それは穏やかな日差しが降り注ぐ午後だった。
故人の人柄を表すかのような天候に、数多の集う人々も思い出を胸に、思いのほか早く訪れたその別れを惜しんだ。
救命センターからは、誰もが参列したいという気持ちに変わりはなかったが、それでも常に忙しない職場だけに全員が抜けられるわけもなく、通夜、告別式と、すでに決まっていたシフトをなんとか調整して駆けつけることにしたのだった。
「……まさか、癌を宣告されていた父より先にお別れすることになるなんて、思ってもみませんでした」
静かに頭を下げる白石に、夫人は気丈にもその肩に手を置き励ますように撫でる。
白石の父親であり、田所の友人でもある白石博文はステージIVの診断を受けてすでに数年。自身が病魔に冒されながらも医師として後進の育成に力を注いできた彼も、最近では以前よりずっと不調を訴えるようになり、もうそう長くはないと予感させている。今回、友人との別れをきちんとしたかっただろうが、身体に負担をかける長旅などさせられるわけもなく、代わりに挨拶をしてくるからと電話で説得したのだ。
「本当に。脳の手術が無事に終わって、これからはゆっくり暮らしていきましょうねって話してたのに。このひとはいつも勝手に歩いていっちゃうのよね」
「田所先生にはこれからもいろんなことを教えていただきたかったです……」
「ありがとう、白石先生」
一度倒れた田所は、引き継ぎを経て第一線を退いた。救命に残されるのは、田所に比べればまだ年若い人間ばかりではあったが、だからこそこれからの救命に希望を抱いての引退だった。
それから今日まで、何年も経っていない。まさかこんなにも早く旅立ってしまうなんて。
年明けしばらくしてから体調不良を訴え翔北に再び入院することになった田所の病状は、当初担当医など一部の者にしか知らされていなかった。そのときすでに手の施しようがない末期。それでも回復を目指し、化学療法で治療を重ねて。
――闘病の末、永遠の眠りについた。
「白石、こっち」
たまたま一緒になった藍沢に誘導されて、白石は幾分混み合う電車内でドア横の壁際に立つ。彼女の見上げる先で、藍沢の顔色も優れない。
「藤川たちは?」
「……藤川先生は冴島さんともうちょっと早い時間に来てたはず。緋山先生は橘先生、三井先生と明日」
「そうか」
一年二年で末期にまで進むとされるスキルス胃癌。早期発見がむずかしく、治療に関するガイドラインも確立されていない。
医者は神ではない。万能ではない。
職業柄毎日のように出会いと別れを繰り返すものの、身近な人間との別れは一際胸に重くのしかかる。
電車が停車するたび乗降車する人々。時間帯か、徐々に乗車率が上がっていく。
互いに交わす言葉もないまま、ふと、藍沢が壁に手をつき、乗客に圧迫されないよう空間を維持してくれていることに気づく。
「……藍沢先生?」
周囲を気にして小さく呼びかければ、無言で目線を合わされるだけ。それなのに。それなのに、だ。
奥底から込み上げるものを自覚して……戸惑う。
そばを通る人間と肩がぶつかっても背中を押されても、藍沢はびくともしない。
その目がふいと逸れ、伏せられ、壁についていたのが手のひらから腕へと変わり、二人の距離が詰まる。
「使え」
言葉少なに告げられて、何を言われたのかわからないのに、熱さが腹の底から湧き起こる。目頭が熱い。
藍沢は顔を背けるようにしているのに、距離が近すぎて髪が、耳が、触れ合う。
少し俯くだけで頭をもたせかけてしまえる目の前の肩口。ためらっていれば壁にあった手のひらが一瞬掠め、促されるままに目元を押し当てた。
……熱だ。生命の熱さ。
その熱さが、やさしくて、痛くて、切なくて。込み上げる衝動のまま、白石は息を詰めて震えた。喪服が汚れるのも構わず、最寄駅に着くまで藍沢が身じろぐことはなかった。