夏の誘惑、リア充の戯言


「ねえ、プール行きたい」

 書類を整理する白石の耳に、緋山の呼びかけとも独り言ともつかない声が飛び込んでくる。話しかけられているかは不明でも反応しなければ不機嫌になることは明らかなので、手元に目を落としたまま相槌を返す。

「へぇ……いいね、行ってきたら?」
「白石つめたーい。一緒に行こうよ」
「そんな時間作れると思う?」
「思わない」
「でしょ」

 救命という常に戦場な同じ職場の同僚だ。一緒にご飯程度ならまだなんとかなる。しかしプールにとなるとほぼ確実に一日休みを必要とする。絶対無理だとは言わないが、わざわざ休みを合わせてまで行きたいかと問われると、それなら違うことに貴重な休日を費やしたい。

 緋山もわかっていて言うのだからどう応えて欲しいのか。自分の机にぐったり上体を倒した彼女は、わざとらしいくらいのため息を吐く。

「他の友達誘うにしてもよ、既婚者とか会社員とか? そっちもそっちで合わないんだよねー」
「まあそうだよね、わかるわかる」

 この歳になると、結婚しましただの出産しましただのといった知らせが届くことも珍しくなくなってきた。別に気にしているわけではないが、ああいきおくれてるのかもなんて思うのはそういうときだ。
 そんなことを思い起こしながら返事をすれば、緋山は書類にかまけて受け流されたと感じたのかブーイングが起こった。しかし白石は気にせず作業を続ける。

「緋山最近は合コン行ってねーの?」

 そんなところに、会話途中に戻ってきた藤川が余計なことを話しかけるものだから、緋山はがばりと身体を起こして睨みつけた。

「行ってないわ! 若い女がうじゃうじゃいる中で勝負なんてできると思う!? 三十路過ぎたら世知辛い世の中なんだよこのリア充!!」
「へっへーんうらやましいだろう!」
「うっざ!!」

 救命同期のなかで唯一の恋人持ちだからといって、挑発するように振る舞うのはいかがなものだろう。いつか冴島に愛想を尽かされないといいが。
 仕事してくれないかなとは思いつつ、でも、とペンを顎にあてて考える。

「プールかぁ。随分行ってないなぁ」
「でしょでしょ。一緒に行こう、んで男引っかけよ! あたしとあんたならいけるって!」

 なんの根拠があるのか、緋山が嬉々として身を乗り出す。華奢な緋山なら、おそらくハイネックなタイプになるのだろう水着も似合うとは思えるが。お互いいい大人へと年齢を重ねてきたつもりだったが、彼女の物言いは相変わらず即物的だ。
 藤川も同様に思った様子で、パソコン前に腰を落ち着けつつ呆れた顔で笑う。

「結局男漁りかよ。変わんねーなぁ、お前」
「うっさい。お見合いよかナンパのがいいでしょーが」

 そういうものだろうか。白石が首を捻ったのを察し、緋山は続ける。

「あたし的にはね。澄ました顔で挨拶なんてやってらんないし」

 確かにイメージ的に緋山らしいのはそうかもしれない。和服でしとやかに挨拶する緋山、想像するとちょっと面白いかも、なんて失礼なことを考える。

「でもまあ、本気でやるなら婚活なんだろうけどね。ってか藤川のせいで興醒めしたんだけど」
「舌打ちするこたないだろー?」

 ガリガリと頭を掻き乱す緋山に、藤川は嘆息する。

「はい、じゃあ仕事しよ仕事」

 はぁいと答える同僚二人は、結局のところじゃれあっているだけなのだとわかっている。
 白石は自然と笑みを浮かべ、書類に向かう姿勢を正すのだった。