昼休憩を終えて医局に戻った緋山は、デスクで書類を束ねていた白石と目が合った。お疲れ、と言い合うより早く、白石が口を開く。
「ごめん、ちょっと寝てきていい?」
緋山が周産期から救命へと戻ってきてから、そんなことを白石に言われたのは初めてで。一瞬返事が遅れた。その反応を気にしてか、白石が困ったように眉を下げる。
「あ、別に代わりに何かしろとかそういうんじゃないんだけど、誰かに断り入れないと行きにくくて」
「別にあたしは急ぎのものもないし、できる範囲なら代わりの仕事くらいやっとくけど?」
「それは大丈夫。こっちもそんな慌てるようなものは片付けてあるし」
気まずそうに泳ぐ視線に、緋山は白石の顔色を確認する。悪くはない、平常通りに見える。しかし、昨夜から今朝にかけての当直は、そう、白石だった。
「あんたちゃんと寝てたの?」
「寝てた寝てた。急患はあったけど、それを差し引いてもまとまった睡眠は取れたよ」
当直の相方は誰だったか……思い出せない。白石がいるなら大丈夫かと、そう思って帰路についた記憶しかない。
今日は午前にヘリ要請が一度あったが、あとは白車受け入れと急患対応、今のところ割りと落ち着いて回せている。
「じゃあどうしたのよ」
「ちょっとだけ……ふらっときた。ただの貧血だと思う」
大したことはないのだとアピールしながらの申告に、緋山は眉根を寄せた。
「ヘリ担当代わろうか?」
「うーん、今の感じだと平気かな、念のために休んでおきたいってくらいだから。もし具合い悪くなったらお願いするかも」
この生真面目なスタッフリーダーの自己判断を鵜呑みにしていいものか。その点では逡巡するものの、仮眠したいと言うのだから反対する気持ちなどあるはずもない。
「まあいいわ、隣行っといで。医者が患者になるわけにはいかないからね」
「三十分で戻る」
きっちりと時間まで告げて仮眠室のドア向こうへと消える同期を、緋山はじっと見つめていた。
立ち尽くしていたつもりもなかったが、自分の仕事に取り掛かろうかとデスクを振り返ったところで、藤川が戻っていたことに気づく。
「あんたいつの間に、」
「白石寝るって?」
なんでもないことのように確認され、緋山は声を飲む。
「微妙に力入ってる顔してたから、そうかなーって」
藤川は自分のデスクに腰を落ち着け、置き菓子なのか飴玉を口に放り込む。ほら、と投げられたものを緋山もまた遠慮なくいただくことにする。
「ちょっと貧血、なんだって。大したことないみたいに言ってたけど」
「まあ白石が言うんだからそうなんだろ。抱え込むやつだけど、倒れたら迷惑になるのは重々承知してるから体調管理は人一倍気遣ってるしな」
「……あたしがいない間、あの子倒れたりはしなかったんだ?」
「いやー、ない、こともない、けど。不可抗力的な? ま、自己申告してくるなら今は大丈夫。お前も心配しすぎ、あいつのこと信じろって」
あれだけ何事に関しても全力で走り回ってる姿見てたら疑わしくなる気持ちもわかるけどな。笑う藤川は屈託ない。
自席に座りながらも緋山の視線は仮眠室のほうに向かう。長らく離れていた身でそんなことを思うのは勝手だろうが、藤川の知ったような口振りが少々癪に障る。
「白石、前は合間合間休めるときに休むようにしてたんだけどな。お前らが戻ってきてからはちゃんとした休息時間取れるようになって、逆に休み挟まなくなっちまって」
もう若くないのになと笑うものだから、緋山はとりあえず一睨みしておく。白石と同い年の冴島に報告してやろうか。同期のなかでは白石が末っ子なのだから自分はどうなる。
「まあお前らが来てくれて助かったんだけど、そこだけは誤算っつーか思わぬ弊害っつーか」
藤川は肩をすくめて見せる。あえて軽い口調で話しているが、彼もまた白石を心配しているのがわかる。
そこへドアから現れたのは藍沢で、一瞬で室内を見回す。
「白石は?」
「寝てる」
藍沢はちらりと仮眠室を一瞥すると、白石のデスクに向かった。急ぎの仕事はないと聞いていたが、何かあったのだろうか。藍沢は整頓された状態を極力崩さないようにか慎重に資料をめくっていく。
「白石がこんな昼間に仮眠とるなんて気にならないわけ?」
「別に。寝たほうがいいと判断しただけだろう」
「だからそこんとこよ。体調悪いのかなってなんない?」
目的のものを見つけたのか、藍沢の手が止まり数枚の紙を抜き出す。
「これまでにも顔色悪く見えるときはあっても倒れたなんて話は聞かなかった。つまりはそういうことなんだろう」
顔を上げた藍沢と、ようやく緋山の目が合った。
この男もまた分かったような顔をして、面白くない。
「なに、あんた他所行ってても白石の体調にアンテナ張ってたの?」
「お前だって一方的に情報が入ってきてたろ」
二人の視線の先で、藤川がサムズアップ。いい笑顔すぎて腹立たしくなるのは何故なのか。
「救命医なんて二十四時間体制な仕事、下手したら寝られないからな。休めるときに休まないと!」
言いながら、藍沢にも飴玉を掲げては首を振られるが、藤川はにこやかに同期二人を見遣る。
「お前らもちゃんと休めよ? 自分の体力過信してると大変なことになるし、何より白石がうるさいぞ〜?」