ともに在るこの戦場で

 翔北救命センターにフェローとして着任するにあたり、同期のなかに有名医師である白石教授の一人娘がいると知った藍沢は少なからず興味を覚えた。
 実際に会った彼女は、一般的には美人と評される部類なのだろう。もう一人の女性同期もおそらく美人、医療に向き合う姿勢や眼差しの強さは自分と近いものを感じることもあったし、同性同期も稀に見るようなお調子者で自分との違いを大きく感じたりもしたが、興味はやはり白石へと向いた。

 誰よりも名医になると決めている藍沢に負けぬ知識量は抜群で、医学書や論文を読んでいる姿を見かけることも多い。箱入り娘然として顔を青白くしていることもあるが、指導医の黒田やフライトナースの冴島から強く言い放たれても食らいつくのはさすが医師の娘といったところだろうか。


 彼女に「仲良くやろう」と言ったのは本心半分上辺半分といったところ。肩肘張って強ばった笑顔を貼り付けた、まるで女の子。

 口では綺麗事ばかり言って、しかもそれが本心と違わないというのがすごい。苦労を知らないからそんな考え方ができるのか、生い立ちも何もかもが藍沢とは違う。


 いつもやけに目について、


 正直、白石を含めた同期にも相応の実力があるのだろうと考えていただけに落胆することも多かったが、不思議なことに、彼女が言うことにはさほど反発心が芽生えることもなく、そういうものかと受け入れることができた。もともとライバルだとか切磋琢磨なんてするつもりもなかったため同期や同僚などどうでもいいと割り切っていたが、藍沢の感覚とは違う観点で物を見ているらしい彼女は悪くないと思った。

「治療が終わってるなら別に」
「藍沢先生」

 祖母が入院したと知った際の返答も、彼女には強がりだと見抜かれた。自分に代わり資料を片っ端から調べて見守ってくれていたことを、藍沢は知っている。


 いつからか目で追って。


 看護師に呼ばれて出て行った白石が顔をしかめてナースステーションに帰ってきた。首を捻り頭を振るたび、後ろで結ばれた長い髪が揺れ動く。

「なんだ」
「え? あっ、ちょっと患者さんがね……」

 自分に掛けられた声とは気づかなかったのか、思考に沈んでいたのか、鈍い反応に視線を合わせた。

「患者? 外来に行ってたな。重いのか?」
「そういうのじゃないんだけど……」

 言葉を濁す白石に、師長が口を添える。

「怪我は大したことないですけど、問題は肉体のほうではないですね」
「あれってもうストーカーじゃないんですか?」

 怖がるふりをしながらも楽しげに話に加わる看護師の村田を師長がたしなめる。村田は誤魔化すような笑顔を残して自分の仕事に戻っていく。

 ストーカー?

 不穏な響きに眉をひそめる藍沢に、白石は手を振ってなんでもないとアピールする。しかしその表情は見るからに強ばっている。
 それでも話すほどでもないというのなら、自分でなんとかするつもりならと、藍沢は引き下がった。





*





「あんたさ、はっきり突き放しなさいよ」
「そうなんだけど、やっぱり患者さんだと思うと強く出られないっていうか……」
「これだから白石先生は。むずかしい問題ではありますけど、対策を考えないと迷惑を被るのはあなただけじゃないんですから」

 順々に昼休憩に入り向かった食堂に、藍沢は見慣れたグループを発見する。緋山と冴島に挟まれた白石は、困惑をありありと浮かべていた。

「なになに、例の患者さん?」

 近くのテーブルに着く藍沢と違い、流れるように同じテーブルに向かった藤川が遠慮なく会話にまざる。

「そ。今日もご指名でお越しだったみたいよー?」
「うっわ、マジやべーな。そろそろなんとかしないと、ほら南ちゃんのストーカーみたいなことになるんじゃね?」
「ああ、小野寺だっけ?」
「ちょっと、やめてよ……」

 白石は頭を抱えて唸る。
 雪村南と小野寺という名前は藍沢にも覚えがある。藤川が担当していた急性虫垂炎だった患者とそのストーカーだ。あのストーカーのようになる、とは。白石の置かれた状況がわずかに見えて、藍沢の眉間に皺が寄る。

 それにしても自分以外の同期たちはみんなそれを知っているのか。疎外感などらしくはないが、なんとなく胸がざわついた。

 その日の午後、ヘリ出動で白石が不在のなか外来に一人の男が現れた瞬間、看護師が嘆息したのが藍沢にはわかった。

「鈴木さん、今日はどうされました」

 診療室に案内された痩身の男は自分の左腕を押さえ、不服そうに藍沢を見る。

「白石先生は?」
「白石は不在ですが」

 端的に事実を述べれば、男は大きなため息を吐き出して舌打ち。これがそうか、と詳細を聞き及んでいない藍沢にもそれがわかった。
 面倒そうに左腕を差し出す男は横柄な態度で、看護師が顔をしかめるのが横目に見えた。

