる者なら誰もが知っているが。

「つまり知り合いってのは女性か。男なら大丈夫ってわけじゃないが、余計に心配だな」
「そうですね、妹みたいなものなんで放っておけなくて」

娘のいる石倉の自分こそが心配そうにした言葉。それを受けた菊田に、あれ、と玲子は既視感を覚えた。
同じような遣り取りを彼とした。つい最近のことだ。

「それって、」
「あ、はい、主任には話してましたね。幼なじみ……というか、正しくは幼なじみの妹なんですよ」
「もしかしてこの間も?」
「あん時が最初の相談で、この写真も同じ時っすね」

こんなものが撮られていたなんて気づかなかったとうなだれている。
助けるつもりで悪化を招いてしまったとなれば思うところもあるのだろう。

「あ、マジでこの間の子っすね」

恋人とかじゃなかったのか、なーんだ。湯田が写真を覗きながら菊田にカップを手渡す。
軽口を叩いているが湯田なりに労っているらしい。入れたばかりのコーヒーを配って回る。

「恋人とかそんな対象になるかよ。ほとんど生まれた時から面倒見てきたんだぞ」

小さく笑った菊田に歩み寄り、玲子はその手から写真を借りる。
ファミリーレストランらしき場所で向かい合う男女、菊田と若い女性が写っている。深刻な空気感の中にも親密さがうかがえる。ストーカーでなくても勘違いされて仕方ないかもしれない。

「殺しじゃないとうちは出張れないし、ちゃんと対策室が動くよう菊田がせっついてあげなさいよ」
「はい。もちろんです」

強く頷く姿は頼もしい部下そのもの。頷きを返し、玲子は写真を見つめた。
――部下ではない、一人の男の姿を。





掴めない写真

──なぜか複雑な己の心をそこに見て





執筆:12.05.03