癖ひとつ覚えている距離
「あれ、ペン落ちてる。誰のだろ」
スタッフステーションで横峯が拾い上げたのは白いボールペン。特徴のないシンプルなもので、当然名前が書いてあるわけでもなく見覚えもない。誰のものであってもおかしくないようなものだ。
なんとなく見つめたまま首を傾げていると、HCUから戻ってきた白石が「どうしたの」と声をかけた。
「落とし物です。この下にあったんですけど」
「ちょっと見せて」
横峯は素直に、差し出された手のひらにそれを乗せる。すると白石が微笑んだ。
「藍沢先生のだと思う。預かっとくわ」
言って自分の胸ポケットに差し込む白石はすぐに作業に集中し始め、どうしてそれが藍沢のものだとわかったのか尋ねるタイミングを失ってしまった。
横峯が医局に戻ると、自分のデスクで書類を掻き分けている藍沢の姿があった。ソファでは緋山がマッサージシートに背をもたせかけてくつろいでいる。
「藍沢先生? もしかしてボールペンですか?」
自席につきながら問いかけてみれば、藍沢は手を止めて視線を向けてくる。それだけで話を促す意図を読み取れるくらいには藍沢の態度にも慣れてきた。
「それならスタッフステーションに落ちてましたよー。白石先生が、藍沢先生のだろうから預かっておくって」
「そうか」
それならいいと、藍沢は散らかりつつあった書類を手早くまとめ、パソコンに向き合いだした。
横峯も叱責を受けないように手を休めず、ちらりと視線を向ける。
「白石先生、なんで藍沢先生のってわかったんですかね?」
「フェローの時分から使ってたものだからな」
聞いてなるほどと思う。当たり前のことだが、こんな昔から一人前だったような顔をしている藍沢にだってフェローだった頃があったのだ。同期だという白石や緋山、藤川にも。
「先生たちがフェローのときって何年くらい前なんですか?」
「九年だったか」
「へ〜! それくらいの付き合いになると、そんな風に仲間内のことがわかるようになるんですね!?」
結局手が止まりながら素直に感心していると、黙って聞いていた緋山が身体を折るようにして吹き出した。
「ははっ。ないない。それは真面目で几帳面なそいつらだけだって!」
「えーっ、そうなんですか?」
横峯は思わず立ち上がってシニアドクター二人を交互に見遣る。藍沢は無言で作業を続けているし、緋山はおかしそうに藍沢を眺めていた。
「ああでも藍沢はそんな昔のことなんて覚えてないか。あたしらに興味なかったもんねぇ?」
「それはなんか、わかるかも」
つぶやきを聞き咎めた藍沢から向けられる眼差しは、いつもながらに感情を感じさせないのに鋭く、なんだか気まずい気持ちにさせられて横峯は目をそらす。緋山は肩をすくめた。
「白石ならあたしや藤川が昔使ってたペンも覚えてるんじゃない? くっそ真面目だからあいつ」
「ああ、それもわかります。白石先生ってなんでも覚えてそう。誕生日とか他愛ない会話のこととか」
「そうなのよ。無駄に記憶力いいんだから。その頭のよさを使えばもっと上手く立ち回れるんだろうにね」
褒めているのかけなしているのか複雑な物言いをしてはいても、緋山の目はやさしくて。九年という歳月で培われた絆を垣間見せるには充分に思えた。
「……頑固だからな」
「不器用だしねー」
藍沢にも緋山にもそう評価されている白石は、横峯の見てきたスタッフリーダーの姿と、一致しているようで、していないようで。
噂をすれば、医局のドアが開いて現れたのはそのひと。横峯は慌てて椅子に座りなおすが、白石はそんな様子には気づかないようでまっすぐ藍沢へと足を進めた。
「藍沢先生、これ」
差し出されたのはもちろん白いシンプルなボールペン。
「横峯先生に預けてたほうが一足早く返せたね」
「いや。ありがとう」
受け取った藍沢は、手に取ったそれをくるりと回す。その仕草に白石は微笑みを浮かべた。
「それの印象が強かったから、ああこれは藍沢先生のだって思って」
「そうか」
くるり、くるりと回転するボールペン。
白石につられてか藍沢の口元もどことなくゆるんで見えた。
「昔っから落ち着きない癖よねー、それ」
「藍沢先生は普段が落ち着きすぎてるくらいなんだからちょうどいいんじゃない?」
藍沢は真顔でペン回しを続けながら好きに言わせている。
そんな癖ひとつ覚えている距離感。自分の同期には癖なんてあっただろうか、横峯は思い返す。特に思いつかない。……まあこれから、かな。一人納得した横峯は今度こそ真剣に仕事を再開するのだった。