「火傷ですか。手当てしますので動かないでください」

 男が億劫そうに語るには、職場でうっかり鉄板に触れたのだと。耳に挟んだ状況から鑑みるに、白石に惚れ込んで会いたいがための自傷行為か。
 左腕の手首下から肘にかけての内側が赤く腫れ上がり水膨れにはなっているが、藍沢が見る限りそう重症ではない。皮膚を切り取り水を出すとパッドを貼り湿潤療法をとる。

「パッドはドラッグストアなんかでも売っていますし、ラップでの代用も可能なので、様子を見て貼り替えてください」

 簡単な治療を施し注意事項を述べるが、男は聞いているのかいないのか、落ち着きない動作で完全には塞がりきっていない自身の傷跡に爪をカリカリと引っ掛ける。おそらくはそれも自分でつけた傷なのだろう、不快そうな看護師の目が物語っている。

「鈴木さん、ここ最近頻繁に来院されているようですが、治療以外に目的でも?」
「は? 怪我したから来てるんだけど。なに、この病院は客に難癖つけるわけ?」
「まさか。わざわざ足を運んでくださってありがたいことです」

 藍沢は正面からただ直線的に目を合わせる。

「客商売ですからね。俺たちは医者だ。状況なんかの条件もあるけど怪我や病気なら逃げるはずもない、求められるなら求められるだけ治療に力を注ぐ」

 でも、と藍沢は続ける。
 揺らぎのない眼差しに刺され男は動きを止めた。

「俺たちは一分一秒を争う場所にいる。単に注意を引きたいだけでたびたび自分を傷つけるような人間に割く時間はないんですよ」

 救いたい、救えない、時に心身が裂けそうな痛みを伴いながらこの戦場で戦っている。そんななか、彼女は温室育ちとでも言うのか、人一倍やさしさを内包している。
 藍沢も他人のことで苛立つことはある。しかしそれは自分のためだとか、自分と重ね合わせたりしてのことだ。白石は他人事であっても当人のように憤る。
 そんな彼女がどんなに迷惑だと感じても患者を無碍にできるはずもない。そんなやり方で医師を続けられるのかと疑問がわくことも多いほど。それでもそんな彼女は同期の同僚で、仲間なのだ。そんな彼女だからこそ興味深いのだ。

「手を煩わせるな」

 怯んだのを見て取った藍沢はカルテに向き直る。

「これ以上自傷行為を続けるようなら本格的に取り返しのつかないことになる恐れがありますよ。自分でやめられない、無意識だというのなら紹介状を用意します」
「精神科ってことか? ならここにも確か……」
「あなたは不利益をもたらす恐れがある。当院での受け入れはお断りします」

 断じた藍沢に男は息を詰め、吐き出すとともにうなだれた。看護師に促され出ていく背中は訪れよりも幾分小さくなっていた。





*





「またあの患者さん来られてましたよ」

 白石が看護師に声を掛けられたのは、ヘリでの搬送、そして手術を終え落ち着いた頃合だった。
 息まで止まったのではと思えるほどに動きを停止して見つめてくる白石に、看護師は軽く微笑んで続ける。

「藍沢先生の治療を受けて帰られました」

 深く長いため息は、安堵のためか不安のためか。白石はひとつ頭を振ってひとまず自分の残務に取り掛かった。





 医局に向かうべくエレベーターに乗っていた藍沢の前で扉が開く。ナースステーションから出てきたのだろう白石だった。エレベーターは二人を乗せ下降していく。

「あの、ありがとう」

 詰めていた息を吐き出すような声で白石がつぶやいた。 何のことかわかっていて聞き流せば、

「鈴木さん」

 続けられたのは予想通りの名前。その声にはわずかに震えるような気配があり、藍沢は向けられた背中に目を向ける。

「藍沢先生が対応してくれたって聞いた。……また来るのかもしれないけど」
「妙なことに振り回されてるな。丁寧な対応には感心するが、相手によってはやさしさに付け込まれると理解して毅然とした態度で接しろ」

 翳りのある様子に、胸か腹か、ただの臓器であるはずのそれらがどことなく重い。
 忠告のつもりで発した言葉は当然のように無愛想な響きで、白石はほんの少し振り返る。

「藍沢先生はすごいね」

 裏も表もない彼女の言葉をどう捉えるべきか。

「何を相手にしても対応できる名医になるためにここにいるからな。それくらいのことは当然だ。お前もそんな医者になるんだろう?」

 うそぶきながら問えば、俯き気味だった白石の目線が上がる。その目を捉える。
「逃げない医者になる」と言い放ったあのときの彼女はとても凛としていて。その後も足掻いている姿を目の当たりにした、自分と同じように、戸惑いながら。

 エレベーターが一階に着く頃には、その瞳には意思の光が戻りつつあるのが見られた。藍沢は満足げにうなずくと開いた扉へと踏み出した。