恵みの雨

 雨が増えはじめて、比例してスリップ事故や増水による水災が増加して、ああ梅雨なんだと感じはじめる。
 雨は、少し苦手だった。思い出と呼ぶには苦い記憶を抱えていたし、ただただ雨音に耳をすませている分には嫌いではなくとも、雨が降ると世界が覆われていくような雰囲気がしてどことなく孤独を感じてしまうのだ。

 急患をICUに運び、なんとか落ち着いた時間がとれたときにはすでに夕方が近くなっていて、とても遅い昼食をとって戻ったスタッフステーション。受け入れて間もないフェローたちが指示しておいた仕事をこなしているのを確認し、さあ自分も再開するかと机に目を向けて不審物に気づく。

 白い小箱が収まった茶色の手提げ紙袋。

 誰かの忘れ物か、差し入れか、何故こんなところに。キャスター付きの椅子に腰を下ろし、改めて眺める。さして大きくはない、手帳を縦にしたくらいのサイズ感。

「……あ。」

 袋を手にして見てみれば、テープで貼り付けられたメモ用紙。白石、とだけ書かれている。きゅっと心臓が揺れる。
 椅子をくるりと回してフェローを振り返る。

「ねえ、これっていつ?」

 フェローたちが顔を見合わせた。

「白石先生が戻られるちょっと前? だっけ?」
「約二十分前に白石先生を探してる先生が来られてましたよ。あのひとじゃないですか?」
「なんか、ちょっと、不機嫌そうな……」

 二十分前といえばこの場を離れた時間くらいか。なんてタイミングだろう。
 机に向き直る。そういえば、と思う。口元がゆるむ。

「……そっか」

 誕生日だっけ。
 日々に追われてすっかり忘れていた。もうそう自分でめでたいと思える歳でもないというのもあって、周囲も今日がそうであると知らない者ばかりのはずだ。

 ――覚えてて、くれたんだ。

 そっと取り出した小箱を開く。素朴な色合いの丸いものが二枚現れる。さらりとした手触り。珪藻土のコースターだった。
 刻まれた図柄は飛行機のシルエット。空飛ぶ医師だからということだろうか。ヘリ柄を探して見当たらず飛行機を選んでくれたのだろうか。

 忙しさと雨の憂鬱さに凝り固まりつつあった気持ちがほどけていくのを感じる。息の仕方を思い出した心地がする。

 よし。もうちょっとがんばろう。

 記名もなく、宛名というにはぶっきらぼうな文字。人柄がそのまま表れているようで、無愛想なのにあたたかい。彼に負けない自分でいたいと思える。そんなこと、口にしても素っ気なく流されるだけなのだろうけど。





 気合いを入れ直したようにパソコンに向かいながらもどこか楽しげな白石の姿に、あれは恋人なのだろうかとフェローの間で発生した疑惑は、藍沢が救命に異動してくるまで密やかに続くのだった